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月すむ空に


   秋の夜の あくるもしらず なく虫は

   わがごと物や かなしかるらむ

                 藤原敏行 『古今和歌集』巻4-0197 秋上


秋の夜は長い、ということを前提にして詠まれているうた。

その長い夜の、明けて行くのも知らないで鳴く虫は。

わたしのように、胸いっぱいにもの思いを重ねているのだろうか。

悲しみ深いのだろうか。

・・・と、秋の憂いが詠まれています。



私の好きな歌人の一人、西行。

西行は、今宵、中秋の名月を、以下のごとく詠んでいます。



   いかばかり うれしからまし 秋の夜の 月すむ空に 雲なかりせば

                                        (西行)


どんなに嬉しいだろう、秋の(この特別な)夜の、月の澄みわたる夜に、雲が無かったなら。

群青色の天にはただ一つ、名月のみ。を臨んでいるのか、このうたの西行。

いささかワガママぽくて可愛らしい、この西行。

しずしずと月に近づいて行く雲、その雲の風情さえ、もちろん愛でることのできる西行と思いますが。

ぴっかぴかの、磨いたばかりのような満月を、ただに愛でたい時もあったのでしょう、西行。


   おぼつかな秋はいかなる故のあれずすずろに物の悲しかるらむ


どうしてなのか、なぜなのか、わけは分からないのだけれど。

秋という季節は、いろんなことが、ただもう、悲しくなってしまうんだよね。

↑ このごとくも西行法師はうたを詠んでいます。



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秋風


         秋風あるいてもあるいても

                            種田山頭火





ミラボー橋


ミラボー橋

                      ギョ-ム アポリネェル   堀口大學 訳

 
   ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
      われらの恋が流れる
     わたしは思い出す
   悩みのあとには楽しみが来ると

      日も暮れよ、鐘も鳴れ
      月日は流れ、わたしは残る

   手に手をつなぎ顔と顔を向け合おう
       こうしていると 
     われ等の腕の橋の下を
  疲れたまなざしの無窮の時が流れる

      日も暮れよ、鐘も鳴れ
      月日は流れ、わたしは残る

   流れる水のように恋もまた死んでいく
      恋もまた死んでゆく
     生命ばかりが長く
   希望ばかりが大きい
                                    

      日も暮れよ、鐘も鳴れ
      月日は流れ、わたしは残る

   日が去り、月がゆき
       過ぎた時も
     昔の恋も 二度とまた帰って来ない
   ミラボーー橋の下をセーヌ河が流れる
 
      日も暮れよ、鐘も鳴れ
      月日は流れ、わたしは残る

                  詩集「アルコ ール」(1913)
  
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・. 

 
    ミラボー橋のしたセーヌは流れ
      そしてわたしたちの恋も流れる
     せめて思い出そうか
    悩みのあとには喜びが来ると
 
     夜は来い鐘は鳴れ
     日は過ぎ去ってわたしは残る
 
    手と手をとり向きあって
      こうしていると
     わたしたちの腕の橋のした
    永遠の眼差しのあんなにも疲れた波が通って行く
 
     夜は来い鐘も鳴れ
     日は過ぎ去ってわたしは残る
 
    恋は過ぎ去るこの流れる水のように
      恋は過ぎ去る
     何と人生の歩みはおそく
    何と希望のはげしいことか
 
     夜は来い鐘は鳴れ
     日は過ぎ去ってわたしは残る
 
    日が経ちいくつもの週もまた
      過ぎた時も
     恋ももうもどって来ない
    ミラボー橋のしたセーヌは流れ
 
     夜は来い鐘は鳴れ
     日は過ぎ去ってわたしは残る

                                   飯島耕一 訳
 
               青土社版『アポリネール全集』第一巻




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

若い頃からお酒は吞めず、言葉に酔っ払っていました。

美味しいと思えたら、どんどん吞めたなら、りっぱなアルコホル中毒者になっていたと思います、控えて飲まなかったわけではありませんので。

吞めていたらあったかもしれないこと、吞めなかったからある、今のいろんなこと。

・・・このアポリネールという詩人。ファンの多い画家の、あのマリー・ローランサンの恋人だった時期があり、その恋に破れたあと、書いた詩だということです。

アポリネールは30代後半で死に、ローランサンは70代まで生きた。

     日が去り、月がゆき
               過ぎた時も
           昔の恋も 二度とまた帰って来ない

まことシビれました、こけし顔だった、黒い髪がうるさいほど多かった、かつての私は。

あれこれ経てきた今のわたしも、やはり、いいなあと、ゆる~くシビれます。。
   
ミラボー橋。

地平線


             地平線


       彼女の白い腕が

       私の地平線のすべてでした。

                     マックス・ジャコブ(堀口大學訳)

  
マックス・ジャコブ
1876年7月12日〜1944年4月5日
フランスの詩人
ユダヤ人
アポリネールやコクトーと並び
現代詩の先駆者のひとり
画家のモディリアーニは
マックス・ジャコブの絵を二枚描いている
ナチスのユダヤ人迫害に遭い
ドランシー収容所で病死
堀口大學の訳詩で親しまれている



記憶の隅っこの方にあって、このたびコメント欄への投稿によって思い出させてもらえた、この詩。

おそらく50年もむかしにはじめて「この詩に出会った時は、菅原敏の訳詩でした。そんな気がします。


        あなたの白い腕だけが

        わたしのすべての地平線



この「腕」の主を私は、むかしむかし、男性だとうけとめました。

まだリアルな恋に触れていなかった、十代の。ヨーロッパの映画に耽溺していた当時の。肌の白い俳優たちに目が馴染んでいた頃の。

そんなだった私は、地平線であるこの「腕」を、男性だと思い込みました。

いま、改めて詩に再会して。堀口大学の訳の詩に。

そうなんだ、地平線は、彼女の腕なんだ。

そう知りました。

どちらが「好き」かは、人それぞれでしょう。

わたしは・・・どちらもいいな。どちらも素敵です。

現在の私と似かよった年齢で、この詩人が、ナチスの収容所で病没したこと。そのことも知って。

重い苦い気持ちにもなりました。


海の響きを




          「耳」


    わたしの耳は 貝の殻

       海の響きを懐かしむ


                 ジャン・コクトー       堀口大学 訳





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