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ブログタイトル変えました。中身は変わらずKUONです。

海行かば

「海ゆかば」のもとは、万葉集にあります。作は大伴家持(おおとものやかもち)。

聖武天皇、内乱の危機をはらむ時代を憂いたまいての宣明。その一部。

―大伴佐伯の宿禰(すくね)は常もいふごとく天皇朝守り仕へ奉ること顧みなき人どもにあれば汝たちの祖どもいひ来らく、海行かば水浸(みづ)く屍(かばね)山行かば草生(む)す屍王の辺にこそ死なめのどには死なじ、といひ来る人どもとなも聞召す、ここをもて遠天皇の御世を始めて今朕が御世に当りても内の兵と心の中のことはなも遣はす(続日本紀)

このとき家持は越中にありしかど使者を通し宣命を知り贈位を賜り奮いたつ思いのままに一遍の長歌を編み天皇の期待に応えぬ。

・・・・・・・・・・・・

―陸奥国より金を出だせる詔書を賀く歌一首、また短歌

長歌

  葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らしめしける
  すめろきの 神の命の 御代重ね 天の日継と
  知らし来る 君の御代御代 敷きませる 四方(よも)の国には
  山河を 広み厚みと たてまつる 御調(みつき)宝は
  数へ得ず 尽くしもかねつ 然れども 我が大王の
  諸人(もろひと)を 誘ひ賜ひ 善きことを 始め賜ひて
  金(くがね)かも たのしけくあらむ と思ほして 下悩ますに
  鶏が鳴く 東の国の 陸奥の 小田なる山に
  金ありと 奏(まう)し賜へれ 御心を 明らめ賜ひ
  天地の 神相うづなひ 皇御祖(すめろき)の 御霊助けて
  遠き代に かかりしことを 朕(あ)が御代に 顕はしてあれば
  食(を)す国は 栄えむものと 神ながら 思ほしめして
  もののふの 八十伴の雄を まつろへの むけのまにまに
  老人(おいひと)も 女童児(めのわらはこ)も しが願ふ 心足(だ)らひに
  撫で賜ひ 治(をさ)め賜へば ここをしも あやに貴(たふと)み
  嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ神祖(かむおや)の
  その名をば 大来目主(おほくめぬし)と 負ひ持ちて 仕へし職(つかさ)
  海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草生(む)す屍
  大王の 辺(へ)にこそ死なめ かへり見は せじと異立(ことだ)て
  大夫の 清きその名を 古よ 今の現(をつつ)に
  流さへる 祖(おや)の子どもそ 大伴と 佐伯の氏は
  人の祖(おや)の 立つる異立て 人の子は 祖の名絶たず
  大君に まつろふものと 言ひ継げる 言の官(つかさ)そ
  梓弓 手に取り持ちて 剣大刀 腰に取り佩き
  朝守り 夕の守りに 大王の 御門の守り
  我をおきて また人はあらじ といや立て 思ひし増さる
  大王の 御言の幸(さき)の 聞けば貴み(4094)

反歌三首

  大夫の心思ほゆ大王の御言の幸(さき)の聞けば貴み(4095)

  大伴の遠つ神祖の奥つ城は著(しる)く標(しめ)立て人の知るべく(4096)

  すめろきの御代栄えむと東なる陸奥山に金(くがね)花咲く(4097)

・・・・・・・・

漢字が苦手だったりすると、見てひるんでしまいそうでもありますが、この長歌とは、五、七、五、七、五、七の、基本的には繰り返し。コトバ自体も昔のコトバですから、わかんない感じもあると思いますが、

  葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らしめしける

     あしはらの みずほのくにを あまくだり しらしめしける

  すめろきの 神の命の 御代重ね 天の日継と

     すめろき(天皇)の かみのいのちの みよかさね あまのひつぎと


こういう感じで読んで行くと、日本語の定型のリズムの快さに、むにゅむにゅと嬉しさがこみあげて来る・・・と思うのです。

まず「音」があったのです。その音に、文字が添えられていった、添って行った。

音のもとは、気持ち。ですよね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

i以下は「万葉集を読む」から拝借してまいりました。

大伴家持の生きた時代は、人麻呂の時代とは異なって、常に内乱の危機をはらんだ政治的動揺の時代であった。737年に流行した大疫によって、藤原武智麻呂はじめ、藤原氏の実力者が次々と死に、政治的な空白ができたのがその原因である。藤原氏にとってかわって、橘諸兄が一時的に権力を握ったが、安定したものとはいいがたかった。740年には、藤原博継による大規模な内乱がおきている。

聖武天皇は、こうした事態を憂え、救いを仏教に求めた。そして、仏教布教のシンボルとして東大寺大仏の建立を始める。そのさなかに、奥州で金が発見され、大仏建立のために寄進されるということがおきた。

喜んだ聖武天皇は、東大寺に赴いて、宣命を発した。その中で、黄金の発見が皇祖の恵であることを述べ、人民にその恵を分かち与えるとともに、臣下の労をねぎらった。その際に、大伴、佐伯の二氏に対して、天皇への忠誠をあらためて訴えた。

大伴、佐伯の両氏は、古くから皇室の「内の兵」として、特別な家柄であった。物部氏が国軍を統括するものであるのに対し、この両氏は天皇の近衛兵のような役柄を勤めてきたのである。天皇は、この内乱の危機をはらんだ時代を憂えて、あらためてことさらに、両氏へ忠誠を求めたのである。

この歌の中には、大伴氏の伝統を背負った家持の、伴造意識が鮮やかに表れている。我々はそれを読むことによって、古代における氏族の意識の一端に触れることができる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

家持は、付き合っていた女性から

「あんたなんかを(甲斐なく)思っているのは、どうでもいいような餓鬼の像を後ろから拝んでるみたいなもの、いえいっそ、その方がマシだわ」

とタンカきられるような面を持った男性でもありました、そして、もうすぐ来る本物の秋になれば、ぜったいにこの一首をご紹介したい。と息の弾むようなうたを残した大歌人でもありました。

激しい武家のプライドを秘めたひとでした。


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主役は、秋の、風



君待つと 我が恋をれば わが屋戸の 簾動かし 秋の風吹く

   きみまつと わがこひをれば わがやどの すだれうごかし あきのかぜふく

        額田王(ぬかたのおほきみ)    巻4の448



額田王は、天智・天武の二人の天皇に愛された=乞われた、あの時代の=壬申の乱前後の、大スターです。万葉集にも多くのうたが取り上げられています。

とても興深い逸話がたくさんある女性です、うたも素晴らしいものがたくさん。徐々に、書けるように書いて行けたら、と思います。

今日は、この額田王が天武天皇との間にもうけた娘が、十市皇女(といちのひめみこ)であること。

兄と弟である天智と天武の間で、この額田王と天智の二人の娘が(もう数人いたとも)、失礼な言い方になるかしれませんが、プロ野球のフェア・トレードみたいに交換された。という説をもあるのですが、本当のことは判りようも無い。ともかく、その天智の娘の一人が、これもスーパースターの持統天皇(じとうてんのう)であること。くらいは、書いておかなくてはならない気がしました。

ので、書きました。

十市皇女は、わたしが万葉集に触れかかった初めのころに登場した、恋しさゆえに皇女の身で朝川を渡ってしまった但馬皇女や、その皇女を喪って悲傷慟哭した穂積皇子(ほづみのみこ)あたりにからまって来る皇女さんなのです。

もっと言えば、私がもっとも魅かれている大津皇子(おおつのみこ)、その姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)の名も、このあたりにある。

ややこしくてアタマこんぐらがるのは確かですが、一つひとつの話は魅力があります。みなさま嘘つきでなくて。今に伝わる名前の一つ一つは、さまざまな思いを胸に生きた人々の存在を、思わせてくれるのです。

名は、記号でないと感じます。


きょう、取り上げた一首は、額田王が大津宮で天智天皇を思って詠んだ歌です。

天皇を待っている、思って恋焦がれて待っている。

少しの音にもはっとして、もしや、と、からだじゅうが反応します。

もしや君か、と、耳も心臓も緊張マックスになる。

でも、しかし実は、簾がカサリと身じろぎしただけ。

風が、すうっとと吹き過ぎて行っただけ。

ただ待つ人はいない、来ない。

風が無言で吹き過ぎて、あとは静寂あるのみ、待って待って日を送るわたしが、ここにいるのみ。

何度も実感します。女性は、待つことしかできなかったのだと。

・・・とはいえ、この額田王という女性は、


熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな 

   にきたつに ふなのりせむと つきまてば しほもかなひぬ いまはこぎいでな

                                  1-8 額田王
 

場所は現在の愛媛県松山市あたり。詳しい説明はまた後に、ぜひ書きたいと思いますが、

>660年、唐は新羅と連合し百済を攻撃。
>滅亡した百済の遺臣たちは日本に救いを求めてきました。
>そこで斉明女帝は決断を下されます。
>「百済は古くからのわが国の同盟国です。
> 見捨てるわけにはいきません。すぐさま船団を組織し、
> 朝鮮へ向かいましょう」

↑ のようなことだったと云われています。

大和朝廷が大移動したような男女合わせて27000名にも及ぶ戦隊の中心にいて、堂々と朗々と、このような大きなうたを詠んでいる女性でもあります。

すだれうごかし秋風の吹く、は、名歌と評の定まったうたではありますが、額田王は、これくらいの「恋心」は、なんぼでも生み出せるお方だったのだろうな。と。腹黒KUONは、ジト目で考えたりも、するのであります。

うた自体が超・完成型なので、このようなことは、口に出すがヤボ、というものではあります。もちろん。


主役は秋の風。そして、思って待って、今日も会えないひと・・・は、この際、脇役(わー、ごめんなさい)。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


コメントをありがとうございます。

明日、ゆっくり、返事を書かせていただきます。





やきほろぼさむ あめのひもがも

およそ4500首ものうたが集められている万葉集の中に、狭野茅上娘子 さののちがみおとめ
という歌人がいます。 さぬのちがみのおとめ、と表記されることもあります。生没年未詳。

蔵部(後宮十二司の蔵司か)の女嬬・斎宮寮の掃除などをする下流女官の一人でした。

女官ですので、天皇の目にとまれば妃になる可能性のあるひとだったわけです。それが、中臣宅守と出会い、夫婦の契りを結んだ。「天皇のおんな」未満でも宅守は、越前への流罪に処せられてしまいました(正式の罪状は不明です)。

奈良・平城京から流刑地の越前(福井県)までは、奈良山を越えて山城国(京都府)に入り、さらに逢坂山(大阪府)を越えて近江国(滋賀県)に進み、琵琶湖西岸を北上して愛発(あらち)山を越えるというルートを取ったものと推測されます。すべて徒歩の旅でした。いったん別れてしまえば、またの日はあるのか、あるとしてもいつごろのことか。

結ばれて間もない若い夫婦の、離別の際のうたが、万葉集巻十五に収められています。
茅上娘子の万葉集への収載歌は、全部でいえは二十三首ですが。

「中臣朝臣宅守の、蔵部の女嬬狭野茅上娘子を娶(めと)る時、勅して流罪(るざい)に断じて、越前国に配す。ここに夫婦別るることの易く会ふことの難きを相嘆き、各(おのもおのも)慟(かな)しみの情(こころ)を陳(の)べて、贈り答ふる歌」


あしひきの山道越えむとする君を心に持ちて安けくもなし

   あしひきの やまぢこえむと するきみを こころにもちて やすけくもなし     
                                                   (15-3723)



この頃は恋ひつつもあらむ玉くしげ明けてをちよりすべなかるべし

   このごろは こひつつもあらむ たまくしげ あけてをちより すべなかるべし
                                                   (15-3726)


今夜あたりは恋しく思って過ごすのでしょう、でも、朝が明けてあなたが発ってしまって後は。

もうなすすべもなく。ただにただに切ないばかりなのでしょうね。




我が屋戸の松の葉見つつ我待たむ早帰りませ恋ひ死なぬとに

   わがやどの まつのはみつつ あれまたむ はやかえりませ こひしなぬとに
                                                    (15-3747)



白妙の我が下衣失はず持てれ我が背子ただに逢ふまでに

   しろたへの あがしたころも うしなはず もてれわがせこ ただにあふまでに
                                                    (15-3751)


ちょっとここに詳しく正確に書く自信が無いのですが、万葉集のころは、女性たちは、防人の妻なども同じく・・・下衣や。眠るときにつなぎ合う紐や。そういった品を、別れて行く男に贈ったようです。

襤褸のようになっても持ち続けた男、そうでない男。受け取った方の事情はさまざまだったのでしょう。


 

春の日のうら悲しきに後れ居て君に恋ひつつ現しけめやも

   はるのひの うらがなしきに おくれゐて きみにこひつつ うつしけめやも
                                                      (15-3752)


待つしかない時代。生きているのかそうでないのか、悶悶と待つしかなかった時代。


ここには引きませんでしたが、流された先から宅守は、をとめに、うたなど託してよこしたようです。


この記事でいちばんご紹介したかった、いちばん有名で強烈な一首は、以下です。

行かせたくない人を行かせるしかなかった娘子(をとめ)が、全身でたたきつけるように詠みあげた一首。
 

君が行く道の長手を繰りたたね焼き滅ぼさむ天の火もがも

   きみがゆく みちのながてを くりたたね やきほろぼさむ あめのひもがも
                                                      


あなたが行く長い道のり、わたしから離れて行く道のりを、くるくると手繰り寄せるようにして、焼き尽くしてくれる天の火がほしい。そうすれば、あなたは都に留まるしかないだろうから。私のそばにいられるだろうから。


彼女の上に、天の火は・・・




風はただ、吹いているだけ

采女の袖吹きかえす明日香風都を遠みいたづらに吹く

   うねめの そでふきかえす あすかかぜ みやこをとおみ いたづらにふく

                                    志貴皇子   51



この一首、いいですねえ、と先日ご紹介して、あと、こころおもむくままに、詩歌の森をさまよっておりました。

とか気取りたくなるくらい、日本語の世界は心地いい。

一首に戻れば。

采女とは、宮中の女官の一。天皇のそば近くに仕えて、食事のことにたずさわった、と。大化の改新のときに、少領以上の郡司の姉妹、子女のなかから、「容姿端正なものを貢進することと定められた」と、何冊か調べて読んだ中にありました。どの辞書だったかなあ・・・。

身元たしかで容姿のいい娘さん。すれてもいなかったでしょう。天皇の食事の世話などするのですから、そこにはまあ、いろんなことが起きたのですね。

志貴皇子は、天智天皇の七番目の皇子です。母親は采女の一人でした。母の身分の重要だった時代に、そういった立場であり、皇子自身の性格もあいまって、宮中の争いごとに巻き込まれず、穏やかな生涯を送った、とされています。

もう一人、天武天皇の息子に「磯城皇子(しきのみこ)」という音の同じ人物がいて・・・となって行くと、いっぱい沢山書かなければならないことになります。

ですから、そちらの皇子さんは置いておいて、志貴皇子の一首を「いいなあ、これって・・・」と、うっとりする方向で、このまま行きます。

采女という立場の女性は、天皇や天皇の息子たちの子を産むことはあっても、つまりそれだけのものでした。

ここでうたわれている采女も、その例に漏れなかったのでしょう。

かつて思いを寄せ、いっときは睦んだ女性。思い出して暗いところは無く、風の中に立てば、ふと。まろやかな頬の線やなだらかな眉のカーブが蘇るような。

既に都は移ったあと。ひろびろとした野に、嫋々と風は吹き来て、吹き過ぎて行く。

采女の裳裾は、このような風に、ひるがえっていたなあ。袖が風に巻かれて、白い腕があらわになって、あわてて引っ張ったりしていたなあ。

過去の都跡に立つ皇子は、空に、山に、風の来る方向に視線を巡らせ、かつて睦んだ女性に思いを馳せる。

この一首、初めの一句が

「うねめの」と、五音でなく、四音です。調べとしては滑らかでない、ちょっと「ん」とつっかえる感じ。でも、そうしてつっかえるように「うねめの」と読み始めて、そでふきかえす、とリズムよく読んで、重要な真ん中の部分「あすかかぜ」と、さら~っと行く。

「都を遠み」ここでいきなりシリアスになる。思い出のつまった過去でない、今、そこにいる今は、現実の都跡。

もう都でない、すべてが終わった地なのです。

すべてが終わった地に、あの日と同じく吹き渡る風。

この風はもう、采女の袖を吹き上げ、はためかせることも無い。

風は同じだが、采女もいない。

風は、ただ、吹いているだけ。




都を遠み

采女の袖吹きかえす明日香風都を遠みいたづらに吹く

   うねめの そでふきかえす あすかかぜ みやこをとおみ いたづらにふく

                                    志貴皇子   51


広い一面の野原です。

はるかに見渡せるのは、山、なだらかなやさしい起伏の山ばかり。

采女の袖はゆったりとしている、采女の裾もゆったりしている、向こうの方から一直線に、さああっと。

さああああっと、吹き渡って来る風に。

采女の裳裾がひらひらとなびく、采女の袖が風にひるがえって流れる。

采女のふくよかなうりざね顔がしばし、舞い上がり翻った袖に、隠れます、また、まみえます。

明日香。ひろい広い野の、そのただなかで。



志貴皇子は、天智天皇の七番目の皇子。

うたの情景は、すでに都が移ってからっぽになってしまった明日香の地へ、戻った折りの皇子が、過ぎ去った日の、あいしていた采女の姿を想い、今は何も無いそこへ彼女を立たしめて、詠まれたものとされています。

この一首のなかの采女は、実在でないもの。幻の女性。そして、うたの情景が鮮やかゆえにそうであるゆえに、まことそのような女性が在るごとく、在ったごとくに思わせる、想像させるのではないかと。

さやさやと草原のなびく一面の野原。

太古のむかしからそこにあり続ける稜線のやわらかな山々。

風をはらんでひらはらと揺れる若い采女の衣裳、采女の目は遠い青い空の上の、どこを何を見ているか。


有名な一首で、大好きなうたのひとつです。

志貴皇子については過去に書いたこともありますが、ここにもう少し、書いてみたいです。

少し用が出来たので、後に新たな記事となるかもしれません。





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Author:KUONの久遠
・・・・・


としどしに わがかなしみは ふかくして 

いよよはなやぐ いのちなりけり


      岡本かの子

             


・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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