滅びに向かうもの
前記事の続きです。

生まれて一か月の頃の礼宮さまとのことです。
例の渡邊みどりの著書の中に、以下の一節があります。
[美智子さまのたっぷり出る母乳を飲んですやすやと眠る礼宮さまは泣き声もむずかりようも男の子らしく活発でした。美智子さまは「東宮のスサノオ」と言ってお笑いになったそうです。]
スサノオ。どんな気持ちで美智子さんはその言葉を使ったのでしょう。
の写真。美智子さんはいつものごとく、髪を盛りメイクは完璧、みどり児の方は見ないで、自信のある方から斜め横顔をカメラに向けて、澄まして写っておいでです。
胸元。
あーやさんに、おっぱい上げてた胸元でしょうか。
「美智子さまのたっぷり出る母乳」と、美智子広報係の渡邊みどりは書いておられます。
いささか生な表現になりますが、生後一か月くらいの第二子、元気いっぱいでお乳をぐいぐい吞む赤ん坊を育てていたら、いったん吞ませて空になったそばから母乳は内部に湧きあがって来て。そんな頃の母親は、まこと哺乳類の女族、子のことを思うだけで、きぃんと張って来るような状態ではないか、と。
こんなきっちり着物を着て・・・撮影済んだらすぐに脱いだのかしら・・・写真終わったわ、あーやちゃんいい子していてくれたわねえ、などと可愛い顔、うつむいて見たら、愛おしさが刺激になって間に合わなくて母乳噴き上がって・・・リアルでごめんなさい、襦袢も着物にも迸ってしまいかねない、汚してしまいかねない・・・事態が、起きてしまうのではないか、とか。
ふと、そんな風に考えました。
抱かれているみどり児が、抱いているこの方の、本当に可愛い「みどり児」ならば、という前提のもとの想像です。
↑ の写真には「生まれたて」のみどり児への愛おしさより、ご自分の聖母感の方に重きをおかれている気がします。いつものことではあります。
第一子の浩宮誕生の折のうたは、よく知られている
含(ふふ)む乳(ち)の 真白きにごり 溢れいづ 子の紅の 唇生きて
あづかれる 宝にも似て あるときは 吾子(あこ)ながらかひな 畏れつつ抱く
嬉しく誇らしく詠んでいる美智子さん。皇室の伝統だった乳母(めのと)制度を廃し、自分たちで作る温かいホームのなかで子育てをすると宣言して実行、4月10日に結婚して、翌年2月23日に第一子浩宮を産んだ。
授乳しながらも首を前に傾けて、溢れる乳をスムーズに吞みかねて、口のまわりブクブクさせている、小さ目に生まれ出たそんな「吾子」を、唯一無二のものとして、見つめている母親の姿です。
この二首、ご指導の五島美代子さん・・母の歌人と称された方、その薫陶よろしく(か)、秀歌、名歌とよばれています。本当に美しいうたとおもいます。手ほどきを受け始めて一年ほど。上手すぎるくらい巧みでもあって。
礼宮さまご誕生の時の御歌は。
以前にも触れたことがあります。
生(あ)れしより 三日(みか)過ぐししみどり児に 瑞(みづ)みづとして添ひきたるもの
眦(まなじり)に柔かきもの添ひて来ぬ乳(ち)足らひぬれば深ぶかといねて
本能的な「いとしい」「かわいい」でない、みずみずしい健やかな赤子に対する、観察者的な目を感じます。ここ、言外の思いをお汲み取りいただきたいです。
これは初めて書きますが、わたし、礼宮さまには乳母(めのと)がつかれたのでは? と、疑問を抱いていたのでした。ナルさんに対するように、抱きしめて抱え込んで頬すりよせて、の雰囲気が感じられません。
真偽はわかりません、直観といいますか。私感です。
部屋ぬちに夕べの光および来ぬ花びらのごと吾子(わこ)は眠りて
昭和44年(1969年)、紀宮清子内親王ご誕生。絵画的な美しいうたです。初めての女のお子さまは、夕べの柔らかい光のなかに、花びらのように眠っている、と。清子さまは何度も「吾子」と詠まれておいでです。余裕のある詠みぶり。清子さまにはお世話係の力が大きかった気がします。
身のこなしが、お母さまより格段に美しい内親王さんでした。
昭和41年歌会始 御題「声」
この時の御歌は、これ。
少年の声にものいふ子となりてほのかに土の香も持ちかへる
ここで「子」と詠まれているのは、浩宮。母親の愛情と客観的な「土の香も」の描写で、すぐれたうたになっている・・・「少年もの」というジャンルに、みごとはまった、息子ウットリのお母さまのうた、でも、すてきなおうたです。
この時、アーヤさまは一か月ほどの赤ちゃんでいらした。むにゃむにゃと、声も、可愛らしかったでしょうにね。
まあ言えば、歌会始のうたは、かなり早くに用意されるもの(らしい)ので、この一首が詠まれた時は、あーやさまはお腹の中でいらしたか。
流産の後に授かったお子、胎動などを感じて、お腹の子のメッセージだわ、なんぞとは、思われなかったのかな、美智子さん。
ただただナルが愛しくて。あ、そうですか。
遊びつかれ帰り来し子のうなゐ髪(がみ)萩の小花のそこここに散る
ここの「子」は、さーやさま。
外国(とつくに)に吾子(わこ)離れすむこの年の夜のしづけさ長くおもはむ
昭和58年(1983年)、ックスフォード大学マートン・カレッジに留学した浩宮を、恋うて淋しんでお詠みです。
何かの偶然なのかわたしKUONの考え過ぎなのか。
礼宮殿下は、大人になってもこんな風に詠まれておいでなのですね。
みどり児と授かりし日の遠くして今日納采の日を迎へたり
平成2年(1990年)、文仁親王ご婚約に際してのおうた。
「みどり児と授かりし日の」
何か。何かね、距離を感じるうたいぶりだと、感じてしまうのです。
悠仁さまを詠んだうたを、寡聞にして存じません・・・とか気取ったりしたら自分がバカですね、皇統につながる親王殿下を嬉しむ、ことほぐうたが、皇后だった美智子さんに、無い。
無い? 無い。
するとあの、ナルが生まれた時のあの
あづかれる 宝にも似て あるときは 吾子(あこ)ながらかひな 畏れつつ抱く
この、謙虚の極みを装いながら有頂天の極みであるこの一首、本音はどこにあったべいか。
皇統をつなげて行く役割の妃として、美智子さんはあまりに未熟だったと思う。あまりにもあまりにも愚かだった。どれだけ言っても言い足りないくらい最悪の存在です。
正統な皇位継承順位第二位だった秋篠宮殿下への、長年の軽すぎる扱い、ふるまい、傍若無人、エトセテラ。
悠仁親王殿下への、許しがたい軽視、無視、それから・・・
自ら天皇であることを放棄したひとを、私は、認めません。
ツマについては言うべくもなし。
軽蔑します。
皇室は、終わり、滅びに近づいていると思います。
結論は、まだ、もう少しだけ先のことになりましょうか。

おたたの方は見ていないあーやさん。

おたたより上の方を見ている、さーやさん。
おたた、熱演していますが。なにせ大根、三流の〇優さんですので。
一番おとくいなのは、自己陶酔。それはもう、ねっちゃりと。自分以外に主役無し。

生まれて一か月の頃の礼宮さまとのことです。
例の渡邊みどりの著書の中に、以下の一節があります。
[美智子さまのたっぷり出る母乳を飲んですやすやと眠る礼宮さまは泣き声もむずかりようも男の子らしく活発でした。美智子さまは「東宮のスサノオ」と言ってお笑いになったそうです。]
スサノオ。どんな気持ちで美智子さんはその言葉を使ったのでしょう。
の写真。美智子さんはいつものごとく、髪を盛りメイクは完璧、みどり児の方は見ないで、自信のある方から斜め横顔をカメラに向けて、澄まして写っておいでです。胸元。
あーやさんに、おっぱい上げてた胸元でしょうか。
「美智子さまのたっぷり出る母乳」と、美智子広報係の渡邊みどりは書いておられます。
いささか生な表現になりますが、生後一か月くらいの第二子、元気いっぱいでお乳をぐいぐい吞む赤ん坊を育てていたら、いったん吞ませて空になったそばから母乳は内部に湧きあがって来て。そんな頃の母親は、まこと哺乳類の女族、子のことを思うだけで、きぃんと張って来るような状態ではないか、と。
こんなきっちり着物を着て・・・撮影済んだらすぐに脱いだのかしら・・・写真終わったわ、あーやちゃんいい子していてくれたわねえ、などと可愛い顔、うつむいて見たら、愛おしさが刺激になって間に合わなくて母乳噴き上がって・・・リアルでごめんなさい、襦袢も着物にも迸ってしまいかねない、汚してしまいかねない・・・事態が、起きてしまうのではないか、とか。
ふと、そんな風に考えました。
抱かれているみどり児が、抱いているこの方の、本当に可愛い「みどり児」ならば、という前提のもとの想像です。
↑ の写真には「生まれたて」のみどり児への愛おしさより、ご自分の聖母感の方に重きをおかれている気がします。いつものことではあります。
第一子の浩宮誕生の折のうたは、よく知られている
含(ふふ)む乳(ち)の 真白きにごり 溢れいづ 子の紅の 唇生きて
あづかれる 宝にも似て あるときは 吾子(あこ)ながらかひな 畏れつつ抱く
嬉しく誇らしく詠んでいる美智子さん。皇室の伝統だった乳母(めのと)制度を廃し、自分たちで作る温かいホームのなかで子育てをすると宣言して実行、4月10日に結婚して、翌年2月23日に第一子浩宮を産んだ。
授乳しながらも首を前に傾けて、溢れる乳をスムーズに吞みかねて、口のまわりブクブクさせている、小さ目に生まれ出たそんな「吾子」を、唯一無二のものとして、見つめている母親の姿です。
この二首、ご指導の五島美代子さん・・母の歌人と称された方、その薫陶よろしく(か)、秀歌、名歌とよばれています。本当に美しいうたとおもいます。手ほどきを受け始めて一年ほど。上手すぎるくらい巧みでもあって。
礼宮さまご誕生の時の御歌は。
以前にも触れたことがあります。
生(あ)れしより 三日(みか)過ぐししみどり児に 瑞(みづ)みづとして添ひきたるもの
眦(まなじり)に柔かきもの添ひて来ぬ乳(ち)足らひぬれば深ぶかといねて
本能的な「いとしい」「かわいい」でない、みずみずしい健やかな赤子に対する、観察者的な目を感じます。ここ、言外の思いをお汲み取りいただきたいです。
これは初めて書きますが、わたし、礼宮さまには乳母(めのと)がつかれたのでは? と、疑問を抱いていたのでした。ナルさんに対するように、抱きしめて抱え込んで頬すりよせて、の雰囲気が感じられません。
真偽はわかりません、直観といいますか。私感です。
部屋ぬちに夕べの光および来ぬ花びらのごと吾子(わこ)は眠りて
昭和44年(1969年)、紀宮清子内親王ご誕生。絵画的な美しいうたです。初めての女のお子さまは、夕べの柔らかい光のなかに、花びらのように眠っている、と。清子さまは何度も「吾子」と詠まれておいでです。余裕のある詠みぶり。清子さまにはお世話係の力が大きかった気がします。
身のこなしが、お母さまより格段に美しい内親王さんでした。
昭和41年歌会始 御題「声」
この時の御歌は、これ。
少年の声にものいふ子となりてほのかに土の香も持ちかへる
ここで「子」と詠まれているのは、浩宮。母親の愛情と客観的な「土の香も」の描写で、すぐれたうたになっている・・・「少年もの」というジャンルに、みごとはまった、息子ウットリのお母さまのうた、でも、すてきなおうたです。
この時、アーヤさまは一か月ほどの赤ちゃんでいらした。むにゃむにゃと、声も、可愛らしかったでしょうにね。
まあ言えば、歌会始のうたは、かなり早くに用意されるもの(らしい)ので、この一首が詠まれた時は、あーやさまはお腹の中でいらしたか。
流産の後に授かったお子、胎動などを感じて、お腹の子のメッセージだわ、なんぞとは、思われなかったのかな、美智子さん。
ただただナルが愛しくて。あ、そうですか。
遊びつかれ帰り来し子のうなゐ髪(がみ)萩の小花のそこここに散る
ここの「子」は、さーやさま。
外国(とつくに)に吾子(わこ)離れすむこの年の夜のしづけさ長くおもはむ
昭和58年(1983年)、ックスフォード大学マートン・カレッジに留学した浩宮を、恋うて淋しんでお詠みです。
何かの偶然なのかわたしKUONの考え過ぎなのか。
礼宮殿下は、大人になってもこんな風に詠まれておいでなのですね。
みどり児と授かりし日の遠くして今日納采の日を迎へたり
平成2年(1990年)、文仁親王ご婚約に際してのおうた。
「みどり児と授かりし日の」
何か。何かね、距離を感じるうたいぶりだと、感じてしまうのです。
悠仁さまを詠んだうたを、寡聞にして存じません・・・とか気取ったりしたら自分がバカですね、皇統につながる親王殿下を嬉しむ、ことほぐうたが、皇后だった美智子さんに、無い。
無い? 無い。
するとあの、ナルが生まれた時のあの
あづかれる 宝にも似て あるときは 吾子(あこ)ながらかひな 畏れつつ抱く
この、謙虚の極みを装いながら有頂天の極みであるこの一首、本音はどこにあったべいか。
皇統をつなげて行く役割の妃として、美智子さんはあまりに未熟だったと思う。あまりにもあまりにも愚かだった。どれだけ言っても言い足りないくらい最悪の存在です。
正統な皇位継承順位第二位だった秋篠宮殿下への、長年の軽すぎる扱い、ふるまい、傍若無人、エトセテラ。
悠仁親王殿下への、許しがたい軽視、無視、それから・・・
自ら天皇であることを放棄したひとを、私は、認めません。
ツマについては言うべくもなし。
軽蔑します。
皇室は、終わり、滅びに近づいていると思います。
結論は、まだ、もう少しだけ先のことになりましょうか。

おたたの方は見ていないあーやさん。

おたたより上の方を見ている、さーやさん。
おたた、熱演していますが。なにせ大根、三流の〇優さんですので。
一番おとくいなのは、自己陶酔。それはもう、ねっちゃりと。自分以外に主役無し。
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水仙

傷ましきがれきの上に手向(たむ)けたまふ君が水仙は白く花咲く
花まで女優・・・と感じてしまう、水仙のせいではない、けれど。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
阪神・淡路大震災が起きたのが22年前、1995年の1月17日。
直後の1月20日から皇太子夫婦は、中東訪問の途に就きました。
1月21日 阪神・淡路大震災後4日目にはまさこは、紅白の衣装を身に着けて堂々と笑っていました。

高速道路はひっくり返ってしまっていたし、デコボコだし電車の駅舎もつぶれていたり、支援物資を運ぶにも大変なことが長く続いていました。大阪の私の親友の息子も、友達同士うまく組んで車を何台か確保し、アルバイトに精を出してお金を作って食料や水を買い集め、お願いして毛布やシーツやタオルなど必要品を集めて回り、でも、とにかく道路がなかなか使えなかったのでした。
そんな中で、焼き芋を一本1000円で売っている奴がいるんだと悔し泣きしながら、けんかすると迷惑かける、警察だってめっちゃ必死なんや、けんかなんかでけへんのや今は、しやけど汚いやろ、と、訴えていました。
あの当時、私も友人の息子も周囲も、皇室のヒトが外国へ行って、きっと用があるから行ったのだろうが(これも不思議と思いませんでした)、と、気にもしていなかった、まさか、笑い転げながらラクダのレースを見ていたとは。
1月24日 震災の1週間後には、 ラクダレース観戦
歓迎してくれる向こうの国の人々に申し訳なくて、悲しい顔など見せられない。
笑顔の下に苦しい辛い気持ちを隠して、お二人はご公務に臨まれていた。
・・・という筋書ではあったのでしょうが、そんな高度なワザは二人、共に、無理。

妻の機嫌が常に何より重要なことで、必死に妻におもねるこうたいしナルヒト氏。
凶悪下劣に笑い転げながらレースを見物、夫には何の興味も関心も示さないまさこ。
当初の予定では、1月20日から28日までが、この旅行の日程でした。

↑ の写真は、ヨルダンのお妃さまが「お国はいま大変なのでしょうから」とばかり、帰国を勧めて下さったのを。
勧めて下さったのが、不満で、むくれっ面でぶーたれているまさこ。
既に十分、有名になっている人でなしの写真です。
また再び、いつでも、取り出して来ようと思っています。
不承不承帰って来はしましたが、後日、名古屋の万博の折でしたか、間違っていたらごめんなさい、皇太子がこんなことを言った、のは、事実です。
「(あの時は)地震があったので、死海の見物ができなくて残念でした」
とは、後に皇太子が口に出した言葉です。
悪気は無く、平気で言ったのでしょう。本心だったのでしょう。
国際親善の旅、だったのだとか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
皇后さんのおことば。
「皇室は祈りでありたい」
「人々の心に寄り添って」
はあはあそうなんですか。苦く笑います。
もちろん、天皇皇后は、この被災の地へも出向いた。
美智子さんは終始笑顔でした。
まさこのことばかりは言えない、のでしょうか。耀く笑顔のこうごうさんでした。
御所の庭に咲いていた水仙を。東京から運んで来て。
瓦礫と化してしまった建物の跡地に、手向けた。
大々的に報道されていたようです。私は十分お花畑にいた者でしたが、基本的にこういった美談、感動話、偽善の匂いのぷんぷんする取り上げ方は好きでない、ひねくれ者。
でも写真もいっぱいありましたね。
「皇族歌人」(と言うのだそうです、皆で持ち上げ倒してるのね)の美智子さまははて、どんな風にこれをお詠みかと、探していたら、あの方の歌集には無かった。
あのドラマチックを詠まないはずがなかろうに、と、ずっと不思議でした、ら。
娘さんのおうたの一首として、KUONは発見しました。
紀宮さまの本の中、一首。
傷ましきがれきの上に手向(たむ)けたまふ君が水仙は白く花咲く
両陛下、阪神淡路大震災被災地お見舞ひ
と、こういう形で。まああ、優しいko-go-さま。

祈り、なんです。
他にも、自分でない誰かが自分のことをこういう風に、の感じで、誉めたり称えたりしておられる形跡が、あちこちに多々、見られる方です。遠まわしに自分を美化しておられます。しかも控えめなわたし、にうまく作りながらの芸の細かさ。
バレています。
自然な流れとして、
紀宮さまの本に、紀宮・作、として載せられているこの一首にも、私は、疑念を抱いています。匂いがするのです。
何というか。
親といい子といい。人の気持ちや痛みや。口で言うほど感じられるなら、こういうことはしない、できないでしょう。
この記事もまた、思いの行き着くところは同じです。
同じ。
水仙の言葉は何でしたっけ。
「うぬぼれ」「自己愛」「エゴイズム」
色によっても違うようですが。
・・・あの水仙に励まされたお方には、末尾ながら、お詫びを申し上げます。そのお気持ちを貶めるつもりは無いのです。
言い訳を詠まれた美智子さん

熊本市、健軍神社の、さざれ石の由来の碑。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
皇后美智子さんが年初に発表されたおうたの、二首目。
〈被災地 熊本〉
ためらひつつさあれども行く傍(かたは)らに立たむと君のひたに思(おぼ)せば
意味は、読んだまま。
ためらひつつ・・・ためらいながら、ためらう気持ちはあるけれど、
さあれども・・・そうだけれども、ためらわれるけれども、
行く・・・行く
傍らに・・・そばに、その近くに
立たむと・・・立とうと
君の・・・あなたが、陛下が、
ひたに・・・ひたすらに、熱心に
思せば・・・おぼしめされるなら、おもわれるならば、いいえ思召されるのだから。
以上です。
「私はためらうのだけど、行こう。(被災された方々の、せめて傍らに)立ってあげようと、あなたさまが、熱心に思われる、気遣われる、仰るので。」
こういう意味のうただと思われます。
私KUONの知る限り美智子さんに、こういう雰囲気の歌は、無かったように思います。
被災地へ行くのはあの方にとって、美しい行為であった。賞賛されるべき行為だった、とまでは。あえては言いません。
正義の行いだったのでした。首にカラー巻いてまで、行かれた。
かつて女性週刊誌が、何のつもりでその言葉を使ったか
「這ってでも行く」
慈愛、献身の行為であらせられました。行く、行かねば、行ってあげなくては。
で。
女官に銘じて花束を作らせて持参させて、瓦礫の上にそっと捧げ。
泣きすがる女性を受け止めるお姿を真横から撮らせ。
手話もどきを駆使して「がんばれ」「がんばれ」を、被災の地から去る温かい車内から伝えられた。
満面の笑顔でしたね。いつも。励ましに行くのですもの、暗い顔は禁物、だったのですね。
お優しい美智子さま。でいらした。
それがなにゆえ、このおうた、熊本への慰問を、こんな風にお詠みあそばされたのか。
私感ですが、これ、すっごい一首ですね。
ミテ子さま言い訳劇場じゃじゃじゃん。
私が好きで行きたいのではないの、へーかが、行ってあげよう、皆さまのかたわらに、行ってさしあげねば、と、強いご意向をお示しですの、へーかのご意向なんですの、だから、ね。
KUONなどというエラソうなブロガーなんぞが、10何行か上の方に、この色の文字で要らんこと書いたりしますでしょ、あれイヤですの、KUONのひが目ですのよ、ひたに思召すのは、ヘーカなの。わたくしは従うのみですのよ、真心からの出張を誤解されるのはホント、イヤですの。
ま。雑音ではありますけれどね、民がわあわあ云う事くらいは。許しのココロで受け止めてあげるにヤブサカでもありませんのですが。
腹が立ちますの!。
みたいな、とか。
感じたりしたら、繊細な美智子さまはいたく傷つかれて、声を失われたり頚腕がシビれたり、なさってしまうのかも知れません。
やりたい放題しておいて、ことが表だって来たら、丸ごとするっと、人のせいにする人間は、います。
それを恥としない人間も、沢山いるんでしょ。
私には、自分以外の人間のものの思いようなどは、想像する、推測する、くらいが精一杯です。ですので、断言はできにくいのです。とはいえ。
長男の出来の悪いのは、口つぐんで触れない。
庇い倒して来た長男の妻についても同じ。
愛子さんについては、皇后さんなりに、国民に対してなんらかの「匂わせ」をした方が、と勧められた時期があったとも聞こえてはいますが。
いざとなればそれも、「私はだから、そう忠告もしたのに」と言い得るネタにもなりましょうか。
現実に愛子さんとされているあの若い女性の、生命の危機にも及びかねないと案じられる状況、どんな手をうたれているのかは民にはわかりようもなく。・・・どうでもいい嘘っこの優秀ぶりなどは、聞いてもいないのに、ふんだんにばらまかれたのに。
何もかもご自分のせいではない、と仰りたい美智子さんの、いまのお気持ちの、なんと如実に顕わされた一首でございましょうと。
感じ入った次第にございますよ
陛下のご意向。
何もかも、陛下のご意向。陛下の迷走も、もちろん。というおうたですか。

このような ↑ こともワタクシのせいじゃない?
陛下の強いご意向、でもありませんよね、これは。
せいだかどうだか、気になりませんか。
・・・・・お返事遅れております、今日、後ほど、向かわせて頂けそうです。
あなたはどこのどなたかな。
年初に際して発表された、皇后のうた三首。
初めの一首について、思いを書かせていただきます。
〈一月フィリピン訪問〉
許し得ぬを許せし人の名と共にモンテンルパを心に刻む
このフィリピン慰霊の旅は、招かれてのものでなく政府の要請でももちろんなくて、「天皇陛下の強い意向」によって決行されたものでした。
その前のサイパン島への慰霊も同じく、陛下の強い意向によって。とされています。
政府専用機とは、自衛隊の管理下にある飛行機なのですが、天皇夫婦はよく使っておられます。皇后一人でベルギーへ弾丸弔問に行かれたこともある。
飛行機の日の丸を、外して。
皇后は日の丸がお嫌いなのだと聞き及んでいます。君が代もお嫌いです。皇嗣=皇太子徳仁の結婚式にも、君が代演奏をやめさせておられます。
小さな島の集まりであるフィリピンを訪問するにあたり、これも前回パラオ旅行同様「あきつしま」を曳航させ、停泊させました。
>あきつしまは海上保安庁の巡視船で領海などを巡回し、不審船や密漁船を監視・取り締まる船であり、世界最大級の大きさ、大>型ヘリコプターも二機、搭載。
>中国との緊張が続く尖閣諸島周辺の警備や、原油タンカーが多く通過する交通の要衝、マラッカ海峡で海賊船からの護衛にも>参加する、
など書いてありますが、実際、二人が連れて行っていた間に中国は、尖閣付近に忍び寄っていやがったのでした。
「細部まで天皇仕様に改造させ」との報道もあり、気やお金を使わせたのでもありました。
これも天皇の「強い意向」でありました。いや、夫人の、ですよね。
そうして行った地でご夫婦は、花束を献じ頭を下げて「慰霊」をされました。
天皇はネクタイ無し上着なしの普段着同様の姿、夫人の方は首飾り耳飾り、帽子もおでこに置いたフル装備でした。
当時のフィリピン大統領はアキノ氏。父親を民衆の面前で殺され、後を引き継いだ母親の奮闘を見て来られた大統領は、押しかけ訪問して来た日本の天皇の夫婦を、笑顔を以て受け入れましたが、空港でのウェルカムのレイは、天皇の首にのみ。
夫人にはレイはかけられませんでした。
礼儀を重んじ礼節をわけまえ自分の国を愛するフィリピン大統領はそして、栄誉礼の際も天皇のかたわらに身を置いて、前に出てくっついて来ようとする美智子夫人に対しては、無言で、
「あなたはここではない、あなたは少し後に控えていらっしゃいませ」
の態度を、貫かれたのでした。
私が、何年か前の私なら、大統領の態度を不遜なものと見たに違いない、きっぱりと判っていらっしゃる方の態度でした。
フィリピンの無名戦士の墓。日本人比島戦没者の碑。リサール記念碑、英雄墓地・・・フィリピン側の戦没者の・・・そこここへ足を運び、感激して泣き出したりされる関係者に慈愛のまなざしを注ぎ、美智子さんは、傍に日本の方々を集めて親しく言葉を交わす、と設定された場面ではリラックスして笑顔をふりまき、美しいことで名高いマニラ湾の夕陽を
「楽しみにしていたのよ」
と仰ったのでした。
モンテンルパには行っておられない。
行かなかったのはかまいません、今でも刑務所として機能している建物だとのことですし。
私の疑問は、
どうして平成28年に行って詠んだフィリピンでのうたがモンテンルパなのか。
どうしてモンテンルパなのか。
そこに日本のB級戦犯、C級戦犯と呼ばれた方々が収容され、戦勝国がすべてを牛耳る軍事裁判の結果として死刑を執行されあるいは、当時の大統領の特赦を受けて、戦後7年も経たのちに釈放されて、祖国への帰還が叶った。
そんなことは、美智子さんは、重々承知だったはず。山下奉文将軍の名はビッグネームです、知らないはずは無かった。
美智子さんのうた。
許し得ぬを許せし人の名と共にモンテンルパを心に刻む
「許し得ぬを」とうたい始めている。
フィリピンに対して日本は、許せないことをした・・・日米の市街戦によって、巻きこまれた市民が10万人以上亡くなり・・・そのことを「許し得ぬ」と、詠む、許しがたき、でなく。
許し得ぬ=許せない、は、断言です。他の誰でも無い美智子さんが、許せないことを、と、言いきっています。まるでフィリピンの方がそう言っているように。
せいぜい言えるのは「許しがたき」でないか、と、私などは考えます。
さぞ、許し難くいられたでしょう、ひどい悪いことを(日本人は=ミテコさんは日本人の代表の立場で行っている)してしまいました、ごめんなさい申し訳ありません、さぞさぞ。許しがたかったであろうに
・・・・・となるのは、流れとして理解できる。でも。
許し得ぬを。と、言いきってしまうあなたは、何ですか、誰ですか。お相手は、当時の大統領は前記事のように、許した、そして、特赦を決めたのです。
それを今になって、許しえないはずなのに、と、美智子さんが勝手に言いきるってどうなんでしょ。と、私は思います。
そこまで悪いか。仕方なかったんです。戦争だったのです。で
「モンテンルパを心に刻む」
とか言っておられますが。ご自分は勝手に「ごめんごめん」でこの地を去ればいい。
日本人も16000人、死んでいる。負けたから軍事裁判によって死刑の判決を受け、執行された日本人もいる。いた。
そういうことは、思わないのです、美智子さんという人は。
いつでも自分が代表として、日本人はダメ、ごめんなさいませねえ、と、やりたがる。
そしてその夫人の思いのままである天皇のお言葉なるものは、いつでも延々と、
「あの大戦に於いて貴国の・・・わが国が犯した罪は・・・」
延々と、これ。そのすべてを悪いとは言えないでしょう、鎮魂、哀悼の思いは、過去を知るものには、振り払ってもつきまとう黒い澱のように、存在する。
本当に本気で「悪かった」と思い続けていること、なかなか、平気では表に出せないようにも思います。
アキノ氏は、来日の折の晩餐会で・・・またまた天皇が「かの大戦で日本人が犯した罪」みたいなことを喋った場で・・・
「もう謝らなくていい、もっと前を向いて、あなたの国と私の国の関係を」
と、明言しておられました。
はっきり仰っている。
もう謝らなくていい、と。
そうです。
日本の罪は、さまざまな形で、償われました。謝って済むものではないが、永遠にヘコヘコと謝り続けるものではない。
それを、またやっている。
日本人が、好きで勝手に、かの国に迷惑かけてしまったかのごとく。
自分がいい子になって謝るのが、好きなのです、あの方は。
そうして謝ってはいるが、ちっともホントでない。としか感じられないのが、暗くなるもとなんです。
あれこれの経緯や思惑があって、昭和天皇は戦争責任を問われず、戦後も天皇として存在し続けられました。
天皇のお気持ちなど誰にもわかりません、ただ、戦後の天皇として、死の瞬間まで天皇であり続けようとなさった生涯だと思います。
ある種の言い方をすれば・・・今更どう言っても仕方が無いとも私は思っている・・・大きな流れ、風、世相、ありとあらゆるものが、そっちの方へ向かって行ったのだと・・・、
当時の日本の、膨れ上がって行った軍部というもの、それが暴走を始めて勢いが増して行って、ああいうことになった、無理な走り方をして行って結果、日本は負けた。無謀な戦争だったと、言うのは簡単。後からなら何でも言える。
で。望むと望まざるとに関わらず、その当時の日本のトップ、軍部その他の最高責任者は、天皇だった。これは事実。
昭和天皇は、大元帥であられました。アメリカを相手に戦った日本という国の、責任者だったのです。
今上はその息子。天皇なのです。その今上が、今上の妻が、マニラ市街戦について得々と語り、平然と謝罪をする。
実際は既に過去の事、自分には関係の薄いことになっているから話題にできる・・・うがったいい方でしょうか。
しかも。日本人の代表の顔をして行っていて、日本人の思いは背中の後ろの方に追いやりながら。
うまく言い尽くせません。
思うことは、敗戦国になったからいろんな罪を積み上げられて「戦犯」にされた方々。
中のお一人、山下将軍の、死の40分前の、遺書、というより遺言。
自分をトップとして戦に参加し(させられ)散って行かれた日本兵に、そのご遺族に、謝罪しておられます。
死ぬことは覚悟の上だが、戦犯でなければ苦しくとも命長らえて、贖罪に残生を捧げたいと。
武士として死ななかったのは、残る者たちを救いたかったからだと。
死んでゆく自分より、敗戦国となった祖国で生きて行く人々が大変であろうと。
・・・徹頭徹尾、自分のことは言っておられない。
辞世にしろ、こういった「遺書」「遺言」のたぐいにせよ、男として軍人としての美意識、ステロタイプの「つくりかた」のようなものがあるのだろうとは、いささか理解できます。
泣き言云わずに雄々しく益荒男らしくと。そうありたい、そうあらねばと。
でも。それだけのことで、あるはずがない。
その人の中に「無い」ものは、出て来ることはない。のではないでしょうか。
もうすぐ死ぬ、勲章を帯びることもも軍人としての身なりも許されず、の姿で。恥の中に死なせようとの相手側の意志だったのでしょう、そんな死を控えた時間の中で、自分の家族の事などにいっさい、言及しておられない。
未だにぐずぐずややこしい、去年夏の天皇の「お言葉」
その貧相な内容、情けない自己愛。
疲れたから、あるいは疲れるから、天皇やめたい。遣りきることが出来るかどうか自信がない。
死んだあと、家族が困るだろう葬儀のことが気になる。
すべてどこもかしこも、自分たちのことばっかり。
美智子さんの言葉の選び方の癖、文章のリズム、薄っぺらい感傷癖までベタベタ。特に後半。
恥を知れ。
能力も徳も胆力も何も無い長男にどうしても次代を、と願っているらしいが、その次代も妻も、ありていに見て、見るに堪えないありさま。
我が子までを利用し尽くそうとしている醜状。
その「身内」を、どうにもできない美智子さんが、詠んだうた。
知っている者は知っている、モンテンルパに散った日本の男のこと。
美智子さんはそのような「戦犯」に関心は無く。まったく無く。無視。
おそらくクリスチャンでいらしただろうフィリピンの当時の大統領の「愛と許し」が、お気に召されたか、胸に収まられたか。
この際の「愛と許し」は、随分と厳しいものでいらしただろうと想像はつき、ミテコの描くそれとは違うだろうとの想像もつきます。
違うかもしれません。けど。
そんなに、皇后さん、日本人がお嫌いですか。
自分賛美のM子さま。(笑)。
推理小説も好きなKUON(笑)ですが、おうたは、どなたのお作にしても、勝手な推測をしないでまっすぐに読み、感じ、味わわせていただきたいと願っています。
八です。
紀宮さまの本から、紀宮さまらしいとKUONの感じるおうたを、幾首か。
ざんざんと屋根うちて降る寒しぐれ熱さがりたる枕辺(まくらべ)にきく
この冬も果てなき空を渡りきて庭の木末(こずゑ)につぐみ降りたつ
雪つみし竹むら深く身をおきて時は静かに流れゆくなり
投げあぐる高みの空は青ひといろみかん冬陽(ふゆび)に照りかがやけり
待ちかねし本をひらきぬ冬の夜のふけゆくままに冷ゆる指先
落ち葉わくるかそけき音の近づきて息をひそむる鳥を待つ朝
ひとごみに姿もとめてゐるならむ失せしに似たる白き犬すぐ
まだまだあります。冬の匂いのするおうたを選びました。
紀宮さまに対して、過剰な思い入れは無いつもりです。
伊勢の遷宮の折に、斎宮の代理を一部つとめられたお姿に、驚きましたし感嘆しました。
天皇を父としてお生まれになり、内親王としての自覚のもとに自分自身をお育てになられたとは、こういうことかと。
おうたに、甘えが無いと感じます。
しぜんに現実に向き合われ、一人であることを怖れず、一人であることを単に孤独ととらえず、小さな生き物たちへの視線が温かい。
いちばん最後のおうた。さりげない一首ではあります。
ひとごみに姿もとめてゐるならむ失せしに似たる白き犬すぐ
あの犬。ひとごみの中に何か探しているのか。飼い主の懐かしい姿だろうか、それは。
こころもとない一人(いっぴき)でいる犬の姿を見かけて、それは、自分が失った・・そばから失せてしまった犬、に似ている。
白い犬だった。なついてくれていた。可愛がっていた。
・・・人を探していると見える犬と、姿を消してしまった犬の面影を、とおりすがりの迷い犬に重ねてしまった自分と。
犬が、単に探しているのでなく「もとめて」いると切実さを感じて詠んでおられるところ、詠み人の優しさと思われます。
自分の淋しさより犬の淋しさの方に、重きを置かれているあたりが。
あるいは、今は身近にいなくなってしまっている白い犬、あの犬は、ちょっと似ているこの犬のように、知らないヒトばかりの雑踏の中に(わたしを)探し求めているのだろうか、と。胸を痛めておられる、とも。
以上は、紀宮さまらしいと私が感じるお作を、並べてみました。
この方のおうたの世界に、うたの中に「お母さま」が入って来ると。
うたの匂いも色も、変化する気がします。私感です。
床(とこ)のへの母がつくりし雪うさぎに触れつつ思ふ白き御苑生(みそのふ)
ざんざんと降る冬の雨の音を、ようやく熱の下がったからだを横たえたまま、聞いている。
そんな風にうたを詠む(上記)娘さんの、おそらく病んでおられる床に、お母さまは、雪うさぎを置いて行かれて。
溶けかかって冷たい雪のうさぎに「触れつつ」、母上のおわします御所のお庭の白いことを思う、と。
私はひねくれたところのある人間で、こういう風に手放しでこういうことを言葉にできにくい。そういう人間なので、ご自分の「優しさ」をこうアピールしてしまえる、ええと、ああ、ミテコさまの作ではないのでしたね、お嬢さんの作。
紀宮さまの本の中のおうた、ですよね。
・・・そうは素直に思えないのですけれどね。
紀宮さまは、もっとしゃっきりと背を立てている女性ではないか、と、KUONは思いますね。。もちろん成人女性です。
お母さまのお気に召すように詠んだ、もっと言えば、お母さまがやりたいようにされたことに、何もおっしゃらないでおられた、とか。
そういう無道には慣れておられたでしょう。
ミテコさま、娘さんになり代わってご自分を絶賛賛美のニオイが、プンプンするうた、幾つか。以下に。
平和といふみ声さやけし大君のとこの願ひにみのりあらまほし
道長くひたに来ませり母君のみ背なやさしきあさかげの中
小望月のあかりさやけし大君にそひ立ちたまふ白き御顔(おんかお)
星おちて吾子とはなりぬと幼な日の子守歌口に出でて恋しき
:「おもひご」という子守歌。皇后さまご作曲、と注釈されています
わたつみのはるかに君はいますらむ波のせてゆけ祈る心を
:両陛下、タイ・マレーシア・インドネシアの旅路をおもひて 、と注釈
はじめの一首、語り出すと長くなるのですが、美智子さんが天皇の代わりに「平和」という言葉を使う時、これ、内容はとても特殊な気がします。
天皇の身位にある方が、押し出すのはいかがか、と思われる臭みがある。そんな「平和」。それをここで、大上段にふりかぶって、内親王の立場で、天皇のそんな思いの、とこに・・・永遠に、とこしえに、実りのありますように、と。
清子さんのおうたでしょうか。ホンマか。
次、ひたすらに(皇后)道を歩んで来られて、ご苦労多く大変でいらしたであろうに、母君の「み背な」はあくまでやさしく、あさかげ・・・朝の光のなかに、と。
小望月の清けきあかりのなか「大君」。他の誰でもない、天皇だよ、いちばんエラいダンナさんなの、その大君に寄り添って立たれる、そのお顔の白さ。この際、白い御顔、は、最高のお顔って意味を含むでしょう。ミテ子さま最高、なんです。
この「おもひご」という歌、ごく最近、ポーランドの大統領と一緒に聞かれたコンサートで、特別に演奏された歌だったとか。
客席、スタンディング・オベーションで、とか、伝わっております。よほど思い入れのある自信のあるお歌で。でも、ミテコさんのためのコンサートでは無かったのだとも、伝わって・・・御本人は気分よかったでしょね。
もちろん、浩宮さんのために作られた歌ですね。紀宮さまも、口に出でて恋しき、と仰るくらい、うたっておもらいになったのか。
思い入れがあるのは、美智子さんと思います。
最後の一首。
本当に親孝行、すばらしいお嬢さまですね~など、感想を述べればいいのでしょうか。
感性的には、どストライクで美智子さんです。
・・・・・・KUONの私感です。確信を持って書いています。どう思われるかはご自由ですが、まともに読みもしないで「非国民」と書いて来られても、無駄です。国母さまに向かって無礼だと書いて来ても無駄です。
私は非国民でなく国を大切に思っています。日本の国を愛しています。
美智子さんを国母だとも思っていません。
無礼なのは、内廷どもです。国民と国家に対して不敬です。
八です。
紀宮さまの本から、紀宮さまらしいとKUONの感じるおうたを、幾首か。
ざんざんと屋根うちて降る寒しぐれ熱さがりたる枕辺(まくらべ)にきく
この冬も果てなき空を渡りきて庭の木末(こずゑ)につぐみ降りたつ
雪つみし竹むら深く身をおきて時は静かに流れゆくなり
投げあぐる高みの空は青ひといろみかん冬陽(ふゆび)に照りかがやけり
待ちかねし本をひらきぬ冬の夜のふけゆくままに冷ゆる指先
落ち葉わくるかそけき音の近づきて息をひそむる鳥を待つ朝
ひとごみに姿もとめてゐるならむ失せしに似たる白き犬すぐ
まだまだあります。冬の匂いのするおうたを選びました。
紀宮さまに対して、過剰な思い入れは無いつもりです。
伊勢の遷宮の折に、斎宮の代理を一部つとめられたお姿に、驚きましたし感嘆しました。
天皇を父としてお生まれになり、内親王としての自覚のもとに自分自身をお育てになられたとは、こういうことかと。
おうたに、甘えが無いと感じます。
しぜんに現実に向き合われ、一人であることを怖れず、一人であることを単に孤独ととらえず、小さな生き物たちへの視線が温かい。
いちばん最後のおうた。さりげない一首ではあります。
ひとごみに姿もとめてゐるならむ失せしに似たる白き犬すぐ
あの犬。ひとごみの中に何か探しているのか。飼い主の懐かしい姿だろうか、それは。
こころもとない一人(いっぴき)でいる犬の姿を見かけて、それは、自分が失った・・そばから失せてしまった犬、に似ている。
白い犬だった。なついてくれていた。可愛がっていた。
・・・人を探していると見える犬と、姿を消してしまった犬の面影を、とおりすがりの迷い犬に重ねてしまった自分と。
犬が、単に探しているのでなく「もとめて」いると切実さを感じて詠んでおられるところ、詠み人の優しさと思われます。
自分の淋しさより犬の淋しさの方に、重きを置かれているあたりが。
あるいは、今は身近にいなくなってしまっている白い犬、あの犬は、ちょっと似ているこの犬のように、知らないヒトばかりの雑踏の中に(わたしを)探し求めているのだろうか、と。胸を痛めておられる、とも。
以上は、紀宮さまらしいと私が感じるお作を、並べてみました。
この方のおうたの世界に、うたの中に「お母さま」が入って来ると。
うたの匂いも色も、変化する気がします。私感です。
床(とこ)のへの母がつくりし雪うさぎに触れつつ思ふ白き御苑生(みそのふ)
ざんざんと降る冬の雨の音を、ようやく熱の下がったからだを横たえたまま、聞いている。
そんな風にうたを詠む(上記)娘さんの、おそらく病んでおられる床に、お母さまは、雪うさぎを置いて行かれて。
溶けかかって冷たい雪のうさぎに「触れつつ」、母上のおわします御所のお庭の白いことを思う、と。
私はひねくれたところのある人間で、こういう風に手放しでこういうことを言葉にできにくい。そういう人間なので、ご自分の「優しさ」をこうアピールしてしまえる、ええと、ああ、ミテコさまの作ではないのでしたね、お嬢さんの作。
紀宮さまの本の中のおうた、ですよね。
・・・そうは素直に思えないのですけれどね。
紀宮さまは、もっとしゃっきりと背を立てている女性ではないか、と、KUONは思いますね。。もちろん成人女性です。
お母さまのお気に召すように詠んだ、もっと言えば、お母さまがやりたいようにされたことに、何もおっしゃらないでおられた、とか。
そういう無道には慣れておられたでしょう。
ミテコさま、娘さんになり代わってご自分を絶賛賛美のニオイが、プンプンするうた、幾つか。以下に。
平和といふみ声さやけし大君のとこの願ひにみのりあらまほし
道長くひたに来ませり母君のみ背なやさしきあさかげの中
小望月のあかりさやけし大君にそひ立ちたまふ白き御顔(おんかお)
星おちて吾子とはなりぬと幼な日の子守歌口に出でて恋しき
:「おもひご」という子守歌。皇后さまご作曲、と注釈されています
わたつみのはるかに君はいますらむ波のせてゆけ祈る心を
:両陛下、タイ・マレーシア・インドネシアの旅路をおもひて 、と注釈
はじめの一首、語り出すと長くなるのですが、美智子さんが天皇の代わりに「平和」という言葉を使う時、これ、内容はとても特殊な気がします。
天皇の身位にある方が、押し出すのはいかがか、と思われる臭みがある。そんな「平和」。それをここで、大上段にふりかぶって、内親王の立場で、天皇のそんな思いの、とこに・・・永遠に、とこしえに、実りのありますように、と。
清子さんのおうたでしょうか。ホンマか。
次、ひたすらに(皇后)道を歩んで来られて、ご苦労多く大変でいらしたであろうに、母君の「み背な」はあくまでやさしく、あさかげ・・・朝の光のなかに、と。
小望月の清けきあかりのなか「大君」。他の誰でもない、天皇だよ、いちばんエラいダンナさんなの、その大君に寄り添って立たれる、そのお顔の白さ。この際、白い御顔、は、最高のお顔って意味を含むでしょう。ミテ子さま最高、なんです。
この「おもひご」という歌、ごく最近、ポーランドの大統領と一緒に聞かれたコンサートで、特別に演奏された歌だったとか。
客席、スタンディング・オベーションで、とか、伝わっております。よほど思い入れのある自信のあるお歌で。でも、ミテコさんのためのコンサートでは無かったのだとも、伝わって・・・御本人は気分よかったでしょね。
もちろん、浩宮さんのために作られた歌ですね。紀宮さまも、口に出でて恋しき、と仰るくらい、うたっておもらいになったのか。
思い入れがあるのは、美智子さんと思います。
最後の一首。
本当に親孝行、すばらしいお嬢さまですね~など、感想を述べればいいのでしょうか。
感性的には、どストライクで美智子さんです。
・・・・・・KUONの私感です。確信を持って書いています。どう思われるかはご自由ですが、まともに読みもしないで「非国民」と書いて来られても、無駄です。国母さまに向かって無礼だと書いて来ても無駄です。
私は非国民でなく国を大切に思っています。日本の国を愛しています。
美智子さんを国母だとも思っていません。
無礼なのは、内廷どもです。国民と国家に対して不敬です。
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Author:KUONの久遠
・・・・・・・・・・・・・・
四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。
海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる
明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。
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