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返事の中までKUONです。

  1. ミテコさま・考
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本歌取りおーけー

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お若いころから一番下の笑顔まで。

この画像の主のこの口元は、一部に於いて「ショベル口」((ショベルカー口?}と称されているようです。


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こういうバージョンの横顔もお持ち。


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奥行きのある横顔の、お美しい美智子さまも。


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昭和の皇太子妃として、平成の女帝として。六十年近い皇室暮らしのなかに、あれこれいろいろ、おやらかしあそばされて。

受け口で バカ 爆笑いされていたお方、都合悪しきことにお口をつぐんでおられるうちに(か)、時に「ショベル」ではなくなっておられます。

眉毛も一本化されておられるようです。

上二枚のミテコさまには、お口はもとより、お目の具合に不安を感じまする。


・・・七です。


平成十五年、年初のおうた二首。

前年に今上陛下は大病によって難しい手術を受けられ、無事、癒えられて、御所へお帰りになられました。


    癒えましし君が片へに若菜つむ幸おほけなく春を迎ふる


       いえましし きみがかたへに わかなつむ さちおほけなく はるをむかふる


この「若菜つむ」は、古今集に入っている、百人一首にもある、


     君がため春の野にいでて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ

を念頭に詠まれたうたとわかります。こういうことをして、愉しむのです。本歌取り。


もう一首。平成十五年、病癒えられた今上に向けて詠まれた一首。


     かたかりし去年の年の瀬思ひ出でて師走の苑をみともしてゆく


       かたかりし こぞのとしのせ おもひいでて しはすのそのを みともしてゆく



難かりし、というのは、ご病状のこと、周囲の思いの保ちよう、など、さまざまな心模様を云われていると思います。

あんなこんな大変で心配だったことを思い出しながら、師走の苑・・・お庭を「みともして」ゆく=お供をしてまいります、お供しています、と。

お元気になられた陛下と、現実に父子で広い広いお庭を歩まれたのかどうかは、わかりません。そんなこともおありだったのなら、陛下には嬉しい事でしょう。

こうごうさん以外のお身内と共に歩かれている今上を、もう長い間、拝見していないし、思い描きにくいです。



この ↑ うたは、一首ずつ、美智子さんの歌集からと紀宮さまの本からと、とりました。

初めの、平安朝のうたを意識しつつ詠まれているのが、美智子さんのうた。

もう心配云々は抜けて、このうたに関して言えば、本歌取りしてそれがうまくいって、ご自身、ご満足のうたのようです。

ご夫君の大病は、うたの材の一部。

おみごと、さすがこーごーさま、と、もてはやし易いうたになっています。うたの中心にいるのは、当然ながら「わたくし」です。


二首目の作者は、紀宮さまです。

たぶん、紀宮さまのおうたと思います。紀宮さまの本の中にありますから。

詠まれる対象に(ここでは陛下。お父上)対して、体温を感じさせる雰囲気があると思います。

術後の陛下の、脚をさすって差し上げたり小さくした果物を口に運んで差し上げたりは、奥方でなく、降嫁された後も実家へ通ってあれこれされて、の清子さまではなかったかと、私は、感じています。

医療従事者や女官さんではない部分、ご家族としての看取りは主に、紀宮さまがなさっていたのではないかと。

あくまで私感です。

当たっているんじゃないか、とは、思っています、だからこうして書いています。

美智子さんは、何かしてる風な感じを作るのは、とってもお上手。でも。じっさいには何もしないヒトだと思う。


大病の際にも、フリばっかり上手くて使えないツマと、地味に控えめに実行される娘さんと。

そんな感じなのだろうなあ、と。

もしかしてもしかすると、二首目もミテコさんのうたかな???の疑念も、持ちました。

「みともしてゆく」

ここが、父親であろうとも「天皇」として対するべき娘さんに許される言葉の選びようとして・・・お母さんが・・・など、少しだけ考えました。

美智子さんにとって、天皇に対して平等(もしくはそれ以上)なのは「わたくし」だけなのだ。ということくらいは、明白なのですから。

それにしては、結婚そうそう天皇に口答えした長男のよめさんは野放しですけれど。


娘さんは、控えていなさい、なのでしょうね。ご次男さまのご一家の方々も。



大辞林 第三版の解説


ほんかどり【本歌取り】



和歌で、古歌の語句・発想・趣向などを取り入れて新しく作歌する手法。新古今時代に盛んに行われた。「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身一つはもとの身にして」を本歌として、「面影のかすめる月ぞやどりける春やむかしの袖の涙に」と詠む類。



連歌・俳諧の付合方法の一。和歌の本歌取りの手法を付け合いに用いたもの。





  1. ミテコさま・考
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とってもあやしい。



六です。

紀宮さまはご降嫁以前、秋篠宮家の幼いお子さまがたを、愛おしげに詠んでおられます。

幾首かご紹介します。


     幼手に霜柱の塔ささげもちて風さえわたる庭をかけゆく

     小さき子がさらにかがみて隠れゐる木の下かげに赤きくつ見ゆ

これら二首は、詠まれた年から、眞子さまのおうたでしょう。

幼い、指えくぼのあるような可愛らしい手に、霜柱の塔をささげ持って・・・壊れないように大切に持って。懸命のお子さんがかけて行く先には、優しいお父さまかお母さまがおられるのでしょう。

どうしても見てもらいたい立派な霜柱、一心にかけるおさなご。きらきらと情景の見える一首。

そして二首目。小さなお子が、さらに屈みこんで隠れている、その木の下に、赤いくつが見えてしまっている。

隠れたって、見えているのよ。この「赤いくつ」が効いている。

優しい叔母さまの笑顔、隠れている幼い女の子が、息をひそめておられる様子が、鮮やかに見えます。


     頬よする幼二人の寝息してをぐらきあかしのもとに本閉づ 


ご多忙なご両親のお留守に、姪ごさん二人のお世話をされ、本を読んで眠りの中に誘ってさしあげる。

「をぐらきあかり」とあります。そのほのかなあかりの中の眞子さまと佳子さまの眠りが、満ち足りておられると感じます。

お母さまはもちろん、時に多忙な宮家の子育ての手にも加わられた、このような叔母さまのこころ尽くしも背景に、成人された眞子さま佳子さまの歌会始儀の、以下のようなうたが生まれたのでしょうか。


 眞子さま(秋篠宮家)

     呼びかける声に気づかず一心に本を読みたる幼きわが日

 佳子さま(秋篠宮家)

     弟に本読み聞かせゐたる夜は旅する母を思ひてねむる

去年。平成二十七年の歌会始儀のおうたです。


紀宮さまのおうたに戻ります。

     吹く風さへうつりゐるらむみどり児はひとみつぶらに空にみひらく 


この一首は、平成十四年の作。であるなら、愛子さんをお詠みだったか。

頬っぺたぷくぷくの赤ちゃんだった愛子さんの目が、(おそらく)冬の風が見えているかのように、つぶらに空に向かってみひらいている。と。

紀宮さまはこの時、愛子さんのお幸せを、心に念じておられたと思います。まっすぐに、やはり姪ごさんでいらっしゃるみどり児の愛子さんの幸せを。


もっといっぱいおうたをたのしみたいですが、この下 ↓ のうた、よくよく読むと、言葉を失うようなあやしいもの。


     小さき手に早苗を植ゑしふみしむる六月の土ひにぬるむ田に


               文仁親王殿下ご結婚奉祝歌御題 早苗



次兄であられる秋篠宮殿下の、ご結婚の折の奉祝歌、とされています。


不思議なうたです。これは、妹君の紀宮さまが詠まれたうたです。そのはずです。紀宮さまの本に掲載されているのですから。

うたの意は、(うたわれている本人=文仁親王)が、

「小さな手に早苗を植えた、踏みしめる六月の土」、

「ひにぬるむ田に」。

・・ひにぬるむ・・・体感的な表現、と、言えるのでしょうが。

そこはともかくいちばん???疑問なのは「小さき手に」なのです。

詠み手の紀宮さまは、妹君。文仁親王より四年も後に生まれておられて、ものごころついた頃に、お兄さまがまだ「小さき手」の持ち主であったにしても。なにせ自分の方のが小さいのだから。

小さき手、と感じ、詠むのは、歳が上のヒトだと、フツウは解釈されませんか。

お母さんとか叔母さまとか。

年上の、どなたか。姉くらいでは、こうは見ないし詠まないのではないか。実際には見てはいたにしても。

うたからは、とても小さい手で、の雰囲気を感じます。えらかったのよねえ、あの時は、みたいな。ただ、上の方にあげた紀宮さまのおうたにまつわっている、抑えているけど強い愛情、のような匂いは、どうでしょうか。あまり私には届いてくれません。

田植えは皇室にとって大切なことですし、それをさせていたうたでもあり。

でも。

妹の詠んだうたではないだろう。

「小さき手に早苗を植ゑしふみしむる六月の土ひにぬるむ田に」

この一首「ふみしむる」と言葉を置いて、おそらくこれは、文仁さまの「ふみ」に、かけているのだと考えるのですが。

小さな手で早苗を植えたなあ、六月の土が、陽に・・・日に・・・ぬるむ田んぼに、という意味ですか。

田植えする土が、日に、すこうし温められていた、となりますか。

それ、(ご本人の宮さまに)きもちよかったのか、そうでなく?。

まあ。うたの言葉をどう選ぶかは、他者があれこれ言うべきものではないでしょう。

「文」と「ふみ」をかけて、そういった技巧を用いて作者はご満悦だったかもしれないのです。たとえば美智子さんなら、そういう方向に気持ちが行く・・かも、しれませんね。


 しかし。

この一首、お兄ちゃんの「小さき手の時代の田植え」を知っている妹、の、うたでしょうか、そうなのでしょうか。

身近な女性の詠んだうた、とするなら。

お母さんが、息子さんの結婚を奉祝するとして、あんな時代もあったわね、と。


詠まれたというなら、それなら、よくわかります。

でも、妹さんが著者である本の中に、納められたうたなんですよ。



しつこいKUONがもっと言いますと、このうたは、聞いた情景を想像して詠んだうた・・紀宮さまが母上に、お兄さまのこんな姿を・・・といったことを「聞いて」うたったのでないと思われるのです。

「植ゑし」

と、明確に書かれている、これは「植えた。」と、過去形なのですが、紀宮さまが、聞いた情景を詠まれたのなら、正確に言えば「植ゑしとふ」・・・植えたという、こういう感じのうたいぶりになります。一般的な話をしています。例外はありますが。

植ゑし、は、この記憶の持ち主が、そういう事実があった、と、書く言葉と考えられます。

紀宮さまには、この言い切り方は、おできにならない、とも、考えています。

完成したご立派なおうたであろうとも、この一首が「紀宮さまのうた」にされているのが、何とも言えない私。

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鶴。

五です。

去年11月の6日にもわたしは、この紀宮さまの文書の中の「君が代問題」・・・こういう言い方は好まないのですが、そのまま使います、について書いています。

週刊文春誌の1993年6月10日号の記事にあったことを、BBさんが細かく書いておられ、それに触発されて 私も、ということだった記憶があります。もう一度ご紹介したいのです。箇条書きにしたりで読んでいただきにくいかも知れませんが。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・皇太子の結婚式に「君が代」演奏をしない決定がなされた。

・宮内庁幹部からも

「え、何を勘違いしているんでしょうね。国家行事で国歌が演奏されないなんてありえないこと。外国に知れたら物笑いのタネですよ」

・不可解な話だが、今回の決定は儀式を担当する式部職など一部の関係者によって。

「しかし、式部職だけで、こんな重大問題を決定できるわけがない。少なくとも天皇皇后は了解されていたと思います。」というよりむしろ。

・式部職の説明会に出席した記者の一人はこんなことも

・「大体、‘しっくりしない‘とか‘即位の礼の時の雅楽調の君が代はちょっと‘なんて理由をあげるくらいですから。宮内庁の担当者は、この問題の重大さの認識なんて無いんです。(略)」

・宮内庁楽部の関係者の一人は憤然とした面持ちで

・「雅楽の演奏がしっくりしないというが、我々は洋楽演奏だってできるんです。大体、君が代の作曲者といわれる林広守は雅楽のヒト。君が代はもともと雅楽の曲なんですからね」。

・「四年前の天皇即位のときは、パレードも君が代を演奏し、祝典行進曲に送られて出発したんです。今回はパレード出発時も君が代演奏はありません」。

・が、パレードはともかく、皇居での「饗宴の儀」に招かれた客、殊に外国大公使などは、当然耳にすべき「君が代」が演奏されないことには、やはり違和感を感じるにちがいない。と。

・たとえば正式の宮中晩餐会があれば、そこでは来賓の国の国家と君が代が演奏される、その形が当然、ずっとそれで来ている。

・「儀式というのは型どおりにおこなってこそ儀式なんです」。

・最近の宮内庁はやることに一貫性が無い、矛盾しています(女性誌記者)。

・‘今や宮内庁は機能停止状態(元宮内庁関係者)

・「皇室のあり方についての定見など、まったくない‘イエスマン‘ばかりが天皇家の周囲に群がっている。それが今の宮内庁の実情です」。



・「昭和天皇の時代と違って、今は天皇家から、特に皇后あたりから、ああしたい、こうしたい、という注文が実に多いそうです」



・{それは悪いことではないけれども、宮内庁はいい意味でそれをコントロールするのが役目。一般の家庭とは違うんですから。そういう機能を宮内庁はまったく果たしていない」。

・・・などと書かれています。

アルマーニを着た右翼、などと呼ばれた、自死された野村秋介さんの

・「天皇は日本の伝統文化の継承者。文化はフォルム(形)です。今回のことは、それを崩すこと。信じがたい、由々しき問題です」。

・・・とにかく事実として。

皇太子の結婚式に、君が代演奏はなされず。

その代わり、かどうか、 皇太子の偉大さをたたえたい企てか(完全にアチラの将軍さま絶賛モード) 、饗宴の儀、の冒頭には、なんと。

皇太子殿下・ナルちゃんの、その年1993年・平成五年の宮中歌会始の儀、のおりの「皇太子のうた」が、使われることになっていて。

雅楽伴奏で。以下のうたです。

 ・大空に舞ひ立つ鶴の群眺む幼な日よりのわが夢かなふ 

 ・おほぞらに まひたつつるの むれながむ をさなびよりの わがゆめかなふ

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まあ。原型をとどめない「なるひとさまのうた」でしょうから、感想は避けます。型通りのおめでたいうたで。

ナルさんは、幼い頃から、結婚するのが夢、でいらしたのでしょうか。

そうなのか。ふうううううううううううううううん。

で。

文春さんあっぱれ、な、22年前の記事の中に、こういった部分もありますね。

(新郎のうたを披歴して、それが中心となるとして、日本の国の東宮。皇嗣。第一皇子。そのヒトの結婚式に、国歌の演奏をカットする、という意味だと考えるのですが)

(そんなの、どこの国から来賓を招いたところで、という意味を込めて)

(ナルさんが欲しかったおよめさんをもらうための、わあい、わあいの大盤振る舞い、の意味を含めて)

 私的な結婚式ではないか。なぜに、それに対して、税金を注入する? 

というもっともな疑問も、呈されていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

で。これを書いた時には私には、ピンと来ていませんでした。

今回、これを書いている今。

 「鶴」 

ですと。鶴。この言葉に反応しています。

先日、明らかに内親王でない娘さんと、親子ごっこしていた皇太子ナルヒト。

自分で折っていない鶴を、二人ともが、てのひらに載せていた。

白い鶴です。

「君が代」演奏を取りやめて「鶴」を詠んだうたを、皇太子の結婚式に披瀝した、平成の皇室。

ナルが詠んだ、ということにして、場のために用意されたうた・・・

「ナルを取りこんで、さあこれから」。

総毛だつとはこの感覚でしょう。

白い鶴とは、あの三色旗の方々への、メッセージ。

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ここでも娘さんを利用してる。

四です。


うたについてもっと書きたいですが、はざまに少し、以下のようなことも。

紀宮さまの著書「ひと日を重ねて」より。


   平成六年  お誕生日文書回答(p、083~)


「皇太子様のご婚約が決定する前には、マスコミによって騒がれた多くの人々の生活が乱され傷つきました。今、私のことについて同じような状況が繰り返されているのをとても心苦しく残念に思います。

実際とまったく違うことが事実として報道され、その真偽が問われないまま、その上に批判が加えられるということは、大変危険なことだと思います。

昨年の皇室報道の中で、皇太子ご成婚の折の「君が代問題」のような大きな事柄までもが、そうした扱いを受けたのは恐いことでしたが、私自身にとっては、もの心ついた時からお側で拝見している両陛下のご生活自体が、まったく違う伝えられ方をしたことが一番悲しく思われました。



       *皇太子ご結婚委員会の決定による饗宴の儀における

       「君が代」演奏の取り止めについて

       両陛下や皇后様の意向によるものとした記事が報道された。(p,84)



ま、そのう。皇室の次代。皇太子の結婚式に、国歌「君が代」の演奏が取りやめられたのは、事実でした。

紀宮さまが、あの方と思い難いようなお怒りの言葉を発しられていますように、他の誰ならぬ皇太子の結婚式に、君が代を、取りやめたことについて、取沙汰されたのでした。

なにゆえか。と、思いますよね?。

過去に記事にした記憶がありますが、今は探し出せません。整理整頓まったくできていない身の不徳・・・。

「皇太子ご結婚委員会」とは何なのか。

ナルさんとまさこの結婚を、会費制でやりましょう、最小限の予算で、最大限に盛り上がるヤツを、何せ人気者のカップルだからぁ、国民にメーワクかけないように、会費制で、とか ?? まさか。← ひどいジョークです。

そしてそこが、どうして、君が代の演奏を・・・初めは「あり」で決まっていたということですね、取り止め、の言葉は。。止めるって木決めた??。

ナルさんには、どちらにせよ何かを「決定」するチカラは無い。断言。

またこたまは、君が代、好きかキライか、どちらであらせられたか??。

天皇家の後嗣の結婚式。国の行事でもある。その中でのことを、決めるのは、それは、美智子さま。でしか、ありませんでしょう。

天皇の夫人は、

日の丸も。自衛隊も。おそらく神道も、ゆえによって、国家「君が代」も。

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お嫌い。


・・・・・紀宮さまはここで(83ページ)、険しく怒っておられるのですね。

違和感たっぷり。

同じようなこと、ミテコさんも幾度も、言うてはりましたわ。

ミテコの方向は解っています、が、この内容。

どなたから発せられたか、脳内にイメージしてみますと。

ラスボスと今では云われる、あのお方でしかない。ミテコさん、腹が立っておられたのですね。それを、

清子さまがお怒りのごとく、出させたのですね。

すごいお母さまですのね。

<もの心ついた時からお側で拝見している両陛下のご生活自体が、まったく違う伝えられ方をしたことが

一番悲しい、と。


紀宮さまは、そのお家にお生まれの内親王。もの心ついた時から、どころか。生まれてからずっと、お側におられたお子さんのような気がします、わたしには。

そうなのですよね? 言葉のアヤ? 何かがつい、こぼれた? 考え過ぎ?。

>両陛下や皇后様の意向によるものとした記事が報道された。

この部分、KUONの書き写し間違いではありません。原文通りです。

「両陛下や皇后様」って。きょーれつです。



「実際とまったく違うことが事実として報道され」

ここは、ある意味、逆向きに、そうですね。

力で押して来たことが、その「本当」が、ばらばらとバラされかけて来ている、今。








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自分自分。

三、です。

なぜ、紀宮清子さまの分厚い本が出版されたかに、こだわっています。

美智子さんには歌集をはじめかなりたくさんの趣味の本がおありですが、親王、内親王のどなたにも、こういった本はありません。

思うがままに書いて行きます。ご降嫁の後のうたは、表のどこにも出ていません。うたをお詠みかどうかも不明です。内親王時代のみのおうた群です。

手袋を詠まれたうた、二首。


   手袋をはづして出でし冬の原陽にてのひらをかざし歩みゆく


   雪に遊ぶわが赤き手にはめたまひし手袋は御手(みて)のぬくみ残して


これ、言うまでもなく同じ作者の歌です。紀宮さまのおうたは、おんなおんなしていなくて毅然とした感じ、が、特徴の一つかと思います。

私の気のせいか「母上」がうたの中に登場すると、雰囲気が変わるような。

二首目。手袋を、雪遊びして冷え切った「わたし」の赤い手にはめて下さったのは、お母さま。ご自分の手のぬくもりの残る手袋を。

初めの一首の、太陽に、手袋を脱いだてのひらをかざして歩む女性の、さっそうとした感じはここにはありません。

お母さま自身が、そんな優しいワタクシ像がお気に召して、しかしさすがに自分で自分をアゲられない苦しさに、そうだとハタと膝を打ち。

娘さんに仮託して詠んでしまわれたかと。

個性の違うおうたを並べて読んで、間違えてしまいました。

間違えた。(笑)。


私の「まちがえた」は、これに限りません。


「蚕」二首。


   てのひらにもろき生命(いのち)の重みして蚕しずかに横たはりをり


   いきづける小さき生命(いのち)を包むごと繭かきたまふ御指(みゆび)やさしき



二首とも、紀宮さまのうたとして、出ているうたです。

一首目は、みずからのつとめを了えんとして、あるいはもう終えたのか、蚕は静かに(わたしの手の上に)横たわっている、と。

もろきいのちの重み、としておられるところが、胸に来るところです。

もう一首、繭をかいておられる「御指」、は、養蚕を受け継がれている皇后、美智子さんのそれ。

繭に対する愛おしい目、は、ここにありません。

皇后さんの優しい御指、がポイントになっています。

紀宮さまのうたとしては、一首目の、蚕の繭に向けるまなざしの方が、あの方らしいと感じます。

何をしても「自分」「ワタクシ」である方が、自分で自分を「優しい」とは、さすがに詠みにくければ、こういうやり方もあると便利よね。

どうしてもわたしKUONは、こんな風に、感じてしまうのでした。

少しずつ、こんな風に書いて行くつもりです。

あくまでKUONの私的解釈です。









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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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