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  1. ミテ子さま・考 一
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世界の中心ミテコさま(笑)

冒頭にひとこと。来年の皇室カレンダー、3,4月分が東宮一家の写真。愛子さんは何年か前のオリジナル愛子さんと思われます。

ズサンな人たちで、逆にびっくりします。



平成25年10月、天皇・皇后は、熊本へ出向かれました。

(当時の産経ニュースより概略)

『初めて水俣市を訪れた天皇、皇后両陛下は27日、水俣湾に臨む「水俣病慰霊の碑」に供花。症状の
重い患者と懇談され、語り部の会の話に耳を傾けられて陛下は

「本当にお気持ち、察するに余りあると思っています」と声を掛けられた。

宮内庁によると、両陛下が公式の場で水俣病患者と会われたのは初めてという。陛下は

「やはり、真実に生きるということができる社会を、みんなで作っていきたいものだと改めて思い
ました」

と述べた上で

「今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと
思っています。みなが、その方に向かって進んでいけることを願っています」と、異例の長い感想を語ら
れた。』


あの頃わたしKUONは、天皇皇后両陛下は立派なお方。と信じていて、熊本市民の提灯行列や、それをご覧になってお喜びのお二人に、胸を熱くしたものでした。

私の内部の「皇室のワルモノ」は、次代夫婦に関わるものでした。

ただ。

天皇の、「そういう場では異例」だという長い感想。その内容は、予定されていたものではなかった。という陛下は、まっすぐに気持ちをその地に籠められた気がします。美智子さんはと言うと。

帰途のお見送りの場に、その隅の方に、石牟礼道子さんが来ておられた。

脚がいささか不自由になっておられ、傍へは行けずにいらした、美智子さんは教えられて石牟礼さんに目に留め、ああ、だかハイハイ、だか、そこにおられるのね、わかっていますよ、という感じのまま、そのまま進んで行かれた、という、小さなエピソードがあったのでした。

こういう言い方には眉をひそめられるかも、と思いつつ記しますが、石牟礼道子さんという稀有な作家は、皇后さんの大好物な方向のお方ではないか。

など、勝手な思い込みをしていました。失礼を承知で、石牟礼さんには敬意を抱いていると明確な思いを表しつつ、書いています。

あの、好みのタイプ限定でも「有名人」が大好きなミテコさんなら、駆け寄って手を取って慈愛の笑みを振りまかれて、と、なりそうなお相手ではないか、と。まだ美智子さんについてわかっていなかった私は、なぜ、水俣まで行って、石牟礼さんをいわばスルーされたか、と。違和感を覚えていたのでした。

今に思えば、こうごうさんは、そこに触れるのはおイヤだったかと。

イヤ、などというレベルでない。

鬼門だったのですね。

水俣に近寄れば、長男夫婦の痛み(なんて高尚なモンはあれらにあるのかな。とは思いますが、一応)・・に、さわってしまう、そんなの雅子が可哀そうだわ、雅子はいいんだけどあんなのは実は、でも雅子が怒ればナルちゃんが可哀そうだわ、大変だわ、殴られるわこずかれるわ、あのコ抵抗もできないしワタクシにだって火の粉が・・。

それだけではありません。

ミテコさんに水俣病はタブー。問題は息子のオヨメさんだけでなく、それどころでなく、ご実家の実妹にあたる方が、新潟水俣病の原因の本元へ嫁いでいる。できれば触れたくない、今ならわかります、でも当時は、そんな個人的感情でない、皇后さまですもの、もっと大いなるおほみごころの美智子さま~、だと、思い込んでいた時期でしたものね。


「銭は1銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、42人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に69人、水俣病になってもらう。あと100人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか

・・・

「嫁に来て三年もたたんうちに、こげん奇病になってしもた。…(ほ、ほん、に、じ、じい、ちゃん、しよの、な、か、おおな、ご、に、なった、な、あ。)うちは、もういっぺん、元の体になろうごたるばい。親さまに、働いて食えといただいた体じゃもね。」

「うちは情けなか。箸も握れん、茶碗もかかえられん、口もがくがく震えのくる。付添いさんが食べさしてくらすが、そりゃ大ごとばい・・・ 」

・・・

「木にも草にも、魂はあるとうちは思うとに。魚にもめずにも魂はあると思うとに。うちげのゆりにはそれがなかとはどういうことな」


何度読んでもたまらない思いのする「苦界浄土」について、過去に何度も書き、今年の4月にも書かせてもらいました。



その翌年、平成26年の歌会始儀。

天皇の 御製。

慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり

  いれいひの さきにひろがる みなまたの みずあをくして しずかなりけり


皇后の 御歌。

み遷りの近き宮居に仕ふると瞳しずかに娘は言ひて発つ

  みうつりの ちかきみやゐに つかふると ひとみしずかに こはいひてたつ


陛下の御製は、いかにも天皇の詠ませたまいしおうた。

スタンダードで平易で奇をてらわない、天皇陛下のおうた。

皇后はなんだって、フツウでは満足できないお方。うたもしかり。

無理やり考えれば、陛下が「静かなりけり」とお詠みですので、ミテコさんは「瞳静かに」と、そこ、なんとか合わせたか。とも、読めなくはない、関係ないかもしれない。

ミテコさんのうた、私感的解釈、させていただきます。



一首、まず耳からいただいて、モタモタしているな、と感じたのでした。

書き過ぎ言い過ぎ、今はおうたの先生はおられないのかな。

細かいことから言います、細かくもないでしょうが。

「み遷りの」と始まっているここは、美智子さんの言葉選びの大きな癖で、なんでも「み」をつけて、それで、丁寧に。敬語のように。してしまわれる。

まさか皇后の御歌を、私がいじる訳にもまいりませんが(皇后でなくてもそれは同じ)、普通に「遷宮の」とやればいいのに、シナ作るのがお好きなのね、と。・・・これだけ言うのがギリギリです。でもまだ、ギリギリ、言うのです(笑)。

「瞳静かに」って、イヤだわ~と、KUONは感じました。うたの素材が神宮の20年ごとのご遷宮。近代風なにおいは似あわないとも思う、詠みびとの自由ではあるのですが。

今風のうたで「瞳」はあるでしょう、脱線しますが、私は、あの歌い手さんの声も歌もおおむね好きでも、あの有名なうたの有名なフレーズ

「瞳を閉じて」って、あれが、とっても私はダメなんです。

瞳は、閉じないだろう。閉じるのは「目」か「まぶた」ぢゃないのかい、など、虚しい突っ込みをしている、あれはしかし、バランスとれているのだから、私みたいに感じるのがおかしいのかな、と、ケンキョになっておく・・・

美智子さんの「瞳」は、どうなのでしょうy。

「目」と書いて「まみ」と読ませる場合があります。

で。この「瞳しずかな」お方は、この歌では、黒田清子さん。

伊勢の斎宮さま池田厚子さんが、ご高齢のゆえに、遷宮にまつわる斎宮のおつとめのある部分を、元内親王であらせられる清子さまが、つとめられた。

威厳あたりを払う、堂々とかつ神々しいお姿でした。

母親とは比べようの無い気品、と私は拝しました。

ご衣裳の何やらを、こーごーさんが贈られたとか、読んだ気もします。特殊なおつとめの、特殊なお召し物なので、そういうこともあるのでしょう。

言わなくてもいいではないの、と感じたことも、記しておこうと思います。

それなりの予算はつくはずですし、いかにも気の利くお母さま、を、演じたかったとしか、昨今の私には感じられません。

相談を受けること、実際に率先して無垢の白絹、用意させること、は、おそらくあること、ですよね。

黙ってらっしゃいませと思う。思いました。

つまり

「遷宮の折りに、斎宮代理をつとめる娘さん」が、ミテコさんは誇らしいのです。自身の信仰云々に、こんな場合は関わらず。

嬉しいのです。それはそれで、ミジンコKUONにわからないではないのです。自慢もしたいでしょう。

・・・この自慢の娘さんを、どう、扱って来られての、この誇りか。つい、そんな目を向けたくなってしまう。

いつも、どこでも、何にも感じることです、美智子さんにとっては、森羅万象、自分の周囲に起きるあらゆることはすべて、自分を中心のもの。

天皇は、なんぼ陛下と呼んでいても、自分の夫、自分の都合のいいように在るべき夫。それでしか無い。

長男は、自分の支えだった。ある時期まで。もっと何とかなるはずだったのに、以下略、今は自由に会えもしない、自分の気持ちなどわかろうともしてはくれない。以下略。

次男は・・・美智子さんが、可愛くてたまらない風に殿下に接している姿、見たこと無いです。殿下の方が賢くて、客観的に親のことも見ておられて、奥さまのお支えもあって、人として自立しておられる。ミテコさんの出る場は無い、無視はされなくても、手ごたえをくれない。そうしたのは、母親本人だと思うのですが。

清子さまは。長く手元に置いた。自分を補佐し、慰め、でも自分より先を行くことなどあってはならぬ娘だった、そんなことは許さなかった。

仕方ないから降嫁させた、自分のために御所に通って来ることの支障にならない相手だからいい(と、美智子さんはそれくらいにしか思っていないと思います。地味な人間の沈黙の強さなど、ミテ子には、わっかんない世界でないか)・・・私感です。

ともかく。

自分を誇らしい気持ちにしてくれる子どもは、まあ、好きですわね。

斎宮代理をつとめる娘さんを、ミテコさんは、誇らしく感じた。こういうのはいいわね、と、受け入れた。

だから詠んだ。

挨拶に来て、行って参りますと、言葉少なに目(まみ)すずやかに、しとやかな身ごなしで、自分の前から去って行った、伊勢へ、発って行った。

それがワタクシの娘。いいじゃないの。

水俣のことは詠みたくない。

歌会始には、清子を詠んでやりましょう。

そんなことしてもらえる娘など、この世界広しと言えど、他にいはしない。

わたくし、皇后の娘だから、してもらえることなのよ。

わかっているわよね、あの娘は。清子は。

・・・そうして生まれたこの一首。

ミテコさんはご機嫌麗しくあられたか。

おっかしい人。

清子さんが斎宮になられたのは、天皇の娘・・・内親王だから。

天皇のツマである美智子さんが、内親王だから選ばれた斎宮・清子さまを、娘。娘(こ)と、自分の存在を中央に据えて、自分のものとして詠むのは、おかしいと。


他の方はいざしらず。KUONは考えます。




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Author:KUONの久遠
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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

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