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KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. 御製
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示されていたのに   追記あります



前日の、花橘さんからのコメントに続いて、八兵衛さんからも核心を衝くコメントを頂きました。

勝手ながら冒頭部分をなしに、読みやすくなるだろうかとの願いで、改行をさせていただいて、ご紹介します。。

お許し下さい。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>昭和天皇の御製、素晴らしいですね。昭和が終わった日、18歳だった私でも胸にこみ上げるものがあって、不意に涙が出そうになることが多々。

そんな中、「はじめての皇孫」の御製は…、違和感がありました。

山百合。百合ですよね。受胎告知を思わず連想してしまいました。

山百合の咲き誇る庭=キリスト教的なものに取り囲まれている「その母」の環境。赤子の行く末は「車」を押している「その母」の意のままに。意気揚々と進んで行く後ろ姿をじっと見つめている。

勘ぐり過ぎでしょうか。

ナルちゃんってば、還暦も近いというのにいまだにその「車」に乗ってやしませんか⁉︎

今更ご自分の足で歩けるわけないか…。

私感を書き連ね、お目汚し失礼いたしました。<

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ありがとうございました。

前記事の皇太子結婚の折りの御製もそうでしたが、皇孫誕生の御製についても、人目についてくださいね~の思いで、赤い文字を使いました。

特に、ナルさんのうた。

当時の皇太子夫婦(現・今上夫婦)の第一皇子。浩宮徳仁親王。

この浩宮は、外孫さんの少なくなかった陛下にとって、他の方々と異なる、皇統をつなぐ皇孫。

思い入れもさぞや、と、私などは想ってしまうものですが、それにしては、の一首。


山百合の花咲く庭にいとし子を 車にのせてその母はゆく
  

生涯におよそ一万首のうたを詠まれたとされる陛下の、公表されている御製が、900首足らず。

こころ細やかに、さまざまな人々の身に思いをかけられた天皇の、浩宮をうたったただ一首の、距離感、傍観者の感じ。

確かめたくて再度、しらべてみました。「ユリの花言葉」より。他からも。

◎ キリスト教では白いユリ(マドンナリリー)が聖母マリアに捧げられた花であることから純潔のシンボルとされます。

「純潔」「純粋」といった花言葉もこれに由来します。「威厳」の花言葉は、ユリの堂々たる花姿にちなみます。赤・ピンクのユリの「虚栄心」は、キリストの磔刑が決まり、多くの花がキリストの運命を嘆いて首を垂れるなか、ユリだけは自分の美しさが慰めになると、誇らしげに頭を上げていました。しかし、キリストに見つめられると自分の思い上がりに気づき、赤くなって首をうなだれたという伝説に由来するといわれます。

◎ユリとギリシア神話

全知全能の神のゼウスが、眠っている妻ヘラ(結婚と母性、貞節を司る最高位の女神)の乳を息子のヘラクレスに飲ませた際、こぼれ落ちたヘラの乳が天の川(Milky Way)になり、地上にこぼれた分がユリになったといわれます。そしてユリはヘラの花とされ、清純、純潔、母性の象徴とされ、そのユリのイメージはキリスト教とも結びつき「純潔」のシンボルになっていきます。

◎ユリと絵画

聖母マリアに捧げられた純潔のシンボルである白いユリは、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた有名な宗教画『受胎告知』でも、神の子の懐妊を告げる大天使ガブリエルの左手に描かれています。そして、17世紀にローマ教皇が聖母マリアの処女性を象徴する花として白いユリを描くように布告を出すと、白いユリは聖母を象徴する花となりマドンナリリーと呼ばれるようになります。


◎ユリを国花とする国

バチカン

davinci_annun_yuri.jpg


レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」部分


無理やりに、ことさらに何かをこじつける意図はありません。

キリスト教に対する悪意その他はありません。

ユリの花を愛でる方にも、ユリ自体にも、貶めたりする意志はありません。

ここで申し上げたいことは。

まっすぐにおられた昭和帝、うたに対しては真摯、直截、雑念のうかがえない姿勢でおうたいになられた昭和の天皇さま。

固有名詞をうたの中に取り入れられる時は、確かな、これしかない、という言葉を、お使いになられた陛下が、あえて、ここで用いられた「山百合」、この花。


長い間、どなたも書かれていなかったようなこの疑問に、突き当たっています。

昭和天皇は、キリスト教にも関心や理解を示しておいででした。それは、事実です。


正田美智子さんが、カトリックの信徒であることも、もちろん、当然、ご存じで、なおかつ、その女性を、皇室に。

皇太子の妃として、入れられた。

・・・陛下の想像、許容範囲の、埒外だったのか、異教徒の皇太子妃は。

天皇陛下のお気持ちを、たやすく推し量ることなど、できようもないことですけれど。


敗戦国の、天皇。

   山百合の花咲く庭にいとし子を 車にのせてその母はゆく

美智子さんを「その母」とお呼びの、お気持ちの背景を、夏のさなかに思い描きつつ、悪寒のごときを感じています。

浩宮は、内孫ながら、皇孫ながら、遠い何かに隔てられる存在。

その皇孫を生んだはずの女性は、皇太子妃であるはずの女性は。

もっと、この歌について、アタマねじれるくらい、考え込んでしまいそうです。


・・・考えなくても。

昭和天皇は、明らかに、お示し下さっていた、のに。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


追記させていただきます。

「柚べし」さんから頂いたコメント、内容そのまま貼らせていただきます。



那須御用邸の庭?

山百合の野の中を、乳児の徳仁さんを載せた乳母車を押して歩く美智子さん
この御製の舞台は、那須御用邸の庭だった、とされています。
私には、那須御用邸に山百合の庭が有るのかどうか分かりません。

今上による訂正が、意図的な捏造でなければ、ですが、以下はその経緯の記事です。

↓ココカラ

昭和天皇実録の一部を訂正 陛下のご指摘で

2014.10.23 19:24

 >宮内庁の風岡典之長官は23日、昭和天皇実録で、昭和天皇が昭和35年7月1日に香淳皇后とともに東宮御所を訪れ、初の皇孫となった現在の皇太子さまに会った際のことを詠んだとしていた「山百合の花咲く庭にいとし子を車にのせてその母はゆく」の御製(お歌)の情景が別の月日、場所の情景だったことが分かり、訂正したと発表した。

 御製を紹介した新聞記事を読んだ天皇陛下が「『山百合』というのは東宮御所ではなく那須御用邸ではないか」などと指摘され、間違いが発覚。実際には、昭和天皇が同年8月6日に那須御用邸の2階から、現在の皇后さまが皇太子さまを乳母車に乗せて庭を通りかかったのを見て詠んだものだったという。

 風岡長官は「編集過程で思い込みがあり、資料を十分に精査せずに記載してしまった」と釈明。両陛下にも謝罪したという。
http://www.sankei.com/smp/life/news/141023/lif1410230026-s.html

今は、ここまでです。

那須でも東宮御所(当時の)でもいいじゃないか、とも、思えないので、どう思えるか、考えてみます。

柚べしさん ありがとうございました。

  



動画を見て、自分の誤りに気付きました。

美智子さん、この時はノースリーブではありません

睦まじそうでいらっしゃるし。

でも、わたしの、ある確信は、変わりません。



  1. 御製
  2. tb: 0
  3. cm: 8
  4. [ edit ]

昭和天皇の御製  三



戦後の昭和21年から始められた天皇の全国巡りは、昭和29年まで続きました。


御製の続きです。  米印は歌会始儀の折りの御製です。


 
 昭和三十年
 
 「泉」

*みづならの林をゆけば谷かげの 岩間に清水わきいづる見ゆ
 
 「松島」

 春の夜の月のひかりに見わたせば 浦の島じま波にかげさす
 
 「相撲」

 久しくも見ざりし相撲スマヒひとびとと 手をたたきつつ見るがたのしさ

(KUON註:相撲を好まれた昭和帝のこの一首。

久しぶりにご覧になられた相撲、それを、「人々と、手を叩きつつ」見るが「たのしさ」と。

この視点が、昭和天皇さまのものと思います。何度尋ねられても、ご贔屓の力士の名は明かされませんでした。公平であらんとされたのだと伝わります。)

 
 「八月十五日 那須にて」

 夢さめて旅寝の床に十とせてふ むかし思へばむねせまりくる

(敗戦後10年の、天皇の夢。)
 
 「神奈川県三ツ沢の国体会場(平沼亮三横浜市長)」

 松の日をかざして走る老人の ををしきすがた見まもりにけり
 
 「小田原に往復の折、吉田茂元首相の家の前を通りて詠める」

 往きかへり枝折戸を見て思ひけり しばし相見ぬあるじいかにと
 
 「社会福祉法人エリザベス・サンダース・ホーム」

 この子らをはぐくむ人のいたつきを 思ひてしのぶ十とせのむかし

(敗戦後、街に溢れた混血の孤児たちを、澤田美喜さんが集めて作られたホームです)/span>
 
 昭和三十一年
 
 「早春」

*たのしげに雉子キギスのあそぶわが庭に 朝霜ふりて春なほさむし
 
 (エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ一世訪日)

 外国トツクニの君をむかへて空港に むつみかはしつ手をばにぎりて

(今は無きエチオピア王国、今は亡きエチオピア国王、そして今はいずこにあるやも、この折に国王より賜りし、ヤフーオークションに出されてしまっていた、あの・・・)
 
 「山口県植樹祭」

 木を植うるわざの年々さかゆくは うれしきことのきはみなりけり
 
 「前同」

 人々とつつじ花咲くこの山に 鍬を手にして松うゑてけり
 
 昭和三十二年
 
 「ともしび」
*港まつり光かがやく夜の舟に こたへてわれもともしびをふる
 
 「漁船」

 ひき潮の三河の海にあさりとる あまの小舟の見ゆる朝かな
 
 「葉山にて 三首のうち一首」

 舟出してはるけくも見つ大島の けむりにまがふ峰のしらくも
 
 「那須にて」

 高原に立ちて見わたす那須岳に 朝ゐる雲のしろくしづけし
 
 「静岡県の旅 水口屋にて西園寺公望を思ふ」

 そのかみの君をしみじみ思ふかな ゆかりも深きこの宿にして
 
 「四十周年記念に際し全国民生委員に」

 さちうすき人の杖ともなりにける いたつきを思ふけふのこの日に
 
 「佐久間ダム」

 たふれたる人のいしぶみ見てぞ思ふ たぐひまれなるそのいたつきを
 
 昭和三十三年
 
 「雲」

*高原のをちにそびゆる那須岳に 帯にも似たるしらくもかかる
 
 「赤間神宮ならびに安徳天皇陵に詣でて」

 水底に沈みたまひし遠つ祖を かなしとぞおもふ書フミ見るたびに
 
 「富山国民体育大会」

 ときどきの雨ふるなかを若人の 足なみそろへ進むををしさ
 
 「和倉の宿」

 波たたぬ七尾の浦のゆふぐれに 大き能登島よこたはる見ゆ
 
 「社会福祉法人ルンビニ園」

 御ほとけにつかふる尼のはぐくみに たのしく遊ぶ子らの花園
 
 「博多の宿 二首のうち一首」

 行きかよふ車をさばく警官の うごき見てゐぬやどの窓より
 
 「阿蘇の宿」

 裏山にのぼりて見ればなつかしき 雲仙岳はほのかにかすめり
 
 「鹿児島」

 ながむれば春のゆふべの桜島 しづけき海にかげをうつせり
 
 「宮崎の宿にて」

 来て見ればホテルの前をゆるやかに 大淀川は流れゆくなり

(このあたりまでの御製の数々。陛下のお心の安らかなことの透けて見えるような、静かな、叙景歌ながらしっとりと抒情的な、美しいおうたに魅了されます。)

 
 「明仁と正田美智子の結婚内約」

 喜びはさもあらばあれこの先の からき思ひていよよはげまな

(まずはアメリカでのスクープから始まった、正田美智子さんの皇太子妃への内約のこと。

軽井沢でのロマンス、テニスコートの恋、民間から初めての入内へ。

皇嗣の結婚の定まったこの時の天皇のおうたに、心衝かれます。


喜びはさもあらばあれこの先の からき思ひていよよはげまな

(厳しい一首です。

喜びは、まあ、いいだろう、恋愛結婚とやら、それもいいだろう、喜ばしくはあろう。

と、うたい始めて、この先の、と締められている。

「からき思ひていよよはげまな」

これは、

大変なこと、苦労なことを、よくよく思って、いよいよ、ますます、励まないと。

と、天皇はお詠みです。

この最後の「な」は、希望、命令の、けっこう強い一音です。

ふつう一般の父親であられないのは言うまでも無いですが。

よほどしっかりと気を引き締めて、と、仰っている。

言われてお二方はいかがだったでしょう。

皇太子と美智子嬢。

やはり

そりゃ、浮かれて舞い上がっておられたでしょうね、いずれこのあたり、皇太子と美智子さんのうたの時にも触れてみたいです。


 
 「皇太子の婚約を喜ぶ歌」

 けふのこの喜びにつけ皇太子に つかへし医師クスシのいさをを思ふ

(わたしには不思議な一首です。

皇太子の婚約を喜ぶに、つけ、仕えた医師の、功を思う、と。

医師の功・・医師は、皇太子が婚約にまで至るようになった、何に、どこに、どんな功(功績)が、あったのか。

 
 (フィリピンのガルシア大統領夫妻訪日)

 外国トツクニのをさをむかへついさかひを 水にながして語らはむとて

(今年に入ってからの今上の、フィリピン訪問を思い浮かべました。

天皇の夫人が、皇后と認められ得なかった、あの、茶番の慰霊訪問を。)
 

文字色(前同)
 
 昭和三十四年
 
 「窓」

*春なれや楽しく遊ぶ雉子キギスらの すがたを見つつ窓のへに立つ
 
 (皇太子ご成婚)

 あなうれし神のみ前に皇太子の いもせの契り結ぶこの朝
 
 (前同)

 皇太子の契り祝ひて人びとの よろこぶさまをテレビにて見る

世紀のご結婚、ミッチー・フィーバー、馬車を仕立てての華麗なパレード。これが、今上と美智子さんの結婚を彩る言葉の群だったようです(実際、大騒ぎではありました)。

この時も昭和の両陛下は、戦中の防空壕を兼ねたお住まい、雨漏りのはなはだしい「御文庫」にお住まいのままでした。

「あなうれし」

と陛下は、皇太子の美智子さんとの「いもせのちぎり=夫婦の契り。

を寿いでおられる。

皇太子の契りを祝って、国の人びとがよろこぶさまを、「テレビにて見る」

確かに。テレビで、その熱狂のさまを、ご覧になったのは事実なのでしょうが。

陛下は熱狂しておられない。

おそらく、皇后さまも。


どこか距離のある、醒めた「祝婚歌」。


 
 「靖国神社九十年祭」

 ここのそぢへたる宮居の神がみの 国にささげしいさををぞおもふ
 
 「千鳥ケ渕戦没者墓苑」

 国のため命ささげし人々の ことを思へば胸せまりくる

ここでは昭和天皇は、靖国神社の年祭、千鳥ヶ淵戦没者墓苑、についても、確かに、上記のように、詠んでおられます。 

 「那須 二首」

 谷川をくだりてゆけば楢の枝エに かかりて葛の花咲ける見ゆ
 
 「前同」
 み空には雲ぞのこれる吹き荒れし 野分のあとの那須の高原
 
 「伊勢湾台風」

 皇太子をさし遣はして水のまがに なやむ人らをなぐさめむとす
 
 「愛知 三重 岐阜の風水害」

 たちなほり早くとぞ思ふ水のまがを 三つの県の司に聞きて
 
 昭和三十五年
 
 「光」

*さしのぼる朝日の光へだてなく 世を照らさむぞわがねがひなる
 
 「はじめての皇孫」

 山百合の花咲く庭にいとし子を 車にのせてその母はゆく

(そして徳仁親王誕生。

大切な皇孫。

にしては。

この一首の情景を、描いてみました。


 山百合の花咲く庭にいとし子を 車にのせてその母はゆく

山百合の咲く庭・・・は、そのままに浮かびます。

皇居のいずこか、広大なお庭に、山百合が咲く・・2月生まれのナルちゃんさんは、生後数か月になっておられるか。

いとし子を、車にのせて…乳母車でしょう、後ろから押すタイプ、こちらから見えているのは、乳母車の赤子の帽子と、車をおして行く母親の、背中だけ。

美智子さんは、想像すると、ノースリーブのワンピース姿。

「いとし子を乗せて、若い母親は、どんどんあちらへ行く。

陛下は、見送っている構図になります。

言葉の使い方が、常の陛下のようでない気もします。

全体的に感じるのは、距離感。

お気持ち的には「傍観」。

新しい時代の皇太子妃だから。

言ってしまえば身もふたも無いが、押されて受け入れた妃だから。

なんとはなし、距離がある感じを受けます。

美智子さんの背中に、放っておいて下さいね、のメッセージまで感じるのは、考え過ぎでしょうか。

皇孫誕生に関しては、この一首だけ。


 
 「山形県植樹祭 二首」

 人びととしらはた松を植ゑてあれば 大森山に雨は降りきぬ
 
 「前同」

 実桜の花にまじれるりんごの花 田づらの里は咲きにほふかな
 
 「米沢市」

 国力クニヂカラ富まさむわざと励みつつ 機ハタ織りすすむみちのくをとめ
 
 「飯坂の宿」

 たぎちゆく摺上川の高ぎしに かかりてにほふふぢのはつ花
 
 「九州への空の旅」

 白雲のたなびきわたる大空に 雪をいただく富士の嶺みゆ
 
 「水前寺陸上競技場にて」

 大阿蘇の山なみ見ゆるこのにはに 技競ふ人らの姿たのもし
 
 昭和三十六年
 
 「若」

*旧き都ローマにきそふ若人を 那須のゆふべにはるかにおもふ
 
 「前同」

 のどかなる春の光にもえいでて みどりあたらし野辺の若草
 
 「福寿草」

 枯草ののこれる庭にしかぎくの 花さきにけり春いまだ浅く
 
 「長崎復興」

 あれはてし長崎も今はたちなほり 市の人びとによろこびの見ゆ
 
 「鏡山の眺望」

 はるかなる壱岐は霞みて見えねども 渚うつくしこの松浦潟
 
 「有明海の干拓を憂へて」

 めづらしき海蝸牛ウミマイマイも海茸ウミタケも ほろびゆく日のなかれといのる
 
 「雲仙岳 仁田峠」

 大阿蘇は波路はるかにあらはれて 山なみうすく霞たなびく
 
 「雲仙岳 薊谷 二首のうち一首」

 あいらしきはるとらのをは咲きにほふ 春ふかみたる山峡ヤマカヒゆけば
 
 「雲仙岳 地獄」

 わきいづる湯の口の辺に早く咲く みやまきりしまかたちかはれり
 
 「日本航空シティ・オブ・サンフランシスコ号に乗りて 二首」

 空翔カけて雲のひまより見る難波 ふるき陵ミササギをはるかにをろがむ

仁徳天皇陵をお詠みでしょうか)
 
 「前同」

 白波のよせてはかへす大島を つばさのしたになつかしく見る
 
 「六十の賀 三首」

 ゆかりよりむそぢの祝ひうけたれど われかへりみて恥多きかな

(還暦の陛下、「かえりみて恥多き」と。)
 
 「前同」

 還暦の祝ひのをりも病あつく 成子のすがた見えずかなしき

(東久邇成子さんは、既に癌を病んでおいででした。幼いお子様が幾人もおられた。

陛下は、第一皇女の成子さんを慈しまれ、戦中戦後のご苦労に、胸を痛めておられたと伝わります。

「成子のすがた見えずかなしき」は、天皇でない父親としての・・。)

 
 「前同」

 むそとせをふりかへりみて思ひでの ひとしほ深きヨーロッパの旅
 
 「支笏湖畔」

 湖をわたりくる風はさむけれど かへでの若葉うつくしき宿
 
 「磐梯吾妻スカイライン」

 さるをがせ山毛欅ブナの林の枝ごとに 垂るるを見つつ道のぼりゆく
 
 「福島県赤井谷地にて」

 雨はれし水苔原に枯れ残る ほろむいいちご見たるよろこび
 
 「福島県視察 翁島の宿にて」

 なつかしき猪苗代湖を眺めつつ 若き日を思ふ秋のまひるに


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日はここまでとさせていただきます。





  1. 御製
  2. tb: 0
  3. cm: 2
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昭和天皇の御製  二



自分が「戻ってきた」かどうかは不明ですが(笑)、ゆっくりできました。

けっこう近いあたりに、喜光寺というお寺があります。奈良時代の創建の古いお寺。試みの大仏殿、とも呼ばれるこのお寺は、蓮の花が有名、以前にも書いたことがありますが、わたしは、この、蓮の花の開く時の音が、大好きなのです。

いまが花の盛りのとき。

大好きな音を聞きに、行っても来ました。気持ちがすうっとしました。

ただ。実際にぽん、とか、わかり易い音がするのではないのです。

蓮は、ひらく時、音がする。昔むかしにそんな刷り込みがわたしの内側でなされ、ほんとはしない音なのだ、とわかった後も、なんとなく、その音を恋うている(笑)。

七月は朝、早いうちにご門がひらくのです。

で、朝早く、雨も降らないでいてくれた日に、蓮の花、とても綺麗でした。




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 昭和天皇御製

                           米印は歌会始儀のお作です
 
 昭和二十二年
 
 「あけぼの」

*たのもしく夜はあけそめぬ水戸の町 うつ槌の音も高くきこえて
 
 「帝室林野局の農林省移管 四首のうち二首」

 九重につかへしことを忘れずて 国のためにとなほはげまなむ
 
 「前同」

 料の森にながくつかへし人々の いたつきを思ふ我はふかくも
 
 「帝室博物館の文部省移管 三首」

 いにしへのすがたをかたるしなあまた あつめてふみのくにたてまほし
 
 「前同」
 いにしへの品のかずかずたもちもて 世にしらしめよ国の華をば
 
 「前同」
 世にひろくしめせとぞ思ふすめぐにの 昔を語る品をたもちて

KUONの思いです。

国の宝をオークションにかけて売り飛ばそうとしたヤカラのことを、昭和帝は何とおぼしめすでしょうか。

 
 「新憲法施行」

 うれしくも国の掟のさだまりて あけゆく空のごとくもあるかな
 
 「東北地方視察」

 あつさつよき磐城の里の炭山に はたらく人をををしとぞ見し
 
 「長野県大日向村」

 浅間おろしつよき麓にかへりきて いそしむ田人たふとくもあるか
 
 「広島」

 ああ広島平和の鐘も鳴りはじめ たちなほる見えてうれしかりけり

KUONの思い

このように「ああ」と詠嘆で始まっている御製は、大変珍しい・・・他に見られないお作だと思います。

 
 「折にふれて」

 霜ふりて月の光も寒き夜は いぶせき家にすむ人をおもふ
 
 「前同」
 冬枯のさびしき庭の松ひと木 色かへぬをぞかがみとはせむ
 
 「前同」

 潮風のあらきにたふる浜松の ををしきさまにならへ人々
 
 「紙」

 わが国の紙見てぞおもふ寒き日に いそしむ人のからきつとめを
 
 「栃木県益子窯業指導所にて」

 ざえのなき媼のゑがくすゑものを 人のめづるもおもしろきかな
 
 「和倉温泉」

 月かげはひろくさやけし雲はれし 秋の今宵のうなばらの上に
 
 昭和二十三年
 
 「春山」

*うらうらとかすむ春べになりぬれど 山には雪ののこりて寒し
 
 「前同」

 春たてど山には雪ののこるなり 国のすがたもいまはかくこそ
 
 「折にふれて 三首のうち二首」

 せつぶん草さく山道の森かげに 雪はのこりて春なほさむし
 
 「前同」

 風さむき霜夜の月を見てぞ思ふ かへらぬ人のいかにあるかと
 
 「東京国民体育大会」

 風さむき都の宵にわかうどの スポーツの歌ひびきわたれり
 
 「牛」

 たゆまずもすすむがををし路をゆく 牛のあゆみのおそくはあれども
 
 「富士山」

 しづみゆく夕日にはえてそそりたつ 富士の高嶺はむらさきに見ゆ
 
 昭和二十四年
 
 「朝雪」

*庭のおもにつもる雪みてさむからむ 人をいとどもおもふけさかな
 
 「福岡県大牟田」

 海の底のつらきにたへて炭ほると いそしむ人ぞたふとかりけり
 
 「佐賀県因通寺洗心寮」

 みほとけの教まもりてすくすくと 生ひ育つべき子らにさちあれ
 
 「長崎県雲仙岳」

 高原にみやまきりしまうつくしく むらがり咲きて小鳥とぶなり
 
 「熊本県開拓地」

 かくのごと荒野が原に鋤をとる 引揚びとをわれはわすれじ
 
 「前同」

 外国トツクニにつらさしのびて帰りこし 人をむかへむまごころをもて
 
 「前同」

 国民とともにこころをいためつつ 帰りこぬ人をただ待ちに待つ
 
 「葉山」
 しほのひく岩間藻のなか石のした 海牛をとる夏の日ざかり
 
 「湯川秀樹博士ノーベル賞受賞 三首」

 新聞のしらせをけさは見てうれし 湯川博士はノーベル賞を得つ
 
 「前同」
 賞を得し湯川博士のいさをしは わが日の本のほこりとぞ思ふ
 
 「前同」
 うれひなく学びの道に博士らを つかしめてこそ国のさかえめ

 
 昭和二十五年
 
 「若草」

*もえいづる春の若草よろこびの いろをたたへて子らのつむみゆ
 
 「名古屋にて」

 日の丸をかかげて歌ふ若人の こゑたのもしくひびきわたれる
 
 「前同」

 名古屋の街さきにみしより美しく 立ちなほれるがうれしかりけり
 
 「室戸 三首」

 室戸なるひと夜の宿のたましだを うつくさと見つ岩間岩間に
 
 「前同」

 うつぼしだのこるもさびし波風の あらき室戸の磯山のへに
 
 「前同」

 室戸岬うみべのをかに青桐の はやしの枯木たちならびたる
 
 「四国興居島」

 静かなる潮の干潟の砂ほりて もとめえしかなおほみどりゆむし
 
 「淡路島」

 あさぼらけ鳴門の宿ゆ見わたせば 淡路島山かすみたなびく
 
 昭和二十六年
 
 「朝空」

*淡路なるうみべの宿ゆ朝雲の たなびく空をとほく見さけつ
 
 「三重県賢島」

 はり紙をまなぶ姿のいとほしも さとりの足らぬ子も励みつつ
 
 「貞明皇后崩御(三首)」

 かなしけれどはふりの庭にふしをがむ 人の多きをうれしとぞおもふ
 
 「前同」

 いでましし浅間の山のふもとより 母のたまひしこの草木はも
 
 「前同」

 池のべのかたしろ草を見るごとに 母のこころの思ひいでらる
 
 昭和二十七年
 
 「立太子礼」

 このよき日みこをば祝ふ諸人の あつきこころぞうれしかりける

 KUON註:この「みこ」が、皇太子明仁殿下です

 「滋賀県 三首のうち一首」

 谷かげにのこるもみぢ葉うつくしも 紅鱒をどる醒井(サメガヰ)のさと
 
 「奈良県吉野」

 空高く生ひしげりたる吉野杉 世のさま見つついく代へぬらむ
 
 「三重県賢島」

 色づきしさるとりいばらそよごの実 目にうつくしきこの賢島
 
 「平和条約発効の日を迎へて 二首」

 風さゆるみ冬は過ぎてまちまちし 八重桜咲く春となりたり
 
 「前同」

 国の春と今こそはなれ霜こほる 冬にたへこし民のちからに
 
 「母宮をおもふ 二首」

 母宮のめでてみましし薯畑 ことしの夏はいかにかあるらむ
 
 「前同」

 あつき日にこもりてふとも母宮の そのの畑をおもひうかべつ
 
 「東北地方視察 福島県」

 秋ふかき山のふもとをながれゆく 阿武隈川のしづかなるかな
 
 「同 宮城県」

 島島もかすかに見えぬあさ霧の ふかくこめたる松島の海
 
 「同 山形県」

 ありし日の母の旅路をしのぶかな ゆふべさびしき上の山カミノヤマにて
 
 古の文まなびつつ新しき のりをしりてぞ国はやすからむ


 
 昭和二十八年
 
 「船出」

*霜にけぶる相模の海の沖さして 舟ぞいでゆく朝のさむきに
 
(外遊の思い出)

 外国トツクニの港をさしてふなでせし むかししのべばいまもたのしき
 
 「皇太子の海外旅行 出発」

 外国に旅せしむかししのびつつ 春さむきけふのいでたちおくる
 
 「前同」

 皇太子のたづねし国のみかどとも 昔にまさるよしみかはさむ
 
 「前同 帰朝」

 すこやかに空の旅より日のみこの おり立つ姿テレビにて見て
 
 「外人の生物愛護の状況をききて 二首のうち一首」

 生物のほしいままに園に遊ぶとふ 話をききてうらやましかり
 
 (皇太子ご帰国)

 皇太子を民の旗ふり迎ふるが うつるテレビにこころ迫れり
 
 (前同)

 皇太子の旅ものがたりうかららと 集ひて聞きつ時を忘れて
 
 「折にふれて 二首」

 さくら田の道のほとりの糸柳 あをめくかげを堀にうつせり
 
 「前同」

 冬すぎて菊桜さく春になれど 母のすがたの見えぬかなしさ
 
 「松山国民体育大会」

 沖縄の人もまじりていさましく 広場をすすむすがたうれしき
 
 「四国の復興」

 戦イクサのあとしるく見えしを今来れば いとををしくもたちなほりたり
 
 (水害を詠む)

 嵐ふきてみのらぬ稲穂あはれにて 秋の田見ればうれひ深しも
 
 (前同)

 荒れし国の人らも今はたのもしく たちなほらむといそしみてをり
 
 昭和二十九年
 
 「林」

*ほのぼのと夜はあけそめぬ静かなる 那須野の林鳥の声して
 
 「前同」

 藤の花こずゑにかかるはつ夏は 那須の林のうつくしきとき
 
 「伊勢神宮に参拝して」

 伊勢の宮に詣づる人の日にまして あとをたたぬがうれしかりけり
 
 「社会事業を」

 おほきなるめぐみによりてわび人も たのしくあれとわれ祈るなり
 
 「日東紡山崎療養所のほとりを汽車にて過ぎむとして」

 山崎に病やしなふひと見れば にほへる花もうつくしからず
 
 「飛行機より」

 ひさかたの雲居貫く蝦夷富士の みえてうれしき空のはつたび
 
 「札幌国民体育大会」

 うれしくも晴れわたりたる円山の 広場にきそふ若人のむれ
 
 「道民に」

 なりはひにはげむ人人ををしかり 暑さ寒さに堪へしのびつつ
 
 「涛沸湖畔」

 みづうみの面にうつり小草ヲグサはむ 牛のすがたはうごくともなし
 
 「阿寒国立公園 二首」

 えぞ松の高き梢にまつはれる うすももいろのみやままたたび
 
 「前同」

 水底ミナソコをのぞきて見ればひまもなし 敷物なせるみどりの毬藻
 
 「洞爺丸遭難」

 北の旅のおもひ出ふかき船も人も 海のもくづとなり果てにけり
 
 「前同」

 そのしらせ悲しく聞きてわざはひを ふせぐその道疾くとこそ祈れ
 
 「葛の花」

 篠竹にまとふまくずの花のいろ くれなゐにほふ那須野の秋は
 
 「伊豆西海岸堂ヶ島」

 たらちねの母の好みしつはぶきは この海の辺に花咲きにほふ
 
 「新穀 二首のうち一首」

 新米を神にささぐる今日の日に 深くもおもふ田子のいたつき
 
 (岩手県視察)

 たへかぬる暑さなれども稲の穂の 育ちを見ればうれしくもあるか


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


天皇陛下は、昭和21年2月をはじまりに、国のおちこちにお出かけになられました。

そういう中での御製の数々です。いろんな場所をお詠みです。

国の人びとが励まれる姿を、雄々しい、とうとい、と、見つめておられます。

マイナスな感情の動きが見られません。

常にまっすぐを、見ておられる陛下とお偲び申し上げました。

思いのほか多いのが、貞明皇后さまを想っての御製。

当時の皇太子の立太子の礼を詠まれ、外国への旅をうたわれ。

皇太子のこの外国行きが、大学半ばでのそれであることは、知られたことです。

英国の戴冠式に出席し、あちら回りこちらへ行き、して、長かった外遊。

陛下には、誇らしく嬉しいことであらせられたのか。


「皇太子の海外旅行 出発」

                                 昭和28年

 外国に旅せしむかししのびつつ 春さむきけふのいでたちおくる
 
 「前同」

 皇太子のたづねし国のみかどとも 昔にまさるよしみかはさむ
 
 「前同 帰朝」

 すこやかに空の旅より日のみこの おり立つ姿テレビにて見て
 
 「外人の生物愛護の状況をききて 二首のうち一首」

 生物のほしいままに園に遊ぶとふ 話をききてうらやましかり
 
 (皇太子ご帰国)

 皇太子を民の旗ふり迎ふるが うつるテレビにこころ迫れり
 
 (前同)

 皇太子の旅ものがたりうかららと 集ひて聞きつ時を忘れて


日嗣の皇子が帰国されたのを、人々が旗をうちふって迎えてくれているのが、テレビに映っている、と、天皇は「こころ迫って」おられます。

皇室の雰囲気もテレビとの関係も、懐かしい「よき」時代であったような。

気が、いたします。 


伊勢の宮に詣づる人の日にまして あとをたたぬがうれしかりけり

天皇さまらしいおうた。

昭和の、天皇さま。





  1. 御製
  2. tb: 0
  3. cm: 2
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昭和天皇の御製  一



何日もかかると思いますが、以下、少しずつ(でもない・・・)昭和天皇の御製(天皇の詠ましたまわす歌)を、引かせていただきます。

生涯にお詠みになったのは、およそ一万首といわれますが、下記のごとく、八百六十九首が、昭和天皇の御製として公表されている、とのことです。

数日間は、昭和天皇のおうたのみで、まいります。私はその間、共に読ませていただきながらまた同時に、美智子なるヒトのやらかした(と確信するに至った)ことについて、考えていると思います。

引用さきさまには、深くお礼を申し上げます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


昭和天皇御製
 
                      参考:桜楓社発行「おほみうた」
                         創樹社発行「昭和天皇の和歌」
 
                    平成2年10月読売新聞社から刊行された「
                   おほうなばら 昭和天皇御製集」掲載の八百
                   六十五首,同年2月「昭和天皇を偲ぶ歌会」
                   において発表された4首,計八百六十九首が,
                   昭和天皇の御製として公表されています。
                    因みに,お詠まれになられた作品はおよそ
                   一万首と云われております。
 
                    「山山の色はあらたにみゆれどもわがまつ
                   りごといかにかあるらむ」は昭和三年,昭和
                   天皇ご即位後最初の歌会始の御製ですが,『
                   おほみうた(著者坊城俊民氏)』において,
                   その後五十年あまり,このみこころは少しも
                   お変わりなっていない,と著者は述べておら
                    れます。
 
                    本稿を記述するに当たり感じましたのは,
                   昭和天皇の御製は,①『昭和天皇の和歌(著
                   者田所泉氏)』において述べておられる,「
                   紀伊の国の潮のみさきにたちよりておきにた
                   なびく雲をみるかな」のように,潮岬にお立
                   寄りになられ,奇岩を咬む太平洋の怒涛に目
                   を奪われず,沖の雲を見ることのできるのは,
                   正しく普通の人間(の歌)ではない,ことで
                   す。②御製には「見る」と云う語が数多く観
                   られますが,これは,昭和天皇はそのような
                   「気宇の壮大さ」を「見る」と云う語によっ
                   て何気なく,或いは意識して表現されていら
                   っしゃったのではないでしょうか。③字余り
                   の御製も少しはあるようですが,努めて「五
                   七五七七」調を旨とされているように見受け
                   られますことは,私共も肝に銘じる必要があ
                   ると思われます。
 
                    本稿中万一、不正確な表現がありましたら,
                   誠に恐縮でございますが,ご叱責の上,ご指
                   摘下さいますようお願い致します。  SYSOP

 
 昭和天皇御製                      *は歌会始御製


 大正十年
 
 「社頭暁シャトウノアカツキ」
*とりがねに夜はほのぼのとあけそめて 代代木の宮の森ぞみえゆく
 
 大正十一年
 
 「旭光照波キョククワウナミヲテラス」
*世のなかもかくあらまほしきおだやかに 朝日にほへる大海の原
 
 大正十二年
 
 「暁山雲アカツキノサンウン」
*あかつきに駒をとどめて見わせば 讃岐の富士に雲ぞかかれる
 
 大正十三年
 
 「新年言志シンネンノココロザシヲノブ」
*あらたまの年をむかへていやますは 民をあはれむこころなりけり
 
 大正十四年
 
 「山色連天サンショクテンニツラナル」
*立山の空に聳ゆるををしさに ならへとぞ思ふみよのすがたも
 
 大正十五年
 
 「河水清カスイキヨシ」
*広き野をながれゆけども最上川 海に入るまでにごらざりけり
 
 昭和三年
 
 「山色新サンショクアラタナリ」
*山山の色はあらたにみゆれども わがまつりごといかにかあるらむ
 
 昭和四年
 
 「田家朝デンカノアシタ」
*都いでてとほく来ぬれば吹きわたる 朝風きよし小田のなか道
 
 昭和五年
 
 「海辺巌カイヘンノイハホ」
*磯崎にたゆまずよするあら波を しのぐいはほの力をぞおもふ
 
 昭和六年
 
 「社頭雪シャトウノユキ」
*ふる雪にこころきよめて安らけき 世をこそいのれ神のひろまへ
 
 昭和七年
 
 「暁鶏(奚+隹)声アカツキノケイセイ」
*ゆめさめてわが世を思ふあかつきに 長なきどりの声ぞきこゆる
 
 昭和八年
 
 「朝海アシタノウミ」
*あめつちの神にぞいのる朝なぎの 海のごとくに波たたぬ世を
 
 「一年前のことを思ひいでて鈴木侍従長をして白川大将の遺族に贈れる歌」
 をとめらの雛まつる日に戦をば とどめしいさを思ひ出でにけり
 
 昭和十年
 
 「池辺鶴チヘンノツル」
*楽しげにたづこそあそべわが庭の 池のほとりや住みよかるらむ
 
 昭和十一年
 
 「海上雲遠カイジャウクモトホシ」
*紀伊の国の潮のみさきにたちよりて 沖にたなびく雲をみるかな
 
 昭和十二年
 
 「田家雪デンカノユキ」
*みゆきふる畑の麦生ムギフにおりたちて いそしむ民をおもひこそやれ
 
  昭和十三年
 
 「神苑朝シンエンノアシタ」
*静かなる神のみそのの朝ぼらけ 世のありさまもかかれとぞ思ふ
 
 昭和十四年
 
 「朝陽映島テフヤウシマニエイズ」
*高殿のうへよりみればうつくしく 朝日にはゆる沖のはつしま
 
 昭和十五年
 
 「迎年祈世トシヲムカヘテヨヲイノル」
*西ひがしむつみかはして栄ゆかむ 世をこそ祈れとしのはじめに
 
 昭和十六年
 
 「漁村曙ギョソンノアケボノ」
*あけがたの寒きはまべに年おいし あまも運べり網のえものを
 
 昭和十七年
 
 「連峰雲レンポウノクモ」
*峰つづきおほふむら雲ふく風の はやくはらへとただいのるなり
 
 昭和十八年
 
 「農村青年」
*ゆたかなるみのりつづけと田人らも 神にいのらむ年をむかへて
 
 昭和十九年
 
 「海上日出カイジャウヒイヅ」
*つはものは舟にとりでにをろがまむ 大海の原に日はのぼるなり
 
 昭和二十年
 
 「社頭寒梅シャトウノカンバイ」
*風さむき霜夜の月に世をいのる ひろまへきよく梅かをるなり
 
 「戦災地を視察したる折に 三月」
 戦のわざはひうけし国民クニタミを おもふこころにいでたちてきぬ
 
 「前同」
 わざはひをわすれてわれを出むかふる 民の心をうれしとぞ思ふ
 
 「終戦時の感想」
 海の外トの陸クガに小島にのこる民の うへ安かれとただいのるなり
 (外国と離れ小島にのこる民の うへやすかれとただいのるなり)
 
 「前同」
 爆撃に倒れゆく民の上をおもひ いくさとめけり身はいかならむとも
 
 身はいかになるともいくさとどめけり ただたふれゆく民をおもひて
 
 国がらをただまもらんといばら道 すすみゆくともいくさとめけり
 
 「皇居内の勤労奉仕 二首」
 戦タタカヒにやぶれしあとのいまもなほ 民のよりきてここに草とる
 
 「前同」
 をちこちの民のまゐきてうれしくぞ 宮居のうちにけふもまたあふ
 
 「母宮より信濃路の野なる草をたまはりければ 二首」
 わが庭に草木をうゑてはるかなる 信濃路にすむ母をしのばむ
 
 「前同」
 夕ぐれのさびしき庭に草をうゑて うれしとぞおもふ母のめぐみを
 
 昭和二十一年
 
 「松上雪ショウジャウノユキ」
*ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ 松ぞををしき人もかくあれ
 
 「戦災地視察」
 国をおこすもとゐとみえてなりはひに いそしむ民の姿たのもし

今日はここまでとさせていただきます。

昭和の陛下の、徹底的圧倒的な、私心の無さ。



「終戦時の感想」のなかの

 「皇居内の勤労奉仕 二首」

 戦タタカヒにやぶれしあとのいまもなほ 民のよりきてここに草とる
 
 「前同」
 をちこちの民のまゐきてうれしくぞ 宮居のうちにけふもまたあふ








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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

プロフィール

KUONの久遠

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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・