KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

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センチメンタル

私の無知無策のせいと思いますが(機械のことがさっぱり判らん)、、ブログの画面が、文字の大きさなどが、うまいことならないのです。

お見苦しくてごめんなさい。

明日は養父の年祭で、ブログは休ませていただきます。

お返事遅れていてごめんなさい。


今年はじめて詠んだうた。

   夜にかけて降り積もりたる雪の野を行けども君の灯す窓無し

   雪の積む庭に放てばムク犬は驚きて跳ねやがて駆け出づ

   くたびれし胃の腑におくるたっぷりの水菜昆布だし餅はひとかけ

   細き目の光は強きひとなりき雪に籠りて便りもあらぬ

   大寒の夜を一人寝のかのひとの夢凍りゐむ猫は逝きたり

   


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  1. うた日記
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感傷的でいい。



今年の歌会始の詠草、おうたについて、やはり書かせてもらいたいな~の思いがありまして。

陛下の御製については「邯鄲」という言葉にからめて、前日に少し書きました。


   邯鄲の鳴く音聞かむと那須の野に集ひし夜をなつかしみ思ふ


那須の御用邸での一夜、みな集まって外に出て、邯鄲の鳴く音を待って過ごした。あの夜は楽しかったなあと、なつかしく思う、とうたっておられる。

今は陛下は、お疲れなのでしょうか。

およそ十八年ほど前の、静養の地での一夜。

陛下は、どうしてこんなに深くお疲れなのか。どうして、と、あえて言葉を置くのは、KUONの意地の悪さ。

普通のお方でない陛下にこれを申し上げるのは、不遜でございましょうが、普通のひとなら今、追い詰められている感覚は、覚えられるのではないか、という気も、しますゆえ。

しないか、そんな気持ち。天皇でいらっしゃいますものね。

まだ表面上は(いまよりは)平穏だった皇室の、長として、(今よりは)敬われておいでだった頃のことなのですね。

「邯鄲の夢」「一炊の夢」・・・深読みに過ぎるでしょう。


   土筆摘み野蒜を引きてさながらに野にあるごとくここに住み来し


こうごうさん。この方は、ほんとに、何なのだろうか。

ご自分のための豪奢三昧が目立って、皇室は質素に、なんてセリフがまるまる嘘だったとバレてしまっています。

何より、昭和天皇が、災害が起きた時に人々が逃げ込める場所になればいい、と仰せになり(そんなことが可能か否かは別として)、雑木林の風情そのままを愛でられたその場所に、必要以上の贅を凝らした御所を建てた。

そこに住みながら、なにゆえかお尻の落ち着かない風に、お出かけばかりしている。見るたびに違うセンスのおかしげな服を着ている、その方が。

まるで野にあるごとく。草や花を友として。静かな真摯な暮らしを、ながく、ここで、して来ましたのよ、と。

白けると言って極まりなし。

世界の美食を征服し尽くして、やはり炊き立てのメシがいちばん美味いよなあ。そういう感じで、付き合いで来てしまって1700円のランチにビビるヒトに向かって豪語する人。みたいな匂いも。

大きな災害の及ばない、美麗かつ堅牢なお住まいにおられるのですから、それが事実なのですから、わからなくても仕方ないですね。

どれだけ美智子さん、ひとびとにこころ寄せられても。被災の地から戻れば、毎日お風呂に入って温かい食事のできるお方なのですものね。

仕方がないのは承知です。今まで、さんざん、お優しくいらしたので。つまりこういうことなのよね、と。

読み手(わたし)の気持ちがザットと、さめるのです。わかっていたけどね。


皇太子。


   岩かげにしたたり落つる山の水大河となりて野を流れゆく


一首としては、情景の目に見える、ご立派なおうたと存じます(エラそうなのはわかっとります)。

ありがちな(平凡ともいう)うたでも、欠点は無い(と思う)。

昭和天皇が、大正十五年にお詠みになられた一首は


   広き野をながれゆけども最上川 海に入るまでにごらざりけり 


これです。ナル氏のうたの下に置いて、かつ比較してしまうので畏れ多いのですが。


日本の野を悠々と流れゆく大河。

ナルのうたは山梨県の笠取山とのことですが。

言うまでもなく最上川の源流も、岩かげからしたたり落ちる一滴いってきの水であるわけです。

祖父と孫が、はからずも同じような大きなうたを詠まれた。

ナルは天皇になるつもり、なれるつもりでいるらしいので、一般的にはこの相似は、さすが、とか何とか、世間的には、いい感じをもって受け入れられるのではないか。

という気が、しないでもありません。

ただ残念なことに。

若くして天皇位を継承してしまわれた昭和帝が、どんな御心を以て、野を流れて行く大河をうたわれたか。

私にそのような忖度は不可です。不可ですが、打たれるところとして、

海に入るまでにごらざりけり、

と、お詠みになっておられる、ここです。

実際は大正十五年の御製ですから、即位されたばかり。なりたてホヤホヤの天皇であらせられた。

そのシチュエーションでのご決意が

「海に入るまで・・・自分のつとめの終わる時まで・・・濁らずありたい、あろう」

と。自分は、つとめて、濁らないで行こう、と、うたわれているところです。

濁らざりけり、と、そうであった、と、過去形のごとくうたっておられるのは、未来の、そうあるご自分を想定してのことか。

本当に強いご決意だったのでしょう。

・・・・・・言いたくないが(でも言う)ナルさん、今でもう十分、すでにたっぷり、濁ってる。

濁っているどころか。ヘラヘラしているからつい、そうでもなさげに見えますが。

ヤフオク事件を筆頭に、こってこて、浄化不能、くらいの濁り方で。

とても、昭和の天皇さまとは比較になり得ません。

私が勝手に比べてしまったのですけど。

謝らないよ、ナルちゃん。あなたふさわしくない。


雅子。


   那須の野を親子三人で歩みつつ吾子に教ふる秋の花の名


はい。うたも嘘ばっかりだと思います。

そんな情緒のある女ではありません。目に見えることにしか興味なく、形のあるもの以外は認めません。

皇室のイメージ(あくまで今までの皇室へのイメージ)の正反対にいるものです。

子を見るからと、それを錦の御旗にかざして、妃殿下としてのつとめをサボり続け、あげくの果てがあの、被虐待児の姿です。

まさこにとって関心のあるのは「親子三人」こういうこと。実家は言うまでも無し。

実家と自分のご亭主と、思うようにならないと愛おしいより腹の立つ度合いの方が大きいが、とにかく「吾子」。これしかないひとを、皇后とは呼びません、私は。

鬼子母神のように。わが子のために人の子を食った、そういう「愛情」、一般的には拒否されるような愛情でも、感じられれば、ここまで雅子さんを否定できないと思うのです。

それも無い。吾子よ、と取り繕いながら、いっぺんの愛情も感じられない。

公人としてのたしなみで、などと言う庇い方の通用しないこのひと。

ずっと引っ込んでいて下さい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

思うがままに書かせていただきました。

華子妃のぶれないおうたもすばらしい。

秋篠宮さまご一家については、今はあえて、中途半端には触れないでいたいので失礼します。

誠実なご一家らしい、皇族のおうたらしいことに、感銘を受けました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


この歌会始の選者のお一人の、永田和宏氏の一首も紹介されていました。


   野に折りて挿されし花よ吾亦紅あの頃われの待たれてありき


この方を、いつもはすきでもないのです。

学者さんとして優れて高名な方で、短歌の世界でも優れて高名な方、奥さまも優れて高名な歌人でいらして、息子さん、娘さんも、歌人として独り立ちしておられる。

私は、実は嫉妬深くもあり、自分より遥かの高みにある方を、ちょっと横目で見てしまうところがあるのです。ひがんでしまうのです。

ご夫婦立派で、言うこと無い方には、近づきがたい思いを持ってしまう、へたれです。劣等感のなせるワザと、わかっているので恥ずかしいのですが、そうなのです。

そんな近寄りがたい永田さんのおうたに、このたび、ずん、と来たのです。

「野に折りて挿されし花」・・・これは、永田氏ではなく、誰かが折って、無造作に挿した花、なのです。花ばさみで切ったのでなく、ポキンと折って、と書いてあるのです。そしてひょいと、花器に挿された花。

吾亦紅。われもこう。ツクシンボを赤く染めたみたいな見た目の、華やかというのではない、花です。

その吾亦紅の、特別な感じでもなく、そこにある家。さりげないこの情景をおいて、そのまま

「あの頃われの待たれてありき」とたたみかけられています。

あの頃、自分は、待たれていた。待ってくれる人がいた。待ってもらっていたのだった。

・・・永田氏の奥さまは、河野裕子さん。ファンのとても多い歌人でいらした。ご夫婦とも、大のつく歌人でおられる。

その河野裕子さんは、2010年に癌で亡くなりました。

しみじみとした柔らかいこころ、やさしい方でした。

   手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

                                    (『蟬声』辞世)


はじめ「花よ」の、この「よ」が感傷的かな、などと思ったのですが。この「よ」は、愛する夫人を先立たせた男性の、なんともいえない悲しさ淋しさの「よ」なのだなあ、と、後には、思い直したのでした。

それに。感傷的でもいいじゃない。

うたは、うったえ。

蛇足ながら「吾亦紅」の花言葉を。

物思い、愛して慕う
感謝、変化
移ろいゆく日々






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鉄塊錆びて

30年近く前にハワイへ行きました。

タクシーをチャーターして、いちばん行きたかったところ、真珠湾へ行きました。

ドライバーはサワイさんという日系人の男性で、はじめ黙りがちだったのですが、そのうち戦争中の話などして下さり、大きなカップのコーヒーを前に話し込んだりし(ご馳走になりました(笑))、ずいぶん親切なガイドをして下さいました。

あれこれ思い出しますが。

その後に詠んだうた。幾つもありましたが、忘れてしまいました。


   真珠湾の海底に戦艦アリゾナが透けて見ゆるなり錆びし鉄塊

   トムやジョン太郎次郎も戦ひに散らせしいのちはおのおの一つ



わたしは難しいことはわかりませんが、今朝、テレビで安倍首相の姿を拝見していて、安倍さんでよかったと思っていました。

安倍首相、お体に気をつけて下さいと、心に念じていました。


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   日本の首相の撒ける花びらがパールハーバーの海面に朱き






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さんこつ




  わざわざに桜見たしと若き日に思はざりけり花の道ゆく


  雪柳 白木蓮を見てきたる目を細め視る万朶の(ばんだ)の桜


  遠き日の遠き訣れに降りゐしは雪なりしかも花の坂ゆく


  若き吾がいらだちて見ぬ青き空 光 黙して咲きゐる桜


  葉桜へ移りゆくさま巨大なるドミノ倒しの図柄のごとし


  花の季終わればそこにらんまんの花咲きしこと忘れて通る


  子がもとへ身を寄せし姉らんまんの桜の下に今年は居らず



  春祭り明日よと母の言ひ出でぬ六十年前に離れし故郷の


  相続のもつるるままに放置さるる故郷の家をこの頃云はず


  ふるさとを母は持てどもふるさとは母にとりても夢にゆく土地


  末娘わが家に老いて引き取られ庭に小さき花花咲かす


  留守居する老母と老ゆるシャム猫と昼餉、おやつも器ならべて


  いま一度会ひたしとまた葉書来る八十四歳の母へ友より


  母のゐてゆふべの窓に吹き鳴らすハモニカの曲古きメロディ


  自転車をぐいぐい漕ぎし母なりき夜半はばかりに擦り足にゆく


  今になほ父よ母よと恋ふ母にまことあの世とやらのあれかし


  さやうなら齢かさねて思ふこといつか逢はなむくにのあること


  この母と映画見しことただ一度ありき忘れじよ「一握の砂」


  わが母の育ちし村の夕映への山に向かひてブランコを漕ぐ


  そろそろと母の肩の辺庇ひゆく比叡おろしの吹き来る町を


  ふるさとの小川の橋ゆ蒔く母の遺骨ひとつまみ 山は夕焼け


   




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春をさまよふ


緋毛氈を撫でひろぐるに没頭し春宵の冷ゑを忘れてゐたり


浅春の壇上にいま並びます女雛男雛の頬にほふがに

 
純白のうなじ清けく燭に照る官女雛(ひひな)の切れ長の目(まみ)


ひとりづつ名など与へて添へてゆく五人囃子に太鼓を笛を


真向へば気圧(けお)さるるまで妖しかりうす闇の中に笑まふ雛(ひひな)の


はなやかに雛まつるもはらはらと胸の底(そこひ)に雪は降り積む




捨てられし雛(ひひな)のゆくへ想ひをり海底のごと無音の部屋に


先んじて男雛の没(い)りし波の間に口紅(べに)の褪せたる女雛ただよふ


闇深き夜の海面(うなも)に黒髪の乱れざんばらの雛ただよふ


遥かなり 春の宴も 美(うま)し夢も 暗き波間に雛ただよふ


たれか吾を呼びたる夢の続きかも 呼ぶ一人無きうつつ 醒めゐる


夜の海に雛消えゆく夢に覚め呷(あふ)るこの水のどに冷たき


膝の上に市松(いちま)人形を抱き上げすこし乱るる髪を撫でやる


泣き市松の冷たき頬を手に撫でて思ひは遠き春をさまよふ








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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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