KUONのブログへようこそ。

ブログタイトル変えました。中身は変わらずKUONです。

パックマン(ごめんなさい・汗)



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正田美智子さんが胸の前に掲げているこの花は、何なのでしょう。

ええと。

花、むき出しでこう、持たれますか、

花、弱るのではないでしょうか、既に、弱っていますか。




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皇太子妃として、第一親王をあげられた美智子さん。


2月23日にご誕生のナルさんの退院時です、まだ外は寒い頃でした、しかし、車の窓を全開にして、未来の天皇を、沿道の皆さまに「見せてあげた」

ミテコさんなのでした。

…初めてあかちゃんを生んだ女性は、ホルモンの関係や精神的な高揚感で、たいへん美しくなる、とは、巷間、言われること。

あまり好きな言葉でないですが「母性の耀き」とか、そんな類の形容がなされがち、な、産後の、皇太子妃。

私の、いま改めて見直しての、今の思い。

こわい、きつい、顔してはるなあ。

ううう、言いにくいです(芝居がかってごめんなさい)、、← これ、かわい過ぎるけど、← こんなん、憑いてる気が、します。

私感です。私感の実感。


人の言うこと聞かない方ですよね、きっと。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

かつて記事にした「美智子さまの恋文」橋本明氏のご著書の中の、一部分。


昭和35年1月。ご成婚の翌年、第一子(浩宮)をご懐妊中の美智子さんの書かれたこと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「本当に私はさしあたって赤ちゃんのことが心がかりでなりません。手元で育てさせていただくとすれば、それはもう皇后さまのお時代と違う形をとることになってしまいますし、それから乳母(めのと)の問題もーー。

東宮さまは二人で皆に話せば大丈夫と固く仰せくださいましたが、その実現もまだ心がかりでございます。

そしてそれと同じくらい、それによって起こる波紋を私はとても心配しております。

 別に誰にも言わずに、黙って私がお乳をあげて育ててしまうなどということは出来ないのでしょうか。そういたしましたら誰もそれをとりたてて言う人もおりませんし、黙って目立たずにすれば、ずいぶん波立ちが違いましょう。

それからこれは大切な、東宮さまからも時々ご注意いただきたいことでございますが、私はいつも心の中で、皇后さまがお許されにならなかったことをさせていただくことへの感謝を忘れないようにいたします。

 本当にどんなに静かにしたところで、お傷つきになられますでしょう。それが申し訳ないことと身に染みて思います。両陛下さえ誰が育てたなどとお考えにならないうちに、赤ちゃんが五つくらいに育っていたら・・・・・そして、それが夢のようなことならば、せめて新聞の方たちだけにでも伏せておけないことでございましょうか。

 それでも東宮さま、私たちはどうしても‘家庭‘を持たなくてはいけないと思います。そしてその家庭は、家族が愛しあうということにおいてだけは、きっとどんなに幸福であってもいけなくはないのです。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上、引用です。

↓ のような部分も、この本にはあります。




「同級生でありながら通信社記者という微妙な立場に立っていた私は」

と橋本氏は書いている。

「東宮との間に結んでいた公私厳守の紳士協定を一方的に破棄し」

「国民に真実を知らせる方を優先させた結果だ」

と。

インタビュー記事が出た2日前、クラス会で会った氏に、皇太子は率直な気持ちを述べたのだった、と、書いてあります。

>宮内庁に配慮しながらも、自身を語ったことについ「国民によく知ってほしい」と願うようだった。帰り道、私は懸命に考え、東宮を裏切る決意を固めた。

   お喜びの日まぢかに 皇太子、ご心境を語る

   はにかんで‘恋愛です‘結婚生活は公私はっきり

ということだったそうです。

これで著者は、皇太子殿下に怒鳴られ、突き飛ばされ、廊下に放り出され「バタンとドアを閉じたのも皇太子自身だった」

と。


「明仁天皇のあんなに激しい姿は後にも先にも見たことがない」

「元・馬術部主将の明石元紹は後年になって繰りかえし言う」


と、記されています。



>東宮さまは二人で皆に話せば大丈夫と固く仰せくださいましたが、その実現もまだ心がかりでございます。

つまり。

殿下が約束してくださっても心配だわ、私は苛められていますのよ、ほんとにホントに、わたしのため、お腹の子のために、何がなんでも頑張って下さいね、ね、ね、お分かりですわね。

こんなことせがまれたら、せがむ、というか・・絶対にそうしてよ、と、ウルウル見上げられたりしたら、

張り切って、頑張ってしまわれたでしょうね、皇太子さんは。

・・・こんなぶしつけな思いつき、書いてしまうことお許し下さい。

チェリー・ボーイ・イーター。

一夫一婦をお守りになられるようになられ、「清らかな世界」であった皇室において、二代続いて、こんな具合になってしまったのだなあ。

・・・遠い遥かな御代の、さまざまな皇子さんがたのあらゆるありようの恋の歌を、読みながら、もう一度ごめんなさい、いっとき熱心に遊んだ「パックマン」

あの、パックマンの顔が、浮かんだりして。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

読者さまからの 密告 納涼写真です。



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究極のびーち・ふぁっしょん。

どんな時にも、手を! 指先を! 「クネッ」とさせるのは、忘れません、ワタシは、ミ・テ・コ。

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とにかく「イヤ」だったんですね。



詳しく書く気力と時間がいまは足りませんが。

昭和35年に浩宮が生まれた後、38年の3月、宮内庁は美智子妃の二度目の懐妊を発表した。

直後に、ただならぬ症状により東宮妃は入院、胞状奇胎の処理がなされた。

いわゆる「葡萄児」。異常妊娠の一つであって、誰のせいでもない、不妊になるかもしれない予後も含めて、母体にとっては心身ともに苦痛な事態でもある。

経過は順調と発表されたものの、美智子妃は10㌔も痩せてしまった。後遺症の心配はない、今後は何もかも忘れて静養し体力をつけていただく・・・この時のことを、以下にそのまま書き写します。

この年4月11日、宮内記者会に所属する共同通信社社会部の鈴木真一、板垣恭介両記者が、宇佐美毅宮内庁長官と単独会見して、妃の病因を聞いた。とある。p・20~



「見守って下さい。またお元気になられます」

「(妃殿下は)まじめすぎた。きちんきちんと運ばれ立派な妃殿下たるべく努力しすぎた。といって、こちらから『ちゃらんぽらんにしなさい』とは言えませんしね。東宮御所には家来がいっぱいいます。その人たちが善意でああでもない、こうでもないと教えることが、美智子妃のセンスに合わないことだってあります。流産後『皇室の血のためにお前の結婚を涙をのんで認めたが、あんなザマで病気になったのなら我慢のしがいがなかった』と、美智子妃に直接言った人もいましてね。庶民ではありませんよ。だからといって民間の出だから美智子妃がいまのようになった、というのはあたりません」


両記者は互いの目を探り合った、と、ここは続いている。

極度のノイローゼが美智子妃を苦しめたという状況が浮き彫りにされたからだった、と。

美智子さんは19日に両陛下に挨拶をして、転地療養のため葉山の御用邸に向かった。

ここでは「隔離」という言葉が使われている。

>そしてぱったり、あれだけ熱意をもって語られていた「義宮妃選び」の火種がスーッと、消えた。

ともあります。



言うまでも無く、橋本明氏が著者であるこの本は、橋本氏の気持ちのラインが根底にあって、書かれている。でしょう。

読む側では、なるほど、と知らなかったことにうなずきつつ、この書き方はちょっと、とか、首を傾げたりしながら、ということにもなります。

それに少し疲れて来ましたので、しばらく離れようと考えました。

で、感じることを、メモのように、いったん、記しておこうと思います。

・周囲から優等生の扱いを受けて来たひとって、大変だよなあ。

・自分は正しい、と、揺るがないひとも、大変だよなあ。

その他あれこれ、おもうのでありますが。

流産したばかりの女性に向かって

『皇室の血のためにお前の結婚を涙をのんで認めたが、あんなザマで病気になったのなら我慢のしがいがなかった』

とか言ってしまえるってのも、すごいなあ。言われた方はぐっさり残るだろうなあ。

言った方も、思い余って、感がすごかったんだろうなあ。

で。これを書いてしまうと、真面目な方に叱られちゃう気もするのですが。


橋本氏の云う「お濠の向こう」。いっぱん庶民に縁の無い、つまり、皇室とかいわれる、そのあたりで生息して来た、生息を続けている女類の方々には。

GHQなんて言葉は、そんなにも理解できる、理解していた言葉、存在では無かっただろう、と。

戦争に敗けたって、皇族は皇族。生活がどう変わろうが気持ちは変わんない。皇族は皇族。それ以外の何でもない、何にもならない。あったりまえでしょう、そんなの。(笑)。という感じ。

美智子さんが、どういう経緯で入り込んで来たかどうかより、とにかく、気に食わない。不足である。リクツじゃない、このへん。

不満。腹立つ。足らん。

足らん。自分らのそばに入れてやるには、あれは、足らん。

イヤ。

そういうことだったんだろうな、と。

検証とか事実確認とか以前の問題、感情的に、だめ、だったんだろうな、と。

美智子さん、まじめで強情だったし。

内緒で書きますが、本当は(本当に)あまり好かれる方ではないのでは。おおげさだし。思い詰めてうっとうしいし。自分さまだし。


ご主人の何もかも、わしづかみにできちゃったし。

身位は最高。なんてったって東宮妃。そういう世界ですから、ビクトリー、は、みちこさん。だったのですね、

ある時期までは。

ここなんですけどね。ここ。ある時期までは。

この色の文字で書いたこと、こういうことは、形は違えど、オンナ社会には平気であります。

いや。GHQが何をやらかしたって問題については、私なりには考えておりますが。

よくわかったこと。私は「論じて行く」のは苦手で、何もかも足りないのだなあ。

ますます自覚の深まる秋。



・・・・・数日間、ブログはお休みさせていただきます。

仕事の都合です、ご心配はいただきませんよう。

では。

いつもありがとうございます。





その四




.「充分な理解と和が、すでに皇室の方々の間におありになり、また、殿下が私に上がるようにおっしゃったことに強い反対が周囲におありにならなかったのでしたならば、このようには考えないかも存じません。でも今は、波紋を最小限にとどめることを考えなければなりません。そのためには目立たないところにお仕事場をみつけなくてはなりません」

と、入内直前の美智子さんは書いておられたようです。

丁寧そうではあるが、不躾なものいいだと感じるのは、わたしが「姑世代」の女であるゆえか。続いて


「このようなことを伺いました。式の日におぐしあげの油を水で洗い流してはいけないということ。それでも、一方ではおすべらかしを洋髪にすぐ切り替え、ティアラをつける必要があるということ。いままで三笠宮妃殿下方ともオグシにベンジンを浴びるようにかけて油をお落としになり、それがひどいお苦しみで、お倒れになった方もおありでしたと伺いました。私はできるだけ卒倒しないで済むように、そっとベンジンをかけてもらえるようによく頼んでみます。」


他に不安の種は山盛りあるでしょうに。有名な、このことへの心配が綴られています。

感想をはさませていただきますが、美智子さんは(まさこの家も)親戚付き合いのあまり無い家だったのかな、という気がします。大家族と言うより、核家族的な感覚で育った娘さんの匂いがします。

親族縁戚の出入りの多い家ですと、子どもは、えらそうな口のきき方ができにくい気がします。日ごろはそうでなくても、うるさ型の伯父さんや大伯母さんが来られる日は、不要な言葉は慎むように前もってセーブがかかったり。

上記の中に多分無意識にあるように、「三笠宮妃殿下方とも」んどという不用意な言葉は、出しにくいのではないか。

この頃は美智子さんはまだ、東宮の妃でもなく、皇太子の婚約者にすぎない「立場。まして、直宮の妃殿下方は、皇后陛下と足並みの揃った感じで、この婚約を苦々しく思っておられた。

当時の宮妃の感覚で想像してみると、

「お前ごときに、こんな形で引き合いに出して欲しくなどないわ。」

こうであったと、普通に推測できます。倒れた方が、などの記述も、書かれた側の神経にさわったでしょう。

生な俗な姿を感じさせないのが、「皇族の形」の一つだった。

・・子どもの頃から、こういった苦労をさせたくない母親は、諄々と言って聞かせたのではないか。思いも言葉も慎むのですよ、何でも口に出すのではないのよ。

正田家には、そういった空気が無かった、あるいは薄かった気がします。家族以外に気を遣って過ごす時間も、少なかったのではないか。

賢婦人であるとされて来たお母さまの支配下、おそらくりべらるなご家庭だった、父親は立てられるもの、女性は一歩引いているもの、では無かった家庭、むしろそれが、封建的でなくて「いい」みたいな。戦後は特に、そう、だったみたいな。

私感ですが、そういう家って、息子や娘が結婚する・・家族の中に他人が入り込んでくる・・までは、うまく回っていることが多いようにも、見て来た気がします。ある意味、かかあ天下は一家の平和の基本、のような面もあり。お母さんのキゲンがいいと、おとーさんも、楽。

美智子さんの母親は、皇室からの使者に対して

「あちらさん」

との言葉を使ったひと。天皇を敬うようには育てて来なかった。との放言も記録されている。

だからなのか、生まれつきのご資質なのか。呑気に、というか。何というか、ひたすらベンジンに拘る美智子嬢でした。下記のごとく続いています。

「目もぎゅっとつむって、息も長いこと止めておいて、時々ふっと呼吸すれば私はきっと大丈夫だろうと思います。」

わたしKUONの感覚では、これを、ブリッコぶり、と、呼称します。こういったモノ言いは、フィアンセである殿方には、さぞや「可愛い」「愛しい」ものであったかな。

まあ。お若いお二人、勝手に幸せになられればいいようなものですが。ふつーの能天気カップルならば。

皇室には、これを「かわいいみちこちゃん」と感じられない女性方が、どっさりと、いらっしゃったので。

                                   p・215~216


ここを書き始める前に、もう少し写しておくべき場面があるのはわかっているのですが。

あまりに濃いので、だーっと行けません。

このところを、先に、フェイント気味と知りつつ、書いてしまいます。

著者・橋本氏は、言ってみれば皇族のどなたにも、つながるものをお持ちだった記者さん。

その方がこう書く。

「皇太子が実際には天皇に次ぐ第二位の身位を保持する皇室にありながら、その空間の大部分を敵に回したのだろうか。皇太子を守り、高潔な理想を掲げる人々が皇太子の近代像に違和感を覚え、伴侶に悪意を抱く。大変なことになっているーー。

そんな実感がひたひたと押し寄せて来た。

皇太子が実際には交流していかなければならない勢力ともいえるいわゆる藩屏が、ご成婚に背を向けているとしたら、どのような事態が起こるのか。天皇に最も近い皇太子が民間から妃を選んだ事実について、「これでは東宮さまがおかわいそう」とな何を意味してくるのだろうか。


「今度のご結婚では東宮さまがおかわいそう。あまりにも」

と、著者に言われたのは、松平信子さま。

かくして橋本氏は、「再び松平家をたずねた」。

あらかじめ来意を告げ、許可を得てのことだったと。

「美智子さんのお妃教育に精を出されていますね」

「決まってしまった以上、なんとか格好をつけなければと考えたわ。微力を尽くして少しでも皇室内での立ち居振る舞いをこなせるよう、お教えするのが大事だと考えました」。

「ご苦労さまでした。それで、生徒の方はどのような姿でしたか」

[ご返事が、ねえ、なってなかったの。うつむいて声が通らない。意思表示がはっきりしない。ハイとお答え遊ばせ。私は強く申し上げたわ」

作法は形からといわれる。言葉も当てはまるようである。はじめに言葉ありきなのだ。  と、橋本は書く。

この場面辺りには貴重なことばが散りばめられているが。今夜は略させていただきます。

松平信子。梨本伊都子の実妹であり、秩父宮に娘・勢津子を嫁がせた、生まれながらの「お姫さま」、ご夫君をしっかりと支えた面もお持ちだった。

写真で見るイメージは{お姫さま」の感じより、気迫を感じさせる方。

常磐会の会長であり、

「上流階級子女に作法を教授する姿勢において、誰よりも苛烈かつ俊敏だった。

と、こうも橋本氏は書いておられます。

「長年にわたり私の目には常に偉大な女傑と映り、怖い存在ながらひどく魅かれる女性でもあった。」

とも。

橋本さんはいい、そういうお家の出であり、学習院の出で。と、思う方もあるだろうと思う。私もそう思う。

「松平信子がしっかり胸に抱いた基準は、美智子妃が東宮殿下のお荷物になってはいけないという一点に絞られていた

                                     p・69~73

これは、とてもよく判ります。でも美智子さんには、どんな感じだったのでしょう。

怖かった。ビビった。太刀打ちできなかった。

まさか、苛められた。などとは、お感じにならなかったですよね?。

わかりません。と、書いておきましょう。









その三




けれど美智子さまが、大変な中へ入って行かれたことは、事実だったと。

感じ入らないわけには行きません。

橋本氏が書かれている限り、昭和の皇太子は、ご自分の「理想の女性」ともして、正田美智子さんを迎えることに懸命でいらした。

エピソード豊富ですし、美智子さまは、自分はその任を果たすにふさわしくない、と、苦しみ悩まれたとも、ここにはあらわされています。今どんどん言われているGHQがどうのとは、この本には書かれていません。そこのところは、ただいまはとりあえず横に置いておくこととして。

大きな問題であった美智子さんの「洗礼」については、

>皇太子の意を十分に受けた宇佐美長官は11月27日午前10時、皇居で開かれた皇室会議に臨んだ。冒頭、議長席から岸信介首相は宇佐美長官に質問を向けた。
「正田美智子さんとキリスト教との関係であるが、洗礼を受けているのではないのか」
鋭く説明を求める内容だった。
長官は居ずまいをただし、静かな口調で申し述べた。
「聖心女子大学を卒業された正田美智子さんは、洗礼を受けておりません」


首相はそれ以上発言しなかった、とあります。他の議員も皇族議員も特に意見を開陳する動きは見せなかった。会議は

「日清製粉会社代表取締社長正田英三郎長女美智子を皇太子妃に迎える」との議案を満場一致で承認した。皇室との整合性は「受洗せず」との一言で整った感じだった。報告を受けた明仁親王はハードルを越えたとの確かな実感を覚えた。

翌34年2月10日、国会の衆院内閣委員会に岸首相、赤城宗徳官房長官が出席し、東宮妃選考過程についての経過説明会が行われた。それに先立つ6日の内閣委員会で宇佐美長官は委員から激しく突っ込まれていた。とあります。

「テニスコートで見染めて、自分がいいと言うたならば、ここにいる代議士さんの子どもたちと変わらんではないか。これが果たして民族の象徴と言い得るかどうか」

長官はこれを否定し、

「宮内庁が責任をもって選んだのでありまして、軽井沢で恋愛が始まった事実はない。テニスを一、二度なさttのは事実ですが、それ以上の交際があったわけではもちろんございません」

「宮内庁が正田美智子さんを選んだほうが、皇太子が美智子さんに愛情を抱くようになったのより早かったのです」


皇室民主化もいいが、一般家庭のムスコが好いた女性と結婚するのと全く同じ行動を皇太子がとって、皇室の尊厳というものが保てるのかと吹きかけられ、ことさらに「見合い説」を強調した形で。と、書かれています。

恋愛は軽薄あるいは「ふしだら」という捉え方で、決して異なる人格が寄り添うための媒体とは考えない。これに対する宮内庁側答弁も委員質問に媚び同調した形であった。と、書いてあります。

「皇太子殿下の慎重なお考えと当局の客観的な調査とが完全に一致し、かつ両陛下のお許しを得て成立することが必要だが、事実その通りに進行した。正田家の内諾を得たのは11月13日だった」   

赤城官房長官もそう答弁している。


「いったい真実はどちらなのだろう」

とまどう国民を前に4月8日、東宮自らの発言を基にしたインタビュー記事が共同通信加盟社の誌面を飾った。

「東宮さまのご結婚は憲法規定にある通り両性の合意による「もので、愛情を基礎にしたもの」

という趣旨が貫かれていた。


執筆したのは私である。と、著者・橋本明は書いている。
                                      p.59~62。

「同級生でありながら通信社記者という微妙な立場に立っていた私は」

と橋本氏は書いている。

「東宮との間に結んでいた公私厳守の紳士協定を一方的に破棄し」

「国民に真実を知らせる方を優先させた結果だ」

と。

インタビュー記事が出た2日前、クラス会で会った氏に、皇太子は率直な気持ちを述べたのだった、と、書いてあります。

>宮内庁に配慮しながらも、自身を語ったことについ「国民によく知ってほしい」と願うようだった。帰り道、私は懸命に考え、東宮を裏切る決意を固めた。

   お喜びの日まぢかに 皇太子、ご心境を語る

   はにかんで‘恋愛です‘結婚生活は公私はっきり


ということだったそうです。

これで著者は、皇太子殿下に怒鳴られ、突き飛ばされ、廊下に放り出され「バタンとドアを閉じたのも皇太子自身だった」

と。

p・65

「明仁天皇のあんなに激しい姿は後にも先にも見たことがない」

「元・馬術部主将の明石元紹は後年になって繰りかえし言う」

と、記されています.
                                      p.66

・・・・ 明仁天皇、と、表記されるのですね。(今回のKUONの感想)。 

・・・・・祖父母の代からカトリック信者、それも筋金入りと目されるおうちの、長女でいらして、ずっとその方面の学校を経ておられて。

洗礼を受けていないと聞けば、普通に「なぜ?」と疑問がわきます。

よほど強い拒絶の思いがおありだったか。しかし、マリアの扮装をなさったり、結婚式の前にヴェールを戴いた写真を撮らせたり。不思議なお方だなあとは、感じます。

幼時洗礼を受けておられると聞く方が、腑におちる状況です。

ただ、いずれ触れるでしょうが、胞状奇胎の手術の後、ずいぶんおやつれになり、ずいぶん儚げで美しい、と思われるお姿で、「伝献」をなさった折に、

「・・・するには勇気が無かったのです。村井さん、わかってください」

                                                 p.25

と、うめきに似て口にされた。

その「・・・・・」が、俗物のKUONが初めに思った〇〇でなく。

その、洗礼のことであったようなことを、この本の中のどこかで、読んだような。気が、しているのですが。

どちらにしても、答えは、二つの内の、一つ。大きなひとつでしょう。

クリスチャンは嘘をついてはいけないそうな。

まさか嘘ではございますまい。

俗物は、このようにも、考えてしまいます。











その二




順不同で、と初めに書かせていただいたので気が楽です。

今日は、p・217~からの部分を書きうつします。

昭和35年1月。ご成婚の翌年、第一子(浩宮)をご懐妊中の美智子さんの書かれたこと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「本当に私はさしあたって赤ちゃんのことが心がかりでなりません。手元で育てさせていただくとすれば、それはもう皇后さまのお時代と違う形をとることになってしまいますし、それから乳母(めのと)の問題もーー。
東宮さまは二人で皆に話せば大丈夫と固く仰せくださいましたが、その実現もまだ心がかりでございます。
そしてそれと同じくらい、それによって起こる波紋を私はとても心配しております。
 別に誰にも言わずに、黙って私がお乳をあげて育ててしまうなどということは出来ないのでしょうか。そういたしましたら誰もそれをとりたてて言う人もおりませんし、黙って目立たずにすれば、ずいぶん波立ちが違いましょう。それからこれは大切な、東宮さまからも時々ご注意いただきたいことでございますが、私はいつも心の中で、皇后さまがお許されにならなかったことをさせていただくことへの感謝を忘れないようにいたします。
 本当にどんなに静かにしたところで、お傷つきになられますでしょう。それが申し訳ないことと身に染みて思います。両陛下さえ誰が育てたなどとお考えにならないうちに、赤ちゃんが五つくらいに育っていたら・・・・・そして、それが夢のようなことならば、せめて新聞の方たちだけにでも伏せておけないことでございましょうか。
 それでも東宮さま、私たちはどうしても‘家庭‘を持たなくてはいけないと思います。そしてその家庭は、家族が愛しあうということにおいてだけは、きっとどんなに幸福であってもいけなくはないのです。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

20代半ばの美智子さんの思い。

美智子さんは、夫である東宮さまを信じ、その東宮さまの言って下さる言葉を信じた。

「二人で皆に話せば必ず大丈夫」

これを。

現実には、ご夫君が愛妻のために、頑張られたのだと考えてしまうのですが。

美智子さんには皇后陛下がコワかった。何でコワいのかわからないまま、こわかった。おそらく。

困ったもんだ。

読んでKUONが感じたこと。

初めてのお子を授かってあれこれ、想うことが多々おありだったのは、理解できます。が。

自分のもうすぐ産む子は、自分と、まい・だーりんである夫君にとっての「可愛いベイビー」というだけの存在ではない、そこの、根本的に根っこのところが、わかっちゃいなかったのだなあ、ということです。

書いてある内容、何言ってるんだ、お妃さま。

で。

この方が、この数か月後に、あのうたを詠まれた。

  あづかれる宝にも似てあるときは吾子(あこ)ながらかひな畏れつつ抱く


手元で育てたい思いは、叶ったわけでした。

思い通りになったのでした。

・・・世に知られている、この赤ちゃんが「いずれの天皇」であることへの畏れ、という解釈とは、わたしの中で違って来ます。違ってくるというより、初めから、そうでないかという感はありました。

初めての子を得た若い母親の、気持ち。触れたら汚してしまうのではないか、この足の裏が、いずれは汚れてしまうのか。

惜しい、もったいない。そんな感覚をもつ母親はなんぼでもいる。

ヤンキーなお母ちゃんでも、わが子を「宝物」と感じる、しっかりしなくちゃ、とも決意したりする。

世界中のお母さんの、気持ち。つまるところ、普遍的なそれ。

うたの先生は、そこのところをとても意識して、元のおうたを、この形につくりあげられたのではないか。.

日本で一、二とうたわれる歌人が、美智子さまのうたの先生でいらしたのです。

うたは、なおされて世に出ることが多いのは必要に応じての、常識。なんらの問題は無い、ナッシングです。

美智子さんの御歌は、本当に素晴らしいものが多いのですが、最近では私は、ご本人より御歌が遥かに、上、行っている気がしてならないので、こんな失礼なことも書いております。本当に、怒られそうなこと、書いてしまいました。でも、

前記の一首も、世の人びとは、最上級の受け取り方で受け取ってくれました。ので。めでたし。(か?)








     





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としどしに わがかなしみは ふかくして 

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やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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