今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

ご立派でいらっしゃいましたよ。ってか。

1460103265988.jpg6月16日は、昭和の皇后、香淳さまの命日。平成12年(2000年)、97歳でご逝去。

その日はわたし予定があって書けないみたい、で、いま少し、取り上げさせていただきます。

その折りの今上の追悼の辞。


崩御を受け、今上天皇は以下の御誄(おんるい:追悼の辞)を述べた。


「明仁」謹んで御母皇太后の御霊に申し上げます。

在りし日のお姿や明るいお声は今もよみがえって日夜心を離れず、思い出は尽きることがありません。哀慕の情はいよいよ胸にせまるものがあります。
ここに、霊柩を殯宮にお遷しして、心からお祭り申し上げます。

   今上天皇   2000年(平成12年)6月29日、殯宮移御後一日祭の儀において



「明仁」謹んで御母香淳皇后の御霊に申し上げます。

昭和天皇の崩御あそばされてより十一年、吹上大宮御所にお過ごしの日々が穏やかにして一日も長からんことを願い、お側近く過ごしてまいりましたが、この夏の始め、むなしく幽明界を異にするにいたりました。
在りしの日のお姿を偲びつつ、櫬殿に、また殯宮におまつり申し上げること四十日、ここに斂葬(れんそう)の日を迎え、葬列をととのえ、昭和天皇のお側にお送り申し上げます。お慈しみの下にあった去りし日々を思い、寂寥は深く、追慕の念は止まるところを知りません。誠に悲しみの極みであります。

    今上天皇   2000年(平成12年)7月25日、斂葬の儀 葬場殿の儀において

こういうものは「ご挨拶」ですので、追慕とか悲しみの極みとか、今上が使っているそういった言葉にも、特に不思議な感じはありません。書かれたのもご本人ではなく。

ただ。知らないことだったからか、「明仁」と名乗っての挨拶であることが、斬新な驚きではありました。

忘れないうちに書いておきます。

まさこは、このご葬儀に「夏バテのようなもの」で、出ませんでした。


晩年の長いあいだ、香淳皇太后は表に出ておいでになりませんでした。

昭和天皇が崩御されてから12年、吹上の大宮御所に、ひっそりと身を養っておられた。報道に際しては「老齢特有の状態」とされたのは、つまり、認知症のこと。それはけっこう早くから患っておられたようです。

実際、加齢に添って現れて来ることであって、隠すことも恥じることでも無いと、私は、思います。

何をどうしてもなさらなければと言うお立場でもない。花を愛で空飛ぶ鳥を愛で、とお過ごしでいらっしゃればよかっただけのこと。日本画、組み紐、書をたしなまれた皇太后さま。

言い方はなんですが、お暮らしに何の不安も無い。そばに何人もの人もおられて、静かな老後をお過ごしであった、と、なればよかったのですが。

いや、事実はそうだったと思います。

腰を圧迫骨折されて歩行が難しくなり・・・どっしりしたお体でしたから、外科的な処置が効いたかどうか・・・自戒をこめて・・・。。

寝たきりのお暮らしでも、すでに周囲への関心も薄れてのことなら、ご本人にお辛い自覚のおありだったかどうか。

介護の手は足りていた。手の足りていない高齢者は大勢おられます。


美智子さんへの反撥から、香淳さまへの過度な持ち上げ方をされる向きがあるように思われ、私は、それに、馴染めない。

激動の生涯でいらした昭和天皇の皇后として、大きなかけがいの無い存在でいらしたのは事実でしょうが。

でも。ごくふつうの「皇后陛下」だったのでは、と、思ってしまうのです。

美智子さんのことは大嫌い、大大大嫌い、そんな呑気なものでなく、捨て置いていいものなのかどうか、歯噛みするような思いを向けていますが、でも少し違うな、ということに、触れたいだけのことです。

美智子擁護、とか、まさか、言われないですよね。いいですけどね。(笑)。あのひと(美智子さん)に、あの頃はそんな力は無かったはず。今は別。

で。その香淳さまが書かれたあるもの、について。


今城誼子に賜る

 苦労をかけて気の毒でした。
大宮様より伺つて居りました通り誠実な人でした事を証明します。
お上の御身を思ひよくお仕へ申し私の為にも蔭になり日向になりよく尽してくれました。
この度御上にざんげんする者あり残念なことですが、
退職させる様な事になりましたが良き時期に再任します。
外に居ても気持は今まで通り頼みます。
大変勝手なことですがよろしく頼みます。

  昭和四十六年六月三十日
        良子(拇印)

手紙には次の二首の御歌も添えられていた。とのこと。

感想を許されれば、この「拇印」に違和感がありました。


 神々も守りますらむ大君につくしし人に幸多かれと

 己が身を忘れて我につくしたる人の身の上幸あれかしと


やんごとないお方、疑うことを知らず育った方が、信じて頼っていた女官を、天皇までが辞めさせよと仰せられた。

香淳さまとしてはお辛く悲しく、御歌も、その思いがほとばしったものだったか。

これ、入江侍従は、天皇までも巻きこんでいた。神がかりの魔女がいなくなれば、宮中のごたごたにも決着がつく平和になるなど、吹き込んだと言われています。

入江相政日記に「魔女騒動」として出て来る、五年間にもわたる「事件」といいますか。

・入江相政は、(昭和)天皇の祭祀を簡略化・・・宮中祭祀の廃絶を目論んだ人物。クリスチャンでもありました、と、書いておきます。

・今城女官とは、貞明皇后(大正)に傾倒したひと、貞明さま没後に香淳さまに出仕して大変信頼が厚かった。

・貞明さまは祭祀第一の方でしたが、それは大宮御殿流、といわば言えるものであり、それを今城女官は皇居に持ち込もうとしたことで、不穏な空気も。

細かいことがいっぱいあるのですが、飛んで。

入江相政日記14、から。また引きです。

《昨日、一昨日と相次いで魔女から電話。大晦日にだれが剣璽の間にはひつた、なぜ無断ではひつた、とえらい剣幕でやられたといふことだつた。一戦を交へる積りのところ何の音沙汰もないのはどうしたものか。》(昭和四十一年一月三日)

《魔女のこと次長が申し上げた。そしたら魔女が田中さん(直・侍従)に怒つてきた。皇后さまがおつしやつた為だらう。剣璽のことも申し上げられた由。》(昭和四十一年一月十日)

《保科さんから聞かされた所によると魔女の行くのは「誠[真]の道」といふ宗団の由。堺の鷹司さんから話があつた由。》(昭和四十一年二月四日)

《皇后さま七度八分。お歯がもとらしいが魔女の一言で侍医にお見せにならない由。》(昭和四十一年四月二十一日)

《午前中は侍従長の部屋で長官、侍従次長等と会議。女官長の後任のこと並に魔女の件。》(昭和四十一年十一月十五日)


また飛ばします。

香淳さまは、昭和34年の皇太子・明仁の結婚に反対でいらした。

周囲の宮妃、旧皇族華族の女性たちも一斉に、異を唱えたけど、美智子さんは入って来てしまった。

反対された結婚ほどムニュムニュするものも、そんなには無いでしょう。翌年35年には浩宮が生まれ、美智子さんの立場は確固たるものになりました。

世の中も平民からあがった東宮妃に熱狂し(当時は)この妃がまた、うまかったもので、香淳さまは、嫁いびりをするワルモノ扱いされる羽目になってしまわれた。

美智子さんの居心地がよろしくなかったのは、事実でしょう。

日本一の旧家。お姉さんの沢山いる長男坊。親類縁戚も山盛りいます、お辞儀の仕方もものの言い方も実家とまったく違う環境(違い過ぎましたね)の、居心地が、いいはずがない。当たり前ですね。我の強いひとなら、かつんかつんと、どこでもどちらへでも、当たり放題にぶつかったでしょう。

二度目の妊娠がよろしくなくて流して、そんな時に

「親王さまのお子を流すなんて」

と言い放ってしまう宮妃もいたり。・・・自分は何人ものお子をなして、当時は自信たっぷりでいたお方が、その言葉を吐いたんだろうなぁ。

脱線しています。

とにかく。

とにかくじゃなかった、話は続く、36年には、香淳さまは、第一皇女でいらした東久邇成子さんを亡くされました。

降嫁後、戦中戦後の苦労もさせた長女さん。30半ばのお歳で、幼いお子さんを5人も残して。

お辛かったでしょう。その香淳さまのところへ、美智子さんは、ご亭主と長男ナルちゃんを引き連れて、何やら文句を言いに行った。

打ちひしがれておられる方に、自分らの不満をぶつけに言った・・・姑さまは、黙っておられたと。

この話も、入江日記には書かれていますが飛ばします。


息子は、ヨメのお尻に敷かれてしまっている・・・そんな気持ちの中で、香淳さまは、昭和40年代に入って行かれたのかも知れません。

新興宗教に、こころ寄せられたのも、そんなあたりから・・

世の中は、そのころ、右肩あがりの時代に入って行っていました。

皇太子の一家のニュースの溢れかえった時代でもあった。

そんな中で、頼っていた女官を引きはがされた香淳さまの精神的打撃はいかほどのものだったか。

今城女官がこの間、香淳皇后はもちろん高松宮妃喜久子妃までをも動かし、入江側についた北白川祥子女官長の更迭などを画策したが、昭和天皇が入江を支持したため、今城の画策は失敗に終わった、と(も)入江は日記の中で述べている。

今城は皇后から当初の退官予定日だった1971年6月30日に、前掲の

「この度御上にざんげんする者あり残念なことですが退職させる様な事になりましたが良き時期に再任します 昭和四十六年六月三十日 良子」という拇印入りの手紙を拝受したり、

退官後の新居が完成する迄の間、赤坂御用地内に仮住まいを許されていた今城氏。

香淳皇后がこの仮住まいに電話をかけていることが知られると、宮内庁から電話を撤去されてしまった。

この、電話が取り上げられてしまった件は有名ですね。

再任は空手形に終わったが、御用地からの引っ越しの朝、三笠宮妃百合子御手づからのおにぎりが届けられるなど香淳皇后を始めとする一部の皇族は、今城を皇室に忠誠を尽くす者と捉えていたようである。


・・・とあったのが、どこだったかどなたのサイトだったか、いまわからなくなっています。失礼でしたらお詫びします。


老齢者に特有の症状は進行しました。

落ち込んだ香淳さまは、以後、、宮中の問題について意見を述べられることは無くなられた。

日常生活もままならないような状況にさえ陥られました。人前に出られる時には、笑顔ではおられた。

そう言うお育ちでいらしたから。

東宮御所に招かれて、紀宮さまが手を引かれたりしての写真が残っていますが、認知症は、言われているより随分早く、訪れていたようです。

とても楽しかったと述懐されたアメリカ訪問の時にも、

「楽しかった」

とだけ仰せ下さいとの手引きがあった、とも。

侍従長、入江は、昭和47年には

「皇后さま、このごろはひどいことになつておしまいになつたらしい」

と、しゃらっと述べてもいます。この方にも背後に、霊能者が控えていたとの説もあるやに聞きます。

お公家さんて冷酷なもの、のパターンだったかも。

日本一の旧家に蠢く犇めく魑魅魍魎。

ヒステリー起こしてはぶっ倒れていた美智子さんなど、こんな頃に、何の力があったやら。

あのいたわしい拇印つきの文書は、あれは美智子さんが主犯のものでないと、私は考えています。あの時は。


が。

ずっと胸の底にあって、腹に据えかねている美智子さんの言葉。態度。

これも以前一度、触れましたが、もう一度。

紀宮さまの著書(ということになっている・・・もう信じられないようになっています、部分的にのみ、清子さまかな)。

「ひと日を重ねて」の中に(p.213)

「・・・この百日というものは、あっという間でもあったような、またそれだけの時を経たような不思議な期間でした。陛下が、駆け寄られるように皇太后さまのおそばにお寄りになって、じっとその御最期をお見守りになり、そのお後で皇后様が、丁寧にお掛け布団などをお直しになりながら、「ご立派でいらっしゃいましたよ。」とささやかくようにおっしゃったその時に、周りの人びとの悲しみがふっとあふれるように感じられました(略)」

私はこれがずっと胸に納まりきれません。

言っていい? いいですか?

ささやくように「ご立派でいらっしゃいましたよ」だとぉ!。

お前なんかにそんなこと言われたくない!。


私が(申し訳ないながら)そこで亡くなったばかりの人なら。

何をぉおおとばかり跳ね起きて、

効いた風な口を利くなあぁあ、とか。そして今度こそ、アタマの血管切れて・・・に、なる気がします。

いややなあ、この人の、この「振り」。いややなあああ。


………取り乱して失礼いたしました。

何を訴えることもおできにならず、どうするすべも持たない香淳さまに、美智子さんは、随分なことだったと、書いておかないといけませんね。



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恥でないから笑ってる はじめに追加動画です



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なぜだか皇室の春の園遊会に(あ、皇太子のおくさんだったっけ)、

和服で、

13年半ぶりに(半って(笑))、

おでましにならられましたまたこたま。

ご夫妻なかむつまじくお喋りお喋り、人前でないと会話も無いのでね、 だらだらと そろそろと歩まれ、

前を行く天皇陛下たちとの間が、どんどこ開いてしまい、でもとうぜん気になさるはずもなく、

故(ゆえ)にか故意か、

テレビ画面に全く皇太子とツマが映らず。


やがて(さすが)期待通りに今年も、ヒデンカのみ、待機させたクルマに乗って退出された、とのことでした。

御料牧場のジンギスカンや焼き鳥を振舞われるとはいえ・・・若きオリンピック選手がたは大量に楽しまれたとか・・・お客さまがたは何時間も立たれたまま、何より旧世代の、立ち食いには慣れておられない方々には、飲食のことはともかく、天皇よりのご招待を受けての、一世一代のハレの日(のはず)。

判っちゃいないだろう、二人。

またこたまは適応障害を病まれたままで、したいことをしたいようにすることが唯一の治療法だとか。ええご身分やもの、どないにでも出来はるんや。

都合のよいことにその疾病、決して治らずいつもにたにた笑ってゐる、そんなまたこたまを国民一同、言いかえれば納税者一同が、温かく見守ったらなアカンらしいねん。

シャアないね、子ども取り替えても他人の不幸は関係ないモン、でも。そのままほかされてるし。

ちっさな暴動一つも起きやへんのやもん・・・新しいほうりつに、ひっかかるかこの一言

凶暴を、共謀したらあかんのね、うんうん。特権持ったバカをバカにすんのは、どうなんやろね。

さあれ、またこたま、

今回は15分、滞在されたと賞賛されておいでやった。去年より長かったって。ご立派や。でもね、ヒミツよ、ホントは十分だったの。

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今回残されたのはこの画像。

背後にやはり、 退出用 逃亡用車両が待っていたのね。

三回目やもん、初めての時の衝撃は薄れました。

客を招く側の後継ぎのオクサンが、とっとと逃げて行くなんて。逃がせてあげるなんて。

写っている川田龍平さんには、お体大丈夫ですか、とか言うたらしいけど。軽いおんなやな。

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一昨年はこうやって逃げた。

皆さまご存じ。



エア。

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春休み「スキーにいった」のは、このナルさんでした。長野駅にて。

空気入れてたの?

抜いたの?

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ひこーき乗るから? なんで?。

で。

愛子さま 学習院の演奏会でチェロの演奏を披露

NHKニュース 4月16日 14時30分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170416/k10010950311000.html

皇太子ご夫妻の長女の愛子さまは、16日、学習院で開かれた演奏会でチェロの演奏を披露されました。

学習院では、幼稚園児からOBまでが参加して、毎年この時期に演奏会を開いています。

今月、女子高等科に進学した愛子さまは、客席で母親の雅子さまも見守られる中、初等科の管弦楽部のOGとしてステージに上がられました。

愛子さまはチェロを担当し、ワーグナーの歌劇「タンホイザー」の大行進曲を演奏されました。愛子さまは、今月8日の入学式までの休みの期間中も演奏会のために練習してきたということで、真剣な表情で指揮や楽譜を確認しながら息の合った演奏を披露し、演奏後は立ち上がって観客の拍手にこたえられました。

このあと、初等科からOBまでのおよそ400人による大合同演奏が行われ、愛子さまはエルガーの「威風堂々」とシュトラウスの「ラデツキー行進曲」の2曲を演奏され、客席からは大きな拍手が送られていました。


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「愛子さん」だそうです。


 この「愛子さん」動画の最後に見えるえみが、わたしには異様です。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・



2015年。

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中学二年生の時の、愛子さんです。

いま現在のあの家の状態を思えば。

そのままの愛子さん、どうしておられるでしょうか。

周囲の生徒さん方には、今年の愛子さん、どう見えているか。

見ない感じない喋らない、を、強いているのか。皇室のするそんなこと、罪深いと思います。

まさこさん。

皇太子は出発前、まさこは体調がどうの、スケジュールがああの、寛大に見守れと。恥を知らねば恥は無い。

いけしゃあしゃあと厚顔に、説明させられて発って行った。

娘さんの演奏会に出て来たのは、体調が整ったから。今までは、、そんな風にとりつくろえばよかった。

今は違うでしょう。

どこの誰だか愛子さんモドキを、一人で衆人の中に置いておけない。みていなければならない。

そんな義務を負われましたのか。重い重い義務ですね。

まさこの写真はでも、出ておりましたっけ?

どんなことがらからも逃げて、それでよしとして来たのに。

それとも。声援していたという写真も無い。義務などおえる人間ではない。

[愛子さまのチェロ」は、愛子さんでないし、エア。

まさこの声援も、エア?

すごいですね。


 

こういう現実も。

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4月8日、入学された学校へ、今日は行きましたか。

先日の「恒例のスキー静養」。ご両親と共に、難しいコースも滑ったとか。今年は動画も写真もとても少ないです。

スキーをした証拠に、ゴーグル跡のお顔についた写真ですね、これ。

ゴーグルの跡は、つけられますよ簡単に。ゴーグルつけさせて、ほっぺとかその辺り、日焼けさせればいいだけのこと。マシンがあります。

顔でも何でも演出すればいいだけのこと。鼻でも顎でも頬の膨らみでも、どんな具合にでもする、して来たのですから。

あれだけ酷い痩せ方が、ゲレンデビュンビュン飛ばせるほどあっさりと復調するなど。まともな文明人なら信じようも無かった、今年はスキーは無理だかなあと思っていた、あの激痩せ愛子さん、どこへ行かれたか。

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幼稚園の頃から、風邪だの下痢だの苛められたの、具合の悪さは無限に作り上げられ、それを押し通して来た「愛子さま」。の周囲。

中学時代も、保健室登校だの一時間滞在だの。卒業間近には一か月半の不登校やら、定期テスト前部投げだの。

あらゆる学童らしさから遠い存在だったにかかわらず、そこは東宮家のお嬢さん、けろりとした笑顔で卒業も入学も果たされた。

ゴーグル跡。(笑)。

こう出して来れば、 この愛子さんがスキーした愛子さん 、と。だまされてくれるヤサシい方々が、沢山おられる。だまされるだけでない、煽動するヤカラがいる。

愛子さまは年頃のせいでちょっとなんかありましたが(宮内庁の職員の云い)、元に戻られた、可愛くなられた、これからは女子高生ライフを楽しまれる、その後は皇太子になられる。

そういう目論見。そのために使い捨てられた犠牲者なんかどうでもいい、犠牲者など初めから存在しません、というわけ。


この愛子さん。その愛子さん。

何人も存在しました、わたしは確信しています。

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この「愛子」さんは、学習院で孤独だったのでないですか。

中学校は楽しかったと仰せでしたね。そんな楽しい学校を、たくさん休んでおられました、愛子さん。

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この二人、いや、この二人に見える、一人? これ、愛子さんだと。宮内庁が、言うてたのです。

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これも「愛」子。

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これも「愛」子。

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お地赤? もしかして内親王の?

これ犯罪です。違うのか? わはは。

意味わかってないなら、なんでも平気でってことか。

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今年の愛子さまのスキー画像、なのだそうで。

あ。確かに、あの日焼けが可能な感じでゴーグルの下部、出ております。

「だから、愛子さん」、なのか。なるほど。必死なんですね。この「愛子」さんでずっと通す決定なのか。他のあの子やあの子はもう、出てこない、出せないわけか。でも、

私の目には、スキー愛子さん、体の長さが違う。身長はその時どき異なるのが愛子さん、父ちゃんよりデカくなったりもあったけど。骨格も髪質もあれもこれも違う愛子さんたち、いましたけど。

このウェアの人、愛子さんに見えません私。

華麗な滑り、どんなもんよ、のお顔のアップも見せてくれたらよかったのに。

しかしまあ、進学した高校の入学式で、

「先生やお友達となんとかで、楽しくなんとか」

などと、卒業式と同じく、口の中に何か詰められているみたいにお話になられたアイコサマ。

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卒業式。


偏差値72、英語ペラペラその他、大変ご優秀であらせられるという、アイコサマ。これから花ざかりの青春ですね。

そのうちには、楽しみなことにその利発さで、お母さまに、時にはお嬢ちゃんなりのアドバイスもして差し上げられるようにおなりか。

母子(ですよね?)で仲がおよろしく、バレンタインデーの頃には、ご一緒に、チョコだかクッキーだか、どっちみち嘘だからどっちでもいいようなもの、とにかく、作ったとかどうとか。
ここ一年少し以前からは、常ににこやかに顔を見合わせて微笑み合って。

お母さまがお好きなのか。

拒食症は母親との関係に原因の在ることが多いとか。精神科のドクターが愛子さんについて仰ってた、そんなの東宮家に限って、あるはずのない妄言だった・・・宮内庁、クレーム出さなかったです。どーしてかしら。ね。

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こんな写真は、お嬢さんの目には届かないのか。そんなことないですよね。

先日の堂々たる作文。平和なんたらの。

あれ、20字×20行の原稿用紙でなく。キカイを用いて打ち込まれた文章。

パソコン、お使いになるのですね愛子さん。当然ですね、いずれは東大へお進みになるともっぱらの。

ネット・サーフィンなどされるなら、目に留まっておられるか。

特権をお持ちのお方、しんどいことは裏表の合わせ技。

そして。

とにかく愛子さんをナルの次のなんだったっけ、ナルの次の、ほらあれに、したい妄執に憑りつかれたおられる婆さま。

愛子と戦争の話をした、とか。平和について語りあったとか。

どえらいウソの花火を打ち上げておられましたが。

あの自称「慈愛」のお方の、こんな ↓ 画像を今日見ましてね。

あ~あ、あは~あ、と、何とも言えぬ心地がしたのですよ。

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王妃さまは、愛子さんのお婆さまからお逃げになられました。肘つかまれていたら、堪らないですよ。

本当にご迷惑をおかけしたのです。王妃は結婚前はキャスターという仕事をされていた方。そちらの方面にアンテナを持っておられるでしょうね、今も。

こういう現実も、ご覧になるとよろしいかと思われます。

あなたがどなたか存じませんが。

愛子さんと名乗って行かれるなら。


もっと突っ込んで行きたいけど、もう、ぶっ倒れます。ミジンコくおんは。



・・・コメントのお返事は明日、ゆっくり書かせていただきます。



この子はだあれ?

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これは、学習院の門の近くとやらで、ありがとうございます、とか言ってた「愛子さん」でしょうか?

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3月22日なのですね。「愛子」さん、お父さんより背が高くなられて。

あたま、長くなられましたね。




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去年の夏。どなた?

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12月1日がお誕生日。内親王の愛子さんの、ね。

この方のお誕生日は、いつなのでしょうね。11月に撮られた写真なのだそうです。

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これ、お誕生日に両陛下に挨拶に行く愛子さま、なのだそうです。


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お正月~。

皇室のお節料理、独特らしいです。たんと、召し上がらなかったのかな。

ものすごく痩せておられます[愛子さま」。


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おもうさまの(そんなコトバ、ご存じかな、この「愛子」さん)お誕生日に睦まじく。

ガリガリしておられます。

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内廷皇族の、愛子さんなのでしょう? 海外へもそのようにひろまっています。

いっぱんの社会なら、きっと誰かが何かの手を差し伸べるんじゃないかな、と思ったりします。

皇室のヒトが、いけないことしたり悪いことしたりウソついたりだましたり税金をドロボーしたり子どもを取り換えたりするなんてエトセテラ、するはずがないと。

長く続く「平和」さまのおかげで、国民の多くの皆さまは、疑うことを知らず、なさらず、信じきっておられるのです。


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向かって右は、どんな愛子さん?

遅刻ギリギリで登校、だから走って、とか。そんなはずはないですよ。

学校へは、顔を出せば「出席」。お昼から行っても、すぐに帰っても。

人もあろうにトーグー家の「愛子さま」が、遅刻とかなんとか。一般人民みたいなセコいこと、気になさるはずがないではありませんか。


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左手、手提げバッグの中から、折れ曲がって生えてるみたい。とか書かれていました。

それは、間違った報道に対してキリリっと立ち向かわれる、おばばさまのご機嫌に委ねられるのでしょうね、そんなことありません、とか。

手も手、ですが。

あの、ぷっくり可愛らしかった「愛子さま」の唇。申すに畏れ多い、タラコになってしまっておられますが。

ええと。わからなくなって来ました、このお方は、どなたなのでしょうか?。


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で、まあ。

週刊誌って失礼なことしますね。

学習院での孤独、ですと。他でもない[愛子さま」に向かって、言うにこと欠いて。

宮内庁からクレーム、来ましたか?

宮内庁には許されている、事実の歪曲やら画像の捏造やら、そんなこと、許されない立場の方々です、愛子さんについて、嘘っこ書くわけがないのに。

嘘っこの写真など、だせることでもなく・・・宮内庁(=ミテコさん)からクレーム、とか。あの役所のHPに出ていない。

不思議です。ここ、皮肉イヤミあてこすりですので、よろしくお読み取りくだしゃい)

不思議なことはいっぱい、何より

ひと月足らずで、ここまで細ってしまったお子が、ぽわ~んと膨らんで出て来た、このこと。

だあ~れも「違う」いわへんこと。

ん、たって。

本人が、学校生活は楽しかった、と、仰せであります。

三年ぶりにお声を聞かせて下さいました。長いことしゃべられたので、声を待っていた専門家はきっと、張り切っておられるでしょうね。


もう疲れましたので、ここまで。



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やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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