KUONのブログへようこそ。

ブログタイトル変えました。中身は変わらずKUONです。

べちゃべちゃしてる。

公人中の公人である身の結婚を「本人の意思に任せる」とか、きいた風なことを仰った親御さん、世の中の裏も仕組みもご存じないまま「意志を尊重」されて来たお嬢さん。

いけなくはなかった、それで、多分。相手が悪すぎた。・・・悪いのは相手、小室某、そういうことになるのですよね。でしょ?。いまさら言うか。見ればわかるのではないか、あの男、母親。

わからなかった、わかりたくなかったのか。相手に会った時に、ピアノがどうとか? 非常にまじめな青年に見えた? 世界が違い過ぎて見えなかった、そういうことはあるかも。

…のぼせ上っている娘を、信じてやりたかった、認めてやりたかった、受け入れれば何とかなる?、なんとかしてやれる? 親というものは辛いものです。

自宅の隣に大きな「倉庫」を継ぎ建てて。どんなでかい倉庫なんだ。400坪の倉庫? 娘婿に甲斐性が無くても何とかしてやれる、だったか?。

周囲の大人は公も私も〇カばっかりで、無責任で、結果、止められることなく突っ走った若い女性が、軽挙妄動の責任を負うことになった。世の大人にはまともに読んじゃいられない甘ったるいコメント、出しておられます。さらし者になってしまわれた。この言いようはもしや失礼ながら、この愚かさがお可哀想。庇ってくれる一人も無いのか、内親王殿下。

今の思い。

結婚が、何らかの理由、事情で結婚は延びた。そうらしい。その二年をどうやって潰すのだろう。眞子さんの方は、皇室の行事だ公務だ何やらへの列席だ、心ここにあらずでとにかくつとめる?。

小室某の方は、それまで、どうやって生き延びるのか。母親はパート先を辞めたと聞きます。ふつうの人間の普通の生活ならば、持ちこたえられそうな収入状況らしいです。同居の祖父の年金やら、母親の持ち分のお金(なんのこっちゃ)、何といっても息子さんは社会人、給料をもらえるひと、カノジョはテハニーなど欲しがらない相手、自分におりる年間数百万円の税金がある。領収書の要らないおかね。・・暮らせそうです、でも、借金を返せるかはわかりません。

お金があっても、返そうの意志が無ければ借金は返せません。借金返済って、生き方の問題なんです。
勤め人は家の車のローンを支払い、学生さん方は奨学金を返している。贈与を受けたらきっちり(かどうかは場合によることも)税金を取られます。

息子の学費にお金を借りて、その相手に不義理をして省みない女に、この先、どこの誰どんないいことをしてくれるのか。

その日、その月暮らしは可能でも、息子さん、うまいことやることができて、できて、です。婚約とかまでしちゃった。

内親王さんを迎え入れるのだし、やはりフツーではなく大変そう。今年、結納をして(納采などとは呼びません私は)結婚式までなんとかなだれ込めば、何かは、何とかなったかも知れない。とはいえ。

もう、母親が誰かと付き合って、オカネを贈与されるメは無い。無理。息子の職場も、いつまで置いてくれるかわからない。その裏にいろんな力が働いても、みんな、いまは、じいいいっと、見ています。

パラリーガルの小室某が、SP連れて歩いてタクシーで出勤していると、みんな、知ってしまって。平気なのがスゴいわ、とか、思う人は思ってる。

二年経ったら人言のウルサイ借金問題のカタがつき、結納の品も揃えて使者を千代田のへ向かわせ、ていこくホテルでの披露宴の新郎分の支払いが可能になると・・・いいえ、問題は、そんなところにはありません。


私は、この結婚は成らないと考えています。

もう少し書きます。

一連の『週刊女性』による報道と今回の事態の関連を否定したが、ある宮内庁関係者はこう打ち明ける。

「昨年12月に『週刊女性』が小室さんの母親の借金トラブルを報じて以降、眞子さまは宮邸の自室に閉じこもりがちになられたそうです。

 小室さんが母親の問題について“知らなかった”と、眞子さまに詳しく説明していなかったことにかなりショックを受けられたとのことです」

 昨年の『週刊女性』12月26日号は、小室さんの母・佳代さんが、婚約していた男性から400万以上の返却を求められているという“借金トラブル”を報道。

 母親個人の借金なら小室さんとは関係ない話だが、そのお金が小室さんの留学費用などに使われ、小室さん自らが男性に「贈与」なので返す意思がない旨を述べている内容だったーー。

「眞子さまは食欲もなくなってしまわれたようで、妹の佳子さまは英国に留学中で相談相手もいない状態。

 結婚の裁可をされた天皇陛下や美智子さま、見守ってくださった秋篠宮ご夫妻にも申し訳が立たず、かなり憔悴されていたようです」(同・関係者)

 1月2日の新年一般参賀では、眞子さまに祝福の声が多く挙がったが、表情が固かったのは、そんな事情があったからかもしれない。

 『週刊女性』2月6日号では、佳代さんが男性との交際期間中に、彫金師の男性とも付き合いがあったことも報じた。

「お仕事優先とのことだったようですが、眞子さまは大切な宮中祭祀と過去に出席された恒例の行事にお出ましにならなかったので、いかがされたのかとは思っていました」

 と明かすのは宮内庁担当記者。

 眞子さまは、1月30日に皇居で行われた「孝明天皇例祭の儀」と3日後の「関東東海花の展覧会」に参加されず、心配する声も挙がっていたところだった。

《当初の予定を大きく前倒しして婚約が内定した旨を発表することにいたしました》

《色々なことを急ぎ過ぎていいたのだと思います》

 今回の件で、宮内庁を通じて発表された文書で、結婚を急ぎすぎてしまったことを率直に述べられた眞子さま。

 新天皇が即位された後の2020年のご結婚に向けて、おふたりはどのように話し合いをされていくつもりなのだろうか。

次の記事によると、

「借金トラブルについての記事が出て間もないころ、圭さんは、秋篠宮さまに“この件はまったく知らなかった。直接、説明したい”と申し出た。

 しかし、秋篠宮さまは申し出に対して“結構です”と、はっきり断られたんです。その際の秋篠宮さまは、圭さんのことを信用しているから断ったというご様子では、なかったそうです」(宮内庁関係者)


殿下は、もっと以前にされるべきだった、と、私は考えます。調べて、知っておかれるべきだった。

騒動がおさまらない中、事態を重く見た宮内庁も、ついに重い腰を上げていた─。

「圭さんが秋篠宮さまに“弁明”を申し出た前後に、宮内庁が圭さんを極秘に呼び出していたのです。

 その際は、金銭問題に関する詳しい説明を圭さんに求めたと思われます。

大人の対応を。

傷つけないために、取るべきだったと。それがなされなかった意味を、私は知りたい・・・いや、別に、いいのですけど。

二年待って、結婚しますか? できますか? どうやって納めますか、宮内庁。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 秋篠宮家の長女眞子さまが宮内庁を通じて公表したコメントは次の通り。
    
 私たちは、今まで結婚に関わる様々な行事や結婚後の生活にむけて、二人で話し合い、それぞれの親や関係する方々と相談しながら準備を進めてまいりました。しかし、その過程で、現在予定している秋の結婚までに行う諸行事や結婚後の生活について、充分な準備を行う時間的余裕がないことを認識するようになりました。

 これまでのことを振り返ってみたいと思います。昨年5月、予期せぬ時期に婚約報道がなされました。このことに私たちは困惑いたしましたが、結婚の意思を固めていたことから、曖昧な状態を長引かせない方がよいとの判断をし、当初の予定を大きく前倒しして婚約が内定した旨を発表することにいたしました。婚約の内定発表に際しては、多くの方々がお祝いのお気持ちを寄せてくださったことを大変有り難く思っております。その後、昨年11月には、それ以降の諸行事の予定を立て、発表いたしました。

 しかし、色々なことを急ぎ過ぎていたのだと思います。ここで一度、この速度が自分たちに本当に合っているのかを慎重に考えるべきでしたが、婚約の内定発表に関しても、それ以降の事柄に関しても、私たちはそのまま前に進むという選択をしてまいりました。

 今、私たちは、結婚という人生の節目をより良い形で迎えたいと考えております。そして、そのために二人で結婚についてより深く具体的に考えるとともに、結婚までの、そして結婚後の準備に充分な時間をかけて、できるところまで深めて行きたいと思っております。本来であれば婚約内定の発表をするまでにその次元に到達していることが望ましかったとは思いますが、それが叶(かな)わなかったのは私たちの未熟さゆえであると反省するばかりです。

 これらのことを踏まえ、それぞれの親や関係の皆様と相談を重ねた結果、この度、今後の私たちの結婚とそれに関わる諸行事を、これから執り行われる皇室にとって重要な一連のお儀式が滞りなく終了した後の再来年に延期し、充分な時間をとって必要な準備を行うのが適切であるとの判断に至りました。

 一度決めた予定を大幅に変更することは、私たちの結婚に快く協力してくださっている方々に多大なご迷惑とさらなるご負担をおかけすることとなり、大変申し訳なく思っております。

 私は、結婚に関わる諸行事を延期したい旨、天皇皇后両陛下にご報告申し上げました。両陛下は、私たち二人の気持ちを尊重してくださいました。

 私たちは、この度の延期を、新たな生活を始めるための時間を作る良い機会と考え、その時間を大切に、結婚までの期間を過ごしてまいりたいと思います。

ここまで来たから、感想を述べさせていただきます。

「私たち」の言葉の使い方が耳障り。私と小室さん、小室さんとわたくし、と、仰れなかったか。

>私たちの結婚に快く協力してくださっている方々に多大なご迷惑とさらなるご負担をおかけすることとなり、大変申し訳なく思っております。

「快く協力」できない人たちもいて、その方々に苦い思いをさせてとは、想っても書けないでいられるのか.

言い出すとキリが無い、意地悪ばあさんにさせられてしまいそう。

私もこの国の民の一人。内親王殿下のお幸せを(ふつうに)願い、時には案じ、するものでございます。ふつうに、皇室の慶事をお慶び申し上げたい、そうさせていただきたい。

べっちゃべちゃと「私たち」なんてぇ言葉で、どこかのせき止められた恋人たちの悲劇っぽいロマンスの内幕を、聞かされたいとは望みませんのです。

そして・・・あ、やめた。

やっぱり書く。

ファーストネームで呼び合ってるとか、それが「微笑まし」く思えるカップルなら、よかったな。

まこしー、とか? けーくん、とか? 勝手になさればいい、わたしは、よその、自分に何の関係もないようなアホップルのどやこや話なんか、聞かされたくない、興味も無い。こんな風に感じているんです。


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フツーではないようですが。

先日、小室某の母親の「もう一つのオトコ話」が出て来たらしい、と書きました。

申し訳ないことですが、週刊女性誌発売から日を経たことでもあり、わたしの肩のご機嫌もうかがわにゃあきませんので、ずらーっと、そのまま、コピーさせていただきます。以下です。

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 眞子さま、婚約者・小室圭さん母が借金未返済でも養った“彫金師”恋人の存在 

週刊女性2018年2月6日号

  中高一貫校のインターナショナルスクールに通っていたころには彫金師・Aさんとの同居が始まっていた

「記事が出たあとも、佳代さんから元婚約者・竹田さん(仮名)に対して、いまだに音さたはありませんし、もちろん400万円以上ある借金は未返済のままだそうです。テレビや新聞がまったくこの件を報道しないので、このまま話題が自然消滅するのを待っている気がします」

 そう話すのは、竹田さんを古くから知る友人。

 『週刊女性』は昨年、眞子さまが今秋に結婚予定の小室圭さん(26)の母・佳代さんが元婚約者との間に400万円以上の借金トラブルがあることを報じた。

「佳代さんは、竹田さんと'07年ごろから付き合い始めて'10年に婚約しました。

 お金の無心が始まったのは、'10年に圭さんが進学した国際基督教大学(ICU)の入学金からでした。

 それからというもの、事あるたびに“今月厳しいからお金を都合してほしい”と生活費を要求してきたそうです。

 ほかにも、圭さんが一時期通っていたアナウンススクールの授業料やアメリカ留学費用なども合わせ、貸した額は400万円を軽く超えてしまったのです」(友人、以下同)

 '02年に夫・敏勝さんが他界してから、母ひとりで必死に圭さんを育ててきた佳代さん。

 そんな中、佳代さんと交際を始めた竹田さんは、小室家の“父親代わり”として佳代さんの“家族トラブル”解決にも尽力していたという。

「竹田さんは、佳代さんの弟さんと父・国光さんの仲を取り持ったことがあるのです。

 国光さんは、数年前まで神奈川県藤沢市のマンションに佳代さんの弟夫婦と一緒に暮らしていたのですが当時、飼っていた猫の飼い方などの些細なことでよく口論になっていたので、佳代さんに頼まれて仲裁役として話をまとめに行ったそうです」

 結局、その後も度重なる衝突により、国光さんだけが現在、佳代さんと圭さんが住む横浜市港北区のマンションに引っ越してきたという。

 その際にも、車で荷物を運んであげたのは竹田さんというのだから、小室家とは家族同然の仲だったといえる。

“タクシーがわり”の扱い

「佳代さんは、金銭面や家族内の問題も頼りっぱなしの一方で、竹田さんを“軽視”していた面もありました。

 圭さんが成人した際に、東京都千代田区にある『帝国ホテル』内の写真店で記念写真を撮影することになり、竹田さんが車で連れて行ってあげたそうです。

 しかし当時は婚約中だったのにもかかわらず、小室さん親子だけで写真撮影をすまされて結局、無料の“タクシーがわり”に使われたのです」

 そういった佳代さんの身勝手な行動が積み重なり、愛想を尽かした竹田さんは'12年9月に婚約を解消して、今まで貸してきたお金を返済してほしいという旨を佳代さんに伝えたのだが……。

「小室さん親子は、竹田さんからのお金を“贈与”だと主張しています。借用書を交わさなかったことが決定的な理由となり、法的にも竹田さんが借金を取り返すことは難しくなったのです」

  中高一貫のインターナショナルスクールに通っていたころには彫金師・Aさんとの同居が始まっていた

 今は小室さん側の誠意に期待するほかなく、竹田さんは悩ましい日々を送っている。

 実は、この件で頭を抱えているのは竹田さんだけではなく、秋篠宮家の内部にまで衝撃が広がっているという。

「今回の借金トラブルは、圭さん本人の学費なども関係していることもあり、秋篠宮さまも“困りましたね”と周囲に漏らしておられ、思い悩んだご様子だそうです」(秋篠宮家に近い人物)

 眞子さまと圭さんのお付き合いが始まったきっかけは、大学構内での留学説明会。そもそも竹田さんが留学費用を貸していなければ、おふたりが交際して結婚に至ることはなかったのかもしれない。秋篠宮家にとっても見過ごせない「事件」なのだろう。

  小室家は異例の“お相手”

『男系・女系からみた皇位継承秘史』などの著書があり、皇室問題に詳しい徳島文理大学教授で評論家の八幡和郎さんは、結婚後の眞子さまの生活に不安があると話す。

「眞子さまのお相手である小室さんは、資産家ではありません。

 結婚後は、住宅もセキュリティーがしっかりしているお住まいを選ばないといけないでしょう。

 さらに、元皇族としての品位を保持しなくてはならないですし、お子さまが生まれたら教育も庶民並みというわけにはいきません」

 これまでの女性皇族は、ある程度、資産のあるご家庭に嫁がれているだけに、借金をするほどお金に困っていた小室家は、異例のお相手といえる。

「現在の状況のままでは、結婚後にいろいろと問題が出てくるでしょう。

 一般の家庭でも、経済的基盤がしっかり整って、生活設計を事前に打ち合わせてから結婚するのが普通ですから、もう少し時間をかけてもよかったとは思います。結婚後に、経済面で厳しいから助けてほしいということになっても、秋篠宮家にはお助けする方法がありません。

 小室さんのお母さまも現在はパート収入だけのようですし、おじいさまもいるので、いずれ夫妻でふたりを養っていかなければならないという覚悟も必要です。

 今からでも、ご結婚の前に人生プランを宮内庁も入って話し合うべきだと思います」(八幡さん)

 眞子さまの嫁ぎ先としては、金銭面では不安が募る小室家。

 しかし、お金に困っているという事情とは裏腹に、佳代さんが敏勝さんが他界した'02年から竹田さんと交際を始めた'07年の間に別の“恋人”を養っていたという驚くべき話が舞い込んできた。


「敏勝さんの死{(UON註:02年)後からそう間もないころ、自宅からほど近い場所に住んでいたAさんと数年ほど交際していました。

 Aさんは現在70代で、奥さんに先立たれていたので独身生活を送っていました。当時は、地元で佳代さんとAさんが一緒に歩いているところを何度か目撃されていて、再婚のウワサも流れていましたよ」(佳代さんの知人)

 佳代さんは、竹田さんに対して“圭ちゃんの父親になってくれる人が欲しい”とよく話していたというので、小室家の新たな大黒柱としてAさんに白羽の矢を立てていたのだろうか。

“特別な関係”でこじれてしまった小室家

 しかし、Aさんは大黒柱どころか、一家の“厄介者”になってしまったという。

「Aさんは、金属を加工してアクセサリーなどに装飾を施す“彫金師”として、個人で働いていたのですが、佳代さんとの交際中に仕事が立ち行かなくなり、収入がゼロになった時期がありました。

 そのときに小室さんの自宅に住みついて、佳代さんに養ってもらっていたそうです」(前出の知人・以下同)

 現在、同居している国光さんは、そのときにはまだ別の場所に住んでいたので、Aさんが生活を送るスペースの余裕もあったのだろう。

「あるとき、Aさんが前立腺関係の病気を患って入院していたときには、佳代さんが病院に通ってお世話をしていたと聞きました。

 しかも、Aさんが手術を受ける際の同意書にサインしたのも佳代さんだったそうです。

 しかし、仕事をしない収入ゼロのAさんに対して圭くんはよく思っていなかったようで、“いいかげんにしてほしい”と対立してしまい、結果的に佳代さんとAさんは別れてしまったんです」

 破局したあとも、ふたりの交友関係は数年間続いていて、Aさんに仕事相手を紹介してあげたこともあったという。

 Aさんの自宅を訪れた『週刊女性』記者が、佳代さんとの関係について質問したところ、玄関のドア越しに「そういったことは話せない」と取材に答えてはくれなかった。

 Aさんと佳代さんの話について、竹田さんの友人は首をかしげる。

「Aさんを養う余裕があったのに、竹田さんから大金を借りたのはなぜなのでしょうか。佳代さんは“仕事がいつクビになってもしかたがないし、女ひとりで生きていくのは大変なんです”と、竹田さんに自分の状況を必死に話していたと聞いています。

 もし、圭さんのインターナショナルスクールの高額な学費を払っていた時期にAさんと交際していたとすれば、援助するほどの余裕があったのは不可解です」

 3月4日には、一般の結納にあたる『納采の儀』が行われる予定。眞子さまは今、小室家に対してどんな思いを抱かれているのだろうか─。

・・・・・・・・・・・・・・・・引用はここまでです。

どこからどう見ても、フツーでない密着し過ぎた「お母さま」と「圭ちゃん」に感じられます。これが今になって出て来るというのも、フツーではないように思われますが。

結婚は、お止めなさいませ、眞子さん。今の最善はそれ。それ以外にありません。

一月のみんなのうた、は、明日には、まとめさせてもらいます。




嘲笑天皇

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多分今よりは値打ちのあった「皇太子殿下」はベンチの隅っこに。

ええとこのお嬢さんの触れこみに似つかわしくないお姿、真ん中にどっかりと掛けておいでです。ご結婚前のこの頃より、今日の日は定まっていた。

のか?。

象徴天皇。いやさ「嘲笑天皇」


どなたの言であったか、言い得て妙なり。

無念ではありまするが、言い得て妙にてごじゃります。



内内の慶事・動画追加しました。圭ズ・ママの写真も。

朝から恒例の墓参、春日大社への参拝。あちこちに警官が複数で立ち、パトカーがウロウロしてしていました。

昨日からナルヒト・まさこが来寧しています。昨夜は東大寺での国文祭・障文祭なら大会の開会式に出ていました。ナルヒト氏が来るとは言われていましたが、まさこは突然来たようです。

デンカと紹介されてあのひとは何か挨拶しました。前髪のウェーブしたカツラ姿、にこやかではなく終始ニタニタしていました。

退席する時まさこは、椅子から立ち上がろうとしてサッと立てず。ドスンとお尻から椅子に戻っていました。何とか立ち上がり、ヘコヘコと卑屈な(ヒデンカらしからぬ・否・いかにもまさこさんらしい)お辞儀もどきを何度も繰り返しながら、時間をかけて退出しました。

二人が来ているので、大勢の警察官たちが駆り出されているのです。赤信号で停まった時、ちょうど助手席側に婦警さんがいたので窓あけて「愛子さんどこにいるのでしょうね」と言ってみた。

早口になってしまったせいもあるからか、ポーカーフェイスでスルーされました。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

眞子さんの会見がありましたね。

それに先立って、秋篠宮夫妻のコメントが発表されました。

9/3(日) 11:30配信    時事通信

 秋篠宮ご夫妻が長女眞子さまの婚約内定発表に当たり、宮内庁を通じ発表されたコメントは以下の通り。

 
本日、天皇陛下のご裁可をいただき、私たちの長女、秋篠宮眞子と小室圭さんとの婚約が内定いたしました。

 小室さんと娘は、約5年の歳月をかけて、双方の気持ちを確認しながら結婚に向けての話を進めてきました。内定までの5年は、私たちの時よりも長い期間になり、二人の意思を確認するのには十分な時間であったことと思います。私たちは、その二人の意思を喜んで尊重いたしました。

 本日は、あくまで婚約が内定したことの発表であり、今後いくつかの行事を経て結婚ということになります。私たち家族は、その日を迎えることを楽しみにしております。
 

・・・わたし考え違いをしていたようです。

あの「眞子さん」というお嬢さんは、秋篠宮さんチの「娘さん」であった。そして眞子さんのご家族は、その「娘さん」の結婚の日を、楽しみにお待ちになると。

単に一軒のお家の中のことだったのですね。

内親王様だと思えばこそ、あれこれと。

本当にあれこれと、つまり、要らざるお節介を・・・よそんチのお嬢さんだというのなら、こんなこともそんなことも。

で。内親王だとわたしが思い込んでいた方の結婚という「重要事」について、今回のごとくご両親がお認めになって、人としての意志的な自由を尊重なさる。とのことでしたら。

納采だのコッキの儀だの、皇室メンバーみたいな行事の必要も無いんじゃないか。と考えてしまいました。

このような結婚をお祝いし得る気持ちの方々が、自由に人権支持的に集まられて、お祝いなさればよろしいのでは、と。

国民になど、何の関係も無い、あのご一家の、内内の慶事なのですね。

そんな話が通じるんだ。ほええ、って感じ。

時事ドットコムニュース

.で。


 秋篠宮ご夫妻の長女眞子さまとの婚約内定発表に当たり、小室圭さんの母佳代さんが宮内庁を通じ発表したコメントは以下の通り。

 この度のことを大変感謝いたしております。とても畏れ多く存じ、責任の重さを感じます。
 主人亡き後、息子は自発的に物事に取り組み、努力を重ね、ご尊敬申し上げる方々からのご指導のもと、人生の要所要所を固定概念にとらわれることなく決断してまいりました。
 今回につきましても、今まで通り息子を信じて任せるに至りました。
 これから行われるお行事を静かに見守ってまいりたく存じます。(2017/09/03-11:33)


・・・何とも言いようのないコメントで。何も申しません。

会見は見ました。

何とも言いようのない会見で。

噂通り巨顔の男性で。初々しそうで全くそうでなく。「自分は単純」とあの場で言い切るバカで。

宮さまと相談しながら、とか言ってる「宮さま」って、眞子さんのことなのねと途中で気づきました。

傍らで見ていた夫は「ヒモになるってことだね」と言い捨てて、庭の水まきに行ってしまいました。

母親もろとも、おんぶに抱っこのつもりやろ、と。

私はそんなのイヤですよ。妹君の留学だって、こうなれば、何のために、となってしまいます。公人として留学をし、私人として自由な恋愛を貫く。それは無いです。



コメントのお返事が遅れております。もうしばらくお待ちいただきたく存じます(圭クンのお母さまのマネではないですわよ)。

よっこらしょ、と電車に乗って。明日は海を見に行きます。ココロの縁っ子に、埃がいっぱい積もっているようです。

この結婚に、反対しようがないのはわかる・・・本人の意思を尊重されるらしいので。でも、お祝いはしません。できません。












長官。そのお顔、お通夜みたいでいらっしゃいますよ。


1504435799477.jpg

失礼とは言いません。

この方と縁続きになろうとしている、秋篠宮家。信じられません。

いいんですか。いいのですか。私はイヤですよ。

今日、、夕方から夜にかけて会食したと。

会見で本人が要っておられました、両親には合わせたが、妹、弟には、と。

今夜も、佳子さま悠仁さまは交えないでの会食であると。

あまり裏を考えたりできないぽあ~んとしたタチですが私、ここはやはり、なぜかしらと疑問。

会って欲しくないそばに寄って欲しくないから、結果オーライではあるものの、私でも、???です。

その方がいいのではありますが。







ご立派でいらっしゃいましたよ。ってか。

1460103265988.jpg6月16日は、昭和の皇后、香淳さまの命日。平成12年(2000年)、97歳でご逝去。

その日はわたし予定があって書けないみたい、で、いま少し、取り上げさせていただきます。

その折りの今上の追悼の辞。


崩御を受け、今上天皇は以下の御誄(おんるい:追悼の辞)を述べた。


「明仁」謹んで御母皇太后の御霊に申し上げます。

在りし日のお姿や明るいお声は今もよみがえって日夜心を離れず、思い出は尽きることがありません。哀慕の情はいよいよ胸にせまるものがあります。
ここに、霊柩を殯宮にお遷しして、心からお祭り申し上げます。

   今上天皇   2000年(平成12年)6月29日、殯宮移御後一日祭の儀において



「明仁」謹んで御母香淳皇后の御霊に申し上げます。

昭和天皇の崩御あそばされてより十一年、吹上大宮御所にお過ごしの日々が穏やかにして一日も長からんことを願い、お側近く過ごしてまいりましたが、この夏の始め、むなしく幽明界を異にするにいたりました。
在りしの日のお姿を偲びつつ、櫬殿に、また殯宮におまつり申し上げること四十日、ここに斂葬(れんそう)の日を迎え、葬列をととのえ、昭和天皇のお側にお送り申し上げます。お慈しみの下にあった去りし日々を思い、寂寥は深く、追慕の念は止まるところを知りません。誠に悲しみの極みであります。

    今上天皇   2000年(平成12年)7月25日、斂葬の儀 葬場殿の儀において

こういうものは「ご挨拶」ですので、追慕とか悲しみの極みとか、今上が使っているそういった言葉にも、特に不思議な感じはありません。書かれたのもご本人ではなく。

ただ。知らないことだったからか、「明仁」と名乗っての挨拶であることが、斬新な驚きではありました。

忘れないうちに書いておきます。

まさこは、このご葬儀に「夏バテのようなもの」で、出ませんでした。


晩年の長いあいだ、香淳皇太后は表に出ておいでになりませんでした。

昭和天皇が崩御されてから12年、吹上の大宮御所に、ひっそりと身を養っておられた。報道に際しては「老齢特有の状態」とされたのは、つまり、認知症のこと。それはけっこう早くから患っておられたようです。

実際、加齢に添って現れて来ることであって、隠すことも恥じることでも無いと、私は、思います。

何をどうしてもなさらなければと言うお立場でもない。花を愛で空飛ぶ鳥を愛で、とお過ごしでいらっしゃればよかっただけのこと。日本画、組み紐、書をたしなまれた皇太后さま。

言い方はなんですが、お暮らしに何の不安も無い。そばに何人もの人もおられて、静かな老後をお過ごしであった、と、なればよかったのですが。

いや、事実はそうだったと思います。

腰を圧迫骨折されて歩行が難しくなり・・・どっしりしたお体でしたから、外科的な処置が効いたかどうか・・・自戒をこめて・・・。。

寝たきりのお暮らしでも、すでに周囲への関心も薄れてのことなら、ご本人にお辛い自覚のおありだったかどうか。

介護の手は足りていた。手の足りていない高齢者は大勢おられます。


美智子さんへの反撥から、香淳さまへの過度な持ち上げ方をされる向きがあるように思われ、私は、それに、馴染めない。

激動の生涯でいらした昭和天皇の皇后として、大きなかけがいの無い存在でいらしたのは事実でしょうが。

でも。ごくふつうの「皇后陛下」だったのでは、と、思ってしまうのです。

美智子さんのことは大嫌い、大大大嫌い、そんな呑気なものでなく、捨て置いていいものなのかどうか、歯噛みするような思いを向けていますが、でも少し違うな、ということに、触れたいだけのことです。

美智子擁護、とか、まさか、言われないですよね。いいですけどね。(笑)。あのひと(美智子さん)に、あの頃はそんな力は無かったはず。今は別。

で。その香淳さまが書かれたあるもの、について。


今城誼子に賜る

 苦労をかけて気の毒でした。
大宮様より伺つて居りました通り誠実な人でした事を証明します。
お上の御身を思ひよくお仕へ申し私の為にも蔭になり日向になりよく尽してくれました。
この度御上にざんげんする者あり残念なことですが、
退職させる様な事になりましたが良き時期に再任します。
外に居ても気持は今まで通り頼みます。
大変勝手なことですがよろしく頼みます。

  昭和四十六年六月三十日
        良子(拇印)

手紙には次の二首の御歌も添えられていた。とのこと。

感想を許されれば、この「拇印」に違和感がありました。


 神々も守りますらむ大君につくしし人に幸多かれと

 己が身を忘れて我につくしたる人の身の上幸あれかしと


やんごとないお方、疑うことを知らず育った方が、信じて頼っていた女官を、天皇までが辞めさせよと仰せられた。

香淳さまとしてはお辛く悲しく、御歌も、その思いがほとばしったものだったか。

これ、入江侍従は、天皇までも巻きこんでいた。神がかりの魔女がいなくなれば、宮中のごたごたにも決着がつく平和になるなど、吹き込んだと言われています。

入江相政日記に「魔女騒動」として出て来る、五年間にもわたる「事件」といいますか。

・入江相政は、(昭和)天皇の祭祀を簡略化・・・宮中祭祀の廃絶を目論んだ人物。クリスチャンでもありました、と、書いておきます。

・今城女官とは、貞明皇后(大正)に傾倒したひと、貞明さま没後に香淳さまに出仕して大変信頼が厚かった。

・貞明さまは祭祀第一の方でしたが、それは大宮御殿流、といわば言えるものであり、それを今城女官は皇居に持ち込もうとしたことで、不穏な空気も。

細かいことがいっぱいあるのですが、飛んで。

入江相政日記14、から。また引きです。

《昨日、一昨日と相次いで魔女から電話。大晦日にだれが剣璽の間にはひつた、なぜ無断ではひつた、とえらい剣幕でやられたといふことだつた。一戦を交へる積りのところ何の音沙汰もないのはどうしたものか。》(昭和四十一年一月三日)

《魔女のこと次長が申し上げた。そしたら魔女が田中さん(直・侍従)に怒つてきた。皇后さまがおつしやつた為だらう。剣璽のことも申し上げられた由。》(昭和四十一年一月十日)

《保科さんから聞かされた所によると魔女の行くのは「誠[真]の道」といふ宗団の由。堺の鷹司さんから話があつた由。》(昭和四十一年二月四日)

《皇后さま七度八分。お歯がもとらしいが魔女の一言で侍医にお見せにならない由。》(昭和四十一年四月二十一日)

《午前中は侍従長の部屋で長官、侍従次長等と会議。女官長の後任のこと並に魔女の件。》(昭和四十一年十一月十五日)


また飛ばします。

香淳さまは、昭和34年の皇太子・明仁の結婚に反対でいらした。

周囲の宮妃、旧皇族華族の女性たちも一斉に、異を唱えたけど、美智子さんは入って来てしまった。

反対された結婚ほどムニュムニュするものも、そんなには無いでしょう。翌年35年には浩宮が生まれ、美智子さんの立場は確固たるものになりました。

世の中も平民からあがった東宮妃に熱狂し(当時は)この妃がまた、うまかったもので、香淳さまは、嫁いびりをするワルモノ扱いされる羽目になってしまわれた。

美智子さんの居心地がよろしくなかったのは、事実でしょう。

日本一の旧家。お姉さんの沢山いる長男坊。親類縁戚も山盛りいます、お辞儀の仕方もものの言い方も実家とまったく違う環境(違い過ぎましたね)の、居心地が、いいはずがない。当たり前ですね。我の強いひとなら、かつんかつんと、どこでもどちらへでも、当たり放題にぶつかったでしょう。

二度目の妊娠がよろしくなくて流して、そんな時に

「親王さまのお子を流すなんて」

と言い放ってしまう宮妃もいたり。・・・自分は何人ものお子をなして、当時は自信たっぷりでいたお方が、その言葉を吐いたんだろうなぁ。

脱線しています。

とにかく。

とにかくじゃなかった、話は続く、36年には、香淳さまは、第一皇女でいらした東久邇成子さんを亡くされました。

降嫁後、戦中戦後の苦労もさせた長女さん。30半ばのお歳で、幼いお子さんを5人も残して。

お辛かったでしょう。その香淳さまのところへ、美智子さんは、ご亭主と長男ナルちゃんを引き連れて、何やら文句を言いに行った。

打ちひしがれておられる方に、自分らの不満をぶつけに言った・・・姑さまは、黙っておられたと。

この話も、入江日記には書かれていますが飛ばします。


息子は、ヨメのお尻に敷かれてしまっている・・・そんな気持ちの中で、香淳さまは、昭和40年代に入って行かれたのかも知れません。

新興宗教に、こころ寄せられたのも、そんなあたりから・・

世の中は、そのころ、右肩あがりの時代に入って行っていました。

皇太子の一家のニュースの溢れかえった時代でもあった。

そんな中で、頼っていた女官を引きはがされた香淳さまの精神的打撃はいかほどのものだったか。

今城女官がこの間、香淳皇后はもちろん高松宮妃喜久子妃までをも動かし、入江側についた北白川祥子女官長の更迭などを画策したが、昭和天皇が入江を支持したため、今城の画策は失敗に終わった、と(も)入江は日記の中で述べている。

今城は皇后から当初の退官予定日だった1971年6月30日に、前掲の

「この度御上にざんげんする者あり残念なことですが退職させる様な事になりましたが良き時期に再任します 昭和四十六年六月三十日 良子」という拇印入りの手紙を拝受したり、

退官後の新居が完成する迄の間、赤坂御用地内に仮住まいを許されていた今城氏。

香淳皇后がこの仮住まいに電話をかけていることが知られると、宮内庁から電話を撤去されてしまった。

この、電話が取り上げられてしまった件は有名ですね。

再任は空手形に終わったが、御用地からの引っ越しの朝、三笠宮妃百合子御手づからのおにぎりが届けられるなど香淳皇后を始めとする一部の皇族は、今城を皇室に忠誠を尽くす者と捉えていたようである。


・・・とあったのが、どこだったかどなたのサイトだったか、いまわからなくなっています。失礼でしたらお詫びします。


老齢者に特有の症状は進行しました。

落ち込んだ香淳さまは、以後、、宮中の問題について意見を述べられることは無くなられた。

日常生活もままならないような状況にさえ陥られました。人前に出られる時には、笑顔ではおられた。

そう言うお育ちでいらしたから。

東宮御所に招かれて、紀宮さまが手を引かれたりしての写真が残っていますが、認知症は、言われているより随分早く、訪れていたようです。

とても楽しかったと述懐されたアメリカ訪問の時にも、

「楽しかった」

とだけ仰せ下さいとの手引きがあった、とも。

侍従長、入江は、昭和47年には

「皇后さま、このごろはひどいことになつておしまいになつたらしい」

と、しゃらっと述べてもいます。この方にも背後に、霊能者が控えていたとの説もあるやに聞きます。

お公家さんて冷酷なもの、のパターンだったかも。

日本一の旧家に蠢く犇めく魑魅魍魎。

ヒステリー起こしてはぶっ倒れていた美智子さんなど、こんな頃に、何の力があったやら。

あのいたわしい拇印つきの文書は、あれは美智子さんが主犯のものでないと、私は考えています。あの時は。


が。

ずっと胸の底にあって、腹に据えかねている美智子さんの言葉。態度。

これも以前一度、触れましたが、もう一度。

紀宮さまの著書(ということになっている・・・もう信じられないようになっています、部分的にのみ、清子さまかな)。

「ひと日を重ねて」の中に(p.213)

「・・・この百日というものは、あっという間でもあったような、またそれだけの時を経たような不思議な期間でした。陛下が、駆け寄られるように皇太后さまのおそばにお寄りになって、じっとその御最期をお見守りになり、そのお後で皇后様が、丁寧にお掛け布団などをお直しになりながら、「ご立派でいらっしゃいましたよ。」とささやかくようにおっしゃったその時に、周りの人びとの悲しみがふっとあふれるように感じられました(略)」

私はこれがずっと胸に納まりきれません。

言っていい? いいですか?

ささやくように「ご立派でいらっしゃいましたよ」だとぉ!。

お前なんかにそんなこと言われたくない!。


私が(申し訳ないながら)そこで亡くなったばかりの人なら。

何をぉおおとばかり跳ね起きて、

効いた風な口を利くなあぁあ、とか。そして今度こそ、アタマの血管切れて・・・に、なる気がします。

いややなあ、この人の、この「振り」。いややなあああ。


………取り乱して失礼いたしました。

何を訴えることもおできにならず、どうするすべも持たない香淳さまに、美智子さんは、随分なことだったと、書いておかないといけませんね。



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