今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

暗い日。





暗いニュース。

80歳代、90歳代まで長生きされて。

介護付きの立派な施設に入所されていて。

三人ものお年寄りが、転落して(して?)亡くなったと。

同じ一人の職員が当直の夜に起きた出来事だったと。


介護の仕事が大変で、それなのに待遇面で報われることすくないとは、知っていますが。

お年寄りに対して酷いあれこれがあることを、見聞きしますと、暗澹たるとはこういう気持ちなのかと思います。

私のこのブログにも、何度も、入所されていて虐待を受けておられる高齢者のご家族が、懸命のコメントを下さっていたのですが、ちょっと触れてみる、というような軽い問題でなく、申し訳なく感じつつお気持ちにこたえることができなかったのでした。

お父さまが、明らかに殴られて鼻を腫らしておられたり。パジャマの胸元が不自然に裂けていたり。髪の毛がむしり取られていたり日常的に怒鳴りつけられていたり。寝たままのベッドの頭の上から、電気掃除機で吸い取って・・・フケを、らしいのですが・・・本当に辛い話を、たくさん聞きました。

     死にどきを取り外したりなどと言ふ母にわれは軽薄に答えてゐたり

随分と年が行くまで足腰達者で、当時は無料で使わせていただけていたバスの乗車パスを駆使して、一人でも出かけたし、娘の私とも出かけたし。しあわせだ、しあわせだと、子ども孝行なことを口にしていた母でしたが、ふっと、死に時を外してしまった、と言ったことがありました。

私は、たいへん軽薄なふざけた返事を返した記憶があります。

いま、米寿の夫の母も、ますます混乱がひどくなって来ておられて、さまざまな言葉を口にされます。

感謝であったり呪詛であったり。つなぐ言葉であったり、ぶち切りの言葉であったり。ブレーキが壊れてしまわれました。

最近は以前より多く一緒に小さな買い物をしたり、まだ1ピースしゃっきり食べられるケンタのチキンを向き合って食べたりしながら、この姑と来た40年の歳月を思います。

年を取って、間違っていてもかまわないのに、記憶違いなどを口にして、気づいて、必死で言いくるめようとされるお顔を間近にしていると。会っている間には確実にほどけて行くのに、会う瞬間には虚勢をいたいたしく張っておられたり。

どうしても私より上にいたいようで。(笑)。

一緒にいると、

ただ、ただ、人が生きていることの「かなしさ」のようなものが、胸にせきあげるような時があります。

亡くなって10年になろうとしている夫の父は、最晩年、ベッドに縛り付けられるような状態になっておられました。

混乱としか言いようのないあれこれがあり、そうなったのですが。

ある時。

傍らで、大好きだったバニラのアイスクリームを口に運んでさしあげていた私を、見上げて笑って、

もうなあ、と声を出された。

帰る家も無いし、金は全部取り上げられたし(すべて妄想、思い込みなのですが)、

「あそこの窓のベランダから飛び降りて死んだらどうやろと思うけど」

「あそこまで、残念ながら、歩いて行けんのや」

あの時の舅の、何か突き抜けて諦めきった声が、私のこころの底の、すみっこに、未だに棲みついている気がします。

おかげ様で母も、舅も、苦しいことも痛いことも無く最後は安らかでした。

姑の「その時」を想像することは、やはり私には辛いことです。最後の儀式の準備は、できております。

さんざん。言いたい放題言われて来て、腹も立つし憎ったらしいけど、年とって弱って、しかし、ほぼ一生を、強固な共依存の状態で・・・姑にはそれは幸せなことでもあったはず…ともに暮らして溺愛して来た次男坊と、今は面会も叶い難く・・・病気の都合で・・・心配し、案じているより無い現状を、見ていると。

姑だけは切り捨てられない、切り捨てる気にはなれないのです。嫌いなひとなのですが。

でも切ない。なんと言えばいいでしょう。

私にはきつい人だった、あちらが強く力をお持ちだった時代は。

今は、弱くお金も持たされていない、お年寄りです。ざまあみろ、の気持ちになれない。

自分のこういう気持ちが、自分でしんどい時もありますが。

仕方ない。

仕方がないのです、いろんなこと、何もかも、おそらく。





美智子さんは、舟越某氏やらの彫刻、島田某氏の洋画、など、他にも音楽鑑賞など、三日ににあげずお出かけ、ご鑑賞。公務とは、さすが呼べません。公務並の警護は必要らしい。

17日からは陛下が疎開されていた地へお出かけだそうです。


「将来皇居は一般の国民のために公開するべきものだ。」

昭和天皇が、そのようなお考えをお持ちだったと、最近になってはじめて知りました。

関東各地で宅地化などで絶滅に瀕した植物をいくつも皇居内にお植えになったり、皇居の東地区に神奈川県町田市や栃木県矢板市の雑木をお植えになったのも宅地化で失われる雑木を保護するためであると同時に

「こうしておけば関東大震災のようなことがあったときでも
避難してきた国民が雑木林にテントなどを張ることもできる」とお考えになってのことでした。


この記述を、少し前に、画像掲示板で読ませていただいたのですが、内容だけしかコピーしていませんで、このままここだけいただきますことを、お許しください。

「昭和天皇の森を返せ」

とのタイトルがあったのでしたが。

ご崩御の後すぐに、昭和天皇の森を伐採して建てられた豪壮なお住まいに、じっとしていることがお出来になれない、とは、よく聞くことですが。

ご長男の妻女は引きこもり。

現役の皇后さんは、何とお呼びしましょうか。

老後破綻とか老後破壊とか、いまマスコミが書き立てているような老後の悲惨には、言うまでも無く無関係なお方です。

雨がざんざん降っていて、いささか暗い日です。

明日は、気持ちなどは明るくなりましょう。(笑)。




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はいかい? いや・・・






座るところがわかんなくなっちゃうなんて。

これだから国外へ出さないでいただきたいと・・・・でもまさこさんは、妙に馴染んでおられます。

自分の方がほっそりしているくらいだわ、って。もしかして安心している?

例の医者の言う「達成感」「満足感」が、彼女をモジモジさせない?。

周囲の皆さま、貫録と、「上流の方、感」があって。きょときょとしておられないし・・・後部の女性の、あれなのね、それは、って視線に、愚愚ご夫妻、気がつい・・・以下は略です。


・・毎日点滴に通って、いい方向へ向かっている気がしますが、麻痺した左の顔の、殊に目の乾燥がまだまだあって、 じっさい痛いです。


わたしの左目の表面には

淡いガラスの膜が張っているの

いささかの疲れも許さないわがままな膜なの

ぴらきらりと  崩れてしまわないように

ぱりいいいんと割れてしまったりしないように

庇ってやらねばならないのよ



お返事はさせて頂けませんが、アタマの中に好き放題な思いを浮かばせつつ、一人で退屈しない良い子です、やっぱりネットは見てしまいます・・・が。いましばらく、治療受けてる生活の中にいさせていただきます。 コメントには感謝です



けふの三時のおやつなりしを

八月十五日を待たず沖縄死にきその六月二十三日より蘇るなく


短歌結社「地中海」に属しておられた桃原邑子さんの歌集「沖縄」から

「良太の死」をご紹介します。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  制服のちぎれの血の染む名札標・中二・O型・桃原良太


  O型の血潮のすべてを地は吸へりこのばらばらはわが生みし子や


  顔裂かれ子は死にたれば眼の下にありし黒子も見むに術なし


  足のみは完けくありし子を納るる棺には破れしズックの靴も


  今朝をわが切りてやりたる指の爪見れば紛れなき吾子のばらばら


  わが分けし生命はわれに還さむと子のししむらを衣に整へぬ


  縫ひつけし名札の子の名の文字除け上衣にしぶきし血糊見るかな


  身を裂かれ死ねるを焼きし子の骨を拾ふちりぢり時過ぎにけり


  子の通夜を誰か歌へる「海ゆかば」「君が代」「はやぶさ」の歌かすれゆく


  一瞬に爆ぜたるからだ見おろしてをりしか子の魂うろたへながら


  死にし子のポケットにある黒砂糖けふの三時のおやつなりしを


  十死零生の特攻兵君が殺めしはわが子良太ぞ互みに哀し


  還り来し夫のおだしきひげづらを見つつ子の死を告げやらめやも


  肉裂けし子ともろともに燃え尽きよわがうつせみの母といふ名の


  なつかしむ如くしばしばも名を呼べり子を殺めたる特攻兵の


  子のうへに突込みて来しかの兵の住むてふ北国は地図にとぼしも


  流線の機首美しき三式戦のわが子の良太を切つ裂きにたり


  靴ぬぎてひとり歩めり子の血潮吸ひて三十年軽し土のうへ


  声あぐる間なく死にたる子の声か島をめぐりてきこゆ海鳴り


  子を殺めし三式戦といふ特攻機の日の丸のマーク顕ついまもなほ


  血のおどろ紡ぎて胎にかへす術あれよからだをうしなひし子の


  戦争に死にし子のこと語るわが物語めく唇をかなしむ


  血の染みし帽子とシャツと子に関はるもの始末せむわが生ける日に


  子を殺めし特攻兵にわが見せし笑顔の嘘をとはに悲しめ


  いくさにて裂かれしからだ後生(ぐしやう)にて必ず直してあげるから子よ


  フォーギブ・バット・ノット・フォーゲット・めぐる子の忌よ四月一日


  闇よりも深き黒なれ子の通夜の灯火管制の灯のこぼつ光


  往きのみのシャトルもあれなばらばらに裂かれて飛びし子の魂が乗る


  洗骨せし子の骨今も匂ふなりわがふりかけし涙と泡盛


  子の血糊固きずぼんとシャツ濯ぐ裂かれしからだのままに破れし


  死にし子の全身包帯巻かれつつどこかの画室の石膏の像


  中学の二年になりし日昭和二十年四月一日子は死ににける


  その朝ともに韮汁啜りたる子はその夕べ裂かれ死ににき


  わが良太の四十年忌よ好みゐし西瓜店頭に血のいろ抱け


  湯気だてる白飯ユウナの葉に盛りてわが呼ぶ良太・良次・良三


  逝きし子のけふ五十歳の誕生日背広に替へやらむ学生服を



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


中学二年生になったその日。息子・良太さんは、自国の特攻機によって、誤って五体を裂かれて即死されたのでした。







    

美談未遂。

「自転車当選といい皇太子妃になることといい、彼女には“運”がついている」

と、のたまったのは、チッソの終生名誉会長であった江頭豊の妻、寿々子さん。。

このスズコさんは、皇太子妃・まさこさんのお祖母さまでもあります。さすが並の感性ではない。

一番下の方に、なかなかユニークな「孫娘像」もご紹介しております。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


石牟礼道子「苦界浄土」を中心に、声を少し、並べさせていただきます。

「銭は1銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、42人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に69人、水俣病になってもらう。あと100人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか」

(合同慰霊祭には、患者と関係者しか出席せず、水俣市発展市民大会には患者が出席しなかった。一般市民と患者たちの間は、完全に分裂状態にあった。それは加害者の側のの常套手段であり、驚くにはあたらない。まず、仲間割れを誘う。)

(患者たちの補償交渉は、そうした水俣の空気の中で始まった。)

「みんないわす。会社が潰るる、あんたたちが居るおかげで水俣市は潰るる、そんときは銭ば貸してはいよ、二千万円取るちゅう話じゃがと。殺さるるばい今度こそ、小父さん」

官は、厚生省批判に対しこう怒鳴った。

「政府が人命を大事にしなかったことがあるか。いまのことばを取り消してもらおう!」

「私たちいなか者は、厚生省は国民のことを考えてくれていると思っていた。次官さん、あなたのことばはひどすぎます。私たちは犠牲者なのです。やわらかいことばでしゃべって下さい」

           この厚生省政務次官は後の総理・橋本龍太郎。
彼は彼の役目を生きていた・・・・のだろう・・・。。

「東京にゆけば、国の在るち思うとったが、東京にゃ、国はなかったなあ。あれが国ならば国ちゅうもんは、おとろしか。水俣ん者共と、うっつ、がっつじゃった。うんにゃ、また一風ちごうて、まあだひどかった。むごかもんばい。見殺しにするつもりかも知れん。おとろしかところじゃったばい、国ちゅうところは。どこに行けば、俺家の国のあるじゃろか」

「私たちは許すことにした。
全部許す。
日本という国も、チッソも、差別した人も許す。
許さないと、苦しくてたまらない。
みんなの代わりに私たちが病んでいる。許す。」


「まだ生きたい」

と言って亡くなった。杉本栄子さん。

水俣病患者互助会五十九世帯には、死者に対する弔慰金32万円、患者成人年間10万円、未成年者3万円を発病時にさかのぼって支払い、「過去の水俣工場の排水が水俣病に関係あったことがわかってもいっさいの追加補償要求はしない」という契約をとりかわした。

「大人のいのち十万円
子どものいのち三万円
死者のいのち三十万円」


「陸に打ちあげられた魚んごつして、あきらめて、泪ためて、ずらっと寝とるとばい。夜中に自分がベッドから落ちても、看護婦さんが疲れてねむっとるときは、そのまんまよ。」

晩にいちばん想うことは、やっぱり海の上のことじゃった。海の上はいちばんよかった。

春から夏になれば海の中にもいろいろ花の咲く。うちたちの海はどんなにきれいかりよったる。
・・・・・
わけても魚どんがうつくしか。いそぎんちゃくは菊の花の満開のごたる。海松は海の中の崖のとっかかりに、枝ぶりのよかとの段々をつくっとる。・・・」




「あねさん、こいつば抱いてみてくだっせ。軽うござすばい。木で造った仏さんのごたるばい。よだれ垂れ流した仏さまじゃばって。

あっはっは、おかしかかい杢よい。爺やんな酔いくろうたごたるねえ。ゆくか、あねさんに。ほおら、抱いてもらえ。」


「部落にも居られん、水俣市にも居られん、国に行ってみても、国もあてにならん、みんなチッソとグルちゅうことがわかった。やっぱりそんなら、ふり出しにもどって、本家本元のチッソ本社に、お世話になりにゆこ。病人も、ひきとって養うてもらお。ああもう、ながい苦労じゃった」


「はい、もうみなさま方の前で死んでくれれば一番ようございます。それでこの子も本望というもんでございます。

今日はな、美しか服ば着せて来ました。みなさま方にこの子ば見てもらおうと思うて。十七年間もな、夜の目もなかごとして育てて来ました。よんべな、風呂にもいっしょに入ってな、匂いのよか石鹸で洗うて髪もな、今朝もな、ほら、顔も美しゅう、拭いて来ましたばい。

ねえ、とも子。
ほら、先生方の、よか子じゃよか子じゃち言わすばい、裁判長さまの。
美しゅうなって来たもね、死んでもよかねえ、とも子。今日まで大切に大切にして育てて来たもんね。・・・」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下、どすこさんよりお借りしています。

↓ この部分は露払い。ドスコイ!。

1986年10月18日、小和田雅子がスペインエレナ王女レセプションパーティーに参加(予め用意されていた出席者名簿に記載されておらず急遽手書きで追加という飛び入りっぷり)し浩宮と会った日の夜、母方祖母・江頭寿々子に語ったとされる言葉「浩宮様ってそんなにおえらいの?」のこと。
なおこの言葉は「皇太子さまっておえらいの?」と誤って認知されているきらいがあるが、1986年はまだ昭和の時代。「皇太子」は今上陛下を指すことになるため誤りである。

当時小和田雅子(23歳)は東大法学部に学士入学の在籍中で、且つこの時点で外務省入りが決定している。それでありながら日本の皇室・浩宮という存在について「そんなにお偉いの?」と問い&“無邪気な感想”を発しているのは、まともに考えれば日本についてとんでもなく無知蒙昧な女が外務省員になるということを意味している。

この「おえらいの?」発言については、「雅子は皇室に地位や特権目当てで入り込んだのではありませんよ!だって雅子は浩宮がおえらい人かどうかすら全然知らなかったんですから!!」という印象を世間に与えようと、祖母江頭寿々子の口を利用して小和田家が雅子にカマトトぶりっこ演出していたのではないかという見方も有力である。

以下の部分は本割です。ドスコイ!。


『週刊新潮』1989年11月23日号<「妃候補」小和田雅子さんの線はこうして消えた>記事
pp.49-50より引用

「雅子が何に傷ついたかといって、この騒ぎの間、皇室周辺のマスコミから、盛んに気の強い女だと書き立てもされたことがその一つだったようですよ。しかしあの子は本当はそんな子ではないのです。ふだんは熱烈な巨人ファンで、涙もろいお婆ちゃん子。東京でずっと育っていればソフィストケートされたのでしょうが、外国で育ったせいか、非常に素朴な子でしてね、気が強いなどといわれたのもある状況の下で理不尽なことをされて多少キッとなったことが誇張されてしまったのですよ」

「雅子は気が強いと書かれたこととお爺ちゃんが公害企業のトップだと書かれたことにいちばん傷ついていましたね」
 と祖母の江頭寿々子さんもこう語るのだ。

「とにかく、外交官というお仕事は、私に言わせれば、あれぐらいキッパリものがいえなくては務まらないんじゃないかと思われるし、本人がしっかりしているからこそアメリカで高校も出、ハーバードも優秀な成績で卒業できたんでしょう。祖父が銀行から派遣されてチッソに行ったのも公害問題が起こったあと。皇太子さまとお会いしたことがあるのも事実ですが、何分、本人は外国育ちなので宮中のことにも疎く、最初にお会いしたあと、帰ってきて、私に“お婆さん、浩宮様ってお偉いの”なんて聞くんですよ。“次の次の陛下(当時)になられる方ですよ”というとビックリしていました。いろいろお話ができて楽しかったと感激していましたが、本人にとっては決して愛情問題ではなかったのですよ」

 雅子さんには、実はすでに心に決めた男性がいるという噂もある。
 彼女は、ロンドンでの騒ぎのあと、高熱を発し、「一週間ほど寝込んでしまった」というから、罪な話だったことになる・・・・。


・・・軍配はいずれに。

「気が強いと書かれたこととお爺ちゃんが公害企業のトップだと書かれたことにいちばん傷ついていましたね」

並列否定のユニークなお家なようです。

この江頭夫人には、水俣の患者さんがたのことは、自分には無関係のことなのでしょう。

無関係以上に、ムカつくことみたいな匂いも感じます。凄まじいことと思います。

一昨年、両陛下は、熊本へ行幸啓され、水俣へも足を延ばしてお花を捧げられました。

お帰りの際のお見送りの人びとの中に、今日、その作品からあれこれ取り上げさせてもらった、作家の石牟礼道子さんも混じっておられたのでした。

石牟礼さんはご病気のため、車椅子で。

美智子さまともそれまでに面識はおありの方でしたが(美智子さんは有名人がお好き・笑)、時間のせいか何のせいだったのか、あ、という感じで見て、そのまま、歩み去られたのでした。

今上ご夫妻が水俣まで、行って。そこで、水俣作家とはからずも呼ばれる石牟礼さんの手を取って、とか。

ぐうぜん起きた美談めいて、皇后さまはそういうの、大好きなのになあ、と、少し、不思議だったKUONでした。

長男夫婦は行っていないし。ご自分たちも、水俣へは初めて行かれたのでした。



お返事が遅れています、しばらくお持ち下さい。




気付いてしまわれたか。


皇太子さまビオラを演奏 雅子さま、愛子さまが拍手


「皇太子さまは14日午後、東京・目白の学習院創立百周年記念会館で開かれた学習院OB管弦楽団の定期演奏会に出演し、ビオラを演奏された。雅子さまと長女愛子さまも客席から拍手を送った。

皇太子さまはオーケストラの一員として2曲目にステージに上がり、ドボルザークのチェロ協奏曲を奏でた。3曲目は客席に移り、雅子さまと並んでドボルザークの交響曲「新世界より」を鑑賞した。この時、愛子さまは先に退席したが、宮内庁東宮職は「理由は分からない」としている。

皇太子さまは夏と冬の年2回、定期演奏会に出演している。」


びっくりしました。

この時、愛子さまは先に退席したが、宮内庁東宮職は「理由は分からない」としている。

・・・何なのだろう。

親と並んで「なんだかわからないおんがく」を聴くことになっていたが。

つまらないので立って、一人で出て行った。

ということなのかしら。

「理由はわからない」という言葉が、ものすごく冷たい感じです。

今まではこういった話は出て来ていなかったけれど、衆目の中での出来事だったので隠せず、とりあえず

「理由はわからない」が、出て行っちゃった、ことだけ、発表した。

愛子ちゃんの逆襲。か。

ものごころつかない内から、カメラの前に出される時だけ「お母さん」だった人。

笑え笑えと、手の甲をぎゅうぎゅう押しまくった人。

挨拶しろと背中をどついた、教えられて出来なかった時には、シッ、と。犬を叱るより怖い声で冷たい目で、自分に当たった人。

学校で、なんだか困ることがあるみたいなのだけど、家で言おうとしても聞いてくれない人。言えても、

もう、どうしてそんなことばっかり言うのよ、と、イヤそうな目で、にらみつけるだけの人。

ぱぱを、バカにして、無視して、やっぱりカメラの前へ行ったら、ねええ、みたいにニコニコして、後では、ふんっと、機嫌の悪くなる、そういう人。後でだるくなるクスリを、どうしてものませようとした。

後でだるくなるんだ、くすりは・・・ぱぱはままを止めないの止められないの、すっごく怒鳴られるから。

だいきらい、わたしに、えらそうにいうから。

・・・その対象は、母親が書かせて世間にそのように周知させたように。

「先生」でなく。

カメラの前でだけ、顔を寄せて来たり。笑うみたいな顔になったりして来た、ずっとそうだった、

まま。だったことを、理解してしまわれたのか。

だいきらい、だったのは、母親だった。ことに、気づいてしまわれたか。

愛子さん。暴れてもいいです。胸の底の方に、溜まって澱んでどうしようもなくなった何かがあるなら、出してもいいと、考えます。

口でうまく言えない。それなら、愛子さんのやり方で、爆発されてもいいと思う。一時期、徹底的に。存分にやってごらんになったら。

大騒ぎになるかも知れない。世界中が驚き、そういう話が大好きな人たちが、無茶に書きたてるかもしれません。

醜聞。それです。でも、支持する大人はいると思います。

日本の東宮家が、世界からどんな目で見られても、笑われても。少なくとも私は・・人の数にも入らないミジンコを自称しているけど私は・・・かまいません、ちっとも。

そこから新たに始まるものに希望を持てる、そして待てる大人が、いるかも知れません。

いると思うよ。

あなたの一つの使命かも知れません。

ある意味もちろん、辛いお気の毒なことではある。


もう、か。やっと、か。始まったのかも知れない。







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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・

五月雨の露もまだひぬ奥山の真木の葉がくれ鳴くほととぎす

さみだれの つゆもまだひぬ おくやまの まきのはがくれ なくほととぎす
   
金槐和歌集 源実朝


真木は「高野槇」ともいいます


・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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さみだれの つゆもまだひぬ おくやまの まきのはがくれ なくほととぎす
   
金槐和歌集 源実朝


真木は「高野槇」ともいいます


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