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KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. 悲しいこと
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燎原の火は。



今朝。どなたかが書いておられるのを読み、本当にそうだと私も思った。

両陛下は数年前に、陵墓のことをお決めになった。合葬、というのですか、死後も寄り添われて、というか。

それに関して申す言葉を持ちませんが。

お墓のことより。生きている今の、しなければならないことを、人は考えたり案じたり迷ったり悩んだりして、日々を送っているのではないかと。ふと思ったワタシ。

一庶民のわが身などは、生きるだけ生きて、あと消えてしまえばそれでいい、ってな訳ですけどね。



昨日の続きを書きます。

・そしてその‘特別扱い‘はさらなる疑念を生んでいる。

この後の部分からです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・前述・午後2時に登校した日の下校時間は午後5時。部活に入っていない愛子さんには少々遅い帰宅時間だった。

・生徒たちの間では

「この日、愛子さんは二学期の期末試験に向けて補習授業を受けたのでは?」

と噂になっている。

・本来はこの学校では、インフルエンザにかかったり入院した等、やむを得ない事情で長期間休んだ時のみ補習が行われる。それは

・決して頻繁ではない。

「ですから‘特別扱いされている愛子様だから特例で補習授業が行われたんだ‘と生徒たちが思っているんです。こんな疑問が生じること自体が、異常な状態ですよね」

・・・まあ。「異常な親子」と報じられて、雅ドン本人だか誰だかが怒ったのはもう、数年前のことで。状態は変化せず、むしろ、皮肉って言えば、「異常な状態は順調に進化している、すくすく育って成長ー膨れ上がっている」とも言えます。

蛇足ですが、愛子さん自身はおそらく、補習を受けることを特例だとは喜んでいない。午後まで寝ている母親もどきが、やらせているのか・・・蛇足でした。父親なるお方は、見る限り全く、親として機能していないのだし・・・蛇足やめます。

こんな状況に、同じ敷地内で学ぶ女子高等科の生徒からも不満の声が、と記事は書く。

・在校生の中には秋篠宮家の内親王・佳子さまの姿を見て来た学年も含まれている。

「佳子さまのご在学中、学校側が‘特別扱い‘することはありませんでした。例えば、佳子さまが体操着をお忘れになっても、先生が

‘ご自分が忘れたのだから仕方ないでしょう‘

と厳しく指導されるなど、皇族と一般の生徒を分け隔てなく扱っていました。


・ご登校時の警備の人数も少なく目立つこともなかった、宮家というお立場もあると思われるが、愛子さんのように警備をゾロゾロ・・・はいっさい無かった。

「そんな佳子さま次代を知っている女子高等科の生徒たちからは

‘登校時間ではない時間に、あんなに大勢の警備陣が校内にいると落ち着いて勉強に集中できない‘

などという声が出て来ているんです。

今や愛子さまの‘遅刻‘問題発端に、さまざまな思いを在校生たちが抱き始め、校内には不協和音があふれています


今に始まったことでは無い。記事は続く。

・初等科時代も‘いじめ問題‘発覚以後、雅子さんの同伴登校や

・山中湖校外学習への同行など

・学校側が‘特別扱い‘したことによって、保護者達から猛クレームが入ったことがあった。

・今回は保護者ではなく直接、生徒たちから不満が上がるという異常事態。

・初等科時代と違い、子どもたちが成長して自我を持ったことによって起こった事態だけに、問題は根深いと。

・この原因は雅子さんの教育方針にあるかも、と、


「雅子さまは愛子さまの自主性を重んじることを大切にされています。それは愛子さまが幼いころから一貫した方針で、愛子さまご自身に道筋を決めさせて、後はそれを見守るというのが雅子さまなんです」

「ですから、愛子さまは一度決めたら、他の意見はなかなか受け入れない頑固な部分もお持ちなんです。

また愛子さまがどんな問題を起こされても、決して雅子さまが叱ることはありません。

だから‘遅刻‘が続いても、‘早く学校に行きなさい‘などと言うことはないんです。」


・・・とか来て、この関係者さん、

自主性を重んじるといえば聞こえはいいですが、現状を見る限りでは、その方針に疑問を感じてしまうんです」

深く深く納得、のオコトバで、〆ておられる。グッジョブ。

「関係者」でなくても、そう思ってます。

雅ドンの場合、方針でもへったくれでもない、もっと、確定的に「違う」ものが原因と思われます。

自主性って。見守るって。叱らないって。遅刻が続いても、‘く学校に行きなさいなどと言うことはないんです。って。


・・・この後には、先日の秋篠宮殿下のご発言、佳子さまと口論をなさる機会も多く、という部分が引かれており、

口論になるほど、お互いの本音をぶつけ合われ、親子でコミュニケーションを取られていることを明かされた、という方向に記されている。

最近よくご発言の、「教育評論家の深谷昌志先生」の言葉を、以下のごとく置いている。箇条書きで。

・4年生ぐらいまでの幼少期に親に叱られて来なかった子供は自己中心的になるケースが多い。

・任せるといっても、まだ判断するだけの力もない。

・その時期に叱れない親は、子どもの人権を尊重しているように見えて、決してそうではないことに気付けよこら。

・親子で意見を言い合えるのは、それまでにきちんとしつけをしてきた証拠だと思います。

・子供が大きくなってからも親子でコミュニケーションを取れるし、親が子供を信頼しているからこそ、子供の意見を認めてあげることができる。


秋篠宮ご夫妻に、すべて合致しています。その通りと、拝見していて思います。


・・・現実には私などは、育ちあがった子を見て、反省したり自分を責めたり、この野放図は能天気は私のせい、私が悪かったわごめんね、とココロの中で謝ったり。己の足りなさ不甲斐なさを、思い知るばかり・・・私個人の話ですが。


ただ。東宮家の夫婦ほどには、人様に迷惑かけてはいない。それは、言えることだろう。

迷惑とかなんだとか。既にそういったレベルの事態ではないとしか、思えない。

中学生にして、このようなことを書かれてしまっている愛子さん。

親はおそらく、ど強い態度で、それがどうした、と、鼻息荒いままで行くのかもしれない。

そう出来ると、今も思っているのかも知れない。

幸い(・・)もうすぐ冬休み。学校へも行かなくていい時期で。

2週間ほどは、遅刻も欠席もカウントされないで済む、愛子さん。

その後、学校へ、行けるのだろうか。

渇いて荒れ果てた不毛の地に、見える形でともったこの火種は、何かの力で消し去られるのだろうか。

可能か、それが。

燎原の火。

燎原の火は、燃えあがり、燃え広がるしかないです。

>同じ中学生の娘を持つ母親として、今回声を上げた上級生の生徒さん達が
>決して傷つくことのないように願っています。

・・・たった今、届いたお言葉のなかのフレーズ。

中学生の祖母である私も、同じ思いです。



・・・コメントのお返事が遅れています、今日は、書かせていただけると思います。







  1. 悲しいこと
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晒さないで。


愛子さんの13歳のお誕生日に発表された写真と動画を見ました。

髪型や服装のこと。もういいです。

脚を揃えて頑張って横に流していた。手を前で組めていた。いつもの部屋でいつものソファで。

飛び出す絵本のようなものを眺めておられた。スペイン、と表紙に読める本もあった。わけわからん、と、言いたくもあるが、それももういい。

・・とか。触れず済ませようと思ったがダメだ、雅子さん、スペインへ行きたいのか? 行って、 ご亭主より50センチは上方に、好みの濃ゆい顔が付いているフェリペに、国王に、目を閉じて顔を仰向けたいと妄想しているのか? あの伝説の国辱写真のように。あれはもう、もうもう御免だ、国民は。おそらくオットさんもイヤだろう、自分に一度だって向けてくれたことの無い「練習重ねた・撮られるための・らぶしーんモードの・アタクシの顔」を見せつけられるのは。

両手。ぱたぱたしていたよ、ナルさん。たまらなかったのですね悲しくて悔しくて・当時は。今は・・・さて。鈍感になることで救われるタマシイもある気が、します。あります。

雅子さんは愚かで邪で恥知らずで惨いオンナだと思った。シリカゲル、に似た言葉でも思った。しりがる、とか。基地外だとも。あの顔を、もうもう晒すなっ・・・ても、先日、ウィレム相手でも晒しちゃってたな、

白くてパツ金でのっぽの男ならいいのか? 。

なんでナルさんと結婚した?。

ナルさんが皇太子だから? 。

じゃあ、自分は皇太子妃だよね。

日本の皇太子妃は、あんな顔を晒さないもんだよ、フツーのツマだってそうだよ、この国のひとびとは。

雅ドンは知らなかったんだね。

スペイン。行けないよ、雅子さん。

あれを写させたのは、雅ドンの行きたいアピールだとか。言われています。行かせないよ、公費で、あなたを。

恥ずかしくないのか・・・ないんですよね、オキサキさん。


・・・愛子さんの写真、いつも写っている犬、今年も写っていた。今年も愛子さんの方を見上げたりはしていなかった。実質飼い主の手でか、こぎれいにしてもらっているように見え、それは、よかったと思った。

夜は「お一人で」両陛下にご挨拶に出向いたと。

車で、お付きのついた「お一人」だ、いつもの場所でにこりと笑っている写真が撮られていた。いつもの集団が、

「かわい~い」とか「おめでと~お」とか、声をかけたのか。どこのどの団体のアイドルか、内親王さま。でも

後部シートに、親に挟まれてきつきつに座っている時より自然な笑顔に見えた。

初孫さんの訪問を受け、挨拶されたかどうかは知らないが、両陛下のお心を忖度するようなことは控える。もろもろの現状から鑑みて。口に出していいことではないと思う。


あのお子さんの親に対しては、さまざまな思いがある。

13歳の少女は、誕生日写真にもファンデーションを塗られ、アイシャドー、しかもブルーのアイシャドーを瞼に塗りつけられていた。

内親王さんであって、勉強が得意でもそうでなくても、健やかに成長されればいい、それで十分の立場のお子さん。そうでない様相を呈しているのは、お子さんの親とその背後の強欲の所以である。

残酷なことをしている。して来た。

・・・このブログには、何人もの、さまざまな障害を持つお子さんのお母さんからの声を、いただいて来た。

真剣に読ませてもらって来た。私には、そうすることしか出来ないから。中の、詳しくは覚えていないし、探し出すのも難しいので、内容だけ書かせていただくことにするが。

このような↓「叫び」を、聞いた。言葉通りでは無かった、わたしの書きようです、内容はこのままのはず。



「愛子さんの実際の姿を隠し、ごまかし、優秀だの何が出来るの得意だの、ウソに嘘を積み上げて、本当の愛子さんを見せないで来た両親。

親たちばかりではない。

自分たちの都合や欲で、一人の子どもを利用し、本当の姿を認めないで世の中にも認めさせないで来た、罪深いオワダ夫婦。

無為としか見えない。放置としか。

必要な手を差し伸べず、ふさわしい養育を受けるための手助けをしないで、心配を装った顔だけを見せて事足れりとしてきたような、祖父母。

皆、私には許せない。

愛子さんにふさわしい養育の場を与えず、親族が進んで「障碍」を隠すことで。認めないことで。健常と言い張り、そう広めようとしたことで。

結果的に「ひまわり学級」「なかよし学級」の子供たちへの偏見が助長されることになった。

皇太子夫婦と周囲のしたことを、

私は許さない。」




うまくお答えは出来なかった。

私もでも、同感ですと申し上げることを許されるなら。

同じことを、感じています。思っています。

愛子さんを取り上げることで、愛子さんが皇室のお子さんであることで、随分な言葉が吐き散らされている。

そうさせているのは、何か。

皆が「こころない」からばかりではないです。

そのはずです。

東宮家は破たんしています。愛子さんはその、象徴的な犠牲者とも言えると考えます。

ヒトでも親でもないものたちが、それでも懸命に言われたようにカメラの前に座っていたお子さんを、晒し者にしました。

今年も。

隠さなくていい。隠されなければならないことはない。

晒されないように、と、願うのみです。







  1. 悲しいこと
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ビジネス。追記あります。



             第二ティアラも違う。別物。妄想と笑われても書き続けます。違う・・・。


いろんなことに疎いまま馬齢を重ねて、わからないことが沢山あります。

皇族のなさっていることも、意味だの理由だのわかりようもないから、へ~そうなんだ~と、お写真眺めたりテレビで拝見したり。

昭和天皇皇后両陛下がアメリカで、ミッキーマウスの時計をどうとか、読んだ時は、そういう物も身にお着けになるんだ、とか。

今上両陛下があちこちへ「親善」の旅にお出ましになり、現・皇太子が、泣いて後を追おうとなさる秋篠宮殿下を後ろから抱えて止めている写真なども、ふうん、と。皇室の子どもも泣いたり暴れたりするんだ、と。でも「ナルちゃん」はいつも可愛くなく「,あーやちゃん」は可愛かった、私の中で。自分とは違う世界の特別な子供だったながらに。

皇族は、疑いなく「特別な」存在であられた、私の中で。


幾つも沢山「なぜ」がある、ごく最近のことで言えば。

少し前にナルさんが一人でスイスへ行っていた。スイスとわが国の国交樹立何とか年記念だ、とのことだった。

始めの計画では皇太子は

「雅子の病気のことや愛子の視野を広くするため」

一緒に行きたいようなことを言い、自分たちもその方向で考えていると言っていた→はからずも言わされた、ぺろっと喋らされた→結果(かどうか)ナルさんは一人で行った。ちょこっとあやしてもらって、帰ってきた。

あの一連の報道の時に感じたのは、

「本当に国交樹立の何とかで、呼ばれたのか? そんな儀式があったのか? ナルさんが乾杯前に酒呑んじゃって、しかも平然としていたあのガーデンランチ以外に、何かそれらしき国と国とのオゴソカ行事があったのか?」

未だに応えは見つからず・・・というか、つまり、実は一家三人で外国へ行きたかっただけなのを、理屈こじつけて何とか言い、雅子愛子は出してもらえない状態で結局、ナルさんが一人で遠足して来た。

だけのことだったでしょう。

誰がそれをさせた? これは「外務省」という答えしかないでしょう。


ナルさんの押しかけ訪問は 、シビアなスイス国にいいようにあしらわれて、恥晒す形で終わった。

では、この度のオランダ国王夫妻の訪日は?。

・・・昔なら、どこかから王様方が来られたら、なんだか熱烈歓迎しなきゃ、仲良くしなきゃ、王妃様は綺麗と見上げたり仲の睦まじいのを「さすがだわ~」とぱちぱち拍手したりするものだと思っていた。

今わからないのは、オランダの国王夫妻は、外相その他のみでなく、ご本人いわくの

「中小企業150社引き連れて日本へ来ました」

大勢様ご一行で。何しに、日本へ来た?。

王様がカップルでいらしたので・・・国賓なのだそうだし、天皇皇后両陛下は丁寧にお迎えをされ、歓迎の晩餐会も開催された。

国王は演説した。かつてその母親女王がしたように。

「オランダ人はあの苦しみを忘れていない、と。」

被害者意識満載のスピーチを、おしつけがましく堂々と。

陛下はお言葉を述べられた。誰かの手になる原稿を、お読みになられたのだそうです。

オランダ王に押されて、ごめんなさいでしたね、とか、そういった感じ?。

まさか、ごめんねあの時は、と謝意を聞くためにご一行、来たわけでは無いです。

ごめんねなら、それは、形であらわさなければ「ごめんね」ではないでしょう、そうでしょう天皇さん。

そういう場が、あの、晩餐会でしたか。

今、この時期に、なんで?と思います。

どこかと喧嘩をあらたに始めたのでもなく。揉めてもいないでしょ。唐突に、オランダ国王夫妻が来日する、雅子さまもその一週間前の「説明」を受けられ、晩餐会に出席される。って。

いつ、誰が、どこで、どう決めて、その主な目的は何なのか、何をしに言いに来るのか。
雅子ヒの父親がオランダ・ハーグの国際司法裁判所の・・・とかいう以外、両国の現実的なつながりは薄いと。そう、思いませんか?。

10年ほど前の、王室が受け入れてくれるから、との、不可解な「長期ご静養」から不可解だったのです。

あの後で当時のベアトリックス女王は、雅子さんは危ない状態では、と発言されている、現・国王も同じ認識だったよう、でも、国王は元女王も現国王も、それを心から心配される理由は、はっきり言って、無いです。

このタイミングで大挙ビジネスマンを連れて来日して。公式な席上で「オランダ人は辛かった過去を忘れていない」=恫喝と言っていいのではないかしら=怒らない日本人の前で=とスピーチする国王とは、つまり、100パーセントオランダ人、当たり前、オランダのことが何より大切な立場の大男です。

これを、仕組んだのは、どこで、誰でしょう。何のため?。少なくとも、日本のためではない。

オランダと、いさかいやもめ事を起こす理由も無い、望みもしない。普通に、すれ違えば会釈を交わす間柄でいい国同士、で、いいではないですか。

ただ。雅子のことで、大きな恩を売られてしまった結果になっています。

そういう結果が現実にあることは、国同士の関係では、弱みそのものになりませんか。


国王が来て、わが国は日本から蒙った苦しみ辛さを忘れていないとスピーチして。

今日から一座が移動しているクネの待つ国と同じこと言った。それを、聞かされてしまったのですよ。

雅子は挙動不審でニラニラ笑ってたけど。

・・・それに対応する内容の原稿を、天皇が読み上げた。

ご自分で用意されたものでは無いです、どうとでも味付けできた内容でした。日本人の用意したものと思えない。

やられた。

やられたんだ。

私は、もちろんオワダヒサシがこれを仕組み、実行したと考えています。それ以外に、このタイミングであの国賓が来日する必然性は無かった

考えたらわかる、なんで、何でも無い今、来たのか?。

要求しに、来られました。雅子さんは、オランダとの「親密な」関わりの「証拠品」であるので、顔を見せない訳にはいかない。どうしても、この基地外妃を、わが国では温かく迎えて丁寧に遇した、去年の訪蘭の在りようは無礼至極のやり方で、実ははらわた煮えたぎるようなものであった、が、そんなことは小さいこと。雅子がオランダで世話になったことを、他の誰はともかく、日本の天皇と皇后は忘れるわけには行かないので覚えている、恩は受けっぱなしでいいと考えられるわけは無いので、ずっと心に刻んでいるので・・・と、オワダヒサシは考えるわけで。

雅子。どうしても出て来い、となる。

オランダ国はビジネスをしに来た、国王が来たので天皇が迎えた、しかし本来、天皇は、ビジネスの相手にはふさわしくないのです。

しかし国王が来て、天皇は迎えた。

国王は、ビジネスマンとして来るなら、そのごとき来方をするべきだったと私は思います。知っている日本人、いるでしょ。

でも正面から来たので。王様として来たので。

ホワイトタイで迎えるしか無かった。

国王(と背後でやらかしたヤツ)の勝ち、ですか。

商談もすでに、成立したようで。その商談の対象が、本当に「いい物」。本当にいいものだと言う、F社のシェーバーのごとき良品ならまし・・・って、そういう問題では無い。

>国王が率先してしかけてきた商談の相手に、天皇を用いたことが、納得行かない。

日本ではこういうやり方を「汚い」と言う。

納得できないことを「した」のは、利害関係がウィレムと一致するオワダでしょう。

オワダ氏に、どんな利益があるか。

計算は出来ようがないけれど、自分に、どんな形でも確実にキックバックの来る商売を仕組んで天皇を利用し(あからさまに今回はそうでした)、あの醜態をさらす娘を「証拠物件」として引きずり出し、判断力一切持たない娘ムコ・・・日本の皇太子・・・の無能無様を天下に晒した(今に限らないけど)、

小和田恆。

許さない。

で。皇室の、皇族の海外訪問だの国王来日歓迎晩餐会、だのが、こんなモノなんだ、と、今更知った、気づいた自分の、阿呆であることお人よしであること。

気持ちの持って行き場がありません。

腑抜けです。

腑抜け。

私ばかりではない。利用されている方も。

やられたい放題やられて。

秋篠宮殿下の御一家がおられるので、気持ちの端っこがまだ繋がって、もうイヤだもう知らん、とのセリフを、押さえ得ている気がします。

それだけみたいな気がします。

清新清冽並びない、本物のご皇族と仰ぐことの出来る方々の「皇室」が、まだ、あると、信じていられるから。


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富と栄光のためでなく ただ名誉のために

                                       井沢 満氏のブログより。



明日が小説の校正締め切りなので、今日もじっくり書く時間はないが・・・・

オランダ国王の余りにも一方的晩餐会スピーチに、いまだ心がざらついている。
書ききっていればスッキリするのだが、時間に不自由していて腰を入れて
反駁できていないので。

駆け足だが、日本人に最小限知っておいて頂きたいことを箇条書きで書く。

まずこれを見て頂きたい。

    (KUON註:スカルノ元大統領の筆跡)


スカルノ大統領のインドネシア独立宣言の書である。

日付の年度に留意されたい。

西暦では、1945年8月17日であるが、05年となっている。

これは「皇紀」なのである。皇紀2605年。

インドネシアの独立が日本のおかげであることをこういう形でスカルノ大統領は
宣言文に織り込んだ。

「侵略戦争」というのは、戦勝国側の一方的烙印で、あの戦争は白人による有色人種の奴隷としての使役からの開放でもあった。

そこをくれぐれも、日本人よどうぞ忘れてくださるな。

戦争の全てを肯定はせぬ、出来ぬ。

しかし、私達が幼児期より刷り込まれてきたように、日本だけが
一方的に愚かだったわけでもなく、悪かっただけでもない。

戦争は肯定しない。

言い訳もしない。

だが事実は事実として見ておかないと私達の父や祖父の名誉が、
そしてその子たちや孫達である日本人の名誉が足蹴に汚される。

あの戦争には白人からの支配から、アジアを独立させた戦争でもあった。

これをどうぞご記憶いただきたい。子にも伝えていただきたい、

インドネシアは、数百年間に及ぶオランダの支配下というよりは、略奪下にあり国民は家畜のごとく使役されていた。

オランダにとって、オランダ王室にとって有色人種は動物。人間ではなかった。
それから、まだわずか70年。国と王室の性根がそうやすやすと激変するわけでもないことは、ご理解いただけるだろうか。

1942年、3月1日。日本軍はわずか9日間でオランダを、インドネシアから駆逐、数百年に及ぶオランダの強奪からインドネシアを開放させ、更に動物ではないのだぞ、白人と同じ人間なのだぞ、と誇りを教えこんだ。

オランダが執拗に再度攻め込んでも、もう彼らは屈することがなかった。

そしてオランダは植民地を失い、しかもそれが小さい黄色い猿によってなされたことに、屈辱と怒り。

インドネシアの「国立英雄墓地」には11名の日本人が手厚く葬られている。
「英雄」墓地である。

インドネシア側にとっては日本の戦いは聖戦だった。

心からの感謝があった。

ここを忘れぬよう。

そして、日本が敗れた後もまだ帰国せず! 祖国に戻る道を選ばず!
インドネシアにとどまり、その独立に生命を賭けることを選んだ
日本人がいたことを忘れまい。

日本軍降伏後、4年5ヶ月におよんだイギリス、オランダとの独立戦争に身を投じた旧日本兵の数、千人とも2千人とも。それらの数すらつかめぬ名も無き英雄たちよ。

戦死者は、つかめた数が約400名。彼らもインドネシアの墓地に埋葬されているのだろうが、そのうち32名が各地区の英雄墓地に葬られている。

敗戦後もなおインドネシアに留まった日本男子たちの、心意気。

オランダがインドネシアに踏み込み、強奪を始めたのは1605年。


以来実に3世紀半にわたって、インドネシアの人々を家畜として
使役、人口わずか0,5%のオランダ人が全生産額の
65%を専有するという悪辣ぶり。

日本をどの口で侵略国家と呼ばわり、どの汚れた手で打ち据えるか、
オランダよ、恥を知れ!

戦争を肯定はせぬが、日本がロシアを打ち負かしたこともまた、
全てのアジア人に勇気と誇りを取り戻させたのは事実である。

第16軍を率いて、今村均中将ジャワ上陸を敢行、3ヶ月を要すると言われていたのに上陸10日後には、オランダ軍司令官はあっさり降伏。
このことへの恥辱もあり、オランダは執拗な恨みを日本に持つ。

今村均中将の言葉。

「独立というものは、与えられるものではなく、つねに戦い取るべきものだ。かれらが戦い取ることのできる実力を養ってやるのが、われわれの仕事だ」




それから、歩み始めたインドネシア独立への道。

300近い言語をインドネシア語に統一。

州の長官、副長官などに現地人を登用し、参議会を作って、行政や議会運営を習得させた。

インドネシア義勇軍を編成し、3万5千もの将校、兵士を育成。こうして後の独立戦争の素地は整えられた、日本人の手で。

・・・・・・どこか日韓併合時代の日本政府のやりかたを彷彿させる。

日本人には本来、白人の如き強欲さも傲慢さもない。
朝鮮も日本が合邦せず、ソ連の手にわたっていたら、文字通り植民地とされて
強奪され、人々は家畜として使役され、現在の近代国家大韓民国の姿はなかったはずだ。

インフラを整え、ハングルを広め教育と健康に留意しつつ統治したのが日本である。

韓国の近代化の礎を築いたのは日本である。

日韓併合の全てを肯定はせぬ。だが、西欧の概念で、あの統治時代を植民地と呼ぶのは絶対に違う。

それは、日本国民は胸を張って主張すべきことである。

韓国に侵略戦争呼ばわりされる謂れはない。

朝鮮半島での兵隊募集には応募者が殺到、日本兵として戦った。
朝鮮名のまま出世、日本兵の一団を率いていた者たちも複数。

これらは伝えねば。

過去のためではなく、これから日本人として生きていく子らのために。





  1. 悲しいこと
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めめずの子ならばめめずの親。


明日は違う記事を書きたいと考えています、今夜はもう少し「苦界浄土」の中から引かせていただきます。前回引かせてもらった部分をもっとたくさん。。

ゆき女きき書」   引用(渡辺京二氏に拠る)。KUON註:この渡辺氏が、今回の石牟礼さんの未発表原稿の発見にもかかわられたのです。共に90歳にあと幾つか、というお歳です。


坂上ゆき 大正三年十二月一日生 
入院時所見
三十年五月十日発病、手、口唇、口囲の痺れ感、震顛、言語障碍(中略)
歩行障碍、狂躁状態。(中略)絶えず(中略)(舞踏病)運動を繰り返し、
視野の狭窄があり、(中略)知覚障碍として触覚、痛覚の鈍麻がある。
                             (石牟礼2004:140)

「所見」はこれに「生来頑健にして著患を知らない。」とつけ加える。
ゆき女はこう語る。



──うちは、こげん体になってしもうてから、いっそうじいちゃん(夫のこと)がもぞか(いとしい)とばい。(中略)うちゃ、今のじいちゃんの後入れに嫁にきたとばい、天草から。嫁に来て三年もたたんうちに、こげん奇病になってしもた。(中略)うちはひとりじゃ前もあわせきらん。(中略)それでじいちゃんが、仕様ンなかおなごになったわいちゅうて、着物の前を合わせてくれらす。(中略)うちは、もういっぺん、元の体になろうごたるばい。親さまに、働いて食えといただいた体じゃもね。病むちゅうこたなかった。うちゃ、まえは手も足も、どこもかしこも、ぎんぎんしとったよ。海の上はよかった。ほんに海の上はよかった。うちゃ、どうしてもこうしても、もういっぺん元の体にかえしてもろて、自分で舟漕いで働こうごたる。いまは、うちゃほんに情なか。月のもんも自分で始末しきれん女ごになったもね……。(中略)心ぼそか。世の中から一人引き離されてゆきよるごたる。うちゃ寂しゅうして、どげん寂しかか、あんたにゃわかるみゃ。ただただじいちゃんが恋しゅうしてこの人ひとりが頼みの綱ばい。働こうごたるなあ自分の手と足ばつこうて。海の上はほんによかった。じいちゃんが艫櫓(ともろ)ば漕いで、うちが脇櫓ば漕いで。
                             (石牟礼2004:150-152)


もうひとつ。

六歳で発病し十七歳に達した娘、ゆりを育てている夫婦の会話。「とかげの子のごたる手つき」と「目あけて首のだらりとする」 (石牟礼2004:265) 死んだ鳥のような植物状態の娘のおしめを替えてやりながら、妻は夫にいう。



「あんたとうちゃん、ゆりが魂はもう、ゆりが体から放れとると思うかな」
「神さんにきくごたるようなことばきくな」(中略)
「木にも草にも、魂はあるとうちは思うとに。魚にもめめずにも魂はあると思うとに。
うちげのゆりにはそれがなかとはどういうことな」(中略)
「あんまり考ゆるな、さと」(中略)
大学の先生方もそげんいうて、あきらめたほうがよかといいなはる。親ちゅうもんはなあ、あきらめられんよなあ。(中略)ゆりが魂の無かはずはなか。(中略)木や草と同じになって生きとるならば、その木や草にあるほどの魂ならば、ゆりにも宿っておりそうなもんじゃ、なあとうちゃん」
「いうな、さと」
「いうみゃいうみゃ。

──魂のなかごつなった子なれば、ゆりはなんしに、この世に生まれてきた子じゃいよ」
「(中略)目も全然みえん、耳もきこえん。(中略)えらか先生方に何十人も手がけてもろても治らんもんを、もうもうたいがいあきらめた方がよか」
「あきらめとる、あきらめとる。大学の先生方にも病院にもあきらめとる。まいっちょ、自分の心にきけば、自分の心があきらめきらん。あんたなあ、ゆりに精根が無かならば、そんならうちは、いったいなんの親じゃろか。(中略)」
「妙なことをいうな、さと」(中略)
「(中略)うちはなあとうちゃん、(中略)
ゆりが草木ならば、うちは草木の親じゃ。ゆりがとかげの子ならばとかげの親、鳥の子ならば鳥の親、めめずの子ならばめめずの親──」
「やめんかい、さと」(中略)
「ゆりからみれば、この世もあの世も闇にちがいなか。ゆりには往って定まる所がなか。
うちは死んであの世に往たても、あの子に逢われんがな。
とうちゃん、どこに在ると?ゆりが魂は」
「もうあきらめろあきらめろ、頭に悪かぞ」
「あきらみゅうあきらみゅう。ありゃなんの涙じゃろか、ゆりが涙は。
心はなあんも思いよらんちゅうが、なんの涙じゃろか、ゆりがこぼす涙は、
とうちゃん──」



↑で、じいちゃん・夫が「もぞかばい(愛しいよ)、何もできなくなってしまったよ、一人で世の中から引き離されるみたいに心細い、寂しいよ、病気などしたこと無かった、手も足もどこもかもぎんぎんしとった・・もう一度海の上で自分で舟漕いで働きたい、親に、働いて食えと授かったからだだった、海の上はよかった、じいちゃんが艫櫓こいで、うちが脇櫓漕いで・・・と訴えている「ゆき」さんが、つまり、昨日の記事で、淡々と解剖の描写をされていた当人の、ゆきさんです。

屈強の漁師も、たくましい土着の女も、垂れ流されたメチル水銀の猛毒の前ににばたばたと倒れたのでした。

当初、チッソの事業は「国策」でもありました・・・。




 

  1. 悲しいこと
  2. tb: 0
  3. cm: 31
  4. [ edit ]

思いを募ります。Ⅱ。今回は一週間。



     青空と風が残れり 台風の去りたる庭に出て伸びをする

さて。

お寄せいただいたもろもろの「思い」。数か所へ向けて、送り出しました。

また、募集させていただきます。こんなに「思い」は溢れ出したがっている。そう実感しております。

できれば前回同様、馴染んだ地方の言葉で。

それでなくてもかまいません。

一行でもけっこうです、本気の一行。

今回は一週間で、一応、締めさせていただきます。

このコメントには返事はさせてもらいません。何度でもどうぞ、お待ちしております。東宮さんたちのことに限定です。











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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
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明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

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