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KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. 茶番じゃ。なこと。
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惧れも畏れも、そんなもの、ですか


まだはっきりと判り切っていなくて、これおかしいぞ、うにゃ、うにゃ、など、突っ込んで行けないもどかしさの中にいます。

前回の記事の「ともしびのともる~」うた、御製(ぎょせい・天皇のうた)なのか御歌(みうた・こうごうのうた)なのか、どちらにせよ、強い違和感を覚えて書いた記事でしたが。

感想をいただいたなか、同じことを思って下さったのね、と、なんだか安堵の深かった辺りを、以下に、勝手に引かせていただきます。


>「この様なところに行ってぇ〜
この様な事をしましたぁ〜♡」

厳かな神殿に入る時、きっと、美智子さんは虚栄心をくすぐられたのでしょう。

伊勢神宮にも、
天皇家、次期天皇家とされている皇太子両殿下のみが入れる区域、

(秋篠宮両殿下は入れない区域) があると聞いたことがあります。

虚栄心をくすぐられて、
浮ついた気持ちが、
なんとも、、、ヘンテコリンな、違和感有りな表現となったのでしょう。

異教徒?美智子さんにとっては、
神殿も舞台。

まさに、「 薪能 」の舞台にいるような、、、舞い上がった気持ちになったのでしょう。

炎の表現は、その時の心情を表す気がします。<


Hさんに、こう頂いて、そうそう、こうよね~と。そして


>まさに開いた口がなんとやら

大正天皇さまの御幼少のみぎりに詠まれた《砂糖は甘くて美味しくて牛乳なんぞに入れて飲む》というのがあるそうで、なかなか子供らしくて良いではないかと。
そもそも皇族さまなら、神嘉殿に於ける祭祀についてあれこれ言うかなと。禁中での事は秘かに執り行わなくてはなりませぬ。琴は多分、六弦琴を弾き御神楽を奏していたのではと。外にバラすかなぁ。
雅子さんの歌が、文法や言葉がアレだと批判されてますが、考えたらそれに近いレベルかもですね。
不安なのは、老人特有の御様子が見え初めた陛下を更に悪用(不敬ですが、ボキャ貧につき、これしか表現がみつかりませんでした。)しそうて怖いです。<


Kさんのこの仰りようにも、そうねそうねと頷いたKUON。

>そもそも皇族さまなら、神嘉殿に於ける祭祀についてあれこれ言うかなと。禁中での事は秘かに執り行わなくてはなりませぬ。琴は多分、六弦琴を弾き御神楽を奏していたのではと。外にバラすかなぁ。<

ここが特に、わが違和感の元だったのでございます。

あの一首に、ものすっごく驚きました。

異教徒。なるほど。その視点でなら、自分の目の前に繰り広げられている、皇居・神嘉殿での祭祀の模様も、こんな感じで見てしまうのかなあ、とも感じましたし、いわれているように、一神教の徒であるならば、他のタイプの「かみさま」に対して畏敬の念を持つはずも無し、儀式のあれこれもなんか変わったこと、とはいえ、自分は特別に関われること(その事実には大いなるプライドを持つにやぶさかではない)、微妙な感じ・・・しかし、このうた、よく、世の中に出て来たなあ、出されて来たなあ、など、!も複数形でございます。

ふつうに日本人の感覚なら、こんな目を持てたでしょうか。

しかも(今日はこればっかり)、うた自体が軽い軽い、惧れだの畏れだのそんな風味なんか、どこにもありません。

おそるべし自己・全力肯定人間、みてこさま。



>宮中祭祀を無私の心、国の安寧のみを願って行われれば、別の歌が詠まれるように思います。
そもそも、歌をお読みになる意識が
おありなのかと。
トランス状態になられたり、しないのかしらと、思いました。<


Bさんの疑問。

そうなのです。

宮中祭祀を、国家の安寧、国民の幸せ、世界平和、のためにつとめられるもの、と限定すれば。

・・・おかしな書き方をしましたが、そうなのでしょう?、そう、信じていますけど。

この際、祭官である今上(当時は皇太子)は、みてこさんの「夫」ではない。唯一無二、神事を行い得る立場、身位の、人でありながら、たんなる人、ではないお方。

ここが、ふつう程度に理解できていれば、こんなねちゃくちゃ、のうたは成らんのではないか。

と。

みてこさんには、すべて全部、私事。わたくしごと。わたし、が、すべて。

皇太子の時も天皇になってる今も。ハズはハズ、自分の夫。立場もへったくれも。わたくしのために存在し、わたくしを羅針盤に動いて、ヒジ、つかませていればよろしいのよ、よろしいの。ええ。って感じで。

>トランス状態になられたり、しないのかしら

ここ。恐ろしゅうございますわ。

失語症ヒステリー症状自己陶酔作文あれこれ。

つまり、それでは。

私見ですが。(笑)。

数日後に続きが書けますように。

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生ハム工場での両陛下。

両陛下でいらっしゃいます。

上衣もマスクもエプロンも頭巾も、なんにも無しで、両陛下。ご皇嗣夫婦の過去の味噌工場での「こと」みたいに、わぁわぁ、言われないのでしょうね。


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雨に咲く花

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退出 ちゃうちゃう 逃走です




この動画を探せました。

逃げる直前のまさこ、追い抜かれてニタニタ笑いの皇太子、けっこうな形相でまさこを誘導、逃走させんとする青いスーツの女性、見られます。

面白い、とかではない。

現・皇室の現状です。

・・・・・・・・


 東京の赤坂御苑では、女優の黒柳徹子さんらおよそ2000人が出席し、恒例の春の園遊会が開かれています。

 東京・元赤坂の赤坂御苑では、午後2時すぎから、春の園遊会が始まっています。天皇・皇后両陛下が各界で国民や社会のために力を尽くした人々を招かれる園遊会。女優の黒柳徹子さんや宇宙飛行士の油井亀美也さん、元プロサッカー選手の澤穂希さんなど、各界の功労者およそ2000人が出席しています。

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トットちゃんは見た。

 療養生活が続く皇太子妃・雅子さまも、12年ぶりの出席となった去年秋の園遊会に続きご出席。前回と同様に冒頭の式典の後、招待客の前で一人一人に会釈され、退出しました。(27日14:31)


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(馬之助さま勝手に画像をいただきました)

退出、ではなく。

ひでんか逃走、と。


きちんと報じましょう。

とにかく。一刻の猶予もありません!ご様子で、青いスーツの係員(?)=せっぱつまった、早く早く案内しなければ、と悲壮なお顔の=女性に導かれたまたこたま。

皇太子殿下の後にいたのが、コウタイシを追い抜き。気にせず足早に急いで、あと、どこへ行ったのか?

周囲の方々の驚きの表情も、歴史の中では語り草に、なりますかしら。

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今年はへーかにご挨拶もできたもの。♪

へこへこ十回もっと沢山、アタマ下げたもの。完璧、かな(註:まさこ比)。

後ろに、逃走用車両も準備済みよ、うふふ、ばっちり。

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白いスーツで。皆さま洋装。

平成皇室は、もう、〇〇〇。

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何のためのこの催しでしょうか。

常陸宮殿下は、車椅子でお出ましでした。

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ご招待客の前を、まさこを誘導、逃走させる役割の女性が・・・本来この人は、この場にいるはずでない人です。それが、お客様の前をアタフタと横切り、腐っても皇太子、の前を、腐りきってもここでは妃殿下であるまさこが付いて走って、用意させていt車で、今年も、逃げた?。

客より先に、逃げ帰った?。その前に。

招待客に向いていた、腐っても天皇の前で、お辞儀とは呼べない、無様なぺこぺことアタマ下げていたあれは、何の冗談か。。

ナルは為すすべなく呆然と、早くその場を去りたいだけのツマを、見送り。

天皇は、目の前で何やらやらかしているまさこに対して、やはり為すすべお持ちでない有様で。

こんな茶番もう不要。

園遊会だけでない、内廷皇族、全員。






  1. 茶番じゃ。なこと。
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もういくつ寝ると園遊会



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長期にわたりご病気療養中の雅子妃殿下が、ありがたくもかしこくも、病身をおしてご出席あそばすという、この27日の園遊会。

記事全文を、以下にご紹介させていただきます。

例のごとくのネコナデ声の、大人がまともに読む内容と思えません、が、ぜんぶ。


雅子さまの園遊会参加を勇気づける美智子さまの「ドレスコード変更」


週刊女性PRIME 4月21日(木)11時0分配信

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160421-00026393-jprime-soci

『春の園遊会』が4月27日に東京・赤坂御苑で開かれる。

 毎年、春と秋に天皇・皇后両陛下主催で、三権の要人や各界の功労者が招待され、両陛下をはじめ皇族方が労をねぎらわれる恒例の行事である。昨年11月の『秋の園遊会』では、皇太子妃雅子さまが12年ぶりに出席したことも注目を浴びた。

 そんな雅子さまについて、美智子さまは園遊会における「ドレス・コード」の心配りをされていた─。
「園遊会での女性皇族の服装は、以前は和装か洋装かをその都度、皇后陛下がお決めになり、ほかの皇族方はそれに従われることになっていました。

 当日の天候や気温の問題もあるでしょうから、最終的にご服装が決定するのは、かなり近づいてからになったと思われます」

 そう解説するのは、宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司さん。

「皇太子妃殿下(雅子さま)や各宮家の女性皇族は、皇后陛下のご決定を待って、ご服装の準備をなさると思いますが、女性皇族の場合はヘアスタイルやアクセサリーのこともあるので、大変だったでしょう。

 そういった理由からか、私も最近知りましたが、今は和装・洋装を春・秋で交互にしているそうです」(山下さん)
 つまり、'14年の秋と'15年の春が「和装」と続いたので、
 '15年の秋と今年の春は「洋装」になるローテーションなのだ。

「このように前もって決まっていれば、女性皇族方の準備はそれぞれのご都合でできますし、ご負担は軽減されます」(山下さん)

 一部報道では今回の園遊会は「和装」で、雅子さまはすでに着物を新調されているとも伝えられたが……。

 ご服装の順序化の経緯について、'09年の春か、'11年の秋が“転機”になったかもしれないと指摘するのは、別の宮内庁関係者。

「'09年は3月に皇后さまがテニスの際に左ひざを打ち、靭帯を損傷されたことがありました。

 それが原因でヒールを避けることから和装にされたのだと思いますが、ほかの女性皇族方は洋装でした。

 同じく'11年の10月には、右ふくらはぎが下腿筋膜炎と診断されたからなのか、皇后さまだけ着物でほかのみなさまは洋装だったことがあります。

 特に、園遊会の直前に不測の事態が起きると、混乱を招きかねないので、皇后さまはローテーションにされたのではないでしょうか」

 古くは乳人制度の取りやめや親子同居など伝統やしきたりにとらわれない行動を、陛下とともにされてきた美智子さま。皇室に新しい風が吹いたともいわれた。

「美智子さまが以前、国賓の歓迎行事のときの女性皇族の服装を和服から洋装に簡素化され、皇族方がお喜びになったという話を側近からうかがったことがあります」

 そう話してくれたのは、皇室を長年取材するジャーナリストで、文化学園大学客員教授の渡辺みどりさん。

「園遊会の服装を順序化されたのも簡素化の一環で、病気療養で長年、参列できなかった雅子さまへのご配慮もあったのかもしれません。

 前もって和服か洋装かがわかれば、和服が苦手とされる雅子さまも予定が立てやすく、洋装が続くときに復帰しやすいからです」(渡辺さん)



>園遊会     とは。wikiによれば。

「園遊会(えんゆうかい)は、天皇・皇后が主催する野外での社交会(宴会)である。

皇太子をはじめ各皇族も列席する催しであり、招待客に内閣総理大臣、国務大臣、衆議院議長・参議院議長及び副議長、主な国会議員、統合幕僚長(旧統合幕僚会議議長)、最高裁判所長官、裁判官、その他に認証官など三権各機関の要人、都道府県の知事・都道府県議会の議長、市町村の首長・議会の議長、各界の著名人(芸能人、著者など)、功績者(勲章の受賞者:メダリストなど)と、その配偶者を含めた約2,000名が招かれる。

近代、天皇が主催する戸外での宴会としては、1880年開始の「観菊会」、1881年開始の「観桜会」があった。しかし日中戦争に伴い、「観菊会」が1937年に[1]、「観桜会」が1938年に[2]それぞれ中止された。

「園遊会」の名称で行われる行事は、1953年から始まる。当初は秋に限り行われていたが、1965年から春にも行われるようになり、現在に至る。それぞれ“秋の園遊会”、“春の園遊会”と呼ばれ、赤坂御苑で催されることが通例である。また招待者の名簿は、当初から公表をされており、春の園遊会に各国の外交使節団の団長以下の外交官や、各国領事館の館長と、その配偶者、令嬢も招待される。

昭和天皇の病気・崩御により1988年秋と1989年春秋の園遊会が、1995年1月の阪神・淡路大震災により1995年春の園遊会が、香淳皇后崩御により2000年秋の園遊会が、2011年3月の東日本大震災により2011年春の園遊会が、それぞれ中止になった。

第二次世界大戦前の「観桜会」「観菊会」は、現在ではそれぞれ、内閣総理大臣が主催する「桜を見る会」と、環境大臣が主催する「菊を観る会」に受け継がれている。


60年もっと、続いている行事なのですね。

去年の秋には、まさこが「出席」したことで、「驚愕」されていた。

去年の「NEWSポストセブン」より。 アンダーラインはKUONが引きました。 文字色の変わっている部分もKUONの仕業です。


>皇太子妃雅子さまの12年ぶりの園遊会ご出席に、驚きの声があがっている。園遊会は、数あるご公務のなかでも雅子さまにとっていちばんご負担が大きいのではないかといわれてきたからだ。その高い壁を超えられた理由とは――。

春には新緑、秋には紅葉が、傍らにある池の水面に映える東京・元赤坂の赤坂御苑には、そんな四季折々の変化を楽しめる「三笠山」と呼ばれる小高い丘がある。

11月12日、この場所での天皇皇后両陛下主催の秋の園遊会に、漫画家の水島新司さん(76才)や、iPS細胞を世界で初めて臨床応用した、理化学研究所プロジェクトリーダーの高橋政代さん(54才)など約2400人が招待された。

園遊会は毎年春と秋の2回催されるが、両陛下をはじめ、皇族方が一堂に会され招待客と懇談されるという皇室にとって大切な会。だが これまで12年にわたって、その場に皇太子妃雅子さまのお姿はなかった 

「ところが今回、11月6日になって小町恭士東宮大夫は園遊会冒頭の式典に雅子さまが出席されることを発表したのです。 招待者との懇談はなさらない ということでしたが、雅子さまにとって実に12年ぶりの園遊会へのお出ましとなるわけですから、大変驚かされました」(皇室記者)

このところはご体調も安定し、公務へお出ましになる回数も増えていた雅子さま。それでも、とりわけ園遊会への道のりには、いくつもの高いハードルがあった。

「園遊会というと楽しげにお話しされているお姿が印象的ですが、皇族方はあくまで会のホスト役に徹しなければなりません。特に皇太子さまと雅子さまは、両陛下がお声をかけられなかった招待客へのフォローをしながら、状況に応じた会話をなさるなど重要なお役目でもいらっしゃいます。

言葉選びにも、細心の注意を払わなければなりませんし、先頭を歩かれる両陛下と、後に続かれる秋篠宮ご夫妻とのつかず離れずの距離を保たなければならないなど、一瞬として気を抜く余裕はありません。公務や皇室の行事の中でも、極めて“空気を読む”ことが強く求められる催しなのです」(前出・皇室記者)


“苦い記憶”も残る。療養前最後の園遊会での雅子さまのご様子を、当時を知るベテラン記者はこう振り返る。

「雅子さまは、2003年の秋の園遊会に出席された2か月後に帯状疱疹を患われ、『適応障害』の療養生活に入られました。

この時は、何度か足を揃えようとされてもお力が入らない様子で、表情も苦しそうにお見受けしました。それ以降、園遊会も欠席を続けられてきたのです。このことがきっかけで、雅子さまにとって園遊会はトラウマのように感じられてきたのではないでしょうか」

 実は今年の春にも、雅子さまの園遊会へのご出席が一部で報じられていた。

「結局お姿を見せられませんでしたが、雅子さまご本人は出席を強く望まれていたそうです。医師と相談した上で欠席を決められた際には、大変落ち込まれていたようですから…。今年に入って例年になく園遊会への強いお気持ちが感じられていました」(東宮職関係者)

皇太子ご一家のお住まいである東宮御所と、園遊会が行われる三笠山のある赤坂御苑は同じ赤坂御用地内にあり、距離にしておよそ150m。歩けば2~3分の距離だが、その三笠山に、12年の歳月をかけて雅子さまはたどり着かれた


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もーすぐこんなとこから出て行けるのよ、嬉しくてモジモジ、だんながおしっこ洩らしてる?

わたくしにはカンケーございませんから。


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もうすぐ消えます またこたま


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逃走用車両まであと一歩。

やったぜ、ヒデンカご出席してやったぜ、当分これで、「ご静養中」でいけちゃうぜ。

シュールな画像です。


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がはは、やったぜ、RUN AWAY

この画像中には、ひでんか、なんてものは、いっさい、存在しておりません。



雅子さまが園遊会の冒頭にしかお出ましにならないことに対して、「果たしてこれを出席と言っていいものなのか」といった声も囁かれているが、前出の東宮職関係者がこう指摘する。

「今の雅子さまにとっては、できることからひとつずつ、一歩ずつ前進していくことが重要なのです。そうして成功体験を重ねていけば、完全復帰につながる、と雅子さまも皇太子さまもお考えなのだと思います」



※女性セブン2015年11月26日号


いま、改めて読み返すと、なかなかに凝った部分のある記事で。

まさこさん、アゲられているばかりではありませんよね、これ?。

周到に、意地の悪さの見え隠れ(丸見え、とも・笑)している記事でっせ。

あははは。情けない記事でもあります、もちろん。

上記の、帽子のお方が何やらおっしゃっている「こーごーさまのお気遣い」だかなんだかは、まあ、様式美(美、ではないですね)とも云うべきか・


思うことを、素直に申せば、これも猿芝居、茶番、ご慈愛だか何だかごっこ、阿呆らしきこと限りなし。

天皇皇后が、ひとを招かれる。

皇族方も、招く側におられる、ホストの役である。

一世一代の名誉としてご出席の皆さまが、主に、もっとも前列に並んで、晴れのひとときを過ごされる。

それが皇居の園遊会。

皇后が、皇太子の妻をのみ、あれ一人を慮って、ドレスコードだ何やらとか。

まさこ一人に遠慮してなのかコワいのか、おつむがどうかなっておられるのか(それにしては、情状酌量の猶予期間が長すぎる)、

まさこ一人を気遣って、2000人もの人々に、どれだけの失礼、無礼をはたらくものか。

皇太子と共に出て来て姿を見せるのが「大切なこと」だと仰せとか、こーごーさん、あなたもまさこも、どんだけおエラいのか。

どれだけ、思い上がっておられるか。

どれだけ失礼か、言葉になりません。

東宮の妃なる位置にいながらの、あの体たらく。もう不要です。


とりつくろって済ませる時期は過ぎました。

こうごうさんとやら、あなたさまも既に、不要です。

国のひとびとが思い描く「皇室」を。

時々あおいでは、安心してまた、個々のなすべきことに取り組んで行かれるような。

目に見えぬ支柱のような。

幻想でもいい、日本人の思う「皇室」を、返していただきたく存じます。


皇太子ご一家のお住まいである東宮御所と、園遊会が行われる三笠山のある赤坂御苑は同じ赤坂御用地内にあり、距離にしておよそ150m。歩けば2~3分の距離だが、その三笠山に、12年の歳月をかけて雅子さまはたどり着かれた。

27日まであと三日。

新しい和服をご新調。

わたしたちの望むものは、そんなものではない。

まさこが、和装で現れて、どう歩くのか。

和装でなければどうなのか。

前回と同じコースですと。20メートルだか30メートルだか。先日の「雅子様の古装束での祭祀」を、廊下に幕を張って渡られた、とか報じさせていたけれど。

幕がお好きなのか、笑います。

どんな幕を今回は張らせておいて、どんなタイミングで、その奥へ逃げ込んで、用意させておく逃走用車両に、逃げこむおつもりか。

いつまでこんなこと、続けるつもりか。

ご夫君はツマの逃走をとどめようともせず、礼服の股間を尿で濡らし。

制し得る唯一の立場の老人は、われ関せずと見苦しくくっつき歩いて、振り向きもせず。

いっそ楽しみです、まさこさま、出ておいで、大笑いしてさしあげましょう。

二週間以上、姿をお見せでないと云われる、まさこ夫は、出ておいでなのですよね?

皇太子殿下なのですからね。


・・・いっしょけんめい書きましたが、入れたい画像を入れるまでに至らず。

いったん文字ばかりの記事をアップさせていただきます。


コメント感謝です、お返事、ゆっくり書きたいので、お待ちくださいませ。


ナルさんはいま、いずこに??。







  1. 茶番じゃ。なこと。
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大寒のご出発。





やはり海上保安庁の巡視船「あきつしま」を、使われるそうですね。



世界最大級の巡視船だそうです。

これはイコール、日本の海の護りの大いなる部分、尖閣諸島も、と言っていますが、「も」ではない、それ、大きな役割。それを一時的にせよ「邪魔」「阻害」する行為になると思うのですが、その辺はどうなのでしょう。お金も随分かかります。燃料費だけではないです(笑)。

両陛下が公式に外へお出かけの際には、三か月前に政府からの許可を取りつけることになっている決まりですが、フィリピン行きが決まったのは、決行の1月26日の、ほぼ一か月前の、12月のことでした。決まりなど関係ない、

勝手に行くのね、の印象を拭えません。

あちらの気温は27~28度だということです。

26日、大寒の候。。時に氷点下にいたる寒さの日本から、なんでこの時期、出かけるのでしょう。慰霊の対象の皆さま(兵だった方々)が、急かせられたわけもないでしょう、もう70年も経っている。当地に留まっておられる御魂は、言うまでもない、無いと思われます。

靖国へ一度も行っていない。行ってはダメ、の法は無い。行かなかっただけです。裏事情はあるようです。でも、もしも「ダメ」でも、「陛下の強いご意志」という伝家の宝刀、錦の御旗をかざせば、どこへでも行ける、何でも出来てしまう方々ではありませんか。

パラオへも、強いご意向、で、行った。都内にある靖国、そんなに遠いですか。

慰霊の思いは、途絶えることなくお持ちになられれば。誰も止めません、止めようがありません。

しかるべきやり方で、なさって下さいませ。

大寒のご出発。

徘徊するのは止めて。そう、申し上げたいだけです。個々の事情で、徘徊そのものを批判はできないかもしれません。が。

徘徊慰霊は、止めて下さい。

・・・・・。

やりたいことはどうしてもされます。



先日の文春記事で書き洩らしたことがあります。

美智子さまがまさこを叱った、という、あの号の記事です。少し追加して書きたいです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>美智子さまは、雅子さまはご実家でなく、他の皇族と深く関わるべきだとも伝えられたという。

(美智子さま)「他の皇族たちとの交流が途絶えているのは好ましいことではないし、それぞれの皇族がどのような公務を行っているかということが分からなければ、今の状況をまったく把握していないのと同じことなの」

「サーヤとの交流がないというのは、本当に人を助けることを生きがいとしているし、サーヤに聞けば色々なことが分かるのに」


と。美智子さんが仰ったとか。

はずれているな~。

ふつうの家庭のようにする皇室、というものを、皇后は紀子さまに言い聞かせて、あれやこれと、厳しく指導されたという。

紀子さまは素直に受け入れられたのでしょう。紀子さまだったから、そうだったと思います。若く真っ白で、その気概もお持ちだった。素直に聞かれたとわかります。

ただ、実際に、皇后のいう「ふつうの家庭」では、皇室は、ないのだし。

皇室に近いあたりから入られる方でさえ、専門家というか、その道に通暁される方の元、しっかり学ばれる。厳しく正確に。

独特の場所であるなら仕方の無いことなのでしょう。

紀子さまに、美智子さんが「注意」や「指導」をされたのは、なぜ。

専門の、よく理解しておられる方が、お教えするのが筋ではないの?

皇室ほど、そういうお方が山盛りおられるところは無い気もします。

美智子さんはしかも、陛下と共にあちこち飛び回っていた皇后さん。落ち着いt教育ができる環境では無かったと思われます。

紀子さまは、進んで皇室のなさりようを、身につけて行かれたのでしょう。それこそ、サーヤさまにお尋ねになったりも、素直にされたこともあるかも。

それと別の次元で。サーヤさまが、いかによく、飛び回っている母親抜きででも、周囲の教えを着実に身に付けられた方で、何でもご存じで出来る方でも。

皇太子妃として迎え入れられた雅子さんに、サーヤさまがお教えする、ということは「普通」ではない。まさこの味方をしているのではありません。

雅子さんには、家庭内の賢い方、というのではない、東宮妃に向けて教育その他を任されるべき人がいたはず。沢山いたと思う。

聞かなかったのです、あの人は。合理的でないとか意味不明とか言って、自分の立場として受け入れるべき教えを、拒否した。

人の言うことなど聞かないのがまさこさんというひとでしょう。

サーヤさまに聞くはずが無いし。サーヤ様が、善意でなさることを、受け入れたとも思えない。

皇后さんが「分からないことはサーヤに聞けばいい」と、もしも、本当に仰ったなら。

皇族の踏む手順でない、やり方でも無い。

何もわかっちゃいない。そういうことになります。

サーヤさんだってそんなことは難しいことだし、母親が圧し付けることでは無いのです、それがどんなにやりにくいことか、気遣いを要するか。

姉だと思いなさいと、もしも助言を受けても、その「義姉」は、自分をヒデンカ、と呼ばれるだけが大好きで。夫の家族と睦む気など、はなから無かった。実家の家族だけが、まさこの「家族」だった。

まさこは、現実に、皇太子の妃。

内親王でいらっしゃる清子さまより身位は上。

実際に、どうしようもない「仮病サボリの税金泥棒」と言われるほどの凄まじい妃であるにしても。清子さまより上の立場。

それを、皇后は「サーヤに聞けば何でも分かる」と。

アホか。

公私も何もぐっちゃぐちゃの話です。

皇后さんにできたことは、まさこに、

「きちんと、しかるべき教えを受け入れて行くように」

と、言うことだったはずです。

そういうメンバーを、育てて行くこと、私情でなく公の立場につく人に、伝わって行くように、すること。そうだったのではないか。

天皇陛下に口答えはしてはいけません、とか、普通は(笑)、教えなくてもわかっているのだけど。

まさこは「普通」でなかったので。

そんなの言ってもダメだった。まあ、(笑)そのあたりが「事実」だった。

夫の、妹。それも、よく出来た賢い妹に、何でも聞けば分かると、言われて、はいわかりました、そうします。

との答えの出来る人なら、今のまさこはいないし、今の皇室の惨状も無い。

はじめからわかっていて、それでもいい、ナルちゃんの傍にいてくれるのなら。

そのうち子が生まれたらどうにでもなる、養育係を付けて、足りないところは足せばいい、学校の成績などどうでもいい、どうにでもなる、まさこは、人前に出る時にだけ、母親の顔していればいい、人手は沢山あるのだから。

子は、大きくなればそれでいい、ナルちゃんの後を継ぐのだから、特別にどうでなくてもいい。

皆が我慢して、皇嗣であるナルちゃんの顔が立って、それと、もちろんワタクシの・・・以下、省略。

それくらいのお気持ちだったか?

思うように行かないことが重なって来て、時代の流れによって、まさかあるまじきこと、托卵だの影子だの。

言われること自体があり得なくて由々しいことが、噴き上がるように出て来ています。

どうなさいますか。

嘘や捏造、なんてレベルでないことが、ね、ご慈愛の皇后陛下さま。


言葉の軽い方。

それが美智子さん。

軽いのが、言葉だけでなかったことも、わかって来ているようです。








 




  1. 茶番じゃ。なこと。
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その名は出さない(出したくない?)。



「美智子さまの御歌」の中から続けます。

・幸むねに仰ぎまつれり大君の新高殿に立たせ給へる

 ・さちむねに あふぎまつれり おほきみの にひたかどのに たたせたまへる

                昭和44年 新宮殿初の国民参賀に聖上を拝し奉りて
 

聖上、大君と、昭和天皇に対して最高敬意をもってうたわれております。言葉はていねい。ma,kore,大切なことですね。(笑)。

明治宮殿と呼ばれた天皇のお住まいは、昭和20年の空襲で焼失。しばらくの間は宮内庁庁舎の一部を仮宮殿としてお住まいでした。

冒頭のうたのように、昭和43年に、明治宮殿跡に「昭和宮殿」が完成しました。

述べ面積23000平方メートルのここは、「威厳よりも親愛」を、「荘重よりも平明」を、のコンセプトでもって、無駄な装飾を省き、つくりは簡潔で、天皇の公的な場として機能していた。

耳になじみのある「正殿」「長和殿」「豊明殿」「表御座所」などが、回廊や廊下で結ばれているそうです。

昭和の両陛下は、防空壕としてつくられた「御文庫」に、当時の皇太子(今上)が結婚された昭和34年にも、おられたのです。16年間を御文庫で過ごされ、36年になってようやく、新たに建てられた吹上御所にお移りになられました。

吹上御所は延べ1,504㎡。鉄筋コンクリート2階建ての洋風建築で

「こんないい家に住めるようになったのもみんな国民のおかげだ」

とお喜びになられました。この年に還暦をお迎えの陛下でした。


昭和天皇のご崩御の後にはそこは「吹上大宮御所」と呼ばれるようになり、香淳皇太后がお住まいになっておられました。

香淳さま御崩御の後は、どなたもお使いになっておられません。

頭の中で、やっと整理がつきました。

お正月の皇族お揃いの一般参賀や、宮中晩餐会や、陛下が執務をなさる「表御座所」というところは、この、冒頭の美智子さんのうたの「新宮殿」で、行われている。

昭和の天皇陛下と香淳皇太后がお住まいになった「吹上」は、今は空き家になっているのです。

昭和天皇ご崩御ののち、今上天皇と皇后は、上記、吹上御所に入らず、実際はもっと多かったでしょうが、56億円が建設費といわれる新居に入られた。

つまり、これは、あくまで「新居」なのであり、お二人の住む「家」というだけのものなのですね。

雅子さんと結婚した皇太子も結婚後、数十億円かけて建設した東宮御所に住み、、その後、雅子の祖父の元チッソ社長のためにスロープをつけた。

・1997年 東宮御所改修工事(5億8000万円・バリアフリー化、公室棟改修(耐震補強工事・車椅子用リフト設置等))

そして愛子さん誕生の折りには、床材をコルクに替え、壁の塗り替えもし、専任の看護師複数名のための控室を設けるなど、そのたびに数千万円かけてリフォームしている。他にもあれこれ、総額23億円を超す金額が、拠出されています。

資料がありますが、割愛させていただきます。東宮家の改修費用について調べると出て来ます。

ついでのように書くのは申し訳ないのですが、

秋篠宮ご夫妻ご結婚当初は、赤坂御用地内の4LDKの、中古と言っても本格的に古い職員住宅に入られました。

その後眞子さま、佳子さまがお生まれになっても小さな増改築のみでずっとお過ごしでした。

秩父宮妃殿下の御遺言で、宮邸を秋篠宮ご一家にお譲りになると残され、ようやく宮邸に引っ越されたのでした。

旧秩父宮邸を改修して平成9年3月にお移りのそこの改築費用は1680万円。

テレビの人気番組のいっぱんのお家のリフォーム費用でさえ、もう少しかかっている気がします。

東宮家の20数億円とか、今上夫妻の住まいの56億円って。

など言っても、実際にそういことであったのであって、そこで、好き放題にお暮らしの内廷さまがたで、いらっしゃるみたい。


今日は、その56億円御殿にからめてのうたをご紹介させていただくつもりでしたが。

他の方向へ行きそうです。

武蔵野御陵にかんする二首。

・いつの日か森とはなりて陵を守らむ木木かこの武蔵野に

 ・いつのひか もりとはなりて みささぎを まもらむきぎか このむさしのに

               平成二年一月七日、武蔵野陵に詣づ  

               御陵のめぐりに御愛樹のあまた植ゑられてありければ   

               歌会始御題 森

・かの日より十年を経たる陵に茂りきたりし木木をかなしむ

 ・かのひより ととせをへたる みささぎに しげりきたりし きぎをかなしむ

                     平成十一年 昭和天皇十年祭


十年祭の折りのうたの「かなしむ」は、文字を当てれば「愛しむ」だろうな、と、考えます。先帝の愛された樹が、十年の歳月を経て、小さかったものいが茂って来ている、すばらしいことだ、愛おしいものだ、と。

今までのこのうたの鑑賞なら、そういった具合になtっと、私は考えます。

美智子さまってそういう方、慈愛、お優しい、の、イメージで読めば。

今ではそうは思えません。


昭和帝の、当時は新しい御陵ですから、幼い木木が植えられた。昭和帝は

「雑草と云う草は無い」

と仰った方。草の、木の命を、文字通り愛おしまれた方。

御陵の回りに育って行く樹も、草も、大切にお見守りだったでしょう(いささか感傷的な書きブリになっておりますが)

それを、美智子さんが「かなしむ」

って。ご冗談を。

56億円のお住まい。そのお住まいが、どうして成ったか。

雑草と云う名の草は無い」と仰せられた帝が、いつくしんでおられた雑木林。

もしやまた、何かあったら、民が逃げて来られるだろうか、とも仰せだったという、雑木林。

そこへ、豪勢な「家」を、建ててしまわれた、皇后美智子さん。

木も草もあったものか、ブルドーザーにひしがれ、チェンソーに切り倒され。

何の必要があって建てられた「おうち」かと、改めて愕然となります。

無茶なことを平然として来られたのだなあ、と。

過去形の話ではありません。

お誕生日に出して来た文書。

わたし(たち)国民は、どこかのおばあちゃまが孫の一人の話を持ち出して来るに付き合う気はない。

皇后陛下の出される文書は、公文書と思う。

そこに、悠仁親王殿下への言及の皆無なことが解せません。

はっきりと、改めてわかります。

皇后 美智子さんは、皇統への破壊者。まったき皇室を、と願う国民への、挑戦者。

公人としてのしわざに遠い高齢者のだだ漏れの世迷言もも、馬鹿としか言いようのない長男夫婦にも、その娘へのお持ち上げも。いっさい、不要です。動けばお金がかかる。膨大な血税が投入される。

趣味のお出かけくらいはなさるがいい(仕方ない)もう、公の仮面はお脱ぎ捨て下さい。




香淳皇太后へのうたを、最後に、ご紹介します。

・吹上の御所に続きて春草の萌ゆる細道今日踏みてゆく

 ・ふきあげの ごしょにつづきて はるくさの もゆるほそみち けふふみてゆく

                        平成六年


美智子さんはすでに、新居へ引っ越された後。香淳さまと同じ屋根の下に暮らしたくなかったのだ、と云われている真偽は判りませんが、美智子さんらしく詠んでおかれるなあ、と、ある意味、感心します。

「いじめて」くれた人にも、こころ注ぐワタシ、の、お上手なうただなあ。騙されて来ました、みんなみんな。

ご薨去のあとのうたも。

現し世にまみゆることの又となき御貌美し御舟の中に

 ・うつしよに まみゆることの またとなき みかほうつくし おふねのなかに

                        平成十二年


この世にては、もうお会いできないそのお顔、美しゅうございますよ、御舟の中に。

ご納棺の時のうたです。最後だからのサービス心?。

こういううたは、ご挨拶のような意味もあり。香淳さまのおためには、美しい、と詠まれたのは、いいことだったのだと思います。

・・・それなら、ご降嫁されて、娘ではあるけれど、よその奥さまになられる一人娘さんへの、おうたの一つ、あってもいいのねな、と、KUON、しつこいです。

も一つ言えば、愛子さんはあいこ、眞子さま佳子さまは まこ、かこ、でいいとしても、悠仁殿下は「ひさひと」では、あかんのと違うか、とか、思いますし。

筋道が大切で、あんなんでも「東宮様」とかやってはんねやったら、悠仁殿下は「ひさひと」では、あかん気も、しますぅ。

まあ、ひさひと、の四文字も、出さない決意のようですから。いいのか。

以前は「末の」とか、言い垂れていましたね、美智子さん。

あなた様、どなた様。週刊誌の表紙にでかでか、

「見ていられません」と親友が、と、書かれてる。笑いました。「陛下にしがみついて」いや、これ、ほんまのことですし。

親友がどなたやらは存じませんが、天皇陛下を杖代わりに使っているひとが、スロージョギングとやら、被災地へ行く時のファッションでやらかしておられた、びっくり仰天のお方が山盛り、いてはりますぅ。

しかも「主治医付き」ですと。茶番もここに極まれりぃ、な感じでした、それより、早朝から走らせるなど、天皇さんに対して、何か、お企みが????とか、ぞぞっとしました、=そういう方も、一気に倍増のようですぅ。

かないませんな、こういうの。笑う。







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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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