今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

だはははなこと。


・・・ということは。

昨日、新聞読んで考えていたこと。

呼び名はどうでもいい。どのみち、皇后さまなどと呼ぶ気は失せているのであるから、上なんとかの造語を示されても、呼ばなければいい、ワタシの中では。それより。

「公務のすべては新天皇に移譲される。」

ここ、めっちゃ気に入りました。

公のことはぜんぶ、次代に。それまで天皇だった方ご夫妻は、完全な隠居状態になられていいのですよ。

外国を訪問してあげなくていい、国賓を出迎えてあげなくていい。撮影されることも激減するでしょう、気楽になさって下さいね。

慰問も慰霊も何もなさらないでよろしい。

近年、オペラ鑑賞も世界のテノールを聴きに行くのも、絵画を見に行ってあげるのも、すべて「公務」認定だったでしょ。

公務だったの、ミテコさまには、お出歩きも。そうされたのは、あの方ご本人でした。公務にカウントされていた。それで、忙しいのお疲れの、と。

それ、ご希望通り辞められるみたいですよ、よかったですね、強引なお望みでしたけどね。

だからもう、無理しないでいいの、何もしなくていいの、お疲れさま。

な~んにもなさらないで下さい、引っ込まれるご夫妻は、ってことですよね?

お楽に、お平らに。そーゆーこと。

係の人はつけてくれるって、お金も使わせてもらえるって、でももう、いっぱいお洋服、見せるために作る理由も無くなるのですね。

ね?

ですよね?

わははははははは。

・・・・・てな気分で、この部分、ものすっごく嬉しかったです。

ナルちゃん、あれこれ背負うものいっぱい、大変ね~。ツマともども、頑張って下さいね~、森羅万象、世のことすべて、ええとこ取りはありませからんね~。どはははは。

ナルちゃん、日本の象徴にナルって。正気だったら、いやいや。

立派なテンノーになられるかしら、なれるかしら、お手並み拝見、いずれ見捨てるにしてもね。

その前にどうにかなられるのが、どんなに四方八方すべてに、よろしいことか。ナルさん本人にも。そんな気を遣ってあげることも、ここまで来たら不要かも。

滅びへの道は、あんがい今のように、安楽なものなのかもね。ギリギリまではね。知らないって強いですね・・・しみじみ。


今朝の新聞にまた、興深いことが書かれている・・・今から出かけます、いつもありがとうございます。









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たのしみなえんゆうかい。

あさっては天皇陛下主催の園遊会が催されます。

このたびもまた皇后さんは、まさこさん庇うための洋装をお命じになられたか。

和装洋装、決めるのは美智子さんだとのことで。

かつては和の次は洋、とて、妃殿下内親王様方の、美しいお着物姿を拝見できました。

ここずっと「着物の苦手なまさこさま」への配慮ばかりが先んじて、続けて洋装ばかりだった、園遊会。

というより。ひさびさに出て来た最近の二度ほどの前は、十数年も(数字いささあかあやふやかも)サボっていたんだ、とうぐうひは。

何年ぶりとかそんなこと、養殖のブリの「10年モノ」とか(そんなブリ、大味でまずくて食えねえだろーよ)。そんな風にアゲアゲされてらした。出て来たら「いい子いい子」されてる公人の意味、意義、異議、ですわ。

苦手なのでない理由の方は語られませんけど。

まさこはどれだけ人びとの視線の中を歩けるか。10メートル、20メートル、どのタイミングで遁走するか。

新記録樹立なるか。また、

妃殿下の親といえども皇族でも準皇族でもない一般の国民の一人である小和田某は、その日、日本にいて、天皇が招かれた数少ない皆さまに向いて

「ようこそおいでなさいました」

とか、頓珍漢かつ無礼傲岸厚顔無恥銀河の向こうへ飛んで行け、的なアイサツをなさっちゃったり、できるのか。

スイスに留め置かれたままとの説が根強いのですが、軟禁だか拘束だか解かれて、(ただでありつける)お客様用の焼肉、むさぼり食うこと、なし得るのか。品の無いこと書いてしまいましたが、とにかく他人のフトコロ持ちの大好きなお方。下品は見についておられます。あの娘さんを、皇室に入れた方ですから。

何につけ、まともな話題のあったためしがないのであります。

今年はどのような園遊会になるのか。

華やかな、背俗離れした世界が素直に楽しめたのは、遠い過去のこと。

そのたのしみを取り上げられてしまっている現状、まさこのやらかしに、不満の矛先を向けさせていただきましょう。

ええ、わたし意地悪です、とってもそうなんですよ。

まさこさま、楽しみに待たせていただきますからね。うん、うん。

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昨年のまたこたま。

お客さまの前を早く早くと逃走用に準備させたクルマまでたどりつき、もう帰りますとばかり両陛下に、Sれでも挨拶。

美智子さんはとめもせずとりなしもせず、招待客にお尻向けてアタマさげて、そそくさと逃げ帰る東宮妃を、送り出されたのでありました。、


私事あれこれ


こんばんは。やっと落ち着いて机の前に座りました。

ドタバタしていたのです。

夫のおかあさんが警察へ駈け込んで、「ワタシ苛められていますねん」と、やっちゃった。

年金もぜんぶ取り上げられている、妹が送ってくれる小遣いもヨメがその日に持って行ってしまう、ワタシの貯金もあのコが勝手に出して使うてますねん、そんなんドロボーですやろ、ドロボーと一緒には暮らしたくない」

と。今回が初めてではない、90歳のおばあさんが訴えるわけです。

髪をきれいに整え(その次男のヨメがしてくれている)、服装もこぎれいな姑が、ヨメのワルクチ、ポリスマンに言いまくる。

私は「いいモン」の役、迎えに行って「この子とホンマはくらしたいのに」とむしゃぶりつかれる役で、一緒にいてくれる義妹に申し訳がない。と言うときれいごとですが、ホントにそんな気がします。

姑の言うことのすべてが嘘では無い、とはわかっています。ほぼ本当でしょう、しかし。

大変と思う。親のお金ぜんぶ使って遊びまくっていた頃のようには今は行かず。

義弟はまともな市井人の暮らしのできない人で、大学院まで親に出してもらったのに、結局。大きい話ばかりして、何もできなかったひと。

去年、脳こうそくで半身不随になりました。亡き舅の結構な額の年金は、家でこもっているだけの義弟の生活費でもあるのだし、姑は二か所のデイサービスにも通っています。そこでは「センセイ」と呼ばれていて機嫌がいいので、回数を減らすことはできないようです。

姑の言いたてるように、義妹だけがお金を使っているのではありません。

彼女は自分の仕事を持っている。若い時から一貫して仕事している。それも生活のためのお金になっているでしょう。当たり前と言えば当たり前です、でも。義妹は結婚した時は、こんな風になるとは思っていなかっただろうなあ、と、考えています。

幼い女の子と一緒に、出て行ったままの義弟の還るのを待っていた先の奥さんを完全に無視し続けたあげく、実家へ帰らせて夢だったというハワイでの結婚式。防音ルームのある新居を建ててもらって三人暮らしを始めた頃は。・・・意地悪な言い方していますね私。リニアカーみたいに、宙に浮いた暮らしをして来られた、夫のお身内なのでした。

いま、義妹が私に当たってこないのは、それだけでもすごいと感心していますけど。言いたいこともあるやろな。

私が聞かんなんことは無いと思っていますが。

ははを迎えに行ってゆっくりお寿司を食べて、おやつやお線香や好きに選んでもらって、送り届けます。ははは結局、義弟が可愛くて気になって、離れてはいられないヒトなのです。ポリスマンは、一緒に暮らしてあげられませんかと言われます。

ワタシは部屋は二つもらわんと暮らされへん、と仰いますので、無理です。私たちには叶えてあげられません。

いま義弟が借りている家は、部屋が六つあります。そこで三人住まい。婿の名義でローンを組んでようやく買って、六人と犬いっぴきでワヤワヤ住んでいるわが家では無理です。ポリスマンはいつも、微妙な顔で笑って、また来てあげて下さいや、と(笑)。

・・・送り届けると義妹は、しゃら~っと笑って、すみませんともありがとうとも言わない。

言ってくれなくていいのです。もうしばらく、おかあさんを見てもらわないといけないので。私もできることはしますが。

完全に和風の顔の人で、頑張って生きておられてすごいな、と、かつての美貌の痕跡をのこしている顔に向かって、私も笑いかけます。

きっと前生は、キツネだったな、この人。と、毎回、思いながら。


一つは。

仕事帰りに高速道路で、追突されました。50キロくらいのスピードで当たって来たと。私は乗っていませんでした。

車の後ろがひどいことになりました。運転していた方はとても紳士的に、お詫びを口にされたようです。

で。代車として、ほぼ新車のアルファードが来ました。ぴっかぴか。わが家は、車は前へ進めばいいくらいの認識ですので、触るのがためらわれるピカピカ具合。

小さい方の車を使っていて、代車は駐車されたままです。

怪我が無かったのでまあいいか、と、タントでとことこ走っています。



同居の次女夫婦が、タイへ出かけました。婿クンは初めてのタイ。

留守中に孫息子の公立高校の入試の発表がありました。

帰って来るはずの朝、娘から電話が来て、ヒコーキに置いて行かれたと言う。

出国する人がものすごく多くて時間がかかって、ああ、と思ったら、荷物は降ろしてくれてたけど、飛んで行っちゃった。

と言います。奇妙に冷静な声。ちうごくの飛行機、格安のチケット。

で。お金の余裕は無い。カードは持って来ていない、地方銀行のキャッシュカードしか無い。とか言う。

安いのでなくていいから、とにかく二人で無事で帰って来いと言うしかないのです、ワタシには。

次の電話では、

「もうどうしようもない、私たちドンムアン空港で大道芸人にでもなるしかないかなあ」

などと、人生をなめきったことを言うので、

「あんたらの即席芸にお金くれるキトクな人はいてへんわ」

と言ってやった。すると、

「どうしたらいいかわからんでキトク状態くらいやわ気分は」

笑いようの無いボケかますアホ娘。

金も無いカードはJCBだけ、奈良の銀行のカードだけで、よくもまあ、外国へ行ったものだ。行ってらっしゃーいと送り出したワタシには、なんの責任も無い。ありませんとも。

腹は立つが、怒り声は今は出さないでおこう。

それが昼前のこと、結局、なんとかカードでチケットの買えるところを探して、すべての旅行代金より高いお金で買ったチケット二枚、頼りに、夜更けのフライトでバンコクの地を離れ。

今朝、帰って来ました。

そのまま仕事行きました。ああヤレヤレ。

婿クンは、厄年を気にしていて。タイでは欲しい物も無かったし、チップあげまくって来た、と言う。諸説あるでしょうが、それはよかった、と、パチパチしていた私でした。

娘は、だんなは言葉も判らないのに奮闘してくれた、優しかったとノロケておりました。

無事帰国叶った、めでたし。もうちうごくの飛行機には乗らないそうです。それがいいと思います。


合格発表の日に、両親は外国に行っていた孫息子。

担任の先生が「無理と思うがチャレンジや」と、受けさせて下さった(ぜったい安全パイの私学とセットで・私学さん、受からせて下さったのにごめんなさい)公立高校、びっくりですが合格でした。

本人が一番驚いていました。人の言うブランド学校でもエリート高校でも無いが、野球を続けられるし、本人の希望した学校。よかったと思います。全く勉強のできなかった子が、クラブ活動の終った夏からの半年間。ウソのように頑張っていました。

他にも小さくあれこれありましたが、今夜は安心して眠れそうです。

私事ばかり今夜は書きました。

おやすみなさい。




ナルちゃん

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最近はじめて見て、え? と思った写真です。

>上野動物園でトラの子を触るナルちゃん、とある「ナルちゃん」は、あの当時のナル氏だと思う。

私とナル氏は10歳違いで、亡母が美智子さんの「ファン」だったせいもあり、あの時代にしては雑誌媒体で皇室、特に美智子さんを見ることも多くあったと思います、ほとんどがナルちゃんとセットの写真を見ていました。

髪がサラサラで、ロンパーススタイルが多くて麦わら帽をかぶり、バスケットを持っていることが多かったと記憶します。

幼稚園時代も小学校時代も、髪はサラサラ、いわゆる坊ちゃん刈りでなく、向かって右側の写真のようでした。

向かって左と真ん中、同じ写真の大小と思われますが。

このお子を見て「ナルちゃん」とはおもいませんでした。

私なりにナルちゃんさんに、近所のお子たちと違う「皇室の子」らしい感じを抱いていましたし、まとも言うてしまいますが、結婚して何年か経るまでは、品がおありだったようにも思います。


母が夢中で「美智子さん」「ナルちゃん」と言っていて、母と二人暮らしだった私は、子どもながら白け気分でいたと思いますが。

ナルちゃん憲法、などという言葉も広がっていた。

名古屋弁で母が「ええふに育っとらっせる」

・・・訳すると「いい具合に育っておられる」、「さすが美智子さんだわ」。

とニコニコ顔なのを、シラーっと聞いていた。可愛げのない子でした私(笑)。

「平民から皇室へ入った」美智子さんは、ある種、女性たちの希望を背負っていたのだとは、思います。

いつも最新モードの美智子さんでした。そういった面も。


「ええふに育ってらっせる」ナルちゃんは、愛されて人気者で未来の天皇で。天真爛漫に育たれました。

[dosuko]

さんより、そのまま幾つかのエピソードを。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ナルちゃんこと、浩宮徳仁親王にまつわる伝説というか事件簿です。

参考:【徳仁の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ】、【あとよろ】


■第1期-初等科入学前-■編集
◾ 4歳誕生日を前に母美智子さまが「(浩宮は)食事などでも魔法みたいに自然にテーブルに出てくるものだと思いがちのようです」と語る事件

『美智子さまの気品―陛下とお子さま、そしてお孫さまと歩まれた50年』江森敬治、主婦と生活社(2008年)より

 皇太子さまの四歳の誕生日を前に皇后美智子さまは、
「この四年間、強く感じたことですが、第三者が真剣に働いている姿を見る機会に恵まれていません。たとえば、食事などでも魔法みたいに自然にテーブルに出てくるものだと思いがちのようです。それで、まだ小さい時に、手を引いて大膳で料理を作っているところをわざわざ見せに行ったこともあります」と、述べられている。

◾ 3歳誕生日パーティーで「オサルノ カゴヤダ ホイサッサ」と歌った後、レコードのノイズ音「プツン、プツン」を口再生する事件
◾ 交通博物館見学でパトカー模型を目にして「アッ、警視庁ダ。警視庁モッテルヨ。ボク警視庁モッテルヨッ」事件

『明星増刊』1964年5月緊急号<かわいいおもちょいナルちゃん言葉>

p.141より引用
 昭和38年2月23日、ナルちゃんは満3歳のお誕生日を迎えられました。(中略)美智子さまがお作りになったバースデー・ケーキの3本のロウソクを勢いよく吹き消されたナルちゃんは『おサルのかごや』を歌い始めました。「オサルノ カゴヤダ ホイサッサ」ご一同が拍手しようと手をおかまえになったとき、とつぜん「プツン、プツン」と声を出されて、ご一同びっくり。
「ナルちゃん、いまの“プツンプツン”ってなーに」正田恵美子さんがおたずねすると、
「レコードがそういったよ」とケロリとされていました。“プツン”“プツン”という音がしたのです。

 ことしの2月26日、鷹司平通氏がおつとめになっている交通博物館にいらしったナルちゃんは、ミニカーがずらりと並んでいる前にじーっと立っておられましたがとつぜん、
「アッ、警視庁ダ。警視庁モッテルヨ。ボク警視庁モッテルヨッ」とパトカーを指さして大喜びでした。
参考ようつべ:4歳浩宮のおしゃべり「19931231皇太子妃誕生物語5」 2:20~

◾ 子供が茶碗を叩いて面白がって遊ぶのはよくあることだが、徳仁の場合はお母さまに二度三度言われても、お父さまにお尻を叩かれても止めず、ついには罰として外に出されるまで茶碗叩きを止めない、異様過ぎる茶碗叩き遊び熱中事件

『浩宮さま』浜尾実著

p.52より抜粋
 浩宮さまは、両陛下からはもちろんのこと、私からもよく叱られたものであった。
 お食事のことで両陛下が厳しかったために、お叱りをうけるのはお食事の前後が多かったようである。一般にスプーンを使って自分で食べられるようになった子供は茶碗を叩いて面白がることがある。浩宮さまもそういう時期があった。
 「イケマセン」と皇后さまがやさしく言われるのだが一度でお止めになるときとそうでないときがある。
 二度三度言われてもおききにならないときは、陛下のご出馬となる。陛下はしばしば浩宮さまのお尻を叩かれた。あるときはその茶碗叩きをお止めにならないという理由で庭にだされたこともあった。
≪Part1592-703発掘奥様によるご紹介≫

◾ 1964年3月に皇太子殿下(当時)と美智子さま・浩宮(4)が千葉県房総半島旅行、吉田屋旅館で初めてスリッパを出されどうしてよいのかわからず固まってしまう、ごゆっくり風味事件
ソース:2007/11/07秋の皇室番組SPでの「皇太子ご一家房総旅行でのスリッパ履き替えエピソード」

◾ 1964年10月浩宮(4)はじめての学習院幼稚園運動会、「カゼをひかれたあと」との理由で何故か一人だけござの上で寝転がる姿を披露事件
ソース:『週刊平凡』サヨナラ1964写真集あの日あの時12月10日増刊号<ボクは赤組 秋の運動会>グラビア

◾ 1965年秋、当時の皇太子ご一家が軽井沢静養で作家・川端康成氏の山荘を訪問、その際5歳半過ぎの浩宮は挨拶もなしにビスケットを6つ7つ立て続けに食い、そのまま「おさきに」とだけ言って去り、川端氏に「かういふ習はしがおありなのだらうか」( ゚д゚)ポカーソとせしめる事件

◾ 幼少時の家族ハイキング時、皇太子殿下(=今上陛下)は常にリュックの中に分厚い植物図鑑をお持ちになり興味のある植物を見つけては立ち止まって調べられるのに、一方浩宮はマイペースでどんどん歩きたいと陛下と一緒に立ち止まらなくてはならないのが面白くなく、ある時お二方は険悪な雰囲気に…それを美智子様がとりなした事件

『岳人』1997年6月号への徳仁寄稿文より、ttp://www.youtube.com/watch?v=RNeZDm_EyCA 参考ナレーション入りYoutube映像

五歳のとき、父に連れられて初めて、離山(はなれやま)へ登って以来、軽井沢近辺の山々を歩くのが好きになった。父は山登りの途中、たとえ花のない植物であっても、興味を抱いて足を止めおもむろにリュックサックから分厚い原色日本植物図鑑を取り出す。そのたびに、頂上に早く着きたいという私の望みは絶たれるのであった。母の回想によれば、父のたびたびの停車に業を煮やしたのか、山頂に到着したとき父と私との間には一種険悪なムードが漂っていたそうである。

『岳人』2005年10月号 東京新聞編集局長水野和伸<山での皇太子さま 担当記者同行記>記事 p.18より引用
足慣らしという奥多摩の棒ノ折山では、(徳仁)殿下一行のペースの速さにギブアップする記者が続出した。

※今上陛下(当時皇太子殿下)によるゆったりハイキング理由については、重い荷物・機材を運んでいる随行員とマスコミ記者を気遣ってのことと言われている。大人になったナルちゃんがこの配慮を理解できたかについては、後掲「だらしないですね」事件からして、かなり疑わしいと言わざるを得ない。

◾ 1965年10月3日学習院幼稚園運動会にて同年11月末に後の秋篠宮殿下をご出産される臨月の美智子さまもご観戦、ナルちゃんはフォークダンスの相手をすっぽかして見学予定のお母さまに走り寄ってダンスの場に引っ張り出してしまうという、幼稚園児だからしょうがないけど相手の先生の立場ないよね事件

MSN産経【皇室ウイークリー】(153)愛子さま、メディアがプレッシャー?「ナルちゃん」の運動会を振り返る 2010.10.9 07:00

 愛子さまの運動会の様子は次回の皇室ウイークリーで詳しくご紹介することにして、今週は45年前に行われた学習院幼稚園の運動会を取り上げたい。主役は当時5歳だった皇太子さま(浩宮さま)だ。

 「ナルちゃん楽しい半日 学習院幼稚園の運動会」。昭和40年10月4日の産経新聞朝刊はそんな見出しで、浩宮さまの元気なご様子を伝えている。浩宮さまは綱引きとタマ入れの競技にご出場。「顔をまっかにしてふんばったり、元気にタマをなげる姿に、ご両親はいかにも楽しそう」。当時皇太子だった陛下の様子も「ほかのパパ、ママにまじって、三角帽子をかぶり、二人一組で、フラフープの輪をくぐりながらのかけっこ。こんどはナルちゃんが大声援」と紹介している。
 他社の報道だが、当時皇太子妃だった皇后さまは、礼宮さま(秋篠宮さま)の出産を間近に控えていたため、母子が手を取って踊るフォークダンスはご見学の予定だったが「浩宮さまは相手の先生をすっぽかしておかあさまのところに走り寄られていた」。リレーでは「軽井沢できたえられた健脚をみせて力走、ご両親も身を乗り出すようにして声援をおくられた」と、運動会を楽しむご一家の様子を伝えている。
 
参考画像:
1965年10月3日 東京・目白の学習院幼稚園で美智子さまとフォークダンスで手をつないでいる浩宮
1965年10月3日 学習院幼稚園の運動会で美智子さま(ご懐妊中)の耳元で何かを囁く5歳の浩宮。この翌月11/30礼宮殿下ご誕生
1965年10月3日 学習院幼稚園運動会で浩宮が、当時ご懐妊中で見学のみの予定だった母美智子さまに遊戯を一緒にするようねだる事件連結画像(TBS「ひるおび!」2010/10/12)

◾1965年12月、弟礼宮の世話に明け暮れる母美智子さまに「子犬のガイコツ」をプレゼント、母親の気を引きたがる年頃だからしょうがないけど現在だったら間違いなくサイコパスの萌芽扱いされるよね事件

女性セブン1966年2月16日号デラックス版 浩宮さま満6歳ご誕生記念特集号<特集=浩宮さま満六歳のお誕生日おめでとう 少年になった「ナルちゃん」の素顔 いたずら坊主でテレビっ子 もの知り博士でフェミニスト ママに子犬のガイコツをプレゼント>記事一部より引用

 昨年(補足:1965年)十二月、ナルちゃんが一人で葉山のご用邸にお行きになったときのこと――
 東宮御所で礼宮さまのご養育に専念なさっている美智子さまに、ナルちゃんから画用紙のお手紙がとどいた。
 ひらいてごらんになると、なにやらガイコツらしい絵にそえて、鉛筆がき。
『いぬのがいこつ、おおくりします。なるひと』
 とんでもないプレゼントだわ、まさかほんとに‥‥と ・・中略・・
「おたたちゃま、これおみやげですよ」
 ナルちゃんのにこにこ顔につられて、ついうっかり箱をあけられた美智子さまはびっくり仰天。
 なかには、お手紙どおり、子犬のガイコツがごろりところがっていた。
“まあ、こんなもの!”とおしかりのことばが出そうになったが、ナルちゃんは得意満面‥‥。



■第2期-初等科時代-■編集
◾ 小学校低学年時代、当時の東宮侍医であった緒方安雄氏のポケットに勝手に手を突っ込んで飴を奪い取る、ほとんどサル並みの振る舞いをしていた事件

元東宮侍医医学博士・緒方安雄著『妃殿下と若宮さま 東宮御所で過した日々』サンケイドラマブックス26(サンケイ新聞社出版局、昭和48年=1973年3月15日1刷発行)

p.174より引用
 それはいつごろであったろうか?
 たぶん浩宮さまが小学初年級ごろであったと思う。
 私は煙草を吸わないのでそのかわりにドロップを数個いつもポケットにいれていて、ときどきなめることにしていた。
 ある日のこと、私の上衣のポケットがふくれているのに気づかれたのか、突然ポケットに手を入れて、そこにはいっているドロップをつまみ出された。
「これアメ? 食べてもいい?」
 とお聞きになる。私は躊躇した。妃殿下が正しく行っていらっしゃる宮さまの食生活を破る恐れがあるからだ。
 しかし、ついには負けて、どうぞということになり、宮さまは嬉しそうに、そしておいしそうになめていらっしゃる。



ご労作から。どうもありがとうございました。

大事にされている風に見えながら、実は「・・・・・・」と思われていたのか? ま、答えはいいですよね。

無邪気、天真爛漫、傍若無人。ナルちゃんさまに逆らえる大人は、原則的におられないでしょう。

そうして育ったのだから、そうして娘も育てて。

思えばあれこれあります。つい、長い引用をさせて頂きましたが。

その天真爛漫さは、長じて、シンプルな「阿房」となった、ということか。

それにしても、真ん中のお子の顔、髪、耳も眉毛も。

え、こんなナルちゃんいたのね、としか考えられない、平成の御代も29年ですね~、の、KUONです。

よく、右のように口をこう開けていた お調子者の 皇子さんでした。


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万博の年でした。


お返事遅れていてごめんなさい。ゆっくり書かせていただきたいので・・・。



日本の象徴、美智子さま

仕事で出かけたり年上の方々とお茶をいただいたり、バタバタしていますが、合間に、二十年前に発行された美智子さんの特集号を読んでいます。

美容師の遠藤はつこさんや、浩宮を取り上げられたお医者さん、元・皇太子妃候補だった久邇通子さん、などの記事。

植田いつ子さんというミテコ専属デザイナーさんの言葉に、ほお、とうなずいてしまうわたくし。

昭和51年からのお付き合いだったとのこと。いわく。

「以前から、皇后さまには皇后さまおひとりのスタイルを持っていただきたいと思っていました。

形だけでなくお人柄そのままの装いのスタイルです。

御品格ある繊細なしぐさの美しさ、

大人の雰囲気のただよう、皇后さまならではのエレガンス

お優しい人柄とともに、そうした奥行の深さ、自制の厳しさに惹かれるのです


など、賞賛言語が連なっています。

それはそうだろう、その為の雑誌一冊なのだから。

人の思いも、功利に対する姿勢も、それはそれぞれのもの、他からどうこう言うことは無い・・・のでしょう。

光源氏の君が、つまり(ある意味、ということらしいですが、それでも)言うにこと欠いてあの小和田のようだ、と書いてしまわれる方はおられるのだし。

それは違う断じて違うだろう、と、突っ込みたくなってしまうオトナでないヒト(KUON)みたいなものもおる。

植田いつ子さんが、美智子こーごーを絶賛されたとて、今更どうということもない。

とは、思う。この方が、あの変な服いっぱい、作ったヒトと思えばムズムズはしますが。

で。ムズムズどころか。

こんなことも仰っておられる。

 「日本の象徴としての皇后さま 、そのすばらしい微笑とともに」

とかなんとか。

そうなのか。

美智子さんは、 日本の象徴 にてあらせられるのか。

知らんかった、と言えばウソ、かな。軽く言っておられるとも、わかっちゃいるのですが。

わかっててもカンにさわること、あります。

・・・こうも、堂々と、違うこと言われてしまいますとね。

え。違っていない? 違っているのはお前だ、KUON、ですと?。

ままま。私が違うのか。

美智子こーごーは、日本の象徴。これ、その通りなのですか。

とかさ。

てへ。


1309454127362_2017012522065205e.jpg

ドイツにて。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。







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  けふまでの日はけふ捨てて初桜

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やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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