今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

ひとのこころの温度をおもう:追記あります

[照宮成子の作文]

[私はどういうめぐり合わせか高貴な家に生まれた。私は絶えず世間の注視の中にある。いつどこにおいてもわたしは優れていなければならない。私は皇室を背負っている。私の言動は直ちに皇室にひびいてくる。どうして安閑としていられよう。

高い木には風が当たり易い。それなのに高きにありながら多くの弱点をもつ自分をみるときこの地位にいる資格があるかどうか恐ろしくなる。自分の能力は誰よりも自分で一番よくわかっている。ともかく私は自分で自分を育て築きあげていかなければならない。

この炭鉱の奥深くで、来る日も来る日も働き続け世間から忘れ去られそして人知れず死に行く運命をもった人々の前に立った時、護衛の警官やおおぜいのお供をひきつれている自分の姿にいたたまれぬ申し訳なさを感じた。]

                                 女子学習院中等科5年生 1942年

この作文を書かれたのは、昭和天皇と皇后の第一皇女、照宮さま。17歳のもの。

戦中は食べ物にもこと欠かれ、第一子ご長男は、防空壕の中でお産みになった。

戦後、降嫁された東久邇家も皇籍離脱。それまでは皇族の一員だったけれど。5人のお子さんをお育てになる中、内職もされ、特売の行列にも顔を伏せて並ばれた。

恥ずかしいと言うより、騒ぎになるのを控えられたのだろう。

少し前のM新聞に、学友でいらした方の文章が載っていたが(切り抜きを無くした~)わきまえの深い、皇族のありようのよくわかった方でいらしたと偲んでおられた。

作文からも、そういう感じは読み取れる。

昭和36年(1961年)7月、没された。35歳。

闘病中は母上である皇后陛下が、毎日のようにお見舞いされた。

いま、テレビドラマで連続中の「とと姉ちゃん」のモデルの女性が創刊された雑誌「暮らしの手帳」。

その一冊の中に、

「やりくりの記」

として、お粉とお芋ばかりの食べ物のこと、親のものを作り直してお子さまの服に、など、さまざまな戦後の元・内親王の暮らしのさまが、掲載されている。

「東久邇成子・やりくりの記」で検索すれば、けっこう長い魅力的なこの文章を読むことができます。

いずれは、書き起こしをさせていただきます。

「暮らしの手帖」大橋鎮子と照宮さま、直談判の末に、の一部です。

>昭和天皇の第一皇女であった照宮さまが嫁がれて後、臣籍降下して、東久邇成子さんになり、麻布に住んでいることが分かりました。そして、勇を鼓して、麻布の東久邇家に突撃したのです。成子さんに直接お目にかかり、日常の暮しをありのままに書いていただけないでしょうか、とお願いしたのです。(この辺のことについては、大橋鎭子著『「暮しの手帖」とわたし』に詳しく書かれています。)そして、みごと原稿を書いていただいたのです。それが5号に掲載された「やりくりの記」でした。

押入れもないところに、家族4人が暮している。食べるものは、配給と焼跡を耕して作った畑の野菜だけ。ひもじい毎日。着るものは、お古をつくろって着せている…。なんと、天皇の第一皇女の一家が、まさにわれわれ庶民と同じように、やりくりに明け暮れる毎日だということが、綴られていました。国民はおどろきました。そして、成子さんが最後に書いている

「日本中みんな苦しいのだから、此の苦しさにたえてゆけば、きつと道はひらけると思うと、やりくり暮しのこの苦労のかげに、はじめて人間らしいしみじみとした、喜びを味う事が出来るのである」という文章に、多くの国民が元気づけられたのでした。この東久邇成子さんの「やりくりの記」は大きな反響を呼び、部数も伸びて、『暮しの手帖』を元気づけ、大きく発展していくきっかけをつくってくれたのでした。鎭子さんの大功績でした。


・・・・・・・。

深く愛され、思い入れの深かったであろう、この第一皇女の若い死は、昭和の両陛下には痛手だったでしょう。

第二皇女の久宮祐子さまは一歳で夭折しておられる。


・・成子さま亡きあとすぐの、喪の明けないどころか、7月23日に逝去された、その夏の、美智子さん率いる皇太子一家の夏の静養への写真が、

20160416220042.jpg


これです。

今日、BBさんのブログを読ませてもろてたら、読者さんからのコメントを、表出しておられました。

転載をお許し下さっているので、以下、いただいて来ました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

咲耶

BBさま みなさま はじめまして。

こちらのブログを最近知り、ビックリしたり納得したりの日々です。

美智子皇后や正田家がここまでとは思いませんでしたが、私の祖母の話で

香淳皇后の美智子妃いじめはマスコミのでっあげだと言うのをここで申し上げておきたいと思います。

私の大叔母からの伝聞を祖母から伝え聞いた話ですので証拠等はありませんが真実だと思います。

私の大叔母は香淳皇后の学友として選ばれ、女子学習院時代から親しくさせて頂いておりましたが、入内され皇室に入られてからも何かとお付き合いがあったようです。

皇后陛下は日本画と書道に優れた才能をお持ちで、常に研鑽に励まれておられたそうです。大叔母も書道に優れた人でしたので皇后陛下が書道の先生を招かれた折は自分一人でご指導を受けるのはもったいないからと皇居にお招き頂き一緒に書の練習をされたそうです。練習の後には招かれた数人とお茶を頂き学生時代を思い出しながらお話が弾んだそうです。

宮家出身の香淳皇后でさえ、当時の姑に当たる貞明皇后から何かと厳しいご指導があり、貞明皇后が亡くなられるまでパーマをおかけになられなかったと祖母が言っておりました。(宮家ご出身でなかった貞明皇后が非常に厳しく宮中作法を遵守なさったので当時の良子妃は素直に従われたようです。)

美智子妃は宮中のありとあらゆる事の簡素化を推進されすべてに今風を押し通されたようです。乳母制度の廃止は時流だから仕方ないと周囲は考えておりましたが、御所言葉や古式にのっとったご挨拶等も美智子妃の代でほとんど廃止され、美智子妃の伝統つぶしはまず成功したようです。(年長の女性皇族方も皇太子妃が宮中言葉をお話にならないので自然にひかえられるようになったそうです)

美智子妃いじめとマスコミが書き立てていましたが、お育ちや教養の基礎が違いすぎてコミュニケーションが皆様方とはまったくかみ合わなかったようです。それを虐めと言われるのはおかしいと祖母が憤っておりました。(現在は存じ上げませんが、当時の宮内庁の方々はほとんどが旧華族の方でした)

祖母や大叔母が言うには「日本一の旧家に嫁がれたのだから、大変なのは当たり前。頭脳明晰で優れた方ならば民間初であっても皇太子妃として粛々と御勤めになられるはずなのに、嫁姑問題として書き立てるマスコミやそれをリークする美智子妃はやはり問題だ」と言っておりました。

「香淳皇后も皇太子妃時代は姑にあたる貞明皇后さまといろいろとおありになったけれどしっかり受け止めて耐えていらしたのに、美智子妃のような方が嫁に来られて御可哀想だ」といつも言っておりました。

美智子皇后は雅子妃よりはましかもしれませんが、祖母や大叔母たちから言わせると、有職故実の教養が一切ないので祭祀に関してもこれまで通りにはいかないだろうと非常に心配しておりました。(大叔母の実家は有職故実の家元でしたので)

また、これは私の危惧している事ですが、高松宮家が引き継いだ有栖川宮家の財産を喜久子様がお亡くなりなる前に秋篠宮にとおっしゃっていたそうですが、どうも秋篠宮家は相続されていないのではないかと思います。美智子皇后や雅子妃が横領していない事を祈ります。

有栖川流の書道を喜久子妃殿下から引き継がれている秋篠宮殿下は皇室の伝統を大切になさり、次代の天皇陛下にふさわしい方だと応援しております。

何だか、思いつくままに書き散らしてしまいました。美智子皇后の真実が少しでも世間に広まり、香淳皇后の名誉回復がなり、秋篠宮ご一家が正しい皇室の道を開いてくださることを切に希望いたします。

・・・・・・・・・・・・・転載はここまで

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ありがとうございました。このコメントについてBBさんが記されているのが、

コメ欄に貴重なコメントを頂戴したので、転載させていただきます。

数々皇室を検証する記事をアップするにつれ、巷間囁かれている
「香淳皇后による美智子妃いじめ」とやらに、疑問を持つようになりました。
事実は逆ではなかったのか?と。 晩年の香淳皇后へのお仕打ちなど。
降嫁したお子様に先立たれ悲しみに暮れていた香淳皇后を
皇太子(当時)と共に那須の御用邸に訪れ、不満を
ぶちまける、など「いじめられている嫁」が出来ることでしょうか。

我が子を亡くして間もない時期に、御用邸にひっそりと
閉じこもられた姑のところに、夫を引き連れ、何が気に食わぬのか、
文句を言いに乗り込むなど、民間の妻でも普通は出来なくないでしょうか。
橋田ドラマの鬼嫁さながら。相手は我が子を亡くして間もない方なのですよ?

せめて喪が明けきり、家に戻ったところを訪問しませんか?
その非常識ぶりは侍従が記録しています。

時にはサングラスをかけ、奇橋なあのファッションも、いじめられている
嫁ができることですか?

やたら多かったお里帰りも許されてますが?
香淳皇后とお揃いのショール等なさってますが?
(いじめ、いじめられの嫁姑でペアルックってありなんですか?)
その他、たくさん過去記事で検証しています。


ありがとうございました。

成子さまが逝かれたのが、前述のごとく昭和36年。

その5年後の41年(1966年)、昭和両陛下の三番目の内親王、鷹司家に降嫁された和子さまの、ご夫君が、奇妙な亡くなり方をされています。

交際のあった女性宅での不慮の死を遂げられたのでした。


上の写真が、美智子さんというひとを、端的に表しているように思います。

和子さまのご夫君の心中(とも云われた)事件があった昭和41年。

浩宮は、小学校に入学しています。

神さまから預かった子、将来は天皇になる子、特別な子、と、自ら口に出して勇んでお育てになった浩宮さん。


>もしわたしたちの育児や教育がうまくいかなかったら
>「これまでのしきたりを無視したからだ」
>と言われるのではないでしょうか。
>(親子同居と乳人制度の廃止について)

初めは自信たっぷりに発せられたこの言葉、しかし、この時期の美智子さんは、うつむいて撮られている写真が、実に多いです。

わかって来ておられた?。

夫君の姉上の若い死に対してのなさり方、された方は、黙していても、忘れられないと思います。

悪気でない?  平気、ですか。

明日は熊本へ行かれるそうで。

チャーター機で飛び、自衛隊のヘリコプターに乗り換えをなさるようです。

何しに行くのかな、と、皮肉な思いがたっぷり湧き上がって来るのを、抑えません。




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おべんきょ、いろいろ。



天皇陛下がA型インフルエンザに罹患し、発症されたと報じられました。

昨秋にワクチンは投与されたそうですが、発熱された。

念のため検査を受けた皇后さんは、マイナスだったそうです。マイペースで動かれる人は、疲れやストレスを感じることは少ないのですよね。

お付き合いされる方は、大変。美智子さんも、お住まいで静かにしておられるとのことです。

陛下が、しんどいことの少なくいられますようにと願います。


 宮内庁は29日、天皇陛下がインフルエンザにかかられたと発表した。
 37度台後半の熱などの症状があるため、同日の公務を取りやめ、皇居・御所で静養しているという。
 同庁によると、陛下は27日午後から発熱を伴うせきなどの風邪の症状があり、28日夜、御所での検査でA型インフルエンザと診断された。29日に予定されていた離任するタンザニア大使との面会などの公務は、日程を再調整する。3月1日以降の公務については、今後の症状を見て決める。

 

で。予定いっぱい設定されておられる陛下が急遽お休みで、陛下の代わりを、皇太子がつとめたという話。万年おヒマなナルさん、飛び込み公務、オーケーですよね。賓客のエジプトの大統領も単身でのご訪問ですから、またこたまはいなくてもカッコつきますし、それより、誰も気にしません。


 皇太子さまは1日、インフルエンザと診断された天皇陛下に代わり、エジプトのシーシ大統領と皇居・宮殿で会見した。陛下の体調が理由で外国からの賓客に皇太子さまが対応したのは、2011年11月のブータン国王夫妻などの例があるという。

 宮内庁によると、会見で皇太子さまが陛下からの伝言として「お会いできず残念です」と伝えると、大統領は「一日も早い回復をお祈りします」と述べた。大統領が道徳や規律を重んじる日本の教育に関心を示し、皇太子さまは「平和を築いていくうえでも教育の果たす役割は重要です」と応じたという。

 会見後の昼食会では並んで座り、皇太子さまが研究を続ける水問題などについてやり取りしたという。


エジプトは、慢性的に水不足の国です。日本人とは、水に対する考えも関心も随分異なると思われます。自分の誕生日に

最後に、私が、近年かかわっている水問題について、一言触れておきたいと思います。

 私は、ご縁があって、2007年から国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)の名誉総裁を務めており、同諮問委員会の会合をはじめ世界水フォーラムなどの国際会議に出席し講演するなどの活動をしてまいりました。昨年末、同諮問委員会が、その最終報告書を国連事務総長に提出する機会に、私もニューヨークを訪れ、国連本部で開かれた第2回国連水と災害特別会合において基調講演を行うとともに、同諮問委員会の最終会合に出席し、名誉総裁としての任期を終えました。昨年、国連は新たな開発目標、「持続可能な開発目標」を採択しましたが、この目標に従って、国際社会が協調して、すべての人々の安全な水と衛生施設へのアクセスが実現されるよう、取組が進められることを期待しておりますし、私自身、そのために可能な貢献を引き続き行ってまいりたいと思います。

 あわせて、近年頻発している、異常気象に伴う豪雨災害や将来も起こりうる地震津波災害に備える意味でも、防災の観点から、水災害の問題へも引き続き取り組んでいきたいと思っております。


他に言えることも無いので「私は」[私の」と、いっしょうけんめいアピールしていた皇太子と、現実に本物の水問題を抱えるシーシー大統領と、さぞや、話が盛り上がったことだろうと、と、期待などしませんが。

画像で拝見する大統領のお顔、もろ、あ~あ感が満載で。国民としては、情けなく恥ずかしく申し訳なく。だったりする。

この昼食会に、真打の代打と思うのですが、秋篠宮殿下もいらしたことは、ほぼ無視の報道ばかりです。

重なりますが、ヒジ系の配信もいっちょ、↓ に。

天皇陛下の代理で、皇太子さまがエジプト大統領と面会

フジテレビ系(FNN) 3月1日(火)23時32分配信
天皇陛下の代理で、皇太子さまがエジプト大統領と面会された。

1日午前、皇太子さまは、皇居・宮殿の玄関で、エジプトのシシ大統領を出迎えられた。
宮内庁によると、皇太子さまは、A型インフルエンザで療養中の陛下の依頼で大統領と面会し、「インフルエンザのため、お会いできず残念です」という伝言を伝えられると、大統領は、陛下へのお見舞いと尊敬の気持ちを述べたという。
その後、秋篠宮さまも同席し、昼食会が催された。
陛下は、御所で療養中で、皇后さまも変わらず過ごされているという。.
最終更新:3月1日(火)23時32分


ここには秋篠宮殿下の名も見えますね。

皇太子は、大統領にお見舞いの言葉を頂いて。

東北の大震災と大事故のあの折りの、エジプトからの誠意に対する挨拶を忘れていて、なんとか、おまけみたいな形で、言うには言うた、らしいですが。

水の(名誉)総裁、アタマの中のヘチマが、水足りなくて、乾燥していて。だいじな事、忘れちゃったのかしら。

と、思いました。しっかりしなさいよ。いい顔したいばっかりでは何のつとめにもなっておりませんわよ。

で(今日二回目)。

陛下の依頼で大統領と面会し、「インフルエンザのため、お会いできず残念です」という伝言を伝えられると、大統領は、陛下へのお見舞いと尊敬の気持ちを述べたという。


陛下からの伝言、と報じられているし、伝えると、と言っているのですから。

まさか陛下が

「風邪ひいちゃってお会いできないから、あなた、私の代わりによろしゅう伝えなさいよ」

って感じで、皇太子は、伝言したのでしょうか。

日本国憲法の第4条第2項というところには、以下のごとく書いてあります。



 2項は、天皇が病気になったり、入院するような事態が起きた場合 ( ただし、摂政を置かなければならない場合 ( 憲法5条 ) を除きます ) に、 天皇の国事行為を委任できることを規定しています。 さて、誰が天皇の行為を代行するかですが、 それは 「 国事行為の臨時代行に関する法律 」 で定められており、皇太子または皇太孫、親王及び王、皇后などの順で、 成人に達した者の中から皇位継承の順序に従ってその任につくこととされています。  なお、この 「 国事行為を委任すること 」 も国事行為であり、内閣の助言と承認を必要とします。

お父さんが息子さんに

代わりにしといてや」

って感じでなく。

「 国事行為を委任すること 」 も国事行為であり、内閣の助言と承認を必要とします。

内閣の助言と承認が要るのですね。なるほど。

ま。〇っても内廷さま、そのあたりに抜かりはないのかな。KUONの「過剰反応」?。きちんとしておられるんですよね、そりゃあそうに決まってる・・・かどうか。

なぜなら。

つまりは週刊誌の表紙に踊った文字に過ぎないですが。すごいことになって来ているなあ、と。買っていなくて、表紙をにらんで覚えて来ただけですけど、

>まさこさんのドタ出が急増中で(どた出と書いてあります(笑))。、美智子さまからのご褒美に、外国行き、ですと。

呆然自失。

美智子さまって、なんてお優しい。これはもちろん、嘘かイヤミか、ですが。

美智子さまって、なんて強大なお力をお持ち。こちらが本当の感想です。

まさこさんのドタ出が急増中なので、美智子さまからのご褒美で、外国行きを。ベルギー。

プレゼント?。

そんなことが、あの皇后に、お出来になる?。まあああああああ。

すごい力ですね。言うのもアホらしいが、皇族の「外国行き」は、まさこにせよ愛子さんにせよ、政府が決めることです。

何のご褒美。

誰のお金で。

女性自身誌の表紙でしたが、どこが、どちらの方向向いておかしくなっているのか、どこへ行くのか。

いや。斎藤史は「泥土か夜明けか」と、うたっていましたが。

夜明けって線は、無いでしょうね。無い。断言します。断言したい(セコいわたし(笑))。

情けない、ここまでバカな話題になる(内廷)皇族って。

美智子さんにとって、今自分がいる場所・・皇室は「ワタクシのもの」だとしたら。

内閣の助言だの承認だの。去年のパラオも今年のフィリピンも、「強いお気持ちで」を押し通して、政府は関係ないみたいなイキオイで、強行した事実もあります。何とも思っておられないのか。

時の首相を「お嫌い」でも(気が合わない」でも。そんな理由で無視するごときなさりようは、あり得べからざるもの。

今上は即位のみぎりに、堂々と「憲法を順守し」と述べておられます。が。女帝さまの思いはまた別なのか。


ははん、それって一体何なの? 陛下がお休みなんだから、ナルちゃんが立派に代わりをつとめる。当たり前じゃないの。わざわざ言うことでさえありませんね。これからもずっと、このままでいいと思いますよ、「この子はいずれ天皇になる子です」と、生まれた時にワタクシ、宣言したはずですよ。ナルちゃんがすることは認めるべきでしょ、自然なことよ、何の文句があるの、おかしなことを仰るものねえ。


という感性なのかと、うがってみたり。そうなのだろうな~。

皇室は私物、みてこさまの。

恐ろしいこと。神様なんてあったもんじゃない、のね、最高神官のツマ、らしいけど、あのお方。

で。(笑)。


・・・・>皇太子さまは「平和を築いていくうえでも教育の果たす役割は重要です」と応じたという。<

この部分、神経に触ってしかたないのです。

どのツラさげて、えらそうに、とは、こういう場合に即時に思いつく言葉だと。おべんきょさせていただきました、皇太子殿下。

いけしゃあしゃあと、とか。ぬけぬけと、とか。恥知らずが、とか。ヘチマ頭だな、渇いてスッカスカだな、とか最後に出る出る赤い玉、あ、これは違いますね、失敬。いっぱい思いあたってしまったではございませんか、皇太子殿下。

みだりに人様をばかにしてはいけないと。人様に向かって「ばか」とか「シット」とか言う、そんな値打ちのある自分かよ、と。自らに課し自制もしつつ(ホンとよ)よれよれの人生を生きて参りましたわたしKUON。そんな気が、ぼんやりと、しますのですが。齢六十路半ばにして、こんなにも大量にメガにテラに、バカにしてる。

せめて「バカ」でなく「アホ」にしておこうとか、苦しゅうございますわ。嘘。

ぢごくへ堕ちるかもしれませぬ。

どうして下さいますか。とか。人様のせいにはしませんけどね。

退いて下さいませ。



美智子さま「御遷宮」。



・秋草の園生に虫の声満ちてみ遷りの刻次第に近し

 ・あきくさの そのふにむしの こゑみちて みうつりのとき しだいにちかし

               平成五年  御遷宮の夜半に


このうたがあり、続けて次のページにも一首、


・三十余年君と過ごししこの御所に夕焼の空見ゆる窓あり

 ・さんじふよねん きみとすごしし このごしょに ゆふやけのそら みゆるまどあり

                          平成五年  移居


この一首があります。

「皇后美智子さま 全御歌」   釈  秦澄美枝    と言う、ハードカバー定価2500円の重厚な本、カラー写真もふんだんに納められた、2014年、新潮社発行の立派な本を参考に、このところの記事を書いています。

でも、このはじめのうた、釈・・うたの解釈が間違っています。

私が見つけました。いま、鼻が少し、うごめいてピクピクしている気もします。(笑)。

一首目の「みうつりのとき次第に近し」の部分に、けっこうな違和感を覚えたんです。

ざっくり書きますが。このうたを美智子さまは、先般、黒田清子さまが一部斎主をおつとめになられた御遷宮の前回、二十(二)年前の回の伊勢の遷宮のおりに、詠んでおられるのです。平成五年に。そう、書いてもあるし。

かつてまさこのうたの師であり、皇族のおうたに関わりの深い岡野弘彦氏などの書かれたものを漁って確かめてみましたが、やはり前出の一首は、皇后さまが平成五年の御遷宮の時に詠まれたうた。

ふたつめのうた、三十余年、君と過ごしし、のうたも、平成五年。

このふたつのおうたは、同時期に同じことを詠んでいる・・新御所が完成して(56億円・笑)、そこへ移る前のルンルンとした気分を詠んでいる・・・のでは、実は、無いのです。

初めのは、伊勢の遷宮を詠んでいる。

ふたつめは、自分たちのニューマイホームへの移転を詠んでいる。

別に、どちらでもいい、と言えば、いいようなことかもしれませんが。

ちょっと待て。

引っかかるのは、みちこさんの「御歌」を、解釈しているこの「秦」さんの奇妙。

秦氏は、こう解釈を書いておられる。

「「秋になり(略)いよいよここ東宮御所から新御所へ、今上帝が御遷宮あそばされる時が刻刻と近くなってきたことを詠まれる御歌である。

ぐげげ。めまいがします。今上は、御遷宮あそばされる、のか。二首目でも、「御遷宮」されておしまいになるのである。二首目の釈は以下。

「新しい御代を迎えられ、新御所に御遷宮なされるにあたり、后宮様が今上帝と三十余年も共に過ごされてきた御所(略)」

・・・今上帝って。そんなに、おえらいのか。おくさんも。いや、おえらいのではありましょう、ありましょうとも。

しかし。

御遷宮という言葉は、伊勢の神宮の遷宮をのみ、指す言葉だと、一般的にはされているようです。

もう少し解釈をひろげて、伊勢でない神社であっても、御遷宮の言葉を用いることは、あり、の範囲だということです。

ということは、どんだけ美智子さまがおえらくても、美智子さまは「神社・神宮」ではおありにならない。

お洋服いっぱい作って移動される、お皿だってかぶってしまわれる、自分の子でもお友達でもエコヒイキして博い愛なんかお持ちじゃない、ナマミの存在なのです。それが、


お引越しされるにあたって「御遷宮」とは、あり得ない言葉遣い。


それを、ここで、やらかしておられる秦氏は、聖心女子大の院、早稲田の院で日本文学を研究し、、本もいっぱい書かれている研究者、作家、歌人、でいらっしゃるらしい。学術博士でもある、お琴の先生でもいらっしゃる。

世の中的には美智子さんに近いですね。

でも、思う、秦先生、ここ、間違っておられますよ、と。

誰にだって間違いはある、それを見付けて大得意になって、ここ間違ってる~となど、鼻息荒くするような態度・・・今のKUONのような・・・は、すこぶるげひん。みっともない。解っております。



感じただけなのです。

そんなお詳しい方が、なぜ、天皇とはいえ、ひと、である今上陛下を、皇后を「御遷宮」と言う言葉に結びつけて。そのようなことを、ご自身、不可解とはお思召さなんだか、と。

もしもこれ、立ち止まらず読み進んだ誰かが

「美智子さんが自分たちの引っ越しを「御遷宮」などと称している、どこまで思い上がった」

など、愕然とならないとは言い切れません。はじめの私の思いのように。

「御遷宮」と、御所の引っ越しを並べてアゲアゲしておられるのは、美智子さんでない。秦さんとおっしゃる、釈をされた方。

美智子さんを持ち上げたいあまり(そういう匂いが本一冊を貫いているのでそうとしか考えられません)こんな過ちも、犯してしまわれたのですね、と、思う。

二首目のおうたは「移居」と、はっきり記されていて、そのうたの釈が「御遷宮」ですから、明確な間違いです。

御所へ移居=御遷宮、と。されている。

どんな豪壮な新居にせよ、たかが人である天皇の、たかが転居が「御遷宮」となる。そんな訳がないのに、こんな風に堂々たるあやまちが世に出ている、しかも、新潮社という大出版社、幾たびの校正にもひっかからず、何より、みてこさまよりのクレームも、無かったのかと。

・・・もしかして、確信的な、ではありませんよね、まさか。なんか。くどくど書いておりますが、KUON.

あのあたりの、いっときの気配が濃厚に感じられます。美智子さま有頂天の時代、と、申し上げたい気がします。

伊勢の神宮の御遷宮の年に、巨費を投じて、今上夫妻のマイホームは落成したわけです。つまり。そういうことでもあったのでした。

・移り住むこの苑の草木芽ぐみつつ新しき日々始まらむとす

 ・あたらしき このそのの くさきめぐみつつ あたらしきひび はじまらむとす

                       平成五年十二月皇居内の新御所に移居  (平成六年)


このおうたに付いた写真では、美智子さまは中央。左右に今上陛下と清子さま。

タフネス・みてこさま。

この年。平成五年には、

・皇太子が結婚  6月

・ご自身がお倒れ(10月、59歳お誕生日に)

この時に声を失われてしまった美智子さん。

でも復活されて、新居へ移転もされて。

このあたりがトッケンカイキュウ人種のすっごいところ。

伊勢のことはともかくとして(申し訳ない言い方ですが)、長男の結婚と自分たちの住まいの新築と、同時に出来てしまわれるのですものね。

ちなみに、秋篠宮家の眞子さまが平成三年にお生まれになっておられます。しつこく申しますが、築年数かなりの4LDKでご家族お暮らしでした。

平成六年には佳子さまがお生まれ。やっぱり職員住宅二、楽しくお住まいでした。こちらはお静かに。ご関係諸所、充実されて。

家の広さやかかった費用のことより。

バランスのことなど、思う訳です。思っても仕方が無いのですけれど。


・・・・・先日の、香淳皇太后陛下のご逝去の折りの、みちこさんが、亡き方の耳元でささやいたという

「ご立派でいらっしゃいましたよ」

が気に入らず。もう、激しく癇に障り。

その場面が描かれていると言う、清子さまの著書「ひと日を重ねて」を、買ってしまいました。

まださあっとしか読めていませんが、あっら、まあま、ほおお、と、大変<興味深い箇所の多い一冊です。

清子さまがマスコミに文句つけておられる文言なども、たいへん珍しくも、あるのですが、これが、何というか。

どなたはんがお言いやすのやろ、こんなん。

さーやさんが、こんなん、お言やすのかいな。思わはったんかなあ、こんなことかて、どなたはんが、なあ


こんな感じの、あれこれ、あって、なんと申しましょうか。

大震災のお見舞いの時の水仙。

あの水仙のうた、見て子さん、お詠みでなかったのかなあ、と思っていたら、清子さまの本の中に、水仙、咲いています。

まだお若かった内親王がお詠みになられた感じが、あまり無くて。感じられなくて。

どういうことなんだろうと。悩みます(嘘です)。(笑)。

こんこん狐。狐はトシくうと、尻尾が9本にもなったりします。自分の子だって、たくさんある尻尾で、誘導しちゃったりもね。大阪の信太山、という、九尾のキツネの伝承話のあるあたりで、昔からここの者や、って方に聞きました。

はい、何の関係も無い話でしたか。(そうか? (笑))。こんこん。


肌と髪とは



まさこは、昨日の皇居での秋季皇霊祭の儀、には、出ておりません。

安定、不動のおサボリです。

言うまでもないことでしたか。

あのモノは、皇室にいて、神さまなんか信じても恐れても畏れてもおりません。




もう一週間前のことになります。

以下はTBSニュースです。


「 皇太子ご夫妻、東京都の下水処理施設など視察

 長年、水の問題の研究に取り組む皇太子さまが、雅子さまとともに、東京・港区の下水処理施設などを視察されました。

 皇太子ご夫妻は17日午後、港区にある都の下水処理施設などを視察されました。施設の上に建つ大型複合ビルでは、下水と気温の温度差を利用した空調システムなど、環境に配慮したさまざまなエネルギー利用を行っていて、ご夫妻は熱心に説明を聞かれていました。

 また、老朽化した下水道管の補修を下水が流れている状態で掘削などもせずにできる最新技術について説明を受けると、雅子さまは「下水管の中に入っての作業は大変ですね」と話されていました。

 これに先立ち、ご夫妻は目黒区の東京大学生産技術研究所を訪れ、地球環境にまつわる膨大なデータを蓄積し環境問題の解決などに応用する最新の取り組みについて、説明を受けられました。」(17日20:30)



以下は、ただいま発売中のではない、前号のセブン誌の記事です。

ちなみに、最新号のこの週刊誌の表紙には、とびっきり大きな文字で

嫁姑の決断

皇后美智子さま(80) 深慮の末に!

秋篠宮妃紀子さま(49)との間に

「置かれた距離」


とか、踊っております。不遜ながら(と一応書いておく自己保身だって知っているKUON。(笑)。

だあはは~と、笑ってしまいました。なんじゃこりゃ。

確かに息子さんのおよめさんではありますが、紀子妃殿下のいま現在のお立場って、あのお義母さまにどうとかこうとか、言える次元ではなくなっておられる気がします(と、再びボヤかし口調で自己保身・笑)。

嫁だの姑だの。いつまでもあふぉみたいな言い方を。購入層に合わせてのことかな。あ。地雷踏みましたかな。私は、読みたくてうずうずですが、買わないと決めています。買うより高くつくけど、美容院へシャンプーだけしに行って(せこい・笑)、読んでこようっと。


本題です。その、先週号の中身です。

笑えます。記者さんが、のびのびとちくちくと、ほめころし作法を遣っておられるのがよくわかって面白い。

私は、突っ込みながら、ネット上で読ませていただきました。

どこ突っ込んだか、文字の色を変えてみようと、今、思いました。それはKUONの勝手にすることで、そのことへのお詫びが必要なら、先に、させておいていただきます。

笑わせて下さってありがとう。あ。お詫びでなく、お礼になってしまいました。


 大粒の雨が降りしきる9月17日、皇太子ご夫妻は、都内目黒区と港区にある水災害軽減のためのデータを収集、解析する研究所や下水処理施設を視察された。

①屋外の設備もあり足元が悪い中での見学となりましたが、それでも雅子さまは時折笑顔を浮かべながら、興味深そうに見て回られていました。また、②“下水道管の中での作業は大変ですね”と、作業員を③労うようなご感想も述べられました」(皇室記者)

 当初、この視察は皇太子さまおひとりでの予定だったが、④お出ましの数時間前になって急きょ雅子さまも同行されることが決まったという。

「宮内庁からは⑥“妃殿下は地球環境にご関心が高い”との説明がありました。これまで雅子さまが、予定されていた公務を直前になって欠席されることはありましたが、⑦最近は突然お出ましとなることが増えてきたようです。それだけ、⑧体調が安定され、公務に前向きになられているということなのでしょう」(前出・皇室記者)

 今年7月、2年ぶりの海外公務でトンガを訪問された際も、⑨予定になかった在留邦人との懇談に出席された雅子さま。帰国後も、ご一家で戦争関連の資料が展示されている昭和館(千代田区)を見学され、その後の須崎御用邸(静岡県)や那須御用邸(栃木県)でのご静養の際も沿道に集まった人々に⑩満面の笑みで応えられるなど、着実なご快復ぶりが感じられる。

 そんなご様子から、公務への完全復帰の期待も高まるが、その一方で、関係者の間では一抹の不安が囁かれていた。

「ここ数年、雅子さまは7~8月の夏はお出ましになる機会が多くなり、快復に向かわれているといわれるのですが、秋になるとまた元に戻られ、ほとんどお姿をお見せになられない状況が繰り返されていたのです。夏にお出ましが増える理由は夏休みにお取りになる長期ご静養に対して、“公務は休まれるのに、私的なご静養を取るのはいかがなものか?”という⑪批判の声を、公務に出られることで少しでもやわらげるためとされ、雅子さまの公務の⑫“夏の方程式”とも捉えられていました」(別の皇室記者)

 そのため、秋に入って再び公務を控えられるのではないかと不安視されていた。しかし、今年は大きく様子が違う。9月に入ってからも雅子さまは冒頭のように予定外のお出ましをされるなど、積極的に公務に臨まれている。

 雅子さまのご体調とお気持ちに大きな変化をもたらした理由の1つは、長女・愛子さまのご成長にあるだろう。

「不規則登校を繰り返し、定期テストを欠席されることもあった昨年に比べると、愛子さまの状況は大幅に改善されました。学業にも前向きに取り組まれ、充実した学校生活を送られてます。加えて、最近の愛子さまからは、皇族としてのご自覚が確実に芽生えていることが感じられます。例えば昭和館や日比谷図書館で開かれていた戦争関連の展示を訪問されては、真剣なまなざしで資料を食い入るように見つめ、積極的に質問もされていました。“子育て”が一段落したことが、雅子さまに大きな安堵をもたらしたのでしょう」(宮内庁関係者)

 2つ目の理由は、4年半にもわたって空席のままだった雅子さまのお世話係のトップである東宮女官長に、元中国大使夫人の西宮幸子さん(58才)が就任したことだろう。

「雅子さまは西宮さんと良好な関係を築かれているようで、ご静養で那須どうぶつ王国を訪れた際には、笑顔で談笑するお姿もお見せになりました。ご体調が一進一退を続ける雅子さまは、公務の最中に不調に襲われたら、という不安を抱えられていたと思います。それが、女官長就任でサポート体制が整ったことで、安心して公務に邁進できる環境ができあがったのです」(前出・宮内庁関係者)

はは・・・。

番号をうったひとつずつ、突っ込んだ理由を記そうと意気込んだのではございますが。

どた出さえ、このごとく、もてはやされる・・・実は、ばかにされている、まさこさま。


批判の声をやわらげるため、とか言っていないで、普通に、自然におられれば、それでいいこと。

まさこと侍従さんのことはもう、疲れるのでいい、と思いつつ、また、取り上げてしまいました。

何でもいいから引っ込んで下さい。

何でもいいから、ひっこめて下さい。

嫌がらせとしたら、国民蔑視が過ぎる。とか、思ったりして(と、最後も自己保身風に。(笑)。

ナルヒト氏とまさこ氏を、引っ込めて下さい。

三食オヤツ付きでけっこう、あ、書き忘れました。

知人の某氏が、この日の某所で、某立場でこの夫婦を見ていたと。

皇室の方って、ええとこの人、そのものなんだから、ともかく、肌と髪の手入れはできているもんだと思っていたので、もう、もう、びっくりした。

と。

本気で驚いて、何度も同じことを言うてはりました。

思い出してよかったです。(笑)。





本当だから仕方がない。



久しぶりに週刊誌を買った。 女性自身。

表紙に

「安保法案強行採決 日本が壊れてく!!」

とある。日本語も壊れてく!!。

「寂聴(93)安倍首相は日本の恥です!」

とある。あなた様の恥度が高いです、おそらく。

んで。

美智子さま(80)悠仁さま(8)世代の命守りたい―――玉音放送原盤公開に込めた‘平和への祈り‘

「私は‘戦争の芽‘摘み続ける!」


ですと。

表紙だけでこれだけあります。

中に進めばグラビアページに、

相合傘 by 美智子さま 

相合傘 by 陛下

‘愛‘こそがすべてを乗り越える原動力です

いつもの仲むつまじさ

雨の日もラブラブ両陛下



ただ1ページのグラビアの中に、これだけてんこ盛り。

なんだかな。

尊敬されているとは、思えないんですね、わたし。

で、次の両陛下のお写真は、本文の中にあります。

和服の美智子さま。お隣の陛下は、またお隣におられる安倍首相を、横目で、見ておられる。

この陛下のお顔が、とても正直に

「こいつキライ」

な表情でいらして。

ああ、やっぱり、美智子さまのお嫌いな安倍首相を、陛下はお嫌いなんだな。と、納得を誘う一枚が選んでありました。

現在店頭に並んでいる最新号の内容を、あまりぶちまけるのもナンかと思いますが。

少し書いてあることに、触れてみます。


7月17日、秋篠宮さまと紀子さま、次女の佳子さまが東京・青山で『はがきで綴る戦争の記憶ー千の証言展』をご覧になりました。

展示品の中には「『生きて帰ったら叱って下さい』と書いてある17歳の特攻隊員の‘遺書‘もありました。



皇太子さまと雅子さま、愛子さまは、夏休みに入るとすぐに千代田区の「昭和館」を訪問される予定だ。昭和20年の終戦に関連した展示物の中でも、特に愛子さまは「玉音放送を聴いた小学生の作文」に興味を持たれるだろう。

こう、書いてあるのですが、東宮家のそれはあくまで「予定」であり、愛子さんが作文に興味を持たれるだろう、の記述は、これを書いている汽車の想像であるわけで、現実には東宮家の三人はどこへも姿を現していないし、愛子さんが作文に、云々の想像は、過去に、うんと世代の違う人間がなりすまして書いたと思われる・・・そうとしか思えない「作文」が、幾つか、愛子さんのものとして、出されていた「実績」によるものと考える。

イマドキのお子の愛子さんが「氷砂糖の甘さ」がどうとか。

御堂関白記に関心を持って、どうとか。

まあ。

記事中にはあれこれ、他にも、ありますけれど。


「私は‘戦争の芽‘摘み続ける!」

表紙にこう、デカデカとやられちゃっている「元」は。

昨年10月、傘寿のお誕生日に際してのお言葉に、ある。

あの際の発言では「A級戦犯が」の激震フレーズが、先に、取り上げられて来ていたのでしたが。

「今、平和の恩恵に与っている私たち皆が(略)争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を(略)」

ここであったと、記事にあります。これが、!!がついてしまう形で、書かれてしまうわけです。

こういった発言は、非常に危険だと思います。

政治的ですらあります。違反です。

皇后と言う立場の方が、口から流れ出るままに垂れ流していい言葉とは考えられません。

実際に。

驚くほど「アベが悪い」カラーに染まり切った、この週刊誌の、この号の、寂聴だか他の誰だかが、自分たちだけが平和を望む者、自分たちだけが正しい者、の位置で、好き放題なことを言っているこの号の、トップ記事に、。

玉音放送原盤公開{KUON註:8月1日であるとか)に込めた‘平和への祈り‘と。


サブコピーに使われてしまっている。

悠仁さま世代の命を守るために天皇ご一家が‘総出の闘い‘を!

ここに、悠仁さまの名を挙げるられる必然性は無いと思われるし、何より、この類の媒体であるとしても

「闘い」とは穏やかでない。

天皇ご一家が、総出の闘いを、と、これ違うんじゃないか。

どこに対して、何の闘いか。皇族って闘うものか(正田夫人は縁談とはストラグルー闘いの面があると、皇室に対して言い切った方でしたが)。

それに。

天皇ご一家、など、どこにその実質が存在するか。

秋篠宮家は、その混沌の中に巻き込まないで欲しいと民は願うし。

巻き込まれようのないご存在であるだろう。違い過ぎれば寄り添えない。

混じり合えない。

闘い、だと。

既に利用されておられるのですよ、美智子さま。

こんな文字が踊っていますよ。見出しの一つ。

そのまま写します。


戦後70年という節目の年に、日本の‘平和

を揺すぶる‘法案が成立しようとしている。

天皇皇后両陛下はこの異常事態をどのよう

なお気持ちでご覧になっているのだろうか


語るに落ちるとは、このこと。

この赤い文字で引用した文言の中で、天皇皇后は、どんな風に扱われておられるか、と、感じませんか。


利用されておられるではないですか。ばっちり。この法案が成立することを「異常事態」とする側に、勝手に組み込まれているのです。


どっちかに利用されるようなことは、口から出されないのが皇族と思っていました。全円のようなものと。

何をどう仰っても、うっすらとでも色がついていれば、どんな風にも話は向いて行く。

黙っておられるのが道。



天皇とは、祭祀を行う方。祭祀王。

唯一無二のそのお立場は、ひたすら、天皇として生きられること、に、意義があると、思っていました。

天皇のお立場は、

国の繁栄、国民の幸福、世界の平和、に対して、祈って下さること。

ではなかったのでしょうか。

他の誰にもできないおつとめを、続けて下さること。

皇后陛下とは、そんな天皇陛下を、お支えするお方。ではなかったか。

ウロウロと、何をなさり、何を垂れ流しておられるのか。

申し上げたい。老害とは、こういうことです。

週刊誌の記事をもとにして、美智子さまに対して何を、と、思われる方がおありでしょう。

この雑誌は、長きにわたって美智子さまばんざい、を、押し通して来た経過があります。

美智子さまへの批判はほぼ無かった。許されていなかったのですね。

私も長い間、けっこう、目を通して来た感があります。

最近感じること多いのは、本当に好き勝手に、無礼千万に、扱っているな、ということ。

何を。

どなたを。

美智子さまを、です。

雅子さんを、です。

たしかこのお二人は、皇室の方だったと記憶するのですが。

雨に破れかけた街角のポスター、みたいです。























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五月雨の露もまだひぬ奥山の真木の葉がくれ鳴くほととぎす

さみだれの つゆもまだひぬ おくやまの まきのはがくれ なくほととぎす
   
金槐和歌集 源実朝


真木は「高野槇」ともいいます


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やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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