今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

高野山にて。

和歌山県での用が早めに済んだので、高野山へ足を延ばして来ました。

奥之院・弘法大師御廟を目指す。

一の橋という所から、歩きます。ノルディック・ウォーキング用のストックを両手に握りしめて出発。片道、ゆっくりで1時間、頑張ります。長くは歩けないのです。

両側にお墓がいっぱい。ずうっと、お墓街道。

歩きはじめてすぐに伊達政宗(敬称は略させて頂きます)供養塔。薩摩島津家供養塔。上杉謙信、武田信玄・勝頼親子、石田三成も明智光秀もご近所さんです。

久しぶりの今日は快晴。真っ青な空、出来立ての真っ白な雲。気温も上がって来ていたのですが、道の両側はびっしりとお墓。1000年を優に超す樹齢の大木が繁っていて、空気は澄み渡り、木々の間をすり抜けて来る風は、本当にひんやりと、心においしい風。

標高800メートル。登って来る途中に、600数十メートルの標高が示され、それは、スカイツリーと同じとあって、なんだか微笑ましかったです。・・・そんなとこで、そんな、張り合うみたいな。。。解りやすくするため? とか。

大変、高いところにある場所なのは本当で、人力のみですべてを成していった昔の人々に、ふと思いを巡らし・・・。

創建が806年だとのことですが、そんなに長い間、動かないものがここにあって(墓石だし・・・)、そこへ詣でる人々の思いがここには積もっていて、・・・うまく言えませんが、揺るぎの無い、ここも、場所であって。

ひたすら、気持ちがいい。

絶えてしまった名家なのか苔むした古い墓石も何も、傾いたり転んでしまったりしているものもあります。

お地蔵さんがあちこちに、沢山、います。まっさらな赤い「あぶちゃん」を付けてもらっている地蔵さんもあり、土の上にへたり込んで顔も崩れそう、土に同化しそうに見えるお地蔵さんもいます。

眺めて通り過ぎてゆくのみです。諸行は無常なのであります。

初代市川団十郎の墓もあります。

当然、分骨されて、身近いあたりで懇ろにされているのでしょうが。海老蔵さんは、ここ、来た事あるのかな、などと、ミーハーな思いも抑えがたく。

加賀・前田百万石2代目・前田利長の廟は、きちんと手入れされていました。毛利家の墓、松平の名、あっちにもこっちにも。

今回も胸を衝かれたのは、結城秀康の廟。重要文化財に指定、とありながら、その姿は、あまりにも荒れ果て、朽ち果て・・・徳川家康の次男として生を受けたものの、松平になったり豊臣を名乗ったり最終的には、結城・・。
荒波に揺り転がされるかの生涯、たった三十歳での死・・・など。

見るのが辛いようなお墓でした。

浅野内匠頭の墓の傍らには、四十七士の墓。どちらも、見落とすほど小さいです。

芭蕉の句碑や、幼い子を亡くした母親の歌碑。無名の人も有名の人も、今はひとしくひっそりと石の下、です。

織田信長も豊臣秀吉も。帰り道には、阪神淡路大震災物故者慰霊碑にも黙祷を捧げました、親鸞聖人のお墓は階段が急でお参りを断念しましたが、高野山には、法然上人も眠っている。

痛い痛いとむずかる足を、もう少しねちょっとね、と、言い聞かせては前へ進み、やがて。

御廟橋の手前へ到達。はじめに、先の橋の手前で、ココロの雑念を払い帽子を取って拝をして、渡った橋と同じく。

弘法太子・空海が、その場で即身仏となられた場所・・・

高野山の人々や真言宗の僧侶の多くは、空海が死んだと言うことは半ばタブーとなっており、高野山奥の院の霊廟において現在も空海が禅定を続けていると信じている。奥の院の維那(ゆいな)と呼ばれる仕侍僧が衣服と二時の食事を給仕している。霊廟内の模様は維那以外が窺う事はできず、維那を務めた者も他言しないため一般には不明のままである。

が、つまり、高野山奥の院弘法大師御廟、であるのですが(間違っているといけないので、後でもう一度調べ直します)、そこへ向かって行く人々の群から、ひゅいと抜け出て。その、左側の地へ。

いわば結界中の結界の内にある弘法大師御廟のすぐ横、新たな結界かと思われる小さな橋・・・その下を流れる小さな川=玉川=の水は、えも言えず澄みきって清らかなものでした。

その橋の奥に「歴代天皇陵」

と、そっけなく記された場所があります。一の橋に入る前にもらった数枚の簡単なガイドマップの、あるものには記され、あるものには天皇陵の記載はありませんでした。

静謐な、小さな御陵でした。宮内庁管轄のお墓恒例の木板が立てられていて、そこに、魚鳥を取るな、中へ立ち入るな。など書いてあります。

柵の向こうの、およそ1メートルほどの高さの小高い塚の上に、宝匡印塔が載せられている(わたしには)珍しい形の「御陵」に、拝をしました。弘法さんの御廟の方には、ひしめくほどの人々が参っていても、ここへ拝をしているのは、その時は私だけ。

霊元天皇の「御歯塔」だといいます。

歯?。

この天皇と共に、中御門・後花園・桜町天皇の御髪燈や桃園天皇などの御髪爪燈の九燈があり、それぞれ小円墳を築いて、上に宝篋印塔をたてている、ということなのだそうで。歯や爪や髪が祀られていることを、聞いたことはあっても、詳しく知ったのは今日が初めてです。

霊元天皇は、112代天皇、26年間の御在位だったそうです。

父は後水尾天皇 、母は藤原国子 、鷹司(藤原)房子 を中宮とされた。典侍の中に坊城(藤原)房子の名もみつけ、意味も無く、ふううん、と感じ入ってしまいました。繋がってる・・・。

退位の後の長い天皇であらせられ、歌をよくし、能書家でもあられた。

ご陵墓は、京都、東山の、先に、悠仁親王殿下が、ご両親に伴われてご参拝になられた、泉涌寺、です。


泉涌寺にも、行きました。

今日は今日で、自分なりの気持ちを籠めて、拝を長く、しました。

「じゅそ」に近い思いを、心の中で形にしたと、思います。

拝の後、もう一度正面から向き合った柵の内部、幾つもの塔の上に、白い霧のような淡い雲のようなものがかかっていました。

ご皇室が、浄らなものに、戻りますように。


・・・コメントへのお返事は、明日、させていただきます。









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お知らせです。

オフ会というものをしようと思います。

場所は、神戸、かな。ひこーきも新幹線も使えて、海があり山がありおされな街がある。。

学生さんたちが卒業して、旅行などなさる時期にも突入します。時期も選ばねばなりません。それ以後になろうかと考えられます。自分的には、GWが終わってから、でしょうか。

暑い頃には、わたくしの完璧(なはずの)メイクが、溶けて流れてえらいこっちゃになる危険性が高まりますので、それまでにいっちょ、くらいの考えは持っております。

会議室を借りて、喋って・・・隅っこでの居眠りは許可制。参加されるからには命がけで喋らなあきません。許可は、言い出しっぺのKUONが与える。良いなあ、エラソーで。わはははの、は。大人しい方も、おとなしいって存在感、ありますよね。実は私も、本当は人前でしゃべるのは苦手なタイプです。

ランチをはさむことになりますので、小食の方は、皆の  なんなの~~視線をあびること必至。命がけで「食う」が可能なことも必要・・・あ、この項は冗談です。みんな違ってみんないい、は、ここでも通用いたします。最終的にはすべての食べ物の皿は、捨てるなんてとんでもない、猫がなめたか、状態となるでしょう。

もしかして、お泊りプランも併設になる予感。チープで気楽なお泊り場所にしたいなあと、漠然と思考中です。がははの宿。これも探さねば。とっても人気の会になります(ホントか!)。

今回は女性限定です。ものすっごく「いい」オトコも、このたびは不可。申し込みを受けましたら・・・どうしようかな・・・いや、限定ったら限定。すっぴんでがははで喋りまくる快感を重視する。やせ我慢も時に必要。

このようなことを企てるには不慣れ、方向音痴でいろんなことのワケもわからん者ですが、がんばる。人数とかあれこれ、把握が必要ですそれはそうです。

どうすればいいのでしょう。

ともかく。

わがへたれブログには、くおんにメールを、という欄がありませんので(どこに売ってるのかしら~)、関心を持って下さった方は、おそれいりますが、コメントを下さるところの「管理者にだけ表示を許可する」口の中にチェックを入れて、私にだけ読めるそのコメントの中に、メールアドレスを書いて頂ければ、と思います。

他の方の目に触れないメールです。

で、私からご連絡をさせていただきます。

最終的には、私がまとめをさせていただくでしょう・・・まとまらないと出来ないですので。

ということで、真摯な態度で現在の日本を憂うる、真面目な人々の集うくっちゃべり会を、しようよ、の、お知らせでございました。



神のみぞ、知る。

朝の時間のできるだけ早いうちに、お参りしたかった。

脚の調子がよくない。外宮から順序を踏んでの参詣を断念して、はじめから内宮を目指した。

九時、少し前に到着。おかげ横丁の入り口向かい側に車を入れる。「神宮会館」の駐車場。すでに満車に近い状態で、ぐるぐる屋上までのぼった。

ノルディック・ウォーキングと称される用の、細く軽い杖・・杖と言いたくないな、ストックを両手に、横町を進んで行く。

赤福本店の前を右に折れて、おはらい町というのか、往年のええじゃないか、の頃の賑わいを今に残す店店の前を、まっすぐに行く。右も左もさまざまな食べ物が溢れかえっている、自分の嗅覚が失われていることに感謝(笑)。においを感じることのできる鼻の所有者なら、どこかの店の誘惑に負けていること必然。伊賀牛の串焼き、とかコロッケとか。私はB級イーター。伊勢うどんの店からだって、おだしのいい匂いが流れ出ているのだろう。コーヒーだって。

な~んにも匂わないから、ストックで人様を突っつかないよう注意しながら、前進のみ。

宇治橋が見えて来た。

手前の手洗い所で、用意の白い上衣に着替える。旅行にリュックは必需品。

鳥居の手前中央に立って、拝礼。後から来てそのままくぐろうとしていた若いカップルが、立ち止まって慌ててちょこんと礼をする。顔が合ったので笑いかけたら、ニコッと返してくれた。

川の水は少ない。干上がっている。以前参った時は・・・と、たっぷりした流れだったのを思い出す。

川は好きだ。

次の鳥居まで橋を来て、空を見上げた。

けっこう分厚い雲が空を覆っていたのが、偶然なのか頭上の雲にきっぱり隙間があいて、太陽の光が、見上げる私の目を射た。

ありがとうございます。なんだか胸が震えた。

鳥居の奥はもう、神域だそう。

道の端をゆっくり歩く。濃い深い木々の緑が美しい。形を整えられた樹の多い中に、伸び伸びと・・・という以上に、好き放題な感じに枝を伸ばしている、あの樹は、何、なのかしら。梅、とか、背後から聞こえる。

人がどんどん増えて来る。

追いこされる。マイペースでゆっくり、行く。

私の住まう奈良の大社の神苑には鹿がいるが、ここには鶏がいる。

尾の長い白い鶏が、写真を撮られるにも慣れた様子で、とことこ、参拝者の前を横切ったりしている。

そういえば石上神宮にも、鶏がいるな・・・。

歩いて行く道にも樹が立っている。

巨大な樹の幹に、耳を寄せている人がいる。

抱っこした赤ちゃんのてのひらを、幹に触れさせている人がいる。

大きな樹の傍らで人は、素直になるのかな。

人は沢山歩いているのに、そして黙りこくっているでもない、話しかけたり笑い声を立てたりもしているのに、五月蠅い、猥雑な空気は無い。

入場料が要るでもなく関所のごときがあるでもなく、明るく自然に解放された伊勢の神宮。

人を制する人の姿も見かけない。勝手にみんな、行儀がいい。

思い思いに足を踏み入れて、人々は、前へ前へと進んでいる。

和みに満ちていながら奇妙に静かで、空気の吸いやすい感じ。

神様は、引き寄せられてここにいる人々を、無限に迎え入れ、それと感じさせない大きさで、抱きかかえて下さっているのか。

おんぶされた子ども、車椅子の上の人、若いカップルや何人もの子連れの両親。

落ち着いた夫婦連れ、何かのグループ、外国の方々。一人で左右を見回しながらの人もいる。

手水舎が見えた。

まず左手から、とばかりに、幼い坊やに教えながら洗ってやっている父親。母親は、もう少し小さい子の手に、水をかけてやっている。優しくも厳粛な親の気持ちを受け止めてか、生真面目に表情を引き締めている兄妹。かわいい姿。

私も寄って行ってふと見ると、さっき鳥居のあたりで笑顔を返してくれたカップルの彼の方が、彼女に、柄杓の傾け方を教えている。自分が今、目の前で知った通りのそのことを。

じわんと目が潤んだ。今風の、見かけ、おやんちゃ風の若いこの人たち、この素直な気持ちで、ずっと仲良くしていて欲しい。そしていつか、お父さんとお母さんになる日が来るなら再び、ここを訪れて、次の世代の幼い心に、伝えてあげて欲しい。

なんだか気恥ずかしいような純な(・・)思いが込み上げて、首にぐるんと巻き付けたタオルの端で、目を拭った・・・はは。


二十年ごとの遷宮、詳しいことは私は知らないのです、まだほとんど知らない、けれど、二十年という歳月の区切りには、きちんと意味があって。

幼い子どもが次の世代の親になり得る歳月。

若く細い樹が、年輪を重ねて太くなって、次の普請の役に立ちうる歳月。

檜皮葺の屋根のそこが、どっしりと育ちあがる、熟成される年月。

そんなことを、考えていた。


左側に、新しいお社が、見え隠れに、新しい色で見えて来て。

右側に、かりそめのものなのか、新しい板張りの舞台のような場所が見える。神様にお移りいただく時に、なにせ狭いところなので、必要なあれこれの置き場所にされるのかも・・・後で調べてみよう。

上の方から、トンテンカンと槌打つ音が聞こえる。十月を目前に、未だ工事は進行中。

着いた。

両手に握りしめたストックの助けを借りて石段を昇り、本宮の前で私も、祈りを捧げることが叶った。

感謝を述べることができた、知る限りの善き人々のことを、頭を垂れて胸に念じた、善き人々に善きことあれかし、と、願った。・・・後がぎっしりつかえているので、遠慮しながら。

おそらく今だけの通路だろう、裏口を通って、往路の途中に合流した。


伊勢の神宮。本宮は、とても小さい。私がお参りした場所の、奥は、もちろん広々とあるのだけれど、それにしても豪壮な、とか広壮な、とかいうものではない。そして二十年ごとに新しくされてしまう。

すごいことだなあ、と、子どものように感じた。

1300年の歴史。

いたずらに大きく豪勢に作りこまず。こけおどしにせず権威ばらず。

馴染んで来たら壊す、壊したものは、神域内の土に返す。いつだって次に向かって動いている、長い信仰は、いつだって新鮮に蘇り、生きている。

どなたかに叱られるかもしれない勝手な解釈、私は、こう、感じた。

伊勢の神宮は、過去の信仰のミイラではない、今も脈々と日々新しい信仰が生まれ、通っているんだ、と。

指先だけ触れた五十鈴川の水のように、流れ続けていて、淀まず。


満ち足りたあたたかい思いで、来た時のルートを戻った。

おかげ横丁の、一番出口(入口)に近い店で、珍しいものをいただいた。

「浪曲茶屋」というお店。余所は昼時もあってむんむんしていたし、参拝が済むまで飲食は待とうと、なんとなく考えていたので、最後の店へ。

ほうじ茶かき氷、なるものを、いただいた。底にほうじ茶ゼリーが敷いてある、ゼリーもあっさりした味で、かき氷のきめの細かさが素敵で、そういえばそれが、昨日初めて口にしたものでした。


あの神宮が、おかしな言い方だが「自分の家」のものであり、参詣の思いがあれば幾度でもお参り可能な立場でありながら、足を向けない一家がいる。

立場は立場でもそのお心向きが・・・などとクダクダ言うより、すべては、神のみぞ知る、それに尽きるのでしょう。


コメントをありがとうございます。

・鍵コメさん。

なんとも虚しいものです。でも、お伊勢詣でをして浮かれている今は、すこ~し、負けるもんか、の思いも。

・achabiさん。

フランス人は、以前もやらかしてくれていましたね。皮肉屋も多いのでしょう。しかし、本当にそれどころでない、どう言いようも無い、ごく近い国の暴言暴挙。自分の首を絞めることもいとわない、なんて上級のことでなく、自分の首絞めてるのが自分と気づかない・・・さ。

自縛。自爆。持つわけないです。何というか・・・やさいさんのブログへ行ってみて下さい。一緒に怒れます。同士の方多いです。ぜひ、行ってみてください。

・ソナチネさん。

ご無沙汰しております。なかなか出かけずいましたが、やっと。ストックは生協で購入しました、とても歩きやすくなります。

ご子息によろしくお伝えください、こちら、持続していますが、なかなか。なかなか。

・うさのうさみみさん。

私も、以前何度もお参りした時は、のんびり、呑気でした。このたび初めて、みたいな感慨があったりしまして。

行かれたのは皇太子ご夫妻のご成婚、少し前でしたか。あのご夫婦、今回なにか、哀れに感じてしまいました・・・。

お祈りさせていただいて来ましたよ。

・藍色さん。

内宮だけ参拝して、他どこへも行かず、帰り、用事をしに回りました。

車で三時間足らずで行けるのを幸い、機会あればまた近く、参りたいです。

家にいるのが基本的に好きなのですが、出癖をつけたいです。笑。

・やさいさ~ん。

私もやっと、参って来ました。いろんなこと感じたので、もう少し気持ちをまとめたいです。

今後もぜったいに引っ込まない、パワーは、あの大きな場所から、いただいた気がしまっす。

・アラ50さん。

ここでお返事させてもらいますこと、お許し下さい!。

黙っている人に心添って行くところが、自分にはあるようです。

口を、いったん開けば過激にもなる自分の、反対方向に憧れるのかも。

黙って察するという文化があったはずの日本、しかし、かしましい近隣の国に引きずられるように、言うが上にも針小棒大に言い立てて、どうしても「勝つ」ことにこだわって行く、みたいな風潮がはばきかす中、沈黙し続ける人の強さを、感じたりするのです。

信子妃殿下の八年の沈黙は、自分のためだけでなく、やはりお嬢様がたのことをもお考えになって、と、自分は考えるのでした。

皇族ではないが、それ以上にそれらしいお方と思い。

現在の東宮妃など、どんな意味でも比較の対象にもなりません。

昨日、伊勢へお参りをして、雅子さんは参らないのでなく、大きな力に、あそこへ体をお運びになることすら、許されて・・望まれていないのではないか、と、思いました。

以前、申し訳ないが冗談で書いたごとく、あの、神域への結界を、超えることは、おできにならないのだ、と。

無理って。あんた来なくていい、って。

また要らんこと言いました・・・。








arigatou,desita。

金丸座へ、行ってみたかったのです。

きんきんきらきらの世界は苦手、たとへば宝塚なるものは、全く縁なし。ファンの方には申し訳ないが、あの芸名を目にするたび、ダメになるワタクシなのです。恥ずかしくて、恥ずかしくて。だから真逆の格闘技に走った!なぞ、ほざいても、理解してはいただけますまい。

歌舞伎は、多分、きんきんきらきら要素の強いもの、なんだけど。違うの。

歌舞伎を、いっつも見ているという立場ではない。たまあに行っても、安い席で、声の通り方や、役者さんの放つ、その人なりのニオイみたいなものを、かろうじて感じて、うっとりするくらい。

玉三郎さんはすごかったです。美し過ぎておそろしかった。ほっそりと背の高い生きている人形が、空を仰いで哄笑するシーンがあった、刹那、のど仏が鮮やかに私の目を射た、全身に鳥肌が立った。

不思議な瞬間だった、です。虚構の極みにあって、女形ののど仏に出会った。それが、拒絶感でも無く、ああ、玉三郎はすごい、美しい・・・と。それだけが、じんじんと来ました。

このたび、行きたいから連れて行ってよお、とねだって。

日本最古の、現存する歌舞伎小屋。そこを、訪れることができて、仰ぎ見ることが出来ました。

途中、昭和40年代後半に、火事が起きた時の類焼を避けるためも理由の一つに移転されたというそこは、ゆるやかに小高い地にあって、眼下に琴平の町が広がっていました。(内緒でばらしますがやさいさんは、自称でも謙遜でも無く、疑いの無い、正真正銘の方向音痴です。私は面白かったですもん)。

空は、春になりたての、うす青い空でした。空を遮る何も無かった。空ばっかりだった。

幟が何本もはためいていました。昔の名代に混じって、玉三郎丈の名もありました。

やさいさんに連れて行ってもらったのです。やさいさんは何度目か。こっちこっち、と、優しく招かれて、中へ入って。ほの暗い。いま、電気がついていてもこの暗さだから、昔はさぞや、と、外からもれ入る陽の明るさを感じながら、思いを馳せた。

なんと、ボランティアの男性がいらして、外からくぐって中へ入る「ねずみ戸」の説明からして下さった。身を屈めて一人ずつ、なのは、わあっと入ると、木戸銭払わない人もいるから、と笑わせておられましたが、それもあるけど、気の逸っている客の事故を防ぐ意味もあったのでしょう。

身を屈めて中へ入ればそこは、ひとときの夢の世界。外の世界のあれこれを忘れて、舞台の上の絢爛に心を委ねる・・・。楽しみの少なかった時代に。

中のことを細かく書いて行くとキリが無いのです。場内は撮影禁止でなく、時間の制限も無い。来場者本位の気持ちの徹った運営のされように、歌舞伎の世界に通じるものを感じました。

表から見える舞台のみでなく、裏へ回って、床山さんの控室だったところや、着替え室も自由に見られる。舞台の中央の廻り舞台にだって乗れたし(トン、と踏んでみた。笑)、ユーレイがひゅーどろどろと出て来る井戸の、桟敷から見えるところだけでなく、その下の方の、カラクリ部分まで、見せていただけた。

舞台も好きだが、楽屋裏が好きなのは昔からですね。

裏や底部分の精密さ、やさいさんの「プロ」の目からは如何に、と尋ねたら、これはすごいわね~、との答で、私は、自分のものでもないのに、どんなもんだい、と、鼻の穴が自慢感で膨らむ心地でありました。なんだろう、この「いいな、さすが」感は。前々生は、自前の小屋を抱える興行主ででもあったか。あり得ないわ、その話は。私の前生はイタリアのお姫様(なんという胡散臭さだ・・)。

・・・やや前傾している桟敷席は、正座でないと辛そうな広さ、それは確か。私は、正座はいっさい無理、それは確か。相撲中継を見ていても、マス席は無理だと思うのです。相撲をマスで見る日は、まあ来ないでしょうが。

で、大向こう、播磨屋!とか中村屋!とかの声がかけられる場所、舞台の真正面に座って、観たいなあ、と、夢見たが・・・難しいそうで。

空いていたから、皇太子ご夫妻が見物されたという席で、雅子様関連のことも話した。気持ち一緒で、楽しかったです。オフレコ、ピー、の話も盛り上がって。

・・・あのこじんまりした小屋を盛り立てたかった、あそこで、先祖のしたような汗の見える芝居をやりたかった、勘三郎さんの気持ちが、見える気がしました。いっぱい、したいことが、おありだっただろうなあ。惜しい、惜しい、早すぎた。

諸行は無常であります、か。

・・・天井から、竹で編まれ組まれた天井から黒子が一心に散らす花吹雪が無数に舞い、客のすぐ眼の前を、花道を、役者がわたって行く。

たん、とミエを切る。あああ。いいなあ。

小さな小屋だけに、独特の無限の世界が広がるのだろうと思いました。

たった四畳半の室内に、大きな宇宙をこしらえあげるということを「遊ぶ」、真剣に遊ぶ、茶の湯。やはり抱えられるような広さの中に世界が置かれるのだと言う盆栽。

日ごろ、すべてに無作法に暮らしてはいても、自分のDNA(これについてもやさいさんと競い合って喋った)に組み込まれている日本人の血が、こういう時に、騒ぐ気がします。

というのは、わざわざな理屈であって。

いいなあ、と、ただ、楽しんだ、楽しませていただいたってことです~。

・・・しきりに、もっと他のものも見せてあげたい、と言って下さったやさいさんでした、ありがとう。

その日は、金丸座へ行って、おしゃべりする。それ以外にしたいことは無かったのです。それだけがしたかった、望みでした。

そして、したいようにしました。

ピザとコーヒーとケーキで、バスの時間まで喋りました。目覚まし時計セットしておいて、没頭しました。

夢中で喋り、かつ、がっついていたので、この言葉を告げるのを忘れておりました。

ピザもコーヒーもケーキも、美味しかったです。

部屋から海が見えなくても、楽しかったです。

久しく、どこへも出かけていなかった。この一泊の旅は、とても充実したものでした、ありがとう。

JRなんばでバスを降り、近鉄電車に乗るべくてくてく歩いていて夜の都会で迷子になり(つくり話ではありません、ほんとうのことです)、若い女の人に尋ねたら「わからないから、あのへんのお兄さんに聞いたら」と言われ、振り向いて見た「そのへんのお兄さん」の一人は、推定体重120キログラム、ピアスの総数1ダース以上、のヒト。スキンヘッド。も一人は、やたら肌のつるぴかしてる、虹色の髪にイタリアンぽいスーツを召したのっぽさん。

聞いたら、にこにこと、そこ曲がってね、すぐですよ、気をつけて下さいね、と、とおっても丁寧で親切で優しかった。ありがとう、何かの呼び込みの(これも推定職業)の、すてきなお兄さんたち。

おかげで、無事に帰宅できました。

何もかもに、ありがとう、でした。




二日間の旅で私が口に入れたもの。

京都駅で買った「京のおばんざい」というお弁当。

途中尾道でエビアン一本。

広島駅近くでお好み焼き。ソバ入り。ジャワティ。

広島平和公園の川に沿った「フレンチ」で、もう3月だけど、牡蠣とペンネのクリームソース。バゲット一切れ。フレッシュオレンジジュース、とっても濃いコーヒー。

ホテルで煎茶。

大戸屋で鯖味噌煮定食・半分。

ほうじ茶。

水を飲んで入眠。

梅干しのおにぎり、厚揚げと大根のおでん、シラタキも。トマトジュース。爽健美茶。

焼き鴨を乗っけたさぬきの上等のうどん。

ぱりぱりタイプのピザ半分、ケーキ2種類を半分こで計一個分、コーヒー2杯。

鮭お握りいっこ。爽健美茶、エビアン。









明日は広島へ

おととい八日、奈良・西の京の薬師寺で、東日本大震災の犠牲者の追悼法要が営まれました。

2011年の3月11日。

宮城県の南三陸町で「高台に逃げて下さい」「6メートルの津波が予想されます」「異常な潮の引き方です」「逃げてください」30分間、防災庁舎から無線で避難を呼びかけ続けた当時24歳の職員、遠藤未希さんのお父様が、被災者遺族として、娘さんへの手紙を朗読されました。

初めて授かった愛娘。その娘さんが、ぎりぎりまで町民に対して非難を呼びかけ続け、やっと逃げた姿は目撃されたものの、行方知れずになって。およそ半年後に見つかった。

足首に残されていて、身元確認の目印のひとつになったミサンガは、新婚の夫さんからのプレゼントのものだったそうです。

以下は新聞記事からの引用です。

「大地震でよく声を出して放送したね。怖かったよね。逃げたかったよね。それでもあなたは冷静に避難を呼び掛けた。本当にご苦労さまでした」。

「高台に逃げて下さい、という声は、これからくる大津波で第一に命を守るという防災の教訓になる。姿は見えなくても心の中にずっといる」

・・・などと、語りかけられました。

未来に希望を持って生きてほしいと「未希」と名付けられたそうです。<今、あなたから教えを受けています。いつでも一緒だよ>と読まれたお父様。

言葉もありませんでした。




さて。明日、私は、広島におります。

ひょんなことからそうなりました。

今まで、あのドームの下に立ったことはあったのに、資料館に足を踏み入れることが出来ませんでした。

明日は、その中へ、と思います。

私の母は、私が生まれる5年前に、偶然居合わせた広島で被爆しました。

自分からそれについて話すことはありませんでした。私の二人の姉は、母の被曝前に生まれていて、何も知りません、今も知りません。私だけが、知っていることなのです。奇妙な気持ちです。

このところお天気の具合が気難しく、明日は寒いのか温いのか、何を着て行けばいいのか。さっぱり予定が立ちません。

明日の朝、決めることにしましょう。

侍ジャパン、今日の試合にも勝てそうです。


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Author:KUONの久遠
・・・・・


しんしんと肺碧きまで海の旅

             篠原鳳作


・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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