KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

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虹に見送られて


出雲大社へは、行きたいけど行けないかも~と思っていたので、連れて行っていただけて嬉しかったです。

北島家の方の(という言い方でいいのか?)小さいしめ縄の方から参拝しました。ここは菊の紋でない。木瓜なのか?あえて事前に調べないで行ったので、そんなところから分からないのです。

こっちこっちと招いて下さる愛国女子(本人曰くでは、愛国ではない、愛しているのは酒と美食とたまに夫のみ、呼ぶのなら国防志願びと、と呼んで欲しいと)。志願びと、の「びと」は、あの「送りびと」という映画の「びと」が気に入ったから、とのこと。

仕事もばりばりやっている、もしも不逞なるヤカラどもが攻め入って来た時のために、柔術を続けて鍛えているという頼もしいお方、その方が、ぐるぐると広い境内(で、いいのか?)を巡りながら、ここです、と立ち止まる。

「ここで拝をなさって下さい。ここが、大国主命の正面のところです」

きっぱりと勧められて、さっき、奮発して賽銭箱に入れようとした〇円を、それは後で、ここはコインでよろしいのでないかと、と教えられて従って、手の中に握りしめていたお賽銭をようやく、小さな小さな箱に、奉じさせていただいた。

神楽の音が響いていて、カエルがゲコゲコ鳴いていました。

二拝、四拍、一礼。そうなのだそうです。塀に向かって拝をする感じ。でも、そこにも参った有名な大〆縄、千家家のしめ縄のところでなく、その小さな祠への拝が、正式なのだと初めて知りました。通りがかった方々は、けっこう不思議そうな視線を向けておられました。

子どもの頃、絵本で読んだ、大黒様(大国主の命)と因幡の白兎の話。あれが、出雲の大社の元(という言い方でいいのか?)。なのだそう。

よくわかり切っていませんので、これから少し、お勉強しようと考えています。

地元の方の話では、出雲の千家さんのご長男(権禰宜さん)は「うつ病」、体調がよろしくないのだと。

奥さんは一緒にはおられない、と。

ああそうなのですかと、深追いしないで聞いていました。何にせよ、大変なことだなあ、と。

それから少し、なにやらありまして。


帰路の高速道路で、虹を見ました。鮮やかな濃い色の虹。雨の上がった空に、虹は、長い間、出ていてくれました。

途中、外側に、もう少し色の淡い虹も。二重の虹が、およそ三十分の間も、出ていて。

最後もいいもの、見られたなあと、太陽が沈んで見えなくなるまで顕れ続けた虹を、飽かず見上げておりました。

私の、誕生日の日のできごとでした。


…コメントへのお返事、遅くなっていてゴメンなさい。明日ゆっくりと書かせていただきますね。




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  1. 旅のこと、とか
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出雲へ

こんばんは。

島根県へ行って、帰って来ました。

大変すてきな旅でした。隠さず申しますが、疲れました。今日は箇条書きにして旅の内容をお知らせし(と言いうより備忘録です、自分自身の。明日までに忘れるかもしれん・笑)。明日は、思い出しながら出雲の旅について、書きたいなと考えています。

・行く途中の高速道路で、後部座席に座っていたKUONがシートベルトをしていなくて、停められて、運転していたM氏が一点引かれる破目に。えーんごめんなさいと謝るのみでした。

・えーんしたらお腹がすき、蒜山で休憩を兼ねてお昼をいただき、ジャージー牛乳入っているので特濃というソフトクリームを食べました。でっかいシュークリームも半分食べました。ソフト食べたの何年振りか・・。

・足立美術館へ連れて行ってもらいました。とても広いので、と、なんと車いすを用意して下さって。車椅子初体験。恥ずかしいですかと聞かれたが、恥ずかしくなどない、嬉しかった、おかげで広い広い美術館の中を、ゆっくり見学できたのです。

すごい美術館でした。詳細は(多分)明日。アメリカで選んでいるという世界の庭、13年連続ナンバーワンのお庭だとのこと。枯山水ほかさまざまな顔の庭。緑が白砂が苔が美しゅうございました。。遥かに滝まで作ってあった。驚愕。

・竹島資料館へ。たくさん本がありました。ここへ案内して下さったのが「愛国女子」のTさん。お目目くるくる、なんでもよくご存知の方。

・そして旅館に入り、う~んと伸びをして、10匹以上が悠々と泳いでいる鯉の池を目の下に眺めました。そして迎えに来て下さった愛国女子ご夫妻と私の一行四人とで、晩ご飯の場所へ、急いだのでした。

鯉は全員、ものすごいメタボ鯉。脂肪肝もありそうだ。糖尿も。んん?。

・居酒屋「いろは」で、皆さんハイテンション、飲むわ食べるわ、地元の銘酒なんとかとか、それも銘酒のかんとかとか、さっぱり訳が分からない、ながら、一升瓶から酒器に注がれるとくとくとく、って。いい音だなあ・・・

乾杯だけ加わって私は、食べるに専念。皆さんの「飲み欲」がいささか治まって後、ともかくは「愛子さん」の話を、請われるままに。できるだけ冷静に、客観的に、話していたと思うのだけど、反応はそれはもうさまざまで、「そう、そうそうそう」から「えええ、知らんかった、びっくりぃ」まで、四段階くらいでしたか。「信じられない」の声は、ありませんでした。知って知ってと、大声の出たワタシ。

自分から話す気も無かったのですが。そーゆー風に場の風が流れた。女子が流した?。真摯な人です。

・旅館に帰って、温泉に入ってくたばりました。

玉造温泉はどれだけぶりの訪問でしたが、やはり、とってもいいお湯でした。洗顔の後にぬりぬりするモノ忘れて行ったのに、翌朝、ええい、ままよ、と、顔洗っただけで塗り始めたファンデーション、しゅううっとのびましたもん。
いいお湯でした、本当に。

・朝ごはん、宍道湖のシジミのお味噌汁が出ました。ずううっと宍道湖添いを走っていたのですよね、前日。そこのシジミ。小さい貝の、一粒ずつ、よいしょ、よいしょと、ほじっていただきました。島根の方はシジミ、そうやって食べないと聞いた・・・そうなのか?。

・ほとんど全く一般的には知られていないという、佐陀神社へお参拝。出雲国三大社というのに、地味な、そして滋味深い神社でした。

・すぐ近くの、びっくりするようなこじんまりの「田中神社」にお参拝。

どちらも、旧い旧い神社のようです。

佐陀神社の、向かって左側の狛犬の顔が、なんだか可愛らしくて、何度も見上げてしまいました。

・お昼は、有名だけどボッタくりでない店のおそばを、ということで、「八雲庵」なるお蕎麦屋へ。松江城の近く、かつての公家、武家屋敷の並ぶ通りだという堀端にある店でした。情緒のある庭、美味しいおそばでした。

・私の希望で、小泉八雲・・ラフカディオ・ハーンが半年間暮らした、旧居へ。じんわりと懐かしさに溢れた日本の家。

ぐるりと家を囲む庭の緑が美しく。暮らすにはマンションは便利だが、こんな情趣は望めないよね…行ってよかったと思います、よかった。

そして、出雲大社へ。

ここでも車椅子を使わせてもらいました。優しい優しい皆さんが、押してくださいました。おかげで広い境内を、回ることができました。

今夜の最後にちらっと書いておこう。

出雲大社は、雨模様のせいもあってか、肌にしみじみと温かさのしみる、まこと、神だか人だかの思いの集まっているところ、という感じがありました。で。不意に、申し訳ないながら、思ってしまった。

あのおうちの方は無理だな。馴染めなくいらしただろうな。

と。意地悪を、わざわざ言う、思うつもりもない。ただ。無理なものは無理なんだな、と。

誰か個人のせいではない。





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お彼岸に・前半

名古屋市千種区に「平和公園」と呼ばれる墓地があります。

名古屋市内を一望できる高台にある、市内随一といわれる広大な墓地です。調べると

「区画整理のため、市内の各寺院境内地に備わっていた墓地を、移転・整備することにより誕生した大規模墓地。園内には200以上の寺院墓地が存在する」。

とあります。昭和50年代に、私の実家のお墓もそこへ引っ越しました。隣接して次姉の婚家の墓、少し離れたところに、亡父の妹であり私たちをとても可愛がってくれた叔母の婚家の墓地も定まりました。わたしの実家は長姉が継いでいますので、一度そこへ行けば、実家、叔父叔母、義兄のご先祖さまと、すべて拝することができたのでした。

私は婚家の墓には毎月初めに参りますが、実家にはなかなかそうは行きません。それで当たり前と思って来ました。年に一度行けたらいいかな、くらいの感じでいました。

今年はお彼岸が連休で行きやすくて、23日の土曜日に名古屋へ向かいました。

いつも次姉宅に世話になります。義兄はとてもいい人、八十歳になろうかという今も、特殊な細工の緻密な建具を、自宅の一階でマイペースで作り続けている職人です。

行くと歓待してくれ、一緒に晩ごはん食べながらいつも機嫌よく、食べ終わると(すでに風呂は済ませている)ころんと寝てしまう人です。私はこの、苦労人で律義で正直な義兄が大好き。今回も義兄は、自分の分の塩板焼きの材料の海老や牛タンやカルビ肉など、どんどん私にくれて、缶ビール2本楽しんで吞んで、ンじゃお休み、と、自室に去って行ったのでした(笑)。長姉と次姉と「わたし家を離れられんのだわ」で独身の姪と、私。女同士の中には「おら、入りたにゃあわ」という感じで(笑)。

食べて喋って少しぶつかって(長姉と私が)ダハハハとすぐに戻って、夜更けに寝に就きました。

この家は、母が最晩年を過ごした家。あれこれ思って眠れず、足元に来た猫のマイケルくんのやがての寝息を聞いていたら、ぬくくなってきて、やっと眠りに落ちることができました。

翌日、姪の真っ赤な外国車に乗せてもらって、大須の万松寺というお寺に行きました。信長公の父親・織田信秀の菩提寺だとか・・このお寺に、お墓のマンションとでも言うべきものがあって(言葉が稚拙ですみません)、叔父と叔母が、ここへ入ったと聞いていたからです。

大須のにぎやかな商店街に添って間口広くそのお寺はあり、400年だか500年だかの歴史はあまり感じない華やかな色彩。できて間の無いせいでしょうか、横正面の賽銭箱には、巨大な三つ葉葵の紋。

黒いスーツのにこやかな(でも髪は乱れ気味、参拝の人がお彼岸時期で多いため?)女性が、私たちのめざす場所を教えてくれました。その前夜、姉妹でお参りに行くと従妹に電話して、けっこう濃密な付き合いの続いている次姉が、はじめて、お墓を移したことを知らされていたのです。

〇階の、左へ行った、奥。すぐにわかりました。

両開きの、ミニ仏壇と呼ぶのか、まだ新しく黒々、金金(きんきん)した扉が、上下に何段も通路沿いに両側にずらりと並ぶ壮観さ。

あった、ここだと次姉が手招き、どこどこと歩を進める皆、開けていいと許可を得ていたから開けると、花や線香や叔父の写真、叔母の写真。

うう、叔父さま、叔母さま。

時には実の母親よりも親身に、渾身に、父親に早く訣れて他の事情もあってばらばらになった私たちを気遣い、庇い、大事にしてくれた、(義)叔父と叔母の、全開の笑顔の写真が、そこにありました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・日曜日に帰宅して今日月曜日、けっこうハードに仕事しまして疲れてしまいました。

続きは明日、コメントへのお返事も明日にさせていただきます。

このことは、やはり書いておきたく思いましたので、今夜の前半と、明日帰宅してからの後半に・・いや、単に個人的な感傷の記録であります。







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高野山にて。

和歌山県での用が早めに済んだので、高野山へ足を延ばして来ました。

奥之院・弘法大師御廟を目指す。

一の橋という所から、歩きます。ノルディック・ウォーキング用のストックを両手に握りしめて出発。片道、ゆっくりで1時間、頑張ります。長くは歩けないのです。

両側にお墓がいっぱい。ずうっと、お墓街道。

歩きはじめてすぐに伊達政宗(敬称は略させて頂きます)供養塔。薩摩島津家供養塔。上杉謙信、武田信玄・勝頼親子、石田三成も明智光秀もご近所さんです。

久しぶりの今日は快晴。真っ青な空、出来立ての真っ白な雲。気温も上がって来ていたのですが、道の両側はびっしりとお墓。1000年を優に超す樹齢の大木が繁っていて、空気は澄み渡り、木々の間をすり抜けて来る風は、本当にひんやりと、心においしい風。

標高800メートル。登って来る途中に、600数十メートルの標高が示され、それは、スカイツリーと同じとあって、なんだか微笑ましかったです。・・・そんなとこで、そんな、張り合うみたいな。。。解りやすくするため? とか。

大変、高いところにある場所なのは本当で、人力のみですべてを成していった昔の人々に、ふと思いを巡らし・・・。

創建が806年だとのことですが、そんなに長い間、動かないものがここにあって(墓石だし・・・)、そこへ詣でる人々の思いがここには積もっていて、・・・うまく言えませんが、揺るぎの無い、ここも、場所であって。

ひたすら、気持ちがいい。

絶えてしまった名家なのか苔むした古い墓石も何も、傾いたり転んでしまったりしているものもあります。

お地蔵さんがあちこちに、沢山、います。まっさらな赤い「あぶちゃん」を付けてもらっている地蔵さんもあり、土の上にへたり込んで顔も崩れそう、土に同化しそうに見えるお地蔵さんもいます。

眺めて通り過ぎてゆくのみです。諸行は無常なのであります。

初代市川団十郎の墓もあります。

当然、分骨されて、身近いあたりで懇ろにされているのでしょうが。海老蔵さんは、ここ、来た事あるのかな、などと、ミーハーな思いも抑えがたく。

加賀・前田百万石2代目・前田利長の廟は、きちんと手入れされていました。毛利家の墓、松平の名、あっちにもこっちにも。

今回も胸を衝かれたのは、結城秀康の廟。重要文化財に指定、とありながら、その姿は、あまりにも荒れ果て、朽ち果て・・・徳川家康の次男として生を受けたものの、松平になったり豊臣を名乗ったり最終的には、結城・・。
荒波に揺り転がされるかの生涯、たった三十歳での死・・・など。

見るのが辛いようなお墓でした。

浅野内匠頭の墓の傍らには、四十七士の墓。どちらも、見落とすほど小さいです。

芭蕉の句碑や、幼い子を亡くした母親の歌碑。無名の人も有名の人も、今はひとしくひっそりと石の下、です。

織田信長も豊臣秀吉も。帰り道には、阪神淡路大震災物故者慰霊碑にも黙祷を捧げました、親鸞聖人のお墓は階段が急でお参りを断念しましたが、高野山には、法然上人も眠っている。

痛い痛いとむずかる足を、もう少しねちょっとね、と、言い聞かせては前へ進み、やがて。

御廟橋の手前へ到達。はじめに、先の橋の手前で、ココロの雑念を払い帽子を取って拝をして、渡った橋と同じく。

弘法太子・空海が、その場で即身仏となられた場所・・・

高野山の人々や真言宗の僧侶の多くは、空海が死んだと言うことは半ばタブーとなっており、高野山奥の院の霊廟において現在も空海が禅定を続けていると信じている。奥の院の維那(ゆいな)と呼ばれる仕侍僧が衣服と二時の食事を給仕している。霊廟内の模様は維那以外が窺う事はできず、維那を務めた者も他言しないため一般には不明のままである。

が、つまり、高野山奥の院弘法大師御廟、であるのですが(間違っているといけないので、後でもう一度調べ直します)、そこへ向かって行く人々の群から、ひゅいと抜け出て。その、左側の地へ。

いわば結界中の結界の内にある弘法大師御廟のすぐ横、新たな結界かと思われる小さな橋・・・その下を流れる小さな川=玉川=の水は、えも言えず澄みきって清らかなものでした。

その橋の奥に「歴代天皇陵」

と、そっけなく記された場所があります。一の橋に入る前にもらった数枚の簡単なガイドマップの、あるものには記され、あるものには天皇陵の記載はありませんでした。

静謐な、小さな御陵でした。宮内庁管轄のお墓恒例の木板が立てられていて、そこに、魚鳥を取るな、中へ立ち入るな。など書いてあります。

柵の向こうの、およそ1メートルほどの高さの小高い塚の上に、宝匡印塔が載せられている(わたしには)珍しい形の「御陵」に、拝をしました。弘法さんの御廟の方には、ひしめくほどの人々が参っていても、ここへ拝をしているのは、その時は私だけ。

霊元天皇の「御歯塔」だといいます。

歯?。

この天皇と共に、中御門・後花園・桜町天皇の御髪燈や桃園天皇などの御髪爪燈の九燈があり、それぞれ小円墳を築いて、上に宝篋印塔をたてている、ということなのだそうで。歯や爪や髪が祀られていることを、聞いたことはあっても、詳しく知ったのは今日が初めてです。

霊元天皇は、112代天皇、26年間の御在位だったそうです。

父は後水尾天皇 、母は藤原国子 、鷹司(藤原)房子 を中宮とされた。典侍の中に坊城(藤原)房子の名もみつけ、意味も無く、ふううん、と感じ入ってしまいました。繋がってる・・・。

退位の後の長い天皇であらせられ、歌をよくし、能書家でもあられた。

ご陵墓は、京都、東山の、先に、悠仁親王殿下が、ご両親に伴われてご参拝になられた、泉涌寺、です。


泉涌寺にも、行きました。

今日は今日で、自分なりの気持ちを籠めて、拝を長く、しました。

「じゅそ」に近い思いを、心の中で形にしたと、思います。

拝の後、もう一度正面から向き合った柵の内部、幾つもの塔の上に、白い霧のような淡い雲のようなものがかかっていました。

ご皇室が、浄らなものに、戻りますように。


・・・コメントへのお返事は、明日、させていただきます。











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お知らせです。

オフ会というものをしようと思います。

場所は、神戸、かな。ひこーきも新幹線も使えて、海があり山がありおされな街がある。。

学生さんたちが卒業して、旅行などなさる時期にも突入します。時期も選ばねばなりません。それ以後になろうかと考えられます。自分的には、GWが終わってから、でしょうか。

暑い頃には、わたくしの完璧(なはずの)メイクが、溶けて流れてえらいこっちゃになる危険性が高まりますので、それまでにいっちょ、くらいの考えは持っております。

会議室を借りて、喋って・・・隅っこでの居眠りは許可制。参加されるからには命がけで喋らなあきません。許可は、言い出しっぺのKUONが与える。良いなあ、エラソーで。わはははの、は。大人しい方も、おとなしいって存在感、ありますよね。実は私も、本当は人前でしゃべるのは苦手なタイプです。

ランチをはさむことになりますので、小食の方は、皆の  なんなの~~視線をあびること必至。命がけで「食う」が可能なことも必要・・・あ、この項は冗談です。みんな違ってみんないい、は、ここでも通用いたします。最終的にはすべての食べ物の皿は、捨てるなんてとんでもない、猫がなめたか、状態となるでしょう。

もしかして、お泊りプランも併設になる予感。チープで気楽なお泊り場所にしたいなあと、漠然と思考中です。がははの宿。これも探さねば。とっても人気の会になります(ホントか!)。

今回は女性限定です。ものすっごく「いい」オトコも、このたびは不可。申し込みを受けましたら・・・どうしようかな・・・いや、限定ったら限定。すっぴんでがははで喋りまくる快感を重視する。やせ我慢も時に必要。

このようなことを企てるには不慣れ、方向音痴でいろんなことのワケもわからん者ですが、がんばる。人数とかあれこれ、把握が必要ですそれはそうです。

どうすればいいのでしょう。

ともかく。

わがへたれブログには、くおんにメールを、という欄がありませんので(どこに売ってるのかしら~)、関心を持って下さった方は、おそれいりますが、コメントを下さるところの「管理者にだけ表示を許可する」口の中にチェックを入れて、私にだけ読めるそのコメントの中に、メールアドレスを書いて頂ければ、と思います。

他の方の目に触れないメールです。

で、私からご連絡をさせていただきます。

最終的には、私がまとめをさせていただくでしょう・・・まとまらないと出来ないですので。

ということで、真摯な態度で現在の日本を憂うる、真面目な人々の集うくっちゃべり会を、しようよ、の、お知らせでございました。






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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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