KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. 今の思い
  2. tb: 0
  3. cm: 1
  4. [ edit ]

秀樹さん。

朝丘雪路さん亡くなったと。

「雨が止んだら」という歌、大好きです。若かった私が心底しみじみ、毎日、ラヂオから流れるあの歌声を聴いていた、歌詞に涙腺ゆるんでいました。

星由里子さんも、私は、あの加山氏方面の明るさやセイシュンのありようなどに遠く存在していて(青春は暗いものであらねばならぬ,、の思い込みが強烈であった)、映画とか見たことも無いのですが、先日も健康コーヒーのCMにゆったりと出演しておられるの観て、きれいでおんなの人らしくて立派なもんやなあ、と、感心していました。

夫さんに、最後の呼吸困難の時は抱き抱えられるようにしてもらって、と今朝読んで。よかったなあ、全うされたんだなあ、立派だなあ、と、このところ「立派」なんぞというフレーズが、私の持ち言葉になっているようです。

数日前に珍しく長々と見ていたテレビ画面で、郷ひろみを見て。

やたら御大ぶって(と見えた)やたら消息通ぶって(と見えた)やたら気さくなボク、ぶって(とも見えた)人を立てることを知らない司会者役(で、すごく唄いたがっていた)の五木 ひろしの傍らで、郷さん、とても繊細な人なのがわかりました。もう一人画面の中にいた布施 明さんも、豊かな感じが出ていて、しかも歌、超絶うまいし、感じよかった。いっとき、歌、ずれずれ崩しの危険ゾーンにはまっていたのに、きちんと唄う当たり前路線に戻しておられるの立派。

どなたにしても私は私生活には関心ない、表現者として出して来るものがよければ何をしておられようが、との考えです。郷さんは、全くすれていないのが見えました。体系維持も声量変わらずも立派、と思って見ていました。郷ひろみのファンだった時代は一切ないのですが。内緒で言えば、新曲がヒットするか否かは、私にはわかりませんが。

残って行く人は、違う。

・・なんぞと。こんな番組また見たいわね、とか思っていた日に、西城秀樹さんの訃報を聞きました。

秀樹。ヒデキは、私ではなく、私の長姉の救い主でした。

十一歳としの違う私の姉は、あの当時、下は保育園から上は中学生の四人の子どもを抱えて。

親の許さない学生駆け落ち結婚の結果、まだ生後半年だったいちばん下の子も軌道に乗り始めていた小さな会社も振り捨てて、姉の夫は、買ったばかりの車の助手席に事務の女性を乗せて、遁走。

あれこれあって、伯父の家の離れの二間に、姉と四人の子たちは身を寄せて。住むところをそうして授かったのは幸運でしたが、姉の生活は大変でした。伯父は、姉の母にも(私の母でもある)姉の妹二人にも(次姉とワタシ)、いっさい経済的な援助をすることならぬと厳命して、自分も猛反対したあげくに行ってしまい、四人の子を手元に置くことだけを条件に離婚することになった姉を、自分のところへ引き取ってくれたのでした。

姉の生活の大変さは、書けば長くなります。とにかく、子どもたちを食べさせて、学校へ行かせて、風呂に入れて寝かせて。宿題は各自の責任でする、と叩き込んで。夕方少しだけ早めに帰宅できる託児所の仕事に通っていました。いちばん幼かった末っ子の甥は、違う保育所へ行っていました。

姉と姉の家族の楽しみはテレビでした。昭和4年代から50年代、そういう家庭は普通に多かったと思います。

テレビが家族みんなの楽しみであり得た時代だったのですよね。歌謡番組、ドラマ、花盛りでした。

姉のごひいきは西城秀樹、ヒデキ~っでした。欠かさず漏らさず見ていました。当時のテレビは(よそは知らず姉宅のテレビジョンには)、その時を捉えて、必死で、しっかりと、見るだけ。そんなテレビでした。

必死で姉は、ヒデキを見ていました。子どもたちに自己流の説明、演説をしかけ、番組都合によっては食事の時間を前後させ(ヒデキに関してだけ許される家庭内特殊事情)、文句は言わせない。

これでお母ちゃんは、元気で楽しくいられるのよ、ヒデキだけは見せてもらうわよ。」

子どもたちも、文句言わず。叔母である私が、そういう時の懐柔策として姉に渡しておく、皆の好きなお菓子とか。いつもは許可されない炭酸飲料とか。そういった奥の手を駆使しつつ、三十代で四人の子のお母ちゃんとしてのみ生きていた姉の日々は、過ぎていたのでした。

順番に記すと、長女はいささかシビアに母親を眺め、自分は、ヒデキでない方へ関心を寄せていた。横溝正史とか。長男は、私が与えたフォークギターを飽かずさわりまくるようになっており、母親がヒデキさま没頭中は、うるさいと叱られるから、弦の下にタオルを敷いてテレビに最も遠い場所でコード進行をまさぐっていた。二番目と年の離れた次女は、いつもは自分に回ってこない「お母ちゃんの傍」の位置を、そんな時は確保できるのが嬉しくて、可愛く口をいっぱいに開けて母と一緒に「ジュウリィイイイ」と叫んでいました。ドラマの中での「ヒデキの祖母ちゃん」のあの、超・有名なシーンのことです。末っ子の次男坊は、小学校低学年の頃から、ひとりでもくもくと「ものを考えている」子どもでした。そのままずっと考え続け、定時制高校から遅れて大学に入り、学習塾も家庭教師も縁のないまま黙って頑張りぬいて、人より遅れて司法試験に受かりました。母親は男性問題いっさい無しで走り抜けたし、母親の「オトモダチ」からガッコ行く費用やら誕生日にテーコクほてるでご馳走になるやら、そういうこと無しで。先日会った時に

「あのパラリーガル、どうよ」

と言ったら、ああ、と笑って。ああ、ねえ。と、笑っているばかりなのであった(笑)。

姉は最終的に長女のもとに身を寄せて、共働きの夫婦の助っ人として(私の初めての姪にあたるその)娘の、ここも男女二人ずつの四人の子を、祖母として手塩にかけました。四人ともぜんぶ、大学を出て、結婚しています。姉はいま、78歳になりました。ときどきお菓子など送ると、お礼の電話がかかり、その電話はたいへん長いものになるので、電話苦手のワタシは覚悟を決めて相手する感じになります。

昨日は私が電話しました。姉は喜んでくれました。とりとめのない話をして、不意に姉が、〇っちゃん(私)は、と言い出しました。

「あの歌が好きだったねえ」

西城秀樹の「ブーツを脱いで朝食を」という歌のことです。その歌を、私も、好きでした。

「ブルー・スカイ・ブルーも好きだったね、〇っちゃん」

確かにそうでした。私は胸の詰まって来る思いでした。確かに私も、西城秀樹のそれらの、甘いハスキーな声の良さの発揮された歌が好きでした・・・しかし。姉は、自分は全部好きだから一曲だけは選べないのかも知れませんが。

若くて時に思いやりのない妹だったであろう私の、昔の好きだった歌のことなど、覚えていて。話を振ってくれて、私は寂しいだろう、と、慮ってくれたのでした。姉妹とはいえ、父の早世などあれこれあって、一緒に育たなかったし、いろんなことがあった、世間一般の姉妹のようには過ごせない時代の方が多かった、でも。

父が生きていた幼い頃、その日は家風呂が使えなかったのだと思います。長姉と次姉と私と、三人で銭湯へ行って。

帰りに、曲がり角にあった店へ、連れて入ってくれた。

ラムネや駄菓子やお好み焼き(おもんじゃ、と呼んでいました)、鉄板の傍に大きな鍋に串刺しのこんにゃくやごぼう天や、豪勢の極みの茹で卵が、逆さまに突っ込んであって、ぐつぐつ煮えていて。店のおばあさんが、こんにゃくを抜き出して、傍らの手拭い(だったのだと思う、実は現代の基準に照らして言えば、雑菌まみれの雑巾、というしろものだったと思う)に、ぱんぱんと叩きつけて水分を落とし(やはり雑菌まみれの・・以下、略、それでもその食べ物は嬉しいものでした)鍋の真ん中の容器に煮えたぎっている甘味噌にどぷんとつけて慌てて取り出し(想像されるの正解、味噌が余分について減らないように細心の努力を)はい、と手渡してくれる・・母は一度も連れて行ってくれなかったその店に、おそらく父にもらったのであろうお小遣いでもって、連れて行ってくれた姉。みかん水も飲ませてくれた。私の洗って濡れた髪を、耳にかけて

「ヘップバーン」

と笑った姉。お好み焼き屋の鉄板の横の壁に「ローマの休日」の、オードリー・ヘップバーンの、アン王女の姿の切り抜きが、貼り付けてあったのでした。

店主はおばあさんでしたが・・・。とにかく。

姉は父のお気に入りの長女でした。当時はすでに、学寮のある高校へ入っていて、家にはいつもはいなかった。たまに帰ってきての、大盤振る舞いだったのだと、後で気づきました。春に高校へ入り、夏に帰省、そして

それからほどなく、十一月に死んだのでした、私たち姉妹三人の父は。

・・・苦労の盛りの時期、激しい物言いをし、母に辛く当たり、自分優先の態度が、苦労知らずでのほほんとしていた私の目に余って、姉だとはいえ好きだとはとうてい思い得なかった時期のけっこう長かった姉。

いまは、本当に、穏やかに暮らしています。娘夫婦と三人の暮らし、何もないとは言えない、とうぜん、いろんなことが、大きく小さくあるのは、当たり前のことと思います。でも、いまは平穏に暮らす姉。

カセットテープに歌を採ることができるようになった頃、懸命にヒデキ・テープを作っていた。

いい子だ、いい子だ、と言っていた。昨日も、ヒデキ頑張ったんだねえ、と、感慨深げでした。一人で追悼特集になる自分用の何か、せっせと制作しているのだと思います。

西城秀樹さん、どうもありがとうございました。

あなたの歌や、ドラマで見せる姿や、いろんな場面。激しさ優しさ、独特のセクシーも。私の姉は、大変だった時期を、秀樹さんに救われたのだと言っています。文字通り、そうだったと思います。姉の頑張りを、今だからきちんと私も見られます。ヒデキさんに感謝します。

ありがとうございました。

スポンサーサイト


  1. みんなのうた
  2. tb: 0
  3. cm: 3
  4. [ edit ]

五月。皐月の「みんなのうた」

五月も「みんなのうた」へのお呼びかけにこたえて下さり、ありがとうございました。

うたは、うったえ。

   なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ      「梁塵秘抄」


まとめさせていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


     KUON の詠める

・シャツを干す向うに青き海の見ゆ両手だらりとしてしばし視る

・洗濯物干し了へて見る沖に早やヨットいっぱいに風はらみをり

・そこまでは行けないけれど 快晴の沖のヨットの白を眩しむ


     Nちゃん の詠める

新緑の
葛城山に
見降ろすは
大和 難波津
古代の遺跡

お揃いの
靴を並べる
葛城の尾根
躑躅 鶯
君と二人

登山せじ
十代の日に
決めたるを
君と登りし
山の数々

伊吹山
ふたり初めて
登りしは
をとめ十九
君も若くて

山道を
手を引き引かれ
バカップル
三十余年をかく過ぎ来たり

脚上げて
息整えて
頑張れよー
歩けるうちは
連れもて遊ぼ


     まめはな の詠める

・仏壇にひっそり鎮まる桃の実の産毛震えりろうそくの灯に

・りんご剥くくるくる落ちゆく皮の上(え)を少女が独り駆け降りてゆく


     白萩 の詠める

一面の揺れる稲苗に鯉泳ぐ立夏の空をひたと目指して

厄祓い終えて心は清々し雲なき空もひときわ青く

五月晴れ飛沫きらめき船進む十分間の短かき旅よ

雨の中神苑は緑滴れり「言の葉の庭」もかくありけるか

母と見る色打掛の絹の波「やっぱり赤の古典柄だわ」

指に咲くダイヤモンドの煌めきは見ても見飽きぬ約束の証


     パール の詠める

☆朝戸風闇の心もため息も
 連れて吹き抜け朝日の中に

☆いざ行かん私の化粧楯と鉾
 強く息吐き戦闘開始

☆あまた立ち五百余年の時空(とき)超えて
 この城址に我れ立つ不思議   

☆亡友は風 藤の香りに誘われて
 居たね一緒に肩に背中に

☆淡き陽が藤棚の色映し出す
 きらりきらりと香るむらさき

☆鏡台の奥にそっと居た小瓶
 香り芳し想い出遠く

★触れさせてならぬ輩に触れられて
 姫のオーラは無残に曇る


     アルジェリマン の詠める

痩せた兵追い詰め撃ったる境界を笑ってまたぐ肥えたラスボス

黒ずんだボール嗅ぐ犬の背に白きハリエンジュ落つ校庭の外

犬の背を越える高さのハルジオン揺れる野の道 雨の翌日

ハルジオン終わりて次はヒメジョオンいずれも強し帰化の草なり

苔むした石碑の回り小判草 その名を知りて野の草いとし

小判草 生まれは欧州舶来の鑑賞の草 野に揺れており

あと五羽は先に行ったか カルガモは二羽で沼田をすいと進めり

今月もわからんちんの電話あり 説明虚し のの字ぐるぐる


     かりそめ の詠める

*悠然と赤信号で道草の揚羽の翅の喪の色をして

*揚羽蝶赤信号を翔(か)けぬける付き従へば天上界か

*触れたきは夏の朝空触れたれば乱れ心の鎮まりゆかむ

*大けやき若葉に日差し透き通る幼子われにやはらかく笑む

*少女らの制服縞のワンピース帽の護謨紐首にまとはせ


〈ヤンゴン・2013年〉

*人々の祈り込めたる金箔のパゴダの風に剥がれ飛ぶとふ

*ミャンマーのガイド地獄を恐るると美しき顔ゆがめつつ言ふ

*ミャンマーの家族の夕べ寺詣で仕事帰りの父をまじへて

*アウンサンスーチーの顔ティーシャツにオバマの笑みと並びてありぬ

*ヤンゴンに浮島のあり浮島に寺院ありたり風の涼しき

*水かけ祭済みし直後に到着す街あちこちに花とけだるさ


     おてもやん の詠める

○母の日の箱の中身はキーケース紺地に金の兎の刺繍


     かげろう の詠める

「おとうちゃん」小さな声でよんでみる遠い空のそのまたむこうへ

斑鳩の金色佛はほほえみてわれの心を撫で慰むる


     温泉郷 の詠める

パクチーに白い花咲くかわいくて食べられません食用だけど

おじぎそうの種蒔きながら蘇る実家の庭の葉の感触よ

三条の寿司屋は外人ばかりなり葵祭があしただったか

葵祭みることもなく生活す電車が混んで迷惑至極

来年の今ごろはもう平成じゃないのねきっと混乱するわ


     こぶ の詠める

・「お兄さん」みたいな先生少しずつ
 心のドアに光差し込む

・阿波の国の小さき寺の大師堂
 多国籍語の般若心経


     たまき の詠める

潮騒は
わたくしに問う
あまたある
悲しみの波の
どれを選ぶや


     天蚕 の詠める

 風穴の 白き冷風を われは抱き 逆縁なりし 息子を偲ぶ

 山の春 足元に寄る トカゲにも 逝きし子の名で呼びかけており


     わすれんぼ の詠める

寺山がありやと問うた祖国という 人をし守る殻が溶けゆく 

福島の汚染土国の隅々に ばら撒かんとする悪意のありて

巨大なる悪意を前に何もせず 何事もなしと暮らす我らは

靴喰らえ靴舐めよとかネタニヤフ 日本総督出迎えの作法

明治より三帝眠る御陵(みささぎ)の 朝鮮なぞる形の不思議 

忽然と土噴いて出たガマガエル 土遁の術たぁこれのことかぁ

地中より現れいでし庭の主 歓迎までに我が悲鳴をば

若き日の異国の旅の第一夜 北欧の空夕暮れの青 


     アイリス@ の詠める

機関士を
務めし叔父が笑みて逝く
遠くに汽笛を聞いたと思ふ

ここのその(九十の)
叔父の掌に頭を近づけて
いい子と撫でてと
おねだりしてみた

ありがとう
さよなら叔父さん
懐かしき
昭和を背負った
最後の世代


     黒猫アビ の詠める

 ・ワイパーが激しく動くハイウェイ
  新東名を初めて走る

 ・若き日に夫と二人で旅した地
  再び夫と同じ地に立つ


     KUON の詠める

・豆ごはん炊きあがりたりきゃらぶきを添へて初夏(はつなつ)ひとりの昼餉

・微熱ありて気怠く物憂く味噌汁にたまご割入れてじゅるじゅる昼餉

・子ら遊ぶかんだかき声救急車のサイレンの音 窓の外(と)に群青色に海暮れてゆく

・この週は四通の手紙よこしたる姑(はは)の淋しさ思へど されど

・遠くより来たまひし友握手して笑顔して遠く帰りたまへり





  1. みんなのうた
  2. tb: 0
  3. cm: 7
  4. [ edit ]

五月のうたのおべんきょ、ラストです。


おべんきょう続けます。この色は詠草。この色は詞書や詠み人さんからのあれこれ。この色はKUONが書いています。お名前は、この色です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


     こぶ

   五月のうた
   今月、間に合わないかと思いましたが、やっとひねりだしました。



・「お兄さん」みたいな先生少しずつ
 心のドアに光差し込み

うたにしようとされていることは、とても明確にあらわされています。

もったいないので少し触れさせてもらいますね。最後のところ「光差し込み」は、「光差し込む」と、結ばれたらいいのでないかと思います。

「お兄さん」みたいな先生少しずつ心のドアに光差し込む」と。


・阿波の国 小さき寺の大師堂
 多国籍語の般若心経

なるほど、こういうことがあるのだと、知らなかったことを知りました。このうたも漢字が多いのもそれらしく生きています。しかしこの一首には「阿波の国の」と、「の」を入れた方がいいです。お忙しいでしょうが、少しずつでも詠んでいって下さいね。お子さん、ご自分の、記録にもなります。


     たまき

潮騒は
わたくしに問う
あまたある
悲しみの波の
どれを選ぶや

完成された世界と知りつつ、ここには触れたい。

うたい納めを「どれを選ぶや」とされるなら、「潮騒が」とされたらと思うのであります。「潮騒は」のままで行くなら、最後は、たとえば「どれ選ぶやと」になります。このままにされるのも、もちろん「〇」です。



     天蚕

   五月のうた

   親より早く旅立ってしまった長男を思い最近詠んでおります。


風穴の 白き冷風 我抱き 逆縁なりし 息子偲ぶ

もの知らずのまま齢を重ねて・・この風穴のことも、詳しくしったのは今が初めてです。

そんなことがおありになったのですね・・。

「風穴の白き冷風我が抱き逆縁なりし息子を偲ぶ」


山の春 足元寄りし トカゲにも 子の名で呼びて 話掛けらん

うたの内容に関しては、申し上げるのもはばかられます、が、せっかくの息子偲びのおうた、もったいないので少しだけ、手を入れさせてもらいますね。初句の「山の春」は、大変いいです。

「山の春足元に寄るトカゲにも子の名を呼びて話かけおり」

「山の春足元に来るトカゲをも子の名に呼ばい話かけたる」


    *風穴とは 昔 お蚕さまの卵(蚕種)を 天然の冷風で 貯蔵していた所です
  (世界遺産の荒船風穴) 例年春は白く見えないのですが 見えたので 子供が見せてくれたか と感動


子追い、子恋いのうた、よろしければ存分に詠まれ、お寄せ下さいね。


     わすれんぼ 

寺山がありやと問うた祖国という 人をし守る殻が溶けゆく 

福島の汚染土国の隅々に ばら撒かんとする悪意のありて

巨大なる悪意を前に何もせず 何事もなしと暮らす我らは

靴喰らえ靴舐めよとかネタニヤフ 日本総督出迎えの作法

前月、シンゾー氏に向けての噴出するごときうたの数々、いささか身をかわして受け止めた自分に、苦さを感じていました。うたはどう詠もうが自由。ただ、難しい。読ませていただく身としては、こころ白く平らに、とつとめたいと思いつつ、ものの言いにくさをどうしたらいいのか、ど考え込むこともあります。

「福島の汚染土国の隅々に ばら撒かんとする悪意のありて」

これは、内容としてはおそらく事実。私も仕事上、口に出せないこともあれこれ、知ってはおります、歯がゆく腹立たしく暗澹たる思いも抱えております。で、余計に、ここでお詠みになっている「悪意」の一語を、この場で読ませてもらう者として、どう捉えて、どう反応して行けばいいのか、の前で、オーバーに言えば、立ちすくむ感もある。私も、言いたいことは山盛りにありまして。

食べて応援、というコマーシャルには、本当に複雑な思いがありました・・でもそこで、ものが言えない。

誤解しないで下さいね、だから詠むな、よこすな、と申し上げているのではありません。そうではないとわかっていただきたい。

一首目の「し」の使い方など、おみごと、と拍手したい思いです。デザートだかなんだか、あの、紳士靴を容器にしたあれは、ためらいなく「無礼者」の意をぶつけたい。

わすれんぼさんはわすれんぼさん流に、思う存分にお詠みになっていただきたいです。少しだけ、自分としては不本意な身のかわし方をしてしまう時もあるんだよ、の、言い訳じみたことを、書いてしまいました。


明治より三帝眠る御陵(みささぎ)の 朝鮮なぞる形の不思議 

忽然と土噴いて出たガマガエル 土遁の術たぁこれのことか

これ。見てみたいなあ、こんな場面。いっそ、さいごのとこ、

「土遁の術たぁこれのことか」のしっぽに「小さい「ぃ」をつけて、いかがですか、「これのことかぃ」と。


地中より現れいでし庭の主 歓迎までに我が悲鳴をば

若き日の異国の旅の第一夜 北欧の空夕暮れの青

「この「青」は素敵ですね。想像してうっとりしました。想像だけでは足りないけど(笑)。 

   いつも添削・コメントありがとうございます。
   前回コメントを入れ、書き直そうと削除したらできなくてそのままに・・・
   のつもりが、実は編集機能は、反映までにわずかに時差があるのですね。
   結局削除になっておりまして、忙しくてそのままになってしまいました。

   ・寺山修二という名、懐かしく読みました。
   いま祖国の姿は当時とはずいぶん違って見えます。
   ・ 学生時代、大学の欧州ツアーに参加させてもらいました。
   その第一夜がコペンハーゲンで、タンザナイトのようなほんの少し紫みを帯びた澄んだ青い夕空が
   何時間も続き、他の景色は皆忘れても、あれだけは忘れずにおります。


寺山修司。天才であり、大嘘つきでもありました。いろんな分野に才を発揮していましたが、わたしは、歌人としての寺山修司を思いきれないでいます。


     アイリス@

ギリギリ駆け込みセーフでしょうか?

堂々の「セーフ」ですよ(笑)。

未熟者と書いて下さいましたが、私も同じ、堂々の未熟者です。ご一緒に日本語を楽しみましょう、ということですよ。


機関士を
務めし叔父が笑みて逝く
遠くに汽笛を聞いたと思ふ

ふと涙ぐんでしまうような素直なおうたです。きっと、遠くに汽笛を、聞いておられたでしょう。真面目につとめあげられたお方でしょう。

ここのその(90の)
叔父の掌に頭を近づけて
いい子と撫でてと
おねだりしてみた

で、おねだり、聞いていただけたのですね。すてきですね。ここのそ、は「九十の」と書くのがいいでしょう。

ありがとう
さよなら叔父さん
懐かしき
昭和を背負った
最後の世代

ありがとう。大好きだった叔父さん。普通で、地味で、とっても立派だった叔父さん。

「昭和を背負った最後の世代」は事実なのでしょうが、いまの私には、とてつもなく大きなこと、に思えます。

あなた様も叔父様も、すてきなこの世の縁に、結ばれておられたのですね。

おうた、続けて下さいね。



     黒猫アビ

 ・ワイパーが激しく動き高速の
  新東名を初めて走り

疾走感のあるうたに仕上がっています。ものの捉え方がうまくなって来ておられる。

惜しいので少し、触れさせて下さい。

「ワイパーが激しく動くハイウェイ新東名を初めて走る」

「高速の」は、書こうとするならここの場合「高速道路の」となってしまう。高速、だけで行ける場合もあるのですが、その後ろに「新東名」があるから、この場合。「うまく言えなくて申し訳ないです。


 ・若き日に夫と二人で旅した地
  再び夫と同じ地に立ち

すてきな旅をなさいましたね。羨ましい(笑)。45年ぶりとのことです、以前の旅からこのたびまで、さまざまなことが、おありになって。オンナ45年、ダテじゃない。

そして「再び夫と同じ地に」立たれた。ビクトリー、やんかぁ。思わず関西弁、(笑)。たどりついたモンが勝ちやぁ、頑張りぬいてここまで来たわぁ。

よっしゃよくやったぁ、と、(笑)、私も。

いちばん最後の「立ち」、「立つ」に変えて、声に出して読んでみて下さい。宿題。「ち」を「つ」にする練習、なさって下さいますか。

 45年ぶりに金沢に行き本日夜に帰宅しました。
 ぎりぎりセーフで今月のおうた間に合いました。
 ケンカもせず、楽しい旅になり身体が動き歩けるうち
 にまた旅をしたいと思います。


ぜひ、そうなさって下さいね。


     KUON

・豆ごはん炊きあがりたりきゃらぶきを添へて初夏(はつなつ)ひとりの昼餉

・微熱ありて気怠く物憂く味噌汁にたまご割入れてじゅるじゅる昼餉

・子ら遊ぶかんだかき声救急車のサイレンの音 窓の外(と)に群青色に海は暮れゆく 

・この週は四通の手紙よこしたる姑(はは)の淋しさ思へど されど

・遠くより来たまひし友握手して笑顔して遠く帰りたまへり



遅くなってしまいました。今月も、たくさんのおうたに触れてしあわせでした。

また来月、お待ち申し上げております。




  1. みんなのうた
  2. tb: 0
  3. cm: 4
  4. [ edit ]

おべんきょう 4

おべんきょう続けます。この色は詠草。この色は詞書、ほか詠み人さんからのメッセージなど。この色はKUONが書いている部分。お名前はこの色です。ご挨拶は省かせていただきました、お許しを。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


     かりそめ


   今月も参加させていただけそうで、ホッとしています。
   一度休んだら二度と参加できないような気がして。



*悠然と赤信号で道草の揚羽の翅の喪の色をして

*揚羽蝶赤信号を翔(か)けぬける付き従へば天上界か

おっと危うい。見過ごしがたい危うさを秘める一首。

翅を持つ生き物は、翅を持つなりの生き方をしてもらいましょう。
われら人間は、とぼとぼとでも休み休みでも、一歩ずつ行くしかありません。いずれの身も遅かれ早かれいずれ天井の花となることわり、それはそう、今生の、現世においては、・・・そうですね。

とにかく。
毎月、欠かさず、詠草をまとめあげる。そう参りましょう。そうだそうだ(笑)。でも、しんどい時は、しばしお休みなさって、ね。他になさることも抱えておられるのでしょうし。でも毎月ね、おうたをね。しつこいKUON.。


*触れたきは夏の朝空触れたれば乱れ心の鎮まりゆかむ

そうですね。読ませていただいて。私も触れたくなった。夏の朝空。

*大けやき若葉に日差し透き通る幼子われにやはらかく笑む

*少女らの制服縞のワンピース帽の護謨紐首にまとはせ

糊のぱりっと利いた、白い襟の縞の制服。制帽の護謨・・ゴムが、かすかに汗の湿りを帯びて。

少女が少女である、たまゆら、ほんの短い期間の美しさ。初夏のどこかの坂道で、そんな少女だったかりそめさんに、すれ違ったり、してみたい・・・。


〈ヤンゴン・2013年〉

*人々の祈り込めたる金箔のパゴダの風に剥がれ飛ぶとふ

*ミャンマーのガイド地獄を恐るると美しき顔ゆがめつつ言ふ

*ミャンマーの家族の夕べ寺詣で仕事帰りの父をまじへて

*アウンサンスーチーの顔ティーシャツにオバマの笑みと並びてありぬ

*ヤンゴンに浮島のあり浮島に寺院ありたり風の涼しき

*水かけ祭済みし直後に到着す街あちこちに花とけだるさ

唐突ですが思い出しました。吉田拓郎がうたっていた「祭りのあと」という歌。拓郎の、抒情的なうた、あまり触れられなかったけど、いいものがあったと思っています。

私も、パソコンでできることは,やみくもに文字を打って行くだけといっていいようなものです。今回のようなお申し出は、今後もご遠慮なく、どんどんいただきますように。うたが良くなれば嬉しいですよね。



     おてもやん

   五月のうた


○母の日の箱の中身はキーケース紺地に金の兎の刺繍

おそらく贈り主は、社会人となられたばかりの息子さん。「兎」であることに意味がおありなのでしょう。大切に使われるのでしょうね、お母さん。お引越しはどんな具合なのでしょうね、と、個人的なことを聞いたりして(笑)。


     かげろう


   父へ
   久し振りに、参加します。


「おとうちゃん」小さな声でよんでみる遠い空のそのまたむこうへ

「お父ちゃん」のこと、大好きだったのかな。大好きなお父ちゃんだったのでしょうね。

お父ちゃんは、かげろうさんの声に、耳、すまして下さっていると思う。ぜったい。

わたし、考えてみれば「お父ちゃん」と、呼んだこと無いです。五つの歳に死に別れて。いい響きですね、「お父ちゃん」。


斑鳩の金色佛はほほえみてわれの心を撫で慰むる

奈良の、にんげんたちが支配しているところは、さまざまに変化を重ねているけれど。おかげさまで自然は、かなりそのままに残されています。50年たっていても、変わらないものは変わらないまま。

斑鳩はいいところ。離れて来た今も大好きな場所です。おうた、また、お寄せ下さいな。久しぶりって・・・そうだったかな? また、ぜひ。


   50年ぶりに奈良を訪れました。


     温泉郷

   五月のうた


パクチーに白い花咲くかわいくて食べられません食用だけど

後で「あっ」と思われての「直しておじゃれ」は、大歓迎です、今後もお申しつけ下さいね。春菊だった初めのおうたも、ふむふむ、春菊、好きなのよね~と思いながら読ませてもらっていました。

パクチーの花って白いのですね。私は香草類、とっても好意を持ってしまっています。(笑)。


おじぎそうの種蒔きながら蘇る実家の庭の葉の感触よ

おじぎそう、いいですね。今はマンション暮らしになっていますが、おじぎそうや風船カズラ、ああいうの好きで(朝顔も夕顔も)育てていました。この一首、最後の「よ」は、あれこれ、雄弁に語ってくれる役目を果たしています。

三条の寿司屋は外人ばかりなり葵祭があしただったか

葵祭みることもなく生活す電車が混んで迷惑至極

近辺で仕事をし、生活なさる方の実感でしょうね。「葵祭りがあしただったか、と、突き放した詠みぶりが、気持ちを表しておられます。今年の葵祭も無事に済んだようですね。斎王代のお役目を果たされたお嬢さん、あちらのあのお方より余程、身に添った賢い縁談をお受けになるんだろうなと。ごめんなさい、勝手なことを書いてしまいました。

来年の今ごろはもう平成じゃないのねきっと混乱するわ

ああ、そうなんですね、そういえばそうか(嫌味なKUON。)局地的に盛り上げようとしているのは感じますけど、京の葵祭りや奈良のおんまつり、などにはそれなりの存在意義みたいなものを感じても(歳時記的な意味でも)、あちらのそんなことも、シラケ果ててまともに見えないくらいな感じです。

前回の代替わりの折にはまだ、じぃーんとしたりしていた、幸せな(花畑の)私でした。自分のことばかり書いて失礼しました。





  1. みんなのうた
  2. tb: 0
  3. cm: 0
  4. [ edit ]

おべんきょう 3

おべんきょう続けます。この色が詠草。うたの詞書や詠み人さんのアプローチなどは、この色。この色はKUONの書いている部分です。お名前はこの色です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


     アルジェリマン

痩せた兵追い詰め撃ったる境界を笑ってまたぐ肥えたラスボス

   北のあの三代目を字数の関係でラスボスと表現しました。
   ゲームなどで黒幕とか最後の大物みたいな存在のことを言うらしいです。


異様な画像でした。。まんま幇間顔のムン某と、その「ラスボス」三代目。あんなに太ってあんなにニタニタと、あのラインを越えてはいけなかった。過去にも多くの血が流され、今もそのままであるラインです。

・痩せた兵を懸命の兵を追い詰めて容赦なく撃つ境界ぞそこ

私もアルジェリマンさんのおうた読んで、↑ このように感じました。思い切りつっ転がしてやりたい衝動が噴きあがっていました。

  
黒ずんだボール嗅ぐ犬の背に白きハリエンジュ落つ校庭の外

犬の背を肥える高さのハルジオン揺れる野の道雨上がりの朝

↑ のうたを「揺れる野の道雨の翌日」に変えたいとのお申し出。なるほど字余りにはなっていますが、わたしは、はじめの「雨上がりの朝」の方がいいではないかと。一所懸命考えられたのはわかりますが、「雨の翌日」は、考え抜いて理屈になってしまった感があり。この一首は、はじめの方がいい気がします。

ハルジオン終わりて次はヒメジョオンいずれも強し帰化の草なり

ふた昔も前のこと。帰化植物の「せいたかあわだちそう」の跋扈に、本気で怯えました。ブタクサにすべて制覇されるかと。そうはならなかったようで・・が、ヒメジョオンも帰化草。うかうかしてはいられないのに、草花ばかりでなく国土も民心もやられています。が、奈良の市内の通りもやられています。

苔むした石碑の回り小判草 その名を知りし野の草いとし

こういう優しいうたもいいですね。もったいないので少し手を入れさせて下さい。

きちんと形を整えると、以下のようになります。

「苔むせる石碑の周りの小判草その名を知りて野の草いとし」

ニュアンス少し変えて「その名を知れば」とすると、小判草がクローズアップされて来ます。


小判草 生まれは欧州舶来の鑑賞の草 野に揺れており

「小判草 生まれは欧州舶来の鑑賞用とや 野に揺れており」

あと五羽は先に行ったか カルガモは二羽で沼田をすいと進めり

カルガモにもたったか組とゆったり組と(笑)。こういう風にものを見られるのは、うたを詠んでゆくのに、とても「いい」と思います。

今月もわからんちんの電話あり説明虚し のの字ぐるぐる

お仕事の場での一首を追加されました。

いかにも現代のうた。こういった「いまどきの人」が若い人かお年を召した方か、とにかく上から目線で堂々の「わからんちん」ぶりを、遺憾なく発揮して来るのでしょう。「のの字ぐるぐる」。ここいいです。目に見えるよう。ケンキョでありたいものじゃ、と、ため息が出ます。



・・・今宵はここまでとさせていただきます。よろしく。また明日、お目にかかりましょう。この場で。




NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY>>

ブログカウンター

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

« 2018 05  »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -