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今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

須崎の海は、キラキラ、でせうか。絶壁も、おあり?

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臨時専用列車で。


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幼いころの「正田美智子」ちゃんだそうです。

「愛子内親王」さんの祖母上だそうです。

子ども時代は「ぜっぺき」でなくて。いつから後頭部用具が必要になられたのでしょうか。

賢そうで可愛らしくもあって。こんな(向かって右上)、西洋人形みたいなお子さんが、無理してイヤイヤ皇室へ嫁いであげて、はちじゅっさい過ぎたら、基本の「つとめ」である「神さまのこと」には出られないお病気でも、外国へ行ったり、そこで人払いしてあれこれ企んでみたり(成否はどうでも)。そんなワケのわからんお人になられるとは。

計画通りか。

先日は孫娘さんの義務教育の終った日。ひとつきの間に10数キロも体重を取り戻されるなんて、まさに「東宮マジック」。なかなかこうはゆかなさそう。人は風船でないのにね。コマではあっても。

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髪,(おじじさまと違って)シャンプーできてるし。

やっほー、ご挨拶してきま~す。

首は、痩せこけてた「愛子さん」の首のようだ・・・鼻は、ふたたび、おっきくなったのかな?。

で。春だから~。なのか?

↓ こおんな表情がでて来られたのね、「愛子さん」。

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くおんにはやっぱり、わかりません。

この笑顔の主、どなた??。


・・・・ま、とにかく。

うまく行ったから(自己評価限りなく高し)ミテコさん、ナルちゃんと並んで、音楽鑑賞をたのしまれたそうで。おめでたいこと。

24日からは、須崎の御用邸で、春の静養に入られるのですね。めでたしめでたし。まことけっこうなご身分でいらして。

ホントに結構な。ね。

長男さんたちは、スキーですよね。脚のおれ無さそうな「愛子さん」を、みつくろって同行されるのですよね。

あ、そうだ、

「愛子さん」の頬っぺたに入れられた(らしい)何とかいう(ヒアルロンさん?)、何日くらい持ちますか。

あ。失礼。おばばさまなら、そういう方面のこと、ヘタな一般人などよりよほど、お詳しいかと思ってしまいまして。

高校の入学式にはまた、どんなサイズの愛孫さまでいらっしゃるのかしら。

ほっぺが急に厚くなって、喋りにくそうだったなあ、あのお嬢さん。

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ミジンコくおんは、お可哀想だなあと、思ってしまっています。可哀想なんて、失礼千万なコトバと知っていつつ。

まあとにかく、須崎の春の海は、きれいでしょうね、キラキラ光ってね。

めでたし。あー、めでたし。

わたしを、すっごくイヤミな性格にして下さって。めでたし・・・めでたし?。



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この子はだあれ?

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これは、学習院の門の近くとやらで、ありがとうございます、とか言ってた「愛子さん」でしょうか?

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3月22日なのですね。「愛子」さん、お父さんより背が高くなられて。

あたま、長くなられましたね。




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去年の夏。どなた?

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12月1日がお誕生日。内親王の愛子さんの、ね。

この方のお誕生日は、いつなのでしょうね。11月に撮られた写真なのだそうです。

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これ、お誕生日に両陛下に挨拶に行く愛子さま、なのだそうです。


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お正月~。

皇室のお節料理、独特らしいです。たんと、召し上がらなかったのかな。

ものすごく痩せておられます[愛子さま」。


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おもうさまの(そんなコトバ、ご存じかな、この「愛子」さん)お誕生日に睦まじく。

ガリガリしておられます。

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内廷皇族の、愛子さんなのでしょう? 海外へもそのようにひろまっています。

いっぱんの社会なら、きっと誰かが何かの手を差し伸べるんじゃないかな、と思ったりします。

皇室のヒトが、いけないことしたり悪いことしたりウソついたりだましたり税金をドロボーしたり子どもを取り換えたりするなんてエトセテラ、するはずがないと。

長く続く「平和」さまのおかげで、国民の多くの皆さまは、疑うことを知らず、なさらず、信じきっておられるのです。


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向かって右は、どんな愛子さん?

遅刻ギリギリで登校、だから走って、とか。そんなはずはないですよ。

学校へは、顔を出せば「出席」。お昼から行っても、すぐに帰っても。

人もあろうにトーグー家の「愛子さま」が、遅刻とかなんとか。一般人民みたいなセコいこと、気になさるはずがないではありませんか。


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左手、手提げバッグの中から、折れ曲がって生えてるみたい。とか書かれていました。

それは、間違った報道に対してキリリっと立ち向かわれる、おばばさまのご機嫌に委ねられるのでしょうね、そんなことありません、とか。

手も手、ですが。

あの、ぷっくり可愛らしかった「愛子さま」の唇。申すに畏れ多い、タラコになってしまっておられますが。

ええと。わからなくなって来ました、このお方は、どなたなのでしょうか?。


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で、まあ。

週刊誌って失礼なことしますね。

学習院での孤独、ですと。他でもない[愛子さま」に向かって、言うにこと欠いて。

宮内庁からクレーム、来ましたか?

宮内庁には許されている、事実の歪曲やら画像の捏造やら、そんなこと、許されない立場の方々です、愛子さんについて、嘘っこ書くわけがないのに。

嘘っこの写真など、だせることでもなく・・・宮内庁(=ミテコさん)からクレーム、とか。あの役所のHPに出ていない。

不思議です。ここ、皮肉イヤミあてこすりですので、よろしくお読み取りくだしゃい)

不思議なことはいっぱい、何より

ひと月足らずで、ここまで細ってしまったお子が、ぽわ~んと膨らんで出て来た、このこと。

だあ~れも「違う」いわへんこと。

ん、たって。

本人が、学校生活は楽しかった、と、仰せであります。

三年ぶりにお声を聞かせて下さいました。長いことしゃべられたので、声を待っていた専門家はきっと、張り切っておられるでしょうね。


もう疲れましたので、ここまで。



こう出ておいでになりました 追加画像あります



拒食症・・から、奇跡のご回復。

頬、ふっくらされましたね~。医学界の奇跡ではないですか、このレベル。

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宮内庁が出して来た画像の「白い骨子ちゃん」はいずこ。ひと月前でしたが。

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海外のメディアもびっくり、こーごーさんのたいじょうほうしんもご快癒なさいますかな。

さすがのご皇室、神がかったことをなさいます。

お声もしっかりお出しなさいました。

どこやらでは早速、声紋を調べ始められるとか。

上の前歯のカーヴが違うと思います。

民よ黙れ、東宮家の奇跡にひれ伏せよ。と。

今宵は祝杯をおあげになるか。


「愛子」さん、今日の写真のうちでも、脚の細さが目立っている三人横並び、歩いている一枚の背景には、幼い頃からずっとついておられた、このところ見かけられなかった「はくしょん」さんの姿が見えます。この写真だけ、頬がほっそり見えますね。

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同じ日、同じ親(・・・)なのに、この「愛子さん」は、頬っぺたの肉が少し少なめな気がします。

制服の中身も、がっぱがぱな気がします。


ナルさんは自信たっぷりにお見うけします。自信たっぷりのナルさんて、つくづく、あほうに見えます、すごいわ。常に増してアホウ度アップに見えますから~。

まさこは・・・あ、写っていますね。笑ってるわ。ふうん。スカートの丈。

これで、数日内には春スキーに旅立つことがお出来になりますね。慶賀。慶賀。

本当に、今日を無事(あ・・・)終えられて、おめでとうございます、っと。

地獄へ落ちてくださいね、本日はどうも、お疲れさんでやんした。



◆宮内庁は22日、皇太子ご夫妻の長女愛子さま(15)が学習院女子中等科を卒業されるのに合わせ、愛子さまが卒業記念文集に寄せた作文を公表した。

 「世界の平和を願って」との題で、昨年5月の修学旅行で広島市を訪れた際に感じたことや、平和への思いがつづられている。

 全文は次の通り(表記は原文通り)。

 世界の平和を願って 敬宮 愛子
 

 卒業をひかえた冬の朝、急ぎ足で学校の門をくぐり、ふと空を見上げた。雲一つない澄み渡った空がそこにあった。家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待っていてくれること…なんて幸せなのだろう。なんて平和なのだろう。青い空を見て、そんなことを心の中でつぶやいた。このように私の意識が大きく変わったのは、中三の五月に修学旅行で広島を訪れてからである。

 原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた。ドーム型の鉄骨と外壁の一部だけが今も残っている原爆ドーム。写真で見たことはあったが、ここまで悲惨な状態であることに衝撃を受けた。平和記念資料館には、焼け焦げた姿で亡くなっている子供が抱えていたお弁当箱、熱線や放射能による人体への被害、後遺症など様々な展示があった。これが実際に起きたことなのか、と私は目を疑った。平常心で見ることはできなかった。そして、何よりも、原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた。命が助かっても、家族を失い、支えてくれる人も失い、生きていく希望も失い、人々はどのような気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。私には想像もつかなかった。

 最初に七十一年前の八月六日に自分がいるように思えたのは、被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない。これは、本当に原爆が落ちた場所を実際に見なければ感じることのできない貴重な体験であった。

 その二週間後、アメリカのオバマ大統領も広島を訪問され、「共に、平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」と説いた。オバマ大統領は、自らの手で折った二羽の折り鶴に、その思いを込めて、平和記念資料館にそっと置いていかれたそうだ。私たちも皆で折ってつなげた千羽鶴を手向けた。私たちの千羽鶴の他、この地を訪れた多くの人々が捧げた千羽鶴、世界中から届けられた千羽鶴、沢山の折り鶴を見たときに、皆の思いは一つであることに改めて気づかされた。

 平和記念公園の中で、ずっと燃え続けている「平和の灯」。これには、核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けようという願いが込められている。この灯は、平和のシンボルとして様々な行事で採火されている。原爆死没者慰霊碑の前に立ったとき、平和の灯の向こうに原爆ドームが見えた。間近で見た悲惨な原爆ドームとは違って、皆の深い願いや思いがアーチの中に包まれ、原爆ドームが守られているように思われた。「平和とは何か」ということを考える原点がここにあった。

 平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う。しかし、世界の平和の実現は容易ではない。今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。では、どうやって平和を実現したらよいのだろうか。

 何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。

 そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから。

 「平和」についてさらに考えを深めたいときには、また広島を訪れたい。きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう。そして、いつか、そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、広島の「平和の灯」の灯が消されることを心から願っている。 




卒業式前夜



明日は愛子さんの中学校卒業式。

三年前の春、小学校を卒業する愛子さんは、両親にはさまれて、ニコニコしておられました。



・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3年前のブログより ・・・・・・・・・・・・・・・・・


この週の週刊新潮には、愛子さんの「発語」についての記事があります。さっき買って来て、まだ読んでおりません。
「学習院初等科」卒業式に「宮内庁記者」と激しい冷戦

   「愛子さま」お言葉の機会を断固拒否した「雅子妃」


です。「ライバル誌」の文春の方は

天皇皇后「伊勢ご参拝」の最中 雅子さま 奥滋賀スキー旅行

です。ついでにもう一冊、女性自身誌は、

超秀才! 愛子さま‘卒業レポで綴られた「天皇の役割‘「宮中の結婚」肉声

ですと。

アゲか、皮肉か。どっちなのかなあ。何年も同じことしてるんやなあと思う。

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愛子さんに何か言って欲しかった記者に向けた、当日のまさこさんの「笑顔」。


記者たちの目の前で雅子さんは、また、愛子さんを背後からどついた。右足の位置が変わるくらい。背中が反り返ったくらい.。

父親は、あれこれガードしたにも関わらず、隙をついて発された記者からの質問に動揺した証拠に、いつもの、ポケットあたりでの両手パタパタ。これって、茶番、いや定番?・・・

白昼、伝統ある学校の門前で、東宮という位置においでのご一家の、猿芝居。愛子さんに罪は無い、と、思う。



動画は、うまい具合に処理がなされています。が、動画の方がよく見えることもあります。)

けれど、愛子さんにしても、自由に使えるお金が1年で5000万円超という、公人なのです。

口、開けっ放し。

唇の両側にヨダレガたまって・・・と、私も他で書いていますね。

思えば辛いことと、お思いのあたりが、おられるように、これは、邪推? 。

これを書くために改めて読んで、われながら疑問だった ↑ の部分。

思い起こせば当時、私は、こうごうさんが、雅子さんが愛子さんに対する態度の荒っぽさに、胸を痛めておられると。

そんな風に考えていたのですね。

めでたかった。やられていました。


結果的に愛子さんは

「ありがとうございます」

「楽しみにしています」

と、話されました。

私は、愛子さんは、懸命に「しよう」とされていたと思います。

オランダから帰国した両親を迎えた時も。

トンガから帰った両親を迎えた時も。

3年前の春も。

ヨダレを垂らしていたとか。アジガドゴゼマス、と聞こえたとか。確かにそうではありましたが。

国民の方が認めない、笑った、恥じた、と言う以前に、親の方がわが娘を受け入れられなかった、否定した、恥じた。そうなのだったと思います。

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オランダにて。

手の甲の「笑え」のツボを押されて、懸命に笑っている愛子さん。

こうして育てられました。


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3年前の春の愛子さんと、今年2月の「愛子さん」。

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もう一つ。

宮内庁は18日、皇太子ご夫妻の長女愛子さま(12)の学習院初等科卒業式に合わせ、愛子さまが初等科の卒業記念文集「桜愛集」に寄せられた作文を公表した。活字化されたもので、昨年7月に学習院沼津游泳(ゆうえい)場(静岡県沼津市)で行われた6年生の水泳行事「沼津海浜教育」に参加した際の思い出がつづられている。

全文は次の通り(表記は原文通り)。


大きな力を与えてくれた沼津の海               敬宮愛子

 不安な気持ちを抱きつつも、きっと楽しい思い出が作れると言われて出かけた沼津でしたが、初日から練習は厳しく、海に入りたくないと思う時も少なくありませんでした。ただ楽しかったのは、友達との生活と食事、お風呂でした。
 しかし、足の着かない海で泳いで、初めて気持ち良いと感じる日が来ました。三日目に行ったプレ距離泳の時でした。プレの日は、波もなく、太陽が照りつける中での距離泳となりました。海に入るまでは、五百メートルも泳げる訳がないと諦めていましたが、泳いでいるうちに、体の力が抜け、楽しく泳げるようになりました。五百メートルを泳ぎ切ると、海が好きになり、海に入るのが楽しみになっていました。
 迎えた本番の五日目は、潮の流れが少しあり、泳ぎにくいと感じましたが、前日に一キロ泳や二キロ泳を終えた人たちの「頑張れー」という応援の声が聞こえる度に、不思議と力が湧いてきました。無事に泳ぎ切り、みんなと喜びながら頂いた氷砂糖の甘い味は格別でした。
 沼津での生活は、私に諦めないことの大切さを教えてくれ、大きな自信を与えてくれました。沼津の海は、私にとって忘れられない記念の海。六年間の中で、私がいちばん成長できたと感じられる素晴らしい思い出になっています。


・・・。

以前の、大縄跳びの作文だか詩だったかの中に「達成感があった」という部分があって。

暗然たる思いを抱いた、あの時と同じ感覚。

本人が書いた、本人の「感想」ではない。

と、私は断じることだってできるけど、ここでは「私はそう感じた」と、記しておくことにしよう。

ここまでやるか~。やってるんだよね。

かつて、愛子さんは、学校でのプールの授業をすべて、休んでおられた。見学だった。

その頃の理由は「水のきらめきが怖い」だったか「揺らめきがこわい」だったかでした。

内心、愛子さんは詩人か、と、感じたわたし。

プールなんか休んでも、どっちにせよ進級も進学もできるお方。その詩心をお伸ばしになって、とか、今に思えばお人よしなことを勝手に考えておりました。

何がどれが本当なのか、さっぱり理解しがたいご一家です。はっきりわかっていることは、嘘を重ねていると、にっちもさっちも行かなくなるよね、ってこと。

私も大嘘つきです。だから多少はわかる気がする、でも、あの家の嘘は、せこくて、場当たり的で、アホみたいに未熟な、人をバカにしている嘘。嘘のオトシマエを、自分で引き受ける覚悟の無い嘘。

どこまで行くのかしら、どこまで行けるつもりなのかしら。

...この作文、書かれたのは「敬宮愛子」さん。その後に「内親王」がついていない。

同じ条件の秋篠宮家の眞子さまの時には

「秋篠宮眞子内親王」

と、表記されているのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

3年前も私は、嘘ばかり重ねていると、にっちもさっちも行かなくなるなどと書いていたのですね。

本当のことですもの。

いまではもう、単なる嘘で納まりがつかなくなっているかと思います。


愛子さん、ご卒業おめでとうございます。と、普通に言えたら。

など、思います。




プーちゃんとおばあちゃんのこと

今日は墓参りをしました。

いつもより大きい花の種類も多い彼岸用の花を買い、墓地へいったら大混雑していました。

長い時間かかって何とか車を降りようとしているお年寄り。墓守りさんと話をしている中年女性の大きな声、墓苑内を走り回る子どもたち。

あるお家では犬も一緒に来ていて、見ていると、お墓の前にちょこんと座って、来ている方々にアタマを撫でてもらっているのでした。ハスキー犬。おそらく年寄りになっている犬。

あのコは、飼い主さんに先立たれてしまったのだなあと、なんとなくじいっと見てしまっていました。


今日は、ご近所の「Hさんのおばあちゃん」のお葬式の日でもあったのです。

連休中に少しでも不用品を片付けておきたいと、庭で軍手はめてゴミ袋と格闘していた昨日。

自治会の班長さんが来られて、緊急の回覧お願いします、訃報です、と。

三軒向こうの、プーちゃんのおばあちゃんが昨日亡くなったとのことでした。

えっ。一瞬絶句したわたし。

トイプードルのプーちゃん・・・プリン嬢・・・と、おばあちゃんのコンビは、この界隈で知らない人は無く。

朝も夕方もお昼間も、おばあちゃんはプーちゃんのリードを引いて。

ほとんどの場合はプーちゃんを抱っこして。歩き回っておられたのでした。

娘さんの夫さんは単身赴任でめったに帰って来られず。娘さんは昼間お仕事。男のお孫さんはアメリカにおられる、女の孫さんは東京住まいで、小さなお子さんがいる。Hさんのおばあちゃんは、昼間は一人で、小さくてほっそりとした、大きな目がいつも涙でうるんでいるような超高齢犬のプーちゃんと、二人で過ごしておられたのでした。

私にもよく、声をかけて下さった。小柄な上品なお年寄りで、

「わたし、二十九の年に主人を亡くしましてん」

が、いつも話のきっかけでした。お茶を飲みにいらっしゃい、とか。時には美味しいお饅頭を戴いたからご一緒にどう? とか、誘って下さったのでしたが、私は、よそ様のお宅にあがる習慣無く暮らしていて。もう何十年も。

きっと話も長くなるだろう、一度上がらせてもらったら二度目はお断りしにくいだろう、など、自分の都合でいつも、うやむやな感じで離れて来ていたのでした。立ち話の折には、けっこうゆっくり話を聞かせてもらった。

同じ犬種を飼っていて、散歩仲間である私の娘ムコに、いつも優しい言葉をかけて下さっているのは知っていました。

Kはオトコマエやから気に入られてんねん。娘は笑いながら言っていて、それもいいよね、と私も、にんまりしていたのでした。

オトコマエなばかりでなく、娘ムコは柔らかい性格で、愛想の無い私や、年中忙しくてバタバタしていて、どたどたと階段を下りて来て靴をつっかける勢いで玄関を走り出て車に飛び乗ってバビューンと出て行くせわしない娘と異なり、ゆっくりと犬に付き合いながら、仕事から帰ってからも二度、三度と散歩に連れて出てやる。

おばあちゃんと会う機会も多い訳で、年齢差四十歳少し身長差もそれくらい、で、立ち話に花も咲かせていたようです。

で、ご近所のいろんな小さな話題に一番詳しいのも娘ムコ。いい意味の田舎育ちのおっとりが、役だっているようでした。

プーちゃんのおばあちゃんは、わが家の孫どもにも、よく、優しい言葉を下さっていました。孫どもも、おばあちゃんのことを、好いていました。


急な訃報に驚いて目を走らせた回覧板には、八十二歳で、と記され、お名前はHさんのおばあちゃん、でなく、Oさんであることが、記されていたのでした。

「ひと月ほど前から入院しておられたそうでしてな」

・・・知らなかった。

この二月三月、私は、三つ違いの孫どもの入試や卒業や。仕事の大きなひとつの、突然雲行きのあやしくなった先行きや。それに伴ってガクンと落ちるかも知れない会社の売り上げのことや。何やらしきりにやらかしてくれる姑のこともあり、

そんなこんなで頭がいっぱいで、おばあちゃんとプーちゃんのことは、きれいさっぱり自分の中から消えていました。

以前は、数日見かけないと、あら、何かあったのかしらと感じたりしていましたのに。

・・・入院はどなたにも伏せてあったようで。

・・・葬儀も「家族葬」で。

香典供物いっさいご無用に、ということで、と、まぶたをシバシバと、自治会班長さんは帰って行かれたのでした。

娘も娘ムコも、孫の二人も、聞いて呆然、ショック、この家へ越して来た五年前から、可愛いね、ええ子やわね、と言っていただいて来た女孫は、黙ってしくしく泣き出して。

家の前には喪を告げる張り紙の一枚も無く、外を通りかかっても静まり返っていて。

わが家の犬を連れ出して、さりげない風に様子を見に行った娘ムコも、

「なんにもわからへんわ」

と帰って来る。家族の皆さまで、静かに、おばあちゃんを送られるのだろう、気持ちの中でお送りをさせてもらおう。私は、それだけ、口に出しました。

三十にもならない歳で夫君と死別されたおばあちゃんには、いろいろさまざまなことが、おありだっただろう。

・・・今年のお正月、めったに外に出ない私が、坂道の下の公園に向かって歩いていた時。

あらあ。明るい声で、呼び止められました。

プーちゃんを抱いていないおばあちゃんが、もう、大ニコニコの笑顔で、ひ孫がきてますねん、と、大きな声で話しかけて来られて。

一緒にいた、とても綺麗な女性がお孫さん、ベビーカーに乗せられて眠っているのが、おばあちゃんの「ヒマゴ」さん。

「これ孫な、東京にいてますねん、昔テレビに出てましたのやで。タレントやのうて、ニュースの」

わあっと話すおばあちゃんを、優しくとどめて挨拶して下さったお孫さんは、本当に美しい方でした。

きれいで。お品のいいお孫さんですね。思わず口走ってしまいました、本当の気持ちでした。

会釈しながら遠ざかって行く、おばあちゃんと孫、ひ孫さんを、なにか温かい気持ちで見送った、思い出せば、寒い季節でもあったし、あれが、おばあちゃんと言葉を交わした最後だったと。

思えば、何とも言えないです。

おばあちゃんの死、自体は、長病みされないでよかったなあ、というのが、本心です。

ご苦労はおありだっただろうけれど。静かな住宅地に住まわれた晩年、愛しい犬と二十年ほども一緒で、連れて、抱いて散歩をさせ、プーちゃんの洋服だって、いつ見ても、可愛いものばかりでした。

おばあちゃんとプーちゃんは、誰の目にも最高の相棒に見えました、プーちゃんはおばああちゃんにしかなついていなかった。誰にでもいつもワンワン吼えるのでした。おばあちゃんだけが好きだったのだと思います。

おばあちゃんとぷーちゃん、どっちが先やろう。そんな不謹慎な(でも実感)思いも、よく、心の底に湧いていました。


・・・おばあちゃんの死が、現実のものとなって。

今日、春のお彼岸の日、おばあちゃんはお骨になって、帰宅されたのでしょう。

もうあの笑顔は見られない。

お墓にいる時も、この時期に旅立たれたおばあちゃんのことが、しきりに思われました。

そして。

プーちゃんはどうしているのだろう。

どうなっているのだろう。

一か月のおばあちゃんの入院の間、プーちゃんはどうしていたのだろう。

いま現在のぷーちゃんのことが、わからないのです。

時々は聞こえることもあったぷーちゃんの鳴き声、それも、ずっと、聞いていない・・。

娘の家族も、おばあちゃんに思いを馳せていなかったこの冬から春のことを、何やら痛みを伴って感じている様子です。

でも仕方がないよね。ココロの中で私は自分に言い聞かせます。わかるけど、仕方ないんだよ、仕方が無いことなの、でも、

悲しい、

淋しい

プーちゃんが気になります。

プーちゃん、きっと、おばあちゃんと、そんなには離れていないよね。

そうあって欲しい、おばあちゃんとプーちゃん、いつも、ずっと、一緒だったのだから。

離れたら二人とも、どちらも、淋しくていられないよね。

そんなことを、ふらふらと、考えてしまっています。